表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
QUEST  作者: 市尾弘那
183/296

第3部第1章第10話 メイアンの因業 後編(2)

 牢を出て数メートル先は、7段しかない小さな階段があった。それを上ると鉄板みたいな扉があり、ちょうど頭の位置くらいにA4大くらいの覗き窓がある。ここにも鉄格子が嵌まっていた。そっと外を覗いてみると、ドアの外には小さなスペースがあるみたいだ。右手にまた、上へ続く階段。正面にはもうひとつ、内開きの扉。距離はない。人の姿も、今のところはないようだ。

 ここの扉も、開けられないかな……。

 扉の向こうに人の姿がなさそうなことをもう一度確認してから、先ほど抜き出したままの2本のピックを手の中で弄ぶ。シンやゲイトなら、あっちの錠もこっちの扉も、するっと開けられたりするのかな……いやいや。比べたって仕方がない。

 とりあえず挑戦だけはしてみることにするが、こちらの錠はどうやら俺レベルでは開きそうになかった。何日か頑張ればわからないけれど、何日も頑張っているわけにはいかない。一旦、諦めることにする。

 扉を背にすると、階段の左手には壁との間に1メートルもなさそうな無意味な空間があった。床が見える。右手の2畳くらいの空間には、何やら乱雑に木箱やら布やらが放置されていた。そちらに足を向けてみる。

 良く見れば布の下や足元には折れた剣だの、ツバのないダガーだのが転がっていた。開けて覗いた木箱の中も、空だったり、壊れかけた刀剣類だったり、意味不明な布だったり。

 ……ふうん。売り物になりそこねた商品ってとこだろうか。この木箱に売り物と、カモフラージュとして布とを詰め込んで出荷していると言うのが妥当なセンじゃないか?

 そんなことを考えながら、1本を手に取ってみる。錆びたバスタード・ソード。でもまあ、丸腰だの、柄のない剣だのよりはましだろう。とりあえずはそれをお借りすることにする。

 そこからすぐに先ほどの牢、牢を通り過ぎて向こう側へ行ってみると同じくらいの広さのスペースがあり、こちらには特に何も置かれてはいなかった。俺の頭より少し高い位置に通気孔らしきものが見えて、ここも格子がついている。

 これが、今俺たちがいる部屋の全てだ、多分。カンテラは、牢の正面にあったあれしかないみたいで、かなり暗い。

 さて、どうしようか。

「カズキ……どうだった?」

「ドアがひとつだけ。もちろん鍵がかかってる」

「開きそうにない?」

「今ちょっとやってみたけど、俺じゃあ無理かもしれない」

 他の手段は何か、あるだ……。

 考えかけて、牢を出てきたユリアの姿に思わずぎょっとした。場合も忘れてつい赤くなりつつ視線を定めてしまっている俺に、一瞬きょとんとしたユリアははっとしたように自分の胸元をかきあわせた。スダレに切り裂かれた胸元が左右にはだけて、そりゃあそんな凄いことになっているわけじゃないけど、何つーか……。

「……良かったら、着て」

「……あ、ありがとう……」

 マントの下に着ているレガードの上着を脱いで、顔を背けながらユリアに手渡す。ユリアも胸元をかきあわせて俯いたままで、それを受け取った。……ああ、どきどきした。

 ……そんなことに気を取られている場合じゃない。呑気な。これ以上のことをユリアにされたらどうするんだ。怒りで多分、気が狂う。

 今のところ、見張りが来そうな様子は、ない。

 だけどこの先も来ないという保証があるわけじゃない。

 のんびりしているわけにはいかないんだから、何とかさっさと手段を考えなきゃならない。

 ユリアがレガードの上着を身につけている間に、俺はまた通気孔の方へと足を戻した。俺より少し高い位置にあるそいつを睨みつける。

 通気孔か……。

 一応、映画や漫画の常套手段だよな。だったらやってみない手はないだろうか。本当に出られるのかな。……やるだけやってみるか。

 牢を挟んで反対側のスペースへ行くと、適当な木箱をひとつ選んで運んでくる。意外としっかりした箱で、と言うことは重さもそれなりにあって、全身が痛む俺には難事業だった、はっきり言って。派手な物音を上げるわけにはいかないし。

