第3部第1章第11話 動静(3)
「体を回復したい」
「……」
「タフタルの聖職者に、知り合いがいる。ここからタフタルは、さして遠くないと今聞いた。……回復をして、行かねばならぬところがある」
「もう少し状態が落ち着いてからにしても良いのではないか?」
「これ以上時間を費やしていられない」
言い張るシェインに困ったように、少女が背後のエディを振り返る。無言で眺めていたエディが、少女を示してシェインに言った。
「彼女がソフィアだ」
「……………………わかった」
今の話の流れは、彼女の紹介などと言う空気ではなかったような気がするのだが。
話の腰を折られたような気分でふうっと息をつくと、シェインはベッドに横たわったままで覗き込む少女を見上げた。
「おぬしが俺を助けてくれたと、先ほどエディに聞いた。礼を言う。心から、感謝をしている」
ソフィアが目を瞬く。それから照れ臭そうに頭に手を当てると、考えるように視線を彷徨わせた。再びシェインに視線を定めて口を開く。
「ともかくも一度落ち着いて話をしてみないか?今すぐ、と言っても、実際問題あなたの体はすぐにここから移動出来る状態にないのだから」
「……」
「わたしは、ソフィア。あなたの名前はシェインで良いのだな?」
「ああ」
「話せるところだけで良いから、事情を聞かせてはもらえない?」
「……」
男っぽい口調のわりには優しく問われて、シェインは逡巡した。助けてもらって無下に突き放すことは出来ないが、さて、何をどう説明出来るのだろう。
彼らの素性がわからない以上、シェインがヴァルスの高位官であることは知られるわけにはいかない。
ヴァルスの周囲は、敵だらけなのだ。ロドリス、リトリア、バートやナタリアはもちろんのこと、ロンバルトさえも信用ならない。既に敗北しているモナならば余地はあるが、それも微妙なラインである。エディにしろソフィアにしろ、ヴァルス人でないことが言葉で知れる為、おいそれと自分の事情を口にするわけにはいかなかった。しかもここは、ロドリス国内だ。
「……ちょっとした誘拐事件さ」
ともかくも、少々歪曲した説明を試みてみることにする。
「誘拐事件!?」
「ああ。まあ、誘拐されたのが俺なのだが」
「……」
「それで脱出を試みたわけだが、我ながら少々手荒な脱出の仕方をしてしまったゆえ、崖から転落する羽目になった。おぬしらが見た屋敷と言うのが誘拐犯の屋敷だな」
言ってみれば随分と雰囲気が違うような気もするが、言っている内容に概ね間違いはあるまい。
飄々と言うシェインに、あっけにとられたソフィアが目を丸くしてシェインを見つめる。
「が、俺の身内からすれば、俺は突然誘拐されてしまってそれっきりとなっている。半死半生とは言え生きて脱出したとは知らぬゆえ、恐らくはいたく心配しているだろう。ゆえに早く俺の無事を伝えたい。端的に言えば、それだけのことだ」
「ふうん……?」
シェインの言葉を考えるように眉根を寄せた少女は、そのままの表情でちらりとシェインを見た。
「シェインは、その……冒険者か何か?」
「なぜだ?」
「ロッドを持っているでしょう。魔術師ではないの?」
「……ああ。まあ、一応はその端くれだな」
「今は、自分に治癒の魔法が施せない?……その、わたしは魔法には疎いゆえ、余り良くわからないのだが」
「施せるのなら、目覚めた瞬間に施している」
返す返すも忌々しい。ラミアに対する怒りにすっと目を細めたシェインに、ソフィアが微かに息を飲んだ。
「どうして?魔力を使い果たしてしまったとか?」
「悪い魔法使いに魔法を封じられてしまったのさ」
「魔法を封じるなんてことが出来るのか?」
瞳を閉じておどけたシェインの物言いに、ソフィアが生真面目に答える。再び目を開けてソフィアを見上げながら、シェインは答えた。
「出来る。リミッターと言う呪具にのみ、それが可能だ」
「それを外すことは?」
「リミッターをつけた魔術師本人か、それ以上の魔力の持ち主にのみ可能だな。ちなみにつけられた本人はそいつと比べて優れてようが劣ってようが、関係なく外すことは出来ぬ」
そう……その問題もあった。
何とかリミッターを外さなければ、戦陣復帰など出来たものではない。
ラミアはロンバルトの宮廷魔術師だ。いささか軽薄とは言え、魔力そのものは侮れたものではないだろう。シェイン本人に外すことが叶わぬ以上、シェイン以外で誰かラミアを越える魔力の持ち主を見つけなければならない。ガウナならば魔力そのもので言えば可能性はなきにしもあらずだが、魔力の種類が違うゆえに恐らくリミッターの解除は叶うまい。
