第3部第1章第9話 メイアンの因業 前編(2)
軒並み並ぶ店を見て回りながら通りを進んでいくと、やがてあちこちの道から続いてくるらしい広場に出た。
とは言えギャヴァンみたいに馬鹿っ広いわけではなく、結構こじんまりとしている。真ん中に小さな噴水があって、猫が3匹、その近くで丸くなって寝ていた。
住宅街の中に突然ある感じで、ご近所の奥様がたのたまり場にでもなっていそうだ。もしかするとこういう小さなたまり場みたいなのがいくつかあって、大きな公園みたいなのは他にあるのかもしれない。
「カズキ、猫」
ユリアは結構動物が好きなんだろうか。庭師と一緒に庭弄りをするのが好きだと聞いたことがあるし、植物だの小動物だのが好きなのかもしれない。小走りに猫の方へ駆け寄るユリアに小さく笑いながら、俺は辺りをぐるっと見回した。どこか大きな公園とか広場とかがあるんだったら行ってみたいけど、果たしてどの道が続いてるんだろう。何だか海底のダンジョンの第3階層を思い出す。
この広場から分かれる道は幾筋かあって、今はこの付近には人はいないみたいだった。ひとつの道の入り口に立って続く先を眺めていると、不意にユリアの方から「きゃ……」と小さな声が上がった。何気なく振り返って、凍りついた。
「ユリアッ」
振り返った先では、薄茶けた髪の男がユリアを片腕で押さえ、こちらに見えるようにその首筋にダガーを突きつけていた。そこにいたはずの猫たちは、驚いて散ってしまったようだ。今は1匹も姿がない。
癖のない顎まで伸びたスダレのような髪の隙間から、浅黒い肌と鋭い目が覗いている。男は黙ってユリアにダガーを突きつけたままでこちらを見ていた。――何者だ?
「……ユリアを放せ」
剣の柄に手を掛けながら男を睨み据える。黙って俺を見ていた男は、ややして口を開いた。
「心当たりはないか?」
心当たり?
こうして襲われた心当たり、と言うことだろうか。大体こいつが誰なんだかわかりもしないのに、心当たりなんかあるものか。……いや。
(メイアンか?)
まさかと思うが。
「……さあ。ないな」
下手に動けばユリアに傷が付くと思うと、剣を引き抜くことさえ叶わず、柄に手を掛けて男を睨み据えたままで短く答える。男が小さく笑った。
「ないか」
「ない」
「メイアン、と言ってもか?」
「……」
やっぱりか……。
内心、軽く舌打ちをする。俺が立ち聞きしてしまった例のアレだろう。大したことを聞いていないと言うのに、何てしつこいんだ。街を変わってまで追いかけてくるなんて、相当やましいに違いない。……あの時、俺が立ち聞きしてしまったその時、それだけ重要な何かを話していたと言うことなんだろうか。
「メイアンが、何だ?」
とは言っても、認めるわけにはいかないだろう。心当たりがあると言ってしまえばまた、しつこいに決まっている。実際俺は、ここまでつきまとわれるほどの何も聞いちゃいない。
表情を動かさないまま問う俺に、男が、笑った。
「まあ、いい」
ブンッ!!
