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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第1章第11話 動静(2)

(誰だ……?)

 そのまま視線をあちこちへと彷徨わせた。

 壁も床も粗末な板張りの部屋だ。小さな部屋で、埃っぽい。老人は唯一の椅子に腰掛けて居眠りをしており、その老人の周囲には摘んできた草が詰め込まれた籠がいくつか転がっていた。選り分けている最中に眠ってしまった、と言う風情だ。

 老人のそばには、窓がある。

 青空が広がっているのが僅かに視認出来、昼間であるらしいことがわかった。

 ゆっくりと顔の向きを戻し、天井を眺めながら記憶を遡ることにしてみる。

 ラミアの屋敷中を駆け回って、手に入れた馬で裏の柵へ体当たりをさせたことは覚えている。自殺行為であることは承知の上だ。但し、屋敷の窓から見て、果てしなく続く崖とは思いにくかったし、太い枝を広げた巨木が茂っているように見えたから、少なくとも正門を突破しようとするよりは生還の可能性があるやもしれぬとの判断である。事実、運良くこうして生き延びている。

(ユリアに知られたら、怒り狂うのだろうな……)

 どうしてそんな無茶をするの!!と泣きながら引っ叩かれそうだ。

 その想像にくすりと笑ってから、再び真面目な表情へと戻す。

 記憶にあるのは、柵が馬の重量を支えきれずにひしゃげたところまで。裏手へ辿り着く前に全身に負った矢傷や刺し傷などで、馬の背にしがみついているのがやっとだった。しかし、飛び出して突然大地を失った馬が恐慌状態に陥り、枝葉の中へと落下して突っ込んでいくところで記憶がぷつりと途切れている。

 素直に考えれば、自分が今こうして生きているのはおかしい。

 ラミアたちにしてみればシェインが姿を消した方向が明らかなのだし、シェインは意識不明なのだから、あの後すぐに駆けつければシェインの捕獲は出来たはずだ。捕獲したならば、今度こそ生かしておくとは考えにくい。

 だがこうして生きていると言うことは、ラミアの手を逃れて何者かの救いの手があったと言うことなのだろうか。

(あのじーさんか?)

 居眠りしている老人だろうか。

「はあッ……」

 何にせよ、あちこちが激痛塗れだ。手首の腕輪の感触は健在である。リミッターはもちろん装着されたままらしい。痛みを紛らせるように大きく息をつくと、それに重ねるようにドアが静かに開かれた。

「……」

「……」

 入ってきた人物と、思わず無言で顔を見合わせる。

 すらりとした上品な風貌の男性だった。物憂げなモスグリーンの瞳の上で、淡い金髪の長すぎない髪がさらさらと揺れている。

「目が覚めたのか」

「ああ。……いろいろと聞きたいことがあるのだが、誰に何を尋ねて良いかわからない。おぬしが尋ねるべき人物だろうか?」

 余り長く話すと呼気がつらい。気胸はまだ肺を侵しているようである。そこまで話して息を荒くつくシェインに、青年は無言で視線を向けた。ゆっくりと近付いてくる。

「どの程度まで答えられるか自信はないが。尋ねてみるか?」

 どことなく人を食ったような答えに、閉じた片目を微かに開けながらシェインは小さく笑った。

「尋ねてみるとしよう。……あの老爺は何者だ?」

 まさかそこから尋ねられるとは思わなかったらしい。青年は目を瞬いてから、後方を振り返った。呑気な年寄りは、まだ夢の世界を彷徨っているようだ。微かないびきが聞こえる。青年はもう一度こちらに顔を戻すと、生真面目な口調で答えた。