 何とか木箱を通気孔の下に運び込み、ユリアに支えてくれるようにお願いすると、よじ登る。通気孔を塞いでいる格子に手を掛けてみると、意外とあっさりと格子が外れた。壁にぽっかりと、黒い穴が口を開けている。べたっと床に張り付けば、何とか人ひとりが横たわることが出来そうだろうか。

「ここから、出るの?」

「出られるかわからない。見てみる」

 言って、通気孔に体を押し上げる。……ぐえッ。マッチョデブに散々蹴り上げられた腹が、激痛を訴えて涙が出そうになった。

 詰まりそうな息を何とか整え、痛みに萎えそうな腕を叱咤して、匍匐ほふく前進を試みる。通気孔の中は当然真っ暗で、もちろん狭くて、しかも少し進んでいくともう行き止まりだった。……いや、行き止まりじゃなくて、左手に折れている。折れた少し先にまた格子があって、その先は更にまた右手に折れていた。こんな体ギリギリの幅で、軟体動物じゃあるまいしそんなにぐねぐね曲がれるわけもない。この幅で格子を外せるわけもない。お手上げだ。

 とりあえず一度戻ることにして、俺は同じ姿勢のままでずるずると今度は後退を始めた。打ち身だらけの体での匍匐後進は、地獄だ。再び通気孔から部屋へと戻った俺は、埃まみれの苦痛まみれで声も出ず、まさしく哀れだったに違いない。

 しばらく、ユリアがおろおろする前で、声もなく腹を抱えて蹲る。ここから出ないことには、明日襲う痛みは今日の比じゃないはずだ。何せ「片目がなくても良い」とか言ってたくらいだからな……まさしく拷問が待っていると思ったほうが良いだろう。死ぬのは良くても、痛いのは余り良くない。

 呼吸を落ち着けてから立ち上がると、頭をめぐらせて部屋を見回す。ドアと通気孔――何にせよ、どこかに通じていそうなのはこの2つしかないんだ。だったらこの2つから出るしかない。どうやって出たら良いだろう。使えるものは、ここにあるものだけだ。限られている。

 少し迷って、俺は考えを定めた。

 『紳士倶楽部』だとすれば、カール公の情報では人数はさほどはいないはずだ。それに、懸けよう。

「ユリア。悪いんだけど、髪を縛っているリボンと髪の毛を数本……もらえないかな」

 思いつける手段で、脱出を試みてみるしかない。


          ◆ ◇ ◆


 準備は、した。

 錆び付いているながらも、とりあえずの武器も手に入れた。

 傷は、回復してない。だけどこれはどうしようもない。

 後は、仕掛けるだけ。

「ユリア。良い?」

「うん……」

 ユリアの返答を聞いて、俺は、積み上げた木箱に目一杯蹴りを叩き込んだ。

――――ガラガラガラガラッ……ガッシャーンッ。ガシャンッ……ガンッ……。

 さすが、刀剣などの金属を詰め込んだだけあって、トーテムポールのように積み上げたそれを蹴りつければその崩れる音は盛大だ。

 背後に激しい物音を聞きながらもそれを見届けることはせず、俺は全力でユリアが身を隠す、階段脇の謎のスペースに駆け込んだ。狭いスペースだから2人もいれば、ぎゅうぎゅうだ。ほとんどユリアを腕の中に抱き締めるように体を寄せ合って、身を潜める。

 ドアが開いても、ここは内開き……つまりこちら側にドアが来る。カンテラは部屋にひとつで暗い。それが、そして奥の方でしたはずの物音が、俺たちの姿を隠してくれることを祈るしかない。

 ばたばたと足音が複数近付いてくるのが聞こえ、背筋が緊張した。ドアを開けてここにいるのが見つかったら、その瞬間もう終わりだ。

「何しやがったッ」

 怒声と共に、勢い良くドアが開かれた。ガンッと開いた扉が、俺たちの頭上を掠めて壁に当たって跳ね返る。飛び込んできた男たちは、とりあえずは前方に視線を奪われてこちらにはちらりとも目を向けずに駆け込んでいった。

「逃げやがったのか!?」

「まさかッ。逃げられるはずがッ……」

 開いたままの牢の扉に、マッチョデブが舌打つのが聞こえる。牢の先、奥の方に木箱や刀剣が散らばるのが見え、男たちはそちらへ足早に向かった。数は、4人。当然こちらには完全背中を向けている。今しかない。ユリアを促す。