次の瞬間、いつの間に俺の背後に男の味方がいたのか、風を切る音が聞こえると同時に、頭部に鈍い衝撃と痛みを感じた。体が地面に崩れ落ちる。
「カズキッ」
「これからゆっくり、話をしよう」
殴られた衝撃で意識を手放した俺の耳に、ユリアの悲鳴と男の言葉は、届かなかった。
◆ ◇ ◆
目が覚めたのは、2畳くらいの暗い小さな部屋だった。ユリアの姿はどこにもない。殴られた頭部が重たい痛みを発し、吐き気がする。
壁際に設えられた椅子に両腕ごとぐるぐると縛り付けられていた俺は、それからややして部屋に入ってきた男たちから尋問を受けることになった。もちろん、遠慮なく殴る蹴ると言うありがたい暴行付きだ。
「さて、約束通りゆっくりとお話をしようじゃないか」
そう口を開いたのは、先ほどユリアにダガーを突きつけていた男だ。スダレのような髪の隙間から残忍な目付きでこちらを見ている。それなりの立場にいる人間、と言うことだろうか。縛られたままで男を睨み上げる。
「ユリアは」
「女の心配よりは、自分の心配をした方が良い。こっちの質問に答えてもらおうか?」
「心当たりはないと言った。俺は……そして彼女も、何も知らない」
「メイアンで何を聞いた?」
俺の言葉を全く意に介していない様子で男が尋ねる。その男の両脇にいたマッチョなデブとマッチ棒みたいな長身が俺の両脇に足を進めた。嫌な空気だ。
「何のことだ」
言い終えた瞬間、マッチョデブの膝蹴りが座ったままの腹に入った。余りの痛さに、一瞬視界が白くなる。
「……げほッ……」
「とぼけるのはやめた方が良い。こっちはリムザンから話を聞いている」
リムザン?
腹に受けた痛みに、体をくの字に折ったままで顔を上げる。スダレが口元に笑みを張り付かせたまま、俺の視線に答えた。
「お前たちがのしてくれただろう」
つけてきたあいつらか……。
あの時真ん中にいたカトラスが、リムザンだろうか。思わずため息をついた。こんなことになるなら、止めを刺しておくべきだった。結果論だが。
「お前が話を立ち聞きしたのは、俺たちの仲間とそのクライアントだな。わかるだろう?放っておくわけにはいかないんだよ」
「……だったら、あんな、ところで、話すべきじゃ、ないんじゃないか……」
町の人間だって偶然に耳にしかねないだろう。その度にいちいちこんなことをしていたら、きりがないんじゃないだろうか。
腹と頭の痛みで途切れ途切れに言うと、マッチ棒がいきなり俺の顔を張った。団扇みたいなでかい手でまともに平手打ちをされて、顔が反対側に勢い良く向き、その反動で椅子ごと倒れそうになる。それをマッチョデブが片手で押さえた。切れた唇から血の味がした。
「お前たちは、『売人』の手引きでメイアンに入ったらしいな?」
え?
「何者だ?」
尋ねる声のトーンが微かに落ちる。スダレは低めた声のままで、続けた。
「『売人』は繋がりのある相手からしか荷を運ばない。人なんてもっての外だ」
なるほど……。
そういう癖のある人物と繋がりがあると判断したから、あの立ち聞きも偶然とは思っていないってことだろうか。……偶然だってば。本当に。
「更にカサドールに入ってから、まっすぐ公庁に向かっているな?」
「……」
「普通の冒険者では、ないだろう。……公庁の人間か」
そういう、ことか……。
俺たちが国の機関に携わる何らかの立場にいると考えていて、そういう人間だった場合、万が一にも俺が何かを聞いていたら彼らの立場が危ういと言うわけか。いや、彼らの立場ではなく彼らの『クライアント』の誰かかもしれないが、その辺りについてまでは良くわからない。
「違う……」
間違ってないだろう。俺は『異世界の馬のホネ』だ。尤も俺は公庁どころか国の中心部の人間に、『後継者を詐称』するよう時折強要されはするけれど。
「『売人』とはどう繋がっている」
「……」
答えて、ジフたちに迷惑がかからないだろうか。
そう躊躇った俺の沈黙に、マッチョデブがまた膝を跳ね上げた。今度は顔面だ。さっき殴られた痛みと重なって、眩暈がした。鼻から多分血が出ている。幸い折れはしなかったようだが、もはや顔のどこがどう痛いのかも次第に良くわからなくなってきた。