だが、最優先事項は、ともかくも健康体を取り戻すことだ。五体満足に動ければ、リミッターを外されるまでは剣を片手に持ち堪えることも出来よう。今のままではそれさえもままならない。今はクラリスに会うことが、最も優先されるべきことだ。
「……タフタルと言うのは、どこにある?」
考え深げな沈黙を守っていたソフィアが、ふいと口を開いた。ちらりと目線を向けて、答える。
「ここから1日程度の距離、と聞いた」
シェインの回答に老人が頷いた。
「ここから北東の方角へ向かって、通常ならば1日程度……お前さんのその状態なら3日はかかるじゃろうけどの」
「北東……」
ソフィアがエディを振り返る。エディは諦めているようにふっと息をついて頷いた。それを見届けて、ソフィアは再びシェインに向かった。
「わかった。北東ならば、いずれにしてもわたしたちの進路と同じ方向だ」
ソフィアの言葉に、シェインが目を見開く。それに頷いて、ソフィアは続けた。
「わたしとエディが、同行しよう」
◆ ◇ ◆
このところ、何もかもが慌しいような気がする。
ロンバルトを陥落せしめて、今はその内部の平定に忙しい。もちろんいつまでもロンバルトごときに関わっているわけにはいかぬから、ヴァルス攻略への段取りも取り計らわなければならない。
「ヴォルガからリミニ要塞をまず撃破しましょう」
国王カルランスを交えての軍法会議が日に数度も行われ、セラフィの頭の中は各国の地図と軍隊と予算でいっぱいである。
「ニールブラウンに逗留中の軍はどうする」
「ウォルムスを経由させて……そこから国境越えが妥当でしょうな」
「城塞都市レハールの攻略には時間を食いそうだ」
「放置は出来まい。ロンバルトから撤退中のラルド要塞軍の動きはどうなっているのだ?」
「まだ国境を越えたとの報告は上がってきておりません。要塞軍が帰城する前に何とかレハールを叩ければ良いが……」
「いずれにしても、各要塞へ増援せねばならぬでしょう」
「デルフトから西回りで、ラルド要塞を押さえさせるのも手でしょうな」
「エルファーラを経由して、城塞都市アンソールの攻略と言うのは」
「中立地帯エルファーラでの3日以上の滞在は占領と見なされる。アンソールまで3日では抜けられまい。レハールを攻略してから進撃するのが筋だろう」
ヴァルスは立地上、王都レオノーラを非常に攻めにくい。王都に辿り着くまでに幾つもの難関を突破せねばならず、ともかくも幾筋もの行路を利用して各所から攻め上るしかない。
「……リトリアの動きは、どうなっていますか」
大臣たちが唾を飛ばしながら口々に今後の戦略を展開する中、黙って地図に視線を落としていたセラフィの言葉に答えたのは、外務大臣レージェンドルフだった。
「リトリアは現在二軍が行軍中ですね。ドラテルロ将軍率いる一個大隊がサーディアール要塞目指して南下を続けています」
「もう一軍は」
「それが……」
セラフィの視線に、レージェンドルフは微かに顔を曇らせた。
「ストラトス将軍率いる一個大隊……と聞いています。行路は王都セルジュークから、西へ。西を回り、ロドリスを通過してそちらからヴァルスを目指すと伺ってはいますが……」
「が?」
「……未だ、南下の様子は見せないと」
「……」
どうやらリトリアは、何やら勝手な動きをしているようだ。とりあえず一個大隊だけこちらの援軍として差し向けて、自分はモナを攻め落とそうなど虫の良い話ではないか。
「モナだね」
「……どうしますか」
「このまま勝手な単独行動をされても困るからな……放っておくわけにはいかないでしょう」
少し思案をすると、セラフィはレージェンドルフに向かって顔を上げた。
「ともかくもクラスフェルド王の意志を確認しましょうか。……全く手間のかかる」
「意志を確認とおっしゃいますと?」
「私の方で一度、預からせて下さい。状況が読め次第、会議の場でご報告致します」
リトリアについては、バートやナタリアのように力関係がこちらに分があると言うわけではないがゆえに、頭が痛い。思い通りに操作しようとするのはなかなか至難の業だ。クラスフェルドも食わせ者のようだし、リトリアがモナ攻略に重きを置いているようであれば、ややもすれば国王自らが西へ進軍している軍隊に紛れ込んでいないとも言えない。
面倒臭い男だ。
頭痛を堪えるような顰め面になるのを抑えきれずに苦いため息をついていると、その横合いから別の頭痛の種がのほほんとした声を割り込ませた。
「しかしロンバルトを陥落せしめし今、ヴァルスとは言え敗北は見えたようなものではないか」
我らが国王クレメンスである。
思わず顔を上げて、その呑気な顔を目の当たりにすると、セラフィは今度はその頭を張り倒したくなる衝動を堪えねばならなかった。相手はアルトガーデン一の最強国だと何度言えばわかるのか、このぼんくらは。