「いたぞッ」

「こんなところから……追えッ」

 とても心臓に悪い言葉だが、こちらに向かって言った言葉ではないのは、ちらりと様子を伺ってわかる。成功かな。ともかく、ドアは開いた。

 彼らが俺たちだと思って釘付けになっているのは、『俺のマント』だ。

 大した仕掛けをしたわけじゃない。俺がいつも一番上に身につけていたマントを剣で適当な大きさに幾つか切り裂き、俺が持っていたワイヤーやユリアのリボン、そして紐状に切り裂いたマントで長い紐を作り、マントに繋いで通気孔からぶら下げたのだ。紐は通気孔の奥、もうひとつの格子のところまで続き、格子をくぐってまた部屋へと折り返している。つまり格子を軸にして、マントを通気孔から吊っている状態だ。

 紐の先には、ゴミの中にあった剣がついていて、格子がはまっていた金具にワイヤーを通して渡し、これまたワイヤーで作った輪っかを通気孔の天井からぶら下げ、通気孔の淵に落ちるように置いた剣を吊っていた。

 つまり通気孔を正面から見ると、右に切り裂かれて身軽になったマント、左に紐で繋がった剣がぶら下がっている状態だ。

 この、剣を吊った輪っかを引っ掛けている、通気孔に渡したワイヤーの両サイドはかなり長く取っていて、その2本は手前に伸びて通路の上で1本に縒り合わさっている。相当長いワイヤーを、通気孔を底辺に三角形を描いているような感じだ。で、その頂点から1本の線が出ている、と。

 それを、角を曲がる手前に置いた木箱を経由させ、何本か撚り合わせて強度を上げたユリアの長い髪を使って牢の鉄格子に結び付けて橋渡しにし、物音につられた奴らが通路を駆け抜けると髪が切れて支えを失った通気孔の剣が自身の重みで落ち、紐で繋がったマントが通気孔の中へと滑り込んでいく。要は、つるべ落としだ。

 通気孔の下に散らばった木箱は足台にしたと思うだろうし、俺が身につけていたマントが通気孔の中へ潜り込んでいけば、俺が急いで入っていったように見えるんじゃないだろうか。剣の重みで素早く引き上げられるよう軽くする為に随分マントは細くなったが、そんなことには気が付かないだろうし、目に付きそうなところはワイヤーにしてある。暗いし、咄嗟には何のことだかわからないだろう。

 大して時間は稼げないが、それで構わない。要は開いたドアから外へ逃げ出せるだけの時間があれば良い。

 マッチョデブたちが通気孔に消えていったマントに気を取られている間に、足音を立てないよう気をつけながら急いでドアから出る。幸い、後を追うようにバラバラと人が来るようなことはなさそうだ。実際問題、何人の組織なんだろうか。あの4人とスダレじゃあ少なすぎるだろう、いくらなんでも。

 出る時に何気なく扉を見ると、この扉は二重ロックになっていたようだ。鍵を差し込んで施錠するシリンダー錠と、回転させてフックに引っ掛けるタイプの鉄の閂の2つ。シリンダー錠は鍵を持っていない俺にはかけられないけど、せっかくだから閂くらいはありがたく下ろしておこう。これで更に少しは時間が稼げるはずだ。

 静かに扉を閉めて閂を下ろすと、進路を決める。ドアの外は、先ほど見た通りだ。出てすぐに階段と、正面に扉。

 外に出たいんだから、ここが地下でない限り、階段を上がるのは得策じゃない。正面の扉に手を掛けてみると、思いの外すんなりと扉が開いた。

 扉の向こうは、だだっ広い倉庫のようだ。20畳とか……いや、もっとあるのかな。牢と同じく石畳の床が無愛想に広がっている。俺の立つ左手のすぐそばに、向こうにあったのと同じ種類の木箱が幾つか詰まれていて、右手には粗末な木の椅子が3つ置かれていた。地面に意味不明にやかんが置いてある。煙草が散らばってたりもするから、ここに座って時間を潰したりしてるんだろうか。

 肝心のドアは、右と左の壁、それぞれにひとつずつあった。それと、割合高い天井の上のほうには格子の嵌まった小さな明り取りの窓がいくつか見え、そこから微かに外の音が流れてくる。――波の音。

「海……?」

「海の近くみたいだね」

 カサドール自体がそもそも海のそばではあるんだが、街中じゃあこんな近くに波の音は聞こえないだろう。だとすればここは、港?

