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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第1章第12話 海に消えた記憶(1)

「リヴァールへの船は、明日の早朝だな」

「ああ、本当ですか。それは助かります。早朝と言いますと……早朝ですかねぇ」

「早朝つったら日の出と一緒にだ」

「日の出と一緒……楽しそうですねぇ……」

 ちゃぷちゃぷと波止場で体を揺らすボートの整備をしながら言う男の背中に、グレンはぐしゃぐしゃと髪をかき上げた。既に時間は間もなく夜半だ。大した休養は取れそうにない。

 彼らがいるのはラグフォレスト大陸シュートよりやや北上した位置にあるロクソンと言う集落である。シュートよりも遥かに規模の小さなその集落は、ギャヴァンやフォルムスなどの大きな港街には降ろすことの出来ない荷などを、時折対岸にあたるヴァルス海岸沿いの小さな集落リヴァールへ運び込む。

 シュートからは現在、船が出ない。ローレシアに渡るには、正統な筋を通っていたのではいつまでかかるかわからない。ゆえにグレンとエレナはシュートを離れ、その筋の人間を頼ることに決めた。

「……グレン」

 無言でボートの整備を続ける男を見るともなしに眺めていると、エレナの気配が近付いてきた。振り返ると同時に、声が投げかけられる。

「泊まれそうな場所はあったよ。そっちはどう」

「明日の朝には出発出来そうです」

「そう。……良かった」

 振り返るその姿には、シサーとの戦闘で負った傷は既にない。

 ラグフォレストの神殿で『レガード』たちの前から姿を消したグレンは、エレナを抱えてシュートを離れた。そのまま近隣の漁村ロウシェンでエレナの骨休みを図った後、一度シュートへ戻り神殿でエレナの回復を行ってから、改めてシュートを離れて北上した。

 エレナを、『レガード』たちの追跡――正確にはシサーとの再戦から意識を引き離すのは、手を焼いた。あれほど一方的に完膚なきまでに叩きのめされたエレナは、屈辱の余りシサーとの再戦にひどく執着したのだ。

 ともかくもエレナを説得し、彼らも既にシュートを発ってしまったことだろうから、ひとまずはローレシアに戻る為にロクソンへと足を向けたのである。

 『レガード』たちが現在どこにいてどこへ向かっているのか、足取りは最早定かではない。しかし、ヴァルスの主要都市のいくつかで人間を買収してある。彼らは必ずヴァルスへ戻るだろうし、いずれかの街で彼らの足取りを掴むことは出来るだろう。

「リヴァールに渡ったら、ともかくもキサド山脈より向こうへ戻らなけりゃならないね……」

 グレンの隣に立って、遠く遥か彼方を真っ直ぐ睨みながらエレナが言う。グレンは微かに目を細めた。

「アンソール辺りを目指せば……」

「エレナさん」

「え?」

「リヴァールに戻ったら、行動を別にしましょう」

「……」

 エレナが無言でグレンを見上げる。その視線を感じながら、グレンは冷淡とも言える口ぶりで続けた。

「あなたは、ロドリスに一度帰った方が良い」

「何……」

「足手纏いなんですよ」

 淡々と告げたグレンの冷酷な言葉に、エレナは微かに息を飲んだ。そして次の瞬間、怒気を孕ませた眼差しでグレンを睨み上げる。

「セラフィさんには、私から……エレナさん」

 エレナはしばし無言でグレナを睨み上げていたが、やがて黙ったまま踵を返した。その背中に思わず呼びかける。

「だったらもう、ここで別れよう」

「けれど」

「放っておいて!!」

「……」

 きつく怒鳴るエレナの声に、グレンは嘆息して足を止めた。

 『レガード』自身は、大した能力があるわけではない。大して何を出来るでもない、ごく普通の少年であるとグレンは見ている。

 けれど、それを取り巻く周囲の人間は、少々厄介だった。特にあの――紫の髪の少女。彼女の存在が、グレンにとっては最も厄介だ。彼女の素性が何者なのかは知らないが、魔性と紙一重であるがゆえにグレンは聖職者の存在には敏感である。人でもあるから神殿に近付けないようなことはないけれど、居心地はひどく悪いし、何より聖職者の使う魔法……神聖魔法は効果的である。

 恐らく彼女は、生半可なプリーストなどではない。グレンが彼女から受ける威圧感の凄まじさが、それを語っている。

 エレナが、彼らを相手に自分で自分の身を守ることが出来ないのであれば、グレンにとっては足手纏いにしかならない。紫の髪の少女とシサーの2人を相手取ってエレナを庇ってやるのはひどく手間だ。