「……ギルド」
「ギルド?どこのだ。盗賊か」
「ギャヴァン……」
仕方なく答える。掠れた声はしっかりスダレの耳に届いたようだ。俺の回答に、スダレは少し考えるような沈黙をしたが、その表情まではわからない。体に力が入らなくなってきて、前のめりになりかけた体を、椅子に縛り付けているロープが支えているような状態になって来ている。
「ギャヴァンのギルドか……。お前はギャヴァンの人間か?」
声もなく、頷く。こんな嘘ならバレないだろう。王都レオノーラだと言うには危険だと言う気がした。
「どうしてギルドを知っている」
「頭の弟と、友達だったから……」
これは嘘になるだろうか。ならないだろうか。シンの顔が脳裏に過ぎった。
「じゃあ、『売人』との繋がりはギャヴァンの盗賊ギルドと言うことでひとまず納得はしてやろう。……公庁へは何をしに行った?」
「挨拶……」
「挨拶?何のだ?」
困ったな……適当な回答が浮かばない。確かに街について公庁に真っ直ぐ行っているんであれば、公庁に用事があるとしか考えられないし、公職にない人間が公庁へ行く用事が俺には思いつけない。
「……」
答えに迷った沈黙に、またマッチョデブが蹴りを叩き込んだ。重ねるようにマッチ棒が組み合わせた両手を後頭部から振り下ろす。暴行が重なり、次第に俺の意識が朦朧としてきた。こんな頭ではうまく言い逃れが出来ないかもしれない……。
「言い訳を考えようと思うなよ?調べる気になれば調べられる。……素直に言え」
調べる気になれば調べられる……?
どういうこと……。
「傭兵、で……」
ぼんやりとした頭で、ともかくもユリアが王女で俺がその婚約者の代理であると言うことを知られずに公庁へ行く理由を探す。必死で頭を回転させながら、血の滲む口を微かに開いた。
「聞こえねえッ!!」
マッチ棒が脇腹に蹴りを入れる。……くっそ……楽しんで痛めつけてやがるな……。
俺の体が椅子ごと吹っ飛ばないように押さえて蹴りつけて来るものだから、衝撃をどこにも逃がすことが出来ずに目一杯くらって俺は呻いた。呻きながら、もう一度口を開く。
「傭兵で、ギ……ギャヴァンの……自警軍から……カサドールの公庁宛てに書状を預かった……」
ギャヴァンは確か国の直轄地だから街を治める諸侯はいなくて、公庁のようなものもなかったと聞いている。あるのは自警軍だったはずだ。けれど言わば、あれが公庁みたいなもののはず。だとすれば言ってることはそれほどおかしくはないはずだよな……。
痛みを堪えて微かに開いた目に薄らぼんやりと汚い床だけを映しながら答えた俺の言葉に、スダレはまた考えるような沈黙をした。
「書状とは何だ?」
「……中身は、知らない……。ただの、使者、だ」
「どうしてそれがギルドを介して『売人』からメイアンへ渡る?」
「時間の、短縮、を、図っ……た、だけ」
「ほう。……時間の短縮、な」
それは間違いじゃない。元々は陸路を使う予定だったわけだし、海路を使ったのは早く移動出来るに越したことはないからだ。
項垂れたままの俺の回答に、スダレはややして質問を変えた。
「で、メイアンで何を聞いた?」
「何、も……」
また、どこからか衝撃を受けた。もう、どっちが何を使って俺に何をしたのかが、だんだんわからなくなってきている。
「何を聞いた?」
スダレが繰り返す。だけど俺はこの問いには本当に何も答えることが出来ない。
「……何、も、聞いて、ない」
「ではどうして立ち聞きをした?」
「ギャヴァン、の、ギルド、の、名前……」
「それが聞こえたからか?……で、何を聞いた?」
「何も」
繰り返す俺の回答に、顔が横へ張られる。続いて、腹。眩暈と吐き気と痛みが、次第に俺の世界を揺らして、意識を手放すことを望み始める。
「何を聞いた」
針の飛んだレコードのように繰り返される同じ質問。答える俺の回答も、同じものしか用意出来ない。
「本、当……に、何も、聞い、て、ない……」
どうしてここまでこだわる……?