「ここのドアは、開いてるのかな……」

 牢に閉じ込めた奴らもそろそろ気づいて良いはずだ。騒がれて他の人が集まっても困る。

 ともかくどちらかの扉を開けてみようと思いかけた時、左手のドアの方で音がした。咄嗟にユリアを掴んで木箱の陰に身を潜める。

 木箱の隙間からそっと窺ってみると、開いたドアから入ってきたのは男ひとりだった。見たことのない男だが、あまり人相は良くないので仲間だろう。男の後ろに一瞬だけ見えた景色は、夜で暗いから良くわからなかったけれど、多分外。左手の扉は、外に続いている。

 男は何気ない足取りで、こっちの方へ歩いてきた。ユリアがぎゅっと身を硬くするのがわかる。片手で軽くユリアの肩を抱きながら、もう片方の錆びきった重い剣を握る手に力を込めた。あいつひとりなら、何とか出来るだろうか。騒ぎにはなりたくない。

 油断なく男の様子を窺っていると、男はやがて俺たちのすぐそば、先ほど見かけた椅子のひとつに腰を下ろした。俺たちの気配にはまるで気づいていないようで、完全に無防備でこちらに背中を向けている。帯剣はしているが、もちろん握っているわけでもない。……迷ってる場合じゃない。相手がひとりの今しか、チャンスはないぞ。

 腹を決めると、ユリアを残して俺は木箱の陰から飛び出した。俺の気配に、やかんを取り上げていた男が振り返る。剣を握る俺に一瞬ぽかんとした顔をしてみせ、がたっと椅子から立ち上がった時には俺は剣を構えていた。

「何ッ……」

 小さな声を遮るように繰り出した剣の狙いは、首筋――もとい、頚動脈。かなり錆びついていて多分斬ることは出来ないだろうから、後はもう突くしかない。一応先は尖っている刃物だから、折れさえしなければ刺さりはするだろう。首の動脈を傷つけられれば、それだけで致命傷になる。

 ……そうだろうとは思っていたけど、これだけ何度か人を斬ってみりゃ体感として理解している。人間の動脈が、どこを狙えれば傷つけられるのか。どの程度の深さが必要か。……手応えが、どんなもんなのか。

 頚動脈を切られた時、血糊でも仕込んだのかと思うくらい、人間は血液を噴き上げる。

 剣を突き立てるのと同時に、刺さったままで剣が折れた。けれど男の生死は決したようだ。身を引いて、お約束の噴水を避けている間に、男が椅子の上に倒れ込む。音を響かせて椅子と男が血溜りに崩れ落ちると、俺は男が帯びていた剣を抜き取った。……う。やっぱり、元々俺が持っていたものよりは、遥かに重い。だけど錆びた上に折れた剣よりは随分ましだろう。

「行こう」

 青褪めて木箱の陰に立っているユリアを促し、男が入ってきたドアの方へと足を向ける。こっちのドアは、確実に開いているはずだ。

 果たして、ドアは開いていた。続いているのはやはり、外だ。それも、予想通り海。

 建物から出て数メートル先はもう、黒い海だった。煉瓦を敷き詰めた整備された地面がずっと右手の方へと続いている。左手はすぐに海だ。

 雰囲気としては、港の倉庫街。倉庫街ね……ここから武器だの人だのを出荷していたと言うことだろう。

 そんなことはどうでも良いが、どこへ向かえば外に出られるんだろう。俺たちがいた建物はこの並びの中で一番端にあったらしく、同じような建物が細い路地を挟んで幾つか続いているのが暗がりからでもわかった。

 とりあえず、左手には海しかないんだから右手に進むしか……。

「カズキ」

 そう決めて歩き出しかけた俺の頭上から、不意に名前を呼ぶのが聞こえた。……え?

 ユリアの声じゃない。咄嗟に振り仰ぐ俺より先に、ユリアが驚いた声を上げた。

「レイアッ……」

「ユリア様、心配したわッ」

 夜空と倉庫を背にふわふわと浮いているのは、レイアだった。こっち目掛けて一直線に降りてくると、手を伸ばすユリアに抱きつく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