最初からロンバルトの戦力など、大して勘定に入っていない。ロンバルトがいなくなったことでヴァルスの士気は大いに落ちようが、それでもまだまだ警戒するに十分な戦力を抱えているのだ。それに、ヴァルスの王城はローレシア全土に数少ない召喚師を宰相に抱えている。召喚獣を戦力に持ち込まれてしまうと、計算など成り立たなくなる。現在、宰相は王都から動いていないと聞いているが、いずれにしてもどこかで交えねばならなくなるだろう。その際にはその麾下にある、正体も数も戦力も全くわからない召喚獣さえ敵戦力に踏まえて当たらなければならないことがわかっているのだろうか。
しかし、そうは言ってもカルランスはロドリス国内で比類なき高貴の身、頭上に戴く最高権力者である。まさか「この脳天気」と張り倒すわけにはいくまい。
それに、カルランスが機嫌が良いのは、良いことなのだ。性根が臆病に出来ているカルランスは、不安に駆られれば尻込みしかねない。ここまで各国を動員しておいて、今更臆病風に吹かれては困るのである。カルランスが「やっぱりやめた」と言い出せば、こちらの思惑や計画がどうであれ、ロドリスは意味不明に退陣を余儀なくされかねない。
そう自らを納得させて、セラフィは優しい笑顔をカルランスに向けた。
「さようでございますとも。ロンバルトなき今、孤立したヴァルスなど敵ではございません。レドリック殿下もご助力を惜しみなく下さっておりますゆえ、もう間もなく陛下の頭上に帝冠を掲げてご覧に入れましょう。陛下も惑わされることなきよう、ごゆるりとお待ち下さいませ」
セラフィの言葉と笑顔に満足げにうんうんと頷くカルランスに白けていると、不意に会議の席から「そう言えば……」と言う呟きが上がった。国営大臣ケラーだ。
集中した視線に一瞬口を閉ざしたケラーは、何かを思い出す目付きをしながら再び口を開いた。
「確認した情報ではないことをご了承戴きたいのですが」
「ええ。何か、変わったことがありましたか」
「ロンバルトのレドリック殿下ですが……」
ぴくり、とセラフィの背筋が緊張する。頼りにならないだけに、不安の種を幾つも撒いていそうで心許ない。何か余計なことをしでかしているのではないかとの心配が胸に過ぎるセラフィの顔色には気づかずに、ケラーは続けた。
「何か、独自で兵を動かしている様子だと小耳に挟みまして」
「独自に兵を……?」
思わずユンカーと顔を見合わせる。人の良い顔でしきりと目を瞬く様子を見れば、ユンカーも何も受け取っていないことがわかる。
眉を顰めて、ケラーへと視線を戻した。
「何の為に……?」
「いえ、そこまでは。ただ、軍と言うような規模ではなく、私兵規模の人数であるらしいとのことで……今ひとつ、その行動の意図が読めませんが」
「そう……」
確認の必要がありそうだ。
ともかくもリトリアの件とレドリックの件をセラフィで預かることとし、フォグリアから各ロンバルト国内の要塞へ援軍を派兵することを決定して会議を終了すると、セラフィはその足でユンカーと共に宰相の執務室へと足を向けた。
「お帰りなさいませ」
室内に足を踏み入れると、秘書官アークフィールが相変わらずの柔らかい笑顔で出迎える。
「アークフィール。レドリック殿下から、何かご報告は上がってきているか」
宰相が口早に尋ねた。ちょうど書簡の整理をしていたらしいアークフィールは、手にした書簡に視線を落として否定的に顔を振った。
「いえ……本日付ではお預かりしていないようでございますが。いかがされました?」
「いや、良い。……ヴァルスの宮廷魔術師に何かあったのでしょうか、セラフィ」
「さて……」
ユンカーの言葉に、アークフィールの視線がセラフィへと動く。微かに肩を竦めて、セラフィは視線を窓の外へと向けた。
「さっさと消すようには言ったはずですがね。あれから何ら報告が上がってこないと言うことは、さしずめ逃げられたかな?」
「……」
「……案じなさらずとも大丈夫です、ユンカー殿。我々の情報は、クライスラー卿には伝わっていないはずですからね。困る可能性があるのはレドリック殿下です」
「ですが、レドリック殿下がヴァルスに暗殺でもされると、少々面倒臭いですよね」
アークフィールがふと口を挟む。ため息でそれに答えたセラフィは、やがて顔を上げて頷いた。
「全く、使えない人間を立てなきゃならないとなると手間がかかって仕方がないな。こちらで手を打つとしようか」
「どうなさるおつもりですか」
「グレンとエレナを任に当てる。……一旦、呼び戻すことにしよう」
グレンをつけておけば、ヴァルスもレドリックも、下手な真似は出来るまい。