「彼については私も深い知識を得ているわけではない。この村に唯一の医者だと聞いたに過ぎない。意識不明の人間を同行する羽目になったので厄介になったまでのことだ」

「……」

 意識不明の人間とはこの場合、やはり自分のことだろうか。

 好意的とも悪意的とも言いにくい曖昧な言い回しに思わず無言に陥って青年を見上げるが、青年は何も頓着していないように黙ってシェインを見下ろした。

「では、俺をここまで連れてきてくれたのは、おぬしだと思って良いか」

「良いのだろうな。私の背に負っていたのだから」

「それは手間を掛けた。……感謝する」

 今ひとつ状況が読みにくいが、ともかくもこの青年がシェインを救って医者の元へと運んでくれたと言うことのようだ。

「名前を聞かせてもらえるか」

「私か?……」

 問い返してから、青年はしばし戸惑ったような沈黙を挟んだ。困ったように見返されても、シェインの方も困ってしまう。

「……どうしても嫌だと言うのなら、今の質問はなかったことにさせて戴いても良いが」

「いや、そういうわけではないのだが。……仮名で良いか?」

「……構わぬが」

 何やら妙な会話をしているような気がするのは自分だけだろうか。

 狐につままれたような奇妙な困惑を引き摺って見上げる青年は、貴族めいた上品な顔を微かに顰めて躊躇いがちに答えた。

「今は、エドアードと言うことになっている」

「……そうか」

「ソフィアはエディと呼んでいるので、そなたもそのように呼んで構わない」

「ではそうさせてもらうとしよう。俺は、シェインだ」

 ヴァルスの宮廷魔術師であることは言わぬ方が良いだろう。まだエディが何者であるのかわからない。

 官服やローブを身に纏っていたわけではないから、生半可なことではシェインの身分はバレはしないだろう。

「エディ」

「何だ」

「状況を教えてもらえるか」

「状況?」

「俺がここに運び込まれることになった経緯だ。ここがどこであるのかも教えて戴けるとありがたい」

 シェインの問いに、エディは腕を組んで考えるような顔つきをした。それから思い出すように口を開く。

「まずここは、インファーと言う村だ。農村だろうな。小さい村だ」

「インファー……?」

 聞き覚えがある。

 どこだったか記憶を探りながら、シェインはエディの話に耳を傾けた。

「私とソフィアはキアヌからアンフェンデスへ向かう途中だ」

「キアヌ……アンフェンデス……」

 キアヌと言う地名には覚えがない。アンフェンデスの方は聞き覚えがある。ようやく合点がいって、シェインは口を開いた。

「……ここは、ロドリスか」

「そうだ。……何だ。それも知らなかったのか」

「ワケありでな。それで?」

「キアヌはロドリス西岸にある小さな漁村だ。そこから東側の都市アンフェンデスへ向かう途中で、そなたが崖の上から転落してきた」

「……」

「正確には、その付近を通過中、激しい物音がしたので、ソフィアが突っ込んでいったのだな。私はその後に従って、転落してきたそなたが木の枝に引っ掛かっていたのを助け出す羽目になった」

「その、先ほどから出ている『ソフィア』と言うのは同行者か?」

 シェインの問いに、エディが短く頷く。

「後で会うことになるだろう。私としてはそなたを置いて行っても構わなかったのだが、ソフィアが人の道に悖る(もとる)と言って聞かぬので……上の屋敷の連中がそなたを追って来た場合、非常に厄介なことになりそうだったしな。私もソフィアも面倒ごとには余り巻き込まれたくないゆえ、仕方なくそなたを抱えて急いでその場を立ち去ったのだ」

「……」

 もう少し言い方はないものだろうか。

 汗の滲む顔で苦笑いを浮かべたシェインは、エディを見上げて礼を述べた。

「仕方なくでも助かったことに違いはない。……心から礼を言う」

「礼ならソフィアに言ってくれ」

「しかし実際、俺を負って来たのはおぬしだろう」

「そうだな」

「その分の礼と受け取ってもらえれば良い。何……金品をやれるわけではないからな。言葉くらい気楽に受け取っても良かろう」

「……」

 シェインのひねくれた物言いに、しばし考え深げな顔をしたエディは、やがてひとつ頷いた。

「そうだな」

 どことなく風変わりな人物であるらしい。興味をそそられたシェインは、エディ本人について質問を口にしてみることにした。

「おぬしは、何者だ?」

「……」

 シェインの問いに、またもエディが困惑したような沈黙をする。先ほどと似た空気に、シェインはそっと内心首を傾げた。名前を尋ねた時にも、エディは戸惑っていたようだ。自分の素性について触れられたくない理由でもあるのだろうか。