 そして、エレナは彼らの前で自分の身を守ることが出来ないことがわかった。エレナの腕は、シサーに劣る。このまま彼らに再戦を挑んだところで、『レガード』を仕留めるのは厳しいかもしれない。むしろグレンひとりならば、自分の動きにのみ集中することが出来る。

「エレナさん」

 そう判断してのグレンの言葉は、エレナのプライドをひどく傷つけるものだったらしい。頑なな背中に吐息混じりに呼びかけると、エレナが足を止めて振り返った。

「勘違いしないでよ」

「……」

「あたしは、私情であんたに付き合ってやっているわけじゃない。セラフィ様の命令で『レガード』を追っているんだ。あんたの言葉であたしはあたしの仕事をやめるわけにはいかない」

「ですから……」

 と、不意にグレンの言葉が途切れる。目を上げると、一羽の鳥がグレン目掛けて舞い降りてくるところだった。セラフィのゴーレムだ。『銀狼の牙』ヘルとの連絡に使っていたのと同じものである。

 舞い降りてくる鳥を模したゴーレムから手紙を受け取ると、グレンは無言で書面に視線を落とした。エレナの背中が離れていく。

「……エレナさん」

「放っておいてってば」

「セラフィさんからの、伝達です」

「……」

 エレナが足を止めた。険のある眼差しで、グレンを振り返る。その顔を、グレンは静かに見返した。

「私もあなたも、任務の途中放棄を余儀なくされるようですよ」

「え……?」

「安心して下さい。私とはやはり別行動になりますから。……エレナさんは、リヴァールからロンバルトへ向かって下さい」

 険を取り除いて、エレナは目を見開いた。その目を見返したままで、グレンが続けた。

「ロンバルトの王子様の護衛と監視だそうです」

「……あんたは」

「私は……」

 書面を丁寧に折り畳みながら嘆息したグレンは、再び顔を上げて、口を開いた。

「私は、リトリアへ向かいます」


          ◆ ◇ ◆


 医師である老人からシェインがタフタルまで移動することを許可されたのは、結局目覚めてから3日経過してからだった。

 この程度の小さな村では、冒険者が使うような治癒薬も効果の低い安いものしか手に入らない。それでも服用しないよりはと多少の効果を見込んで、治癒薬や薬湯、そしてひたすらの休養で何とか自力で歩くことが出来るようになってから、ようやくインファーから出て行くことを許されたのである。

 その間、共にインファーに足止めをされることになったソフィアとエディは、体よく老人にこき使われていたようだ。シェインに付き合うことにした為に申し訳ないとは思うが、ソフィアなどは割合楽しそうに手伝っていたようだから良いのだろうか。

「最近は魔物が多い」

 自力で歩けるようになったとは言え、決して健康状態とは言いがたいシェインは、現在戦力とはなりえない。常に高見にいることの多かったシェインからすれば、ひどく屈辱的ではあるが、致し方ない。

「戦の余波だろう」

 ホブゴブリンを片づけた剣を拭いながらぼやいたソフィアの言葉にシェインが答えると、剣を構えるだけ構えて何もせずに終えたエディが顔を上げた。

「そうだろうな」

「へえ?戦の余波?」

 見ている限り、どうやら最も腕が立つのはソフィア、と言うことになりそうである。

 エディも使えないわけではないが、どちらかと言えば頭脳労働派と見受けられた。シェインは元来魔術師であるゆえに、やはり武闘派とは言いがたい。情けなくはあるが、剣の腕はソフィアが最も優れているだろう。

「魔物は戦場を忌避するゆえな……。正確に言えば、軍隊を忌避する。その分、別の地に魔物が流れる」

「ああ。そうなのか」

 剣を鞘に収めながら、ソフィアが髪を払った。若い女性の旅は余計な厄介ごとを引きつけるので、ソフィアは普段長い髪を布でくるみ、まるで少年のように装っている。言葉遣いも女性らしいとは言いがたいので、それほどの違和感はない。

 魔物との戦闘で乱れた髪を元通り布でくるみ直しながら先を歩くソフィアが、シェインを振り返った。

「そろそろ日も落ちてきたな。もう少し進んだら野営をしよう。それまで歩けるか」

「ああ……」

 ソフィアの心遣いがありがたい反面、情けない。だが物理的にシェインの体は傷だらけで、長距離の移動に持ち堪えることが出来ない。休み休みでないと、傷ついている肺から漏れる空気が胸を圧迫し、喉から笛のような音が聞こえる。