俺が公職の人間ではないと納得したかどうか知らないが、公庁に出入りする人間だとはわかっているだろうから……公人に知られるとまずい何か。――何だろう。
「つまりお前にとっては、聞いた内容は意味があるものではなかったと思えると言うことか?」
スダレの声が質問を少し変えた。その意味をぼんやり考える。頷きかけて、内心首を傾げた。
思える、わけじゃない。意味があることを聞いていない。理解出来たのは武器を集めていると言うことだけだ。
「いや……本当に、聞いてない」
「何かの会話は聞いただろう。……その内容を誰かに話はしたか?」
だから聞いてないものは話してないって……。
そう思いながら黙る俺の顔がまた、殴られる。
……何かを聞いたはずの俺にその意味がわからなかったとしても、その内容を誰かに告げれば何かがわかってしまうかもしれない――そこまで、考えているわけだ。
だから、俺が何を聞いたのかを知りたく、更に俺が誰に何を話したのかを押さえておきたいのかもしれないが、俺は本当に何も聞いていないわけで……意思の疎通が図れない。そういう思い込みは非常に迷惑だ。
とにかく俺から言葉を搾り取りたいスダレからは繰り返し同じ質問がなされ、それに答える俺の答えも当然同じ回答になり、その都度頭に、腕に、腹に、足にと至るところに暴力を受けた俺は、そのうち本当に意識を再び失う寸前にまでなった。もう言葉を発することさえ出来ずにぐったりとロープに身を預けているような俺に、やがてスダレも一度打ち切るつもりになったらしい。口を割らないまま衰弱して死んでも困るから、一旦休憩と言うことだろう。
「明日また、やり直しをしよう」
スダレの言葉に、俺の体を縛り付けていたロープが解かれる。ロープのおかげで辛うじて椅子に座っている状態だった俺の体が地面に崩れると、マッチョデブとマッチ棒が乱暴に引き起こした。
「連れて来い」
どうやら違う部屋に連れて行かれるらしい。
マッチョデブとマッチ棒に両腕を支えられて引き摺られるように連れて行かれたのは、石造りの地下牢のようなところだった。殴られまくって目は開けられないし、自分でまともに歩ける状態にもなかったので周囲の様子は余り良く見ていない。
「カズキッ……」
ガチャン、と何やら金属音が耳に届き、これまた乱暴に床に放り出された俺の耳に、思いがけずユリアの声が届いた。驚いて顔を上げたいが、上げられる状態にない。床に投げ捨てられたボロ雑巾のように、小さな呻きを上げて、口の中で小さく「ユリア……?」と呟くのが精一杯だった。
「カズキッ」
床に崩れたままの俺に、ユリアが駆け寄ってくる。抱き起こそうと伸ばされた腕が届く寸前に、スダレがにやっと笑ってユリアの腕を引っ張った。軽く払うようにされ、ユリアが壁に背中をぶつける。
「……やめ……」
何とか体を起こそうと腕に力を込める俺の前で、スダレがにやにや笑いながら腰に挿したショートソードを抜いた。その切っ先をユリアに突きつける。
「このお嬢さんに目の前で何かをすれば、吐く気になるかもしれないなあ?」
ユリアが目を見開いてスダレを凝視した。ショートソードの切っ先が、ユリアが身につけているシャツの襟元をすっと切り裂いた。胸元に縦に10数センチほど入った切り込みに、ユリアが身を引く。全身の力を振り絞って体を起こした俺は、スダレを睨みつけて怒鳴った。
「ユリアに手を出すなッ……」
「おっと?まだ少しは元気が残っているようだ?少しずつ