第3部第1章第15話 brevis larva(4)
でも、どっちなんだろうな。
どっちにそういう不穏な動きがあるのかで、ヴァルスの動きにも大きな影響が出るし、そもそも俺たち自身の今後に多大な影響が出るんだ。
だけど今のところ聞く限りでは、リトリアのセンが強そうだろうか。情報が他国の民間に下りてくる速度を考慮すれば、リトリアに関しては既に何かでかい動きが起こっているのかもしれない。対するツェンカーは、何か起こるのだとしても、まだ実際の大きな動きと言うのはまだないんだろう、多分。
だけど――トラファルガー……。
「リトリアでは、今度の戦に対する不満があるんだって話を聞いてるよ。だけど、詳しい話は良くわからない」
「戦に対する不満か……」
「ツェンカーは、トラファルガーの襲撃に備えて今度の代表を選んだんでしょ?」
ニーナの問いに、シアがクリーム煮の野菜をフォークで刺しながら頷いた。
「そうみたい。だけど、もうひとりの候補者を補佐として、問題なくいってるみたいだよ」
「もうひとりの候補者……アルディアとか言ったか?補佐官に立ってるのか」
「そう」
「……その、支持者たちは?」
「……」
俺の素朴な疑問に、シアが黙る。黙ったままで、俺を見つめた。そんな凄いことを言っただろうか。
「それは……わからないけど」
「じゃあ、火種になり得るものは、なきにしもあらずか」
支持する側とされる側が一心同体とは限らないもんな。ルーベルトとの協力体制をアルディアが受け入れたとしたって、その支持者たちも同じとは限らない。
それが、そしてヴァルス王女ユリアの訪問が、何かトラブルに繋がらなきゃ良いんだけど……。
「あーうまかった」
しばらくして食事を終えると、店を出る。シアおすすめのお店は、味も良かったし、ボリュームも十分で、しかも安かった。
買い物に行って適当にシアの家に帰っていると言うシサーとニーナと別れて、俺とキグナス、ユリアは、シアの案内でグリンローズを少し歩いてみることにした。人の姿はやはり、多い。
「マカロフって果実酒が美味しいの?」
「美味しいよ。小さいのもあるから、買って行けば?その辺の屋台で飲み比べなんかも出来るはず」
シアに案内されて、混雑の合間を縫って屋台を覗く。飲み比べと言っても結構気前の良い量で、あんまり何種類も比べてたら、それだけでべろべろになりそうだ。
「すっごい、フルーティなのね」
「果実の味が濃いなあ。甘い」
「飲みやすいな。香りが芳醇だね」
「ユリアちゃん、あんまり飲まない方が良いかもよ。口当たりの割には、結構アルコールが強いんだ」
屋台を覗いては試食をもらったり、謎の彫り物に笑ったり、ちょっとしたゲームに首を突っ込んだりしてみる。屋台に並ぶものは結構町や国の特徴が良く出るから、俺はこういうのを見ているのは凄く好きだった。
「後はそうだなあ。見せ物小屋でも行ってみる?それか……あ、そうだ。良いとこがあるんだ」
「へえ?何だ?」
「月華公園」
「ゲッカコウエン?」
「うん。マカロフの中でもこの辺りにしかない月華草ってのがあって、昼間はただの白い花なんだけどさ……今日は月が綺麗だし、きっと綺麗だよ。行ってみようか」
そう言って、シアとキグナスが前を歩き出す。ユリアを何気なく振り返って、俺は足を止めた。
「カズキ……ッ」
「ユリア、平気?」
俺とユリアの間を数人が隔てていて、ともすればユリアがはぐれそうだ。足を止めてユリアを待つ俺に追いついたユリアは、大きな目を丸くして、俺を見上げた。
「置いて行かれるかと思って焦っちゃった」
「人が凄いから気をつけないと、はぐれちゃうな……って、あれ?」
言ってるそばからこれだ。
前を歩いていたはずのキグナスとシアの姿が、既にどこにもない。
「え?あれ?はぐれちゃったの?」
「……かな。まだその辺にいるよ。追いかけよう」
そう言って歩き出しかけて、ユリアを顔だけで振り返った。ユリアが俺を見上げる顔を見て、迷う。浮かんだ考えにどきどきして、躊躇って、それから、隣を歩くユリアの手を、繋ぐ。
「……ユリアとまで、はぐれても、困るから」
「う、うん……」
照れたせいで、そっけない口調になった。そっぽを向いてぼそっと言い訳がましく言う俺に、ユリアも恥ずかしそうな掠れた小さな声で頷く。
細い、柔らかい、小さな手。
繋いだユリアの手から伝わる温もりに、鼓動が速くなる。キグナスの姿を探して人込みの中に視線を向けるけれど、神経はユリアと繋いだ手に、気配に行ってしまっていて、どこか上の空だ。彼女と手を繋いでいる、それだけで、幸せに感じた。
「いないわね」
「うん……どこに行くって言ってたっけ。ゲッカコウエンって言った?」
「と思うわ。じゃあ、そこに行ってみる?」
「そうだね」
ユリアも、繋いだままの手を嫌がる気配はない。恥ずかしそうな顔をしてはいるけれど、外そうとする様子はなかった。そのことに安心して、だけどどきどきしたままで月華公園と言うのを探してみることに決める。
「そこに行ってみていなかったら……戻ろうか」
「そうね。……どこにあるのかしら」
「さっきの口調だったら、その辺なんじゃないの……何せ、文字も読めないし、言葉もわからないからな……」
全くもって『外国』だ。
ともかくも、今いる、狭い路地に人がひしめいている状態から脱け出す為に歩いていく。大きな通りにぶつかって、そこでは少し、混雑から解放された。と言って、せっかく繋いだ手を放すつもりは微塵もないわけだが。
「誰かヴァルス語がわかる人、いないかな」
「旅人っぽい人なら、わかるんじゃない?」
「わかるかもしれないけど、その場合月華公園がわからないんじゃない?行商人風の人とか狙いかな」
「そうかも。あ、あの人はどう?」
「よし、聞いてみよう」
基本的には、常に殺伐としている旅の中、こういう僅かな時間に心が洗われる。交わす言葉や笑顔、そして、君の声。……伝わる温もり。
どうしても愛しい。手に入ることがないと、知っていても。
仮初でも良い……今だけだってことは、わかっているんだ……。
だったら逆に、今だけでも――君のそばにいられる間だけでも。……一時的にだけでも、せめて気持ちが、通じ合えれば、良いのに……。
「こっちの方みたいだよ」
「ここでしか見られないお花って、どんなのなのかしらね」
「うん。……キグナスたちは、いるのかな」
ヴァルス語を何となく理解してくれた行商人風のおじさんに道を聞いて、その言葉通りに月華公園を目指して歩いて行く。メインストリートなんかからは少し外れていくせいか、人の通りは相変わらず多いものの、少しずつごちゃごちゃしなくなっていった。広いとも狭いとも言えない何とも中途半端な通りにぶつかり、言われた通りにそれを左に曲がる。この通りには出店はなく、けれど避難民のような人たちがいるのは相変わらずだ。
そうしてその道を少し行くと、やがて黒い大きな門が見えた。そのすぐそばに受付みたいなのがあって、門の内側はすぐに遊歩道のようなものが続いている。左右には木々が立ち並び、カンテラの灯がぼんやりと照らしていた。受付に近付く。
「ここかな」
「公園みたいではあるわね」
「行ってみよう。違ったら違ったで……とりあえず、人の家ではなさそうだし」
ヴァルス語のままで、2人であることを告げる。受付のおばさんはさすが接客業、ヴァルス語をカタコトで理解してくれて、ここがシアの言っていた月華公園であることを確認して中に入ってみることにした。どうやらここは、有料らしい。だけど別に高額でも何でもなく、俺の感覚に置き換えれば100円くらい。公園を綺麗に整備しておく為の費用を、来訪者からカンパしてもらってると言うような風情。
安いとは言え有料だし、門もあるしで、中に入ってみるとここには避難民の姿は見当たらなかった。綺麗に整備された遊歩道の中、人の気配はあんまりなさそう。ないことはないんだろうけど、カップルばっかりなんだろうか。結構、静かだ。街の屋台の方のざわめきが、風に乗ってここまで届く。
「あれは……何だろうね。湖?てほどじゃないか。池かな」
遊歩道の少し先に、池が見える。そして、門から入ってすぐは少しの間続いていた左右の木々が途切れ、敷き詰められた芝生が広がった。その芝生の合間に揺れている花に、目を奪われる。
「これ、かな……」
「そうじゃない?凄い、綺麗ね」
昼間はただの白い花って言ってた。
だけど、月の光を浴びたその花は、まるで花びらが発光しているかのように、夜の中で光を放っている。
色は、それぞれだ。薄青く光っているものもあれば、赤がかったような光り方のものもある。それが、芝生と言い、木々の合間と言い、光りながら風に揺れていた。
「すっごいな……」
イルミネーションのようだ。けれど、自然に生えている植物のせいか、光に毒々しさは一切なく、どこか柔らかく儚くて、上品な輝きだった。
「あっち、凄いわ。お花畑?」
「行ってみよう」
ユリアが池の右側を指す。顔を見合わせて笑うと、俺とユリアはそちらに向かって歩き出した。
何か、これじゃあまるでデートでもしてるみたいだ。ユリアとふたりで手を繋いで、不思議な花の光が揺れる幻想的な風景の中……。
「綺麗……凄いわね、本当に」
「うん……」
この辺りは、月華草が多く植えられているみたいだ。足元が、柔らかい光に一面包まれている。これが全部花だと言うのが、不思議だった。面白いものがあるんだな。
「シャインカルクにも植えたいわ」
「種とか持って帰れないのかな。育たないのかな」
「どうなのかしらね。後でシアに聞いてみるわ」
手を繋いだまま、ゆっくりと、花の間の細い道を進んでいく。左手の池が、月の光と花の光を反射して、きらきらと輝く。
……こうしている間にまた、ユリアへの想いが、育つ。繋いだ手に伝わるユリアの存在が、伝えたい想いを深くしていく。
「一緒に来られて、良かった」
ユリアがふと足を止めて、不意にそんなふうに言った。俺も足を止めて、ユリアを見下ろす。
「え?」
「離れている間は、怖かったの」
怖かった?
意味がわからないでいる俺に、ユリアが笑った。目を細めて、微かに顔を揺らす。ふわっと長い髪が、緩やかな風に揺れる。
「カズキがどうしているのか、いつも考えてた。何かあったらどうしようって、怖くて怖くて仕方がなかった」
「ユリア……」
「今は、こうしてそばにいられるから、どうしているのかがわかるから、そんな不安が必要なくなったわ」
無言でユリアを見つめる。
……いつも?いつも考えてた?――俺のこと?
そ、そんなこと言わないでくれ。そうじゃなくたって、初めて手を繋げて少し、浮かれている。そんなふうに言われたら、勘違いするぞ。……それ以上が、欲しくなるじゃないか……。
さっきよりももっと、鼓動が速くなる。
見つめる俺に、ユリアも無言で見つめ返していた。
言葉ではなく、心が触れ合っているような空気。切ないほど、込み上げる想い。
「俺は……」
「うん」
伝えたい。……ユリアが好きだ。
「俺は、この世界に来てからずっと、ユリアのことだけ考えてる」
ユリアが大きな目を、更に見開く。
伝えたい。
触れたい。
誰より、好きだ……。
「ユリアの力になりたいって、ずっとそう思ってるから、俺は……」
精一杯言葉を選ぶ俺に、ユリアの瞳が俺を見つめたままで不意に少し潤んだ。
その表情が、俺の中の期待を後押しする。
まるで、ユリアも俺と同じ気持ちでいてくれているように見える。
途切れた俺の言葉に、ユリアが一瞬視線を伏せた。
それから再び、俺を見上げる。――お互いの間に、迷うような空気。
どきどきし過ぎて、胸が痛いくらいだ。
「俺は、ユリアが……」
迷いながらユリアの頬に繋いでいない方の手をそっと触れると、ユリアがゆっくりと瞳を閉じた。
(……まじ?)
ちょっと、これは……。
唇が触れ合う寸前、最後の肝心な一言を口に仕掛けたその瞬間。
「すっげえな。これが月華草?」
……………………………………………………くぅぅぅぅ。
「そう。マカロフにしかないんだよ……あっれえ?」
「あ、カズキ」
「ユリアちゃん」
木々に遮られた遊歩道の方から、がさがさと言う音と共にキグナスとシアが姿を現した。
(……くっそぉぉぉ……)
あと5秒!!
「いつの間に来たのー。……どしたの?2人とも」
「別に……」
キグナスの声が聞こえた瞬間、むしろ不自然とさえ言える距離を咄嗟に空けた俺とユリアに、キグナスとシアがきょとんと視線を向ける。気まずいやら照れ臭いやら悔しいやらで、曖昧にそっぽを向きながらぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜた。
「探したんだぞぉ」
「ごめん。ここに来るって聞いてたから、その方が確実かと思って」
「まあね、あの人込みじゃあ、見つけるのは大変だと思うし。だからあたしたちも、もしかしてと思ってこっちに来たんだ」
「ああそう?」
返事をしながら、ちらりとユリアに視線を向ける。ユリアの方もちょうど、俺の方に視線を向けたところだった。目が合う。どこか気恥ずかしい空気、だけど、目が合ったまま、ユリアがふわりと笑っ……。
(……うっわ〜〜〜……)
ちょっと、今の笑顔は、たまんないぞ……。
(何でも出来る気がする、俺……)
その笑顔の為だったら。
ユリアの為だったら――トラファルガーでも反乱軍でも、受けて立つ。
単純と笑うなら笑ってくれッ。
……どんなに難題だとしたって、ツェンカーを、ヴァルスの味方に引きずり込んでやる。