 思いながらエディの回答を待つシェインに、エディがようやく沈黙を解く。

「それについての解答は非常に難しい」

「では、『ソフィア』は?」

「そちらについても、難問と言える」

「……」

 何とも奇妙な回答に、シェインが返答に困っていると、エディは不意に背後を振り返った。老爺が目覚めたらしい。

「先生」

「おお……エディ」

「怪我人の意識が戻ったようだが」

 エディの言葉に、椅子から立ち上がる気配がした。軽く足を引き摺るような音が聞こえ、先ほど椅子の上で居眠りをしていた老人がシェインを覗き込むように視界に姿を現した。

「ソフィアを呼んで来よう」

 代わりにエディがそう言い残してシェインのそばを離れる。老人は皺の中に埋もれかけた細い目を見開いて、シェインの顔に手を当てた。

「顔色は、少しは良くなったようじゃな」

「……手当てをして頂いたご様子。感謝する」

「わしに出来る治療はたかが知れている。胸や腕、足の表出した怪我に治療は施し、吐血と呼気から肺の出血が窺えたので薬湯を飲ませたが、それがせいぜいじゃ。後は休んで体力をつけながら、巡礼の聖職者が来るのを待つ他ないの」

「聖職者……」

 医者に出来ることは、限られている。病は魔術師でもどうにもならないから医者に診せるしかないが、怪我ならば魔法を頼った方が明らかに確実だ。ゆえに、村や町には医者がひとりはいることが少なくはないが、怪我の治療などでは医者による応急処置の後、巡礼の聖職者を頼ったり、神殿を訪れたりする。神殿では午前中に説教が行われ、午後には魔力の施しを受けたい人間が列を成すわけだ。

「この辺りで、最も近い神殿は、どこだ……」

 のんびりといつ来るかわかりもしない巡礼者など待っている場合ではない。ヴァルスに帰らなければ。少なくとも、自分の生存とロンバルトの状況を伝えなければ。

 その為には、自分から赴いて聖職者に回復してもらう必要がある。

 インファーと言う村の名前に聞き覚えこそあれ、正確にその位置を把握しているわけではないシェインは、ロドリスの地図を頭に思い浮かべた。老人が回答を与える。

「ここから一番近いのは、タフタルじゃろうな」

「タフタル……」

 そこだ。

 シェインは目を見開いた。

 王都フォグリアから程近い町タフタル――シサーの友人であるクラリスが住んでいる。彼女は神殿を任された聖職者だ。彼女なら、自分が何者であるかを飲み込んでくれた上で治癒を施してくれると信じられる。

「ここからはどのくらいだ」

「通常なら1日もあればタフタルに到着出来ようのう」

「1日……」

 では現在シェインがいるこの村も、フォグリアに非常に近いと言うことになる。長居するのは危険だ。痛む体に焦燥が駆け上がった。

 一刻も早く移動をするに限る。レドリックがこのままシェインを放っておくとは考えにくい。魔法が使えぬ今、体もろくに動かないようではさすがにひとたまりもない。思わず体を起こしかけて、激痛にベッドへ沈むように舞い戻るシェインに、老人が慌てて手を伸ばした。

「無茶を……」

「入るよ」

 そこへ、鈴を転がすような愛くるしい声が投げられた。同時に扉が開き、呻きながら微かに目を開けたシェインの目に少女の姿が飛び込んできた。年の頃と、山吹色の緩くウェーブがかかった長い髪が、どこかシェインの最愛の少女を彷彿とさせた。その背後からエディが無言で入ってくる。

「ああ、本当だ。目覚めたのだな。先生、具合はどう?」

「……俺の、ロッドは」

 呻きながらも尚、身を起こそうとするシェインに、少女が慌てて駆け寄った。老人は呆れたようにシェインを見下ろしている。

「痛むのじゃから無茶な動きはしなさんな」

「すぐにでも、移動をしたい」

「何馬鹿なこと言ってんのさ」

 シェインを手荒にベッドに沈め直すと、少女が腕を組んでこちらも呆れたように言った。

「あなたは丸2日も意識がなかったのだぞ。それを今すぐに移動だなどと血迷っているとしか思えない」

「2日……」

 時間だけが無為に過ぎてゆく。苛立って顔を歪めるシェインに、少女がため息をついて腕組みしたまま見下ろす。

「事情を聞かせてもらえるか?」

「……助けてもらって申し訳ないが、事情を話すことは出来かねる……」

「ではどこへ向かいたいのかを聞かせてもらおう?」

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