 つくづくとリミッターが邪魔である。いっそ手首ごと切り落としてやりたいくらいだ。

「思いの外、タフタルまでは早く到着出来そうじゃないか」

「そうだな……この分なら明日の夕刻には辿り着けるだろう」

 ソフィアとエディが言葉を交わしながら地図を覗き込むのを眺めて、シェインは肩で息をついた。

 ……奇妙な2人だ。

 インファーを発ってからタフタルへ向かう道中、2人のことについて得られた情報は、些末だった。

 まずはソフィア。

 年齢は17歳、出身はリトリアと聞いている。

 知ってはならぬことを知ってしまった為に、『悪い奴ら』に追われてリトリアを出国したのだと言った。現在はロドリス北東の街アンフェンデスを目指しているらしいが、そこへ向かう目的は何なのか、『悪い奴ら』とは誰なのか、そしてそもそも何を知ってしまったのかについては一切口を割らなかった。ソフィア自身の身元についても、リトリア出身であると言うこと以外は口にしない。

 次いで、一層奇妙なのはエディだ。

 リトリアから追われたソフィアを追っ手から庇ってくれたのが、エディだったと言う。

 だが、エディ自身については、何もわからなかった。ソフィアもそれは、知らないようだ。何せ――エディ自身に、自己の記憶がない。

 目覚めた時には既に記憶がなく、仕方ないのでアテもなく移動をしている最中にソフィアに遭遇しただけで、どこへ向かうつもりも何をするつもりも取り立ててあったわけではない、とエディは言った。

 失っている記憶は、己に関してのみ……地理や言語、日常生活に必要と思われることについては欠如していないようだと判断している、とはエディの弁である。それによれば、エディは自身のことを恐らくどこかの貴族階級なのだろうと考えているようだ。理由としては、移動する間に触れた民間人の生活の空気感に時折何か違和感を感じることや、文字の読み書きが出来ること、己の持つ知識の幅広さが挙げられる。使用人を使い、教育を受けられる環境で生まれ育ったのだろう。

 だが、ともかくも自身についての情報を持たないエディに、「名前がないと不便だ」との理由でソフィアがエドアードと仮名を与えたらしい。以降、することも特にないエディは、やや短慮な嫌いのあるソフィアに何となくくっついて歩いていると言うことのようである。

 だが。

「シェイン?どうした?」

「……いや」

「痛むか?」

「平気だ。もう少し進むと川にぶつかるな。そこまで、行こう」

 横から地図を覗き込み、痛みに悲鳴を上げる体を堪えながら笑顔を向けた。

 ……2人の素性が、気にかかる。

 魔術師の勘は、鋭い。その勘が、何かを警告している。

 エディがどこかの貴族階級――それにはシェインも同感である。生まれ育ちから匂い立つ品位、と言うものが人にはある。エディは確実に上流階級の人間だ。それは仕草や態度、言葉遣いにも、そして交わす言葉の内容からも感じられる。シェインが見る限り、エディは政や戦についても深い知識を持ち合わせているようだ。それは、一般の民間人には持ち得る知識ではない。知識のみならず、己の考えも持っている。

 そして、似たものをソフィアにも感じていた。……いや、知識と言う点では、ソフィアはエディに遠く及ばない。だが、品位と言う点で言えば、エディに勝るとも劣らない。

 ソフィアはエディと違い、自身の情報を知らないわけではない。飽くまでも、シェインに……そしてエディに、伏せている。

 けれど彼女から感じる品位も、彼女の素性を上流階級の人間であると告げていた。つまりは、リトリア貴族だ。

 リトリア貴族であるソフィアが、なぜロドリスをたったひとりで見知らぬ男だけを伴って旅をしている理由があるのだろう。そして彼女が知った『知ってはならぬこと』と言うのは何なのか。

 リトリアは、アルトガーデン継承戦争において、キー国とも言える国である。リトリアの動向は、ヴァルスの将来にも深い影響を与える。気にならないわけがない。

「お、川だ。ここらでいいかな」

 先頭を切っていたソフィアが、前方に見える川に小走りになった。はしゃぐようなその無邪気な姿を見れば、性根の曲がった人間には見えない。そもそも見ず知らずのシェインを救ってくれたことを考えても、正義感の強い人物なのだろうと言う気はする。

 だが、正義の定義とは、難しいものだ。

 人によって、その基準は異なる。

 特に戦時中である現在、自身がどこに属するかによってその『正義』は種類が変わるだろうし、ヴァルス高位官であるシェインと、敵軍にあたるリトリア貴族のソフィアでは大きく視点が異なることは間違いない。

 彼女の正義が、シェインの正義とイコールとは限らない。

 いずれにしても、シェインの素性をソフィアに知られるわけにはいかなかった。ゆえに、シェイン自身も己の素性を偽っている。命の恩人と感謝すれば心苦しくはあるが、ヴァルスの高位官として己の私情に振り回されるわけにはいかない。ソフィアとエディの素性もしくはどのような人物なのかが確定してからでなければ、余計な情報を知られるわけにはいかない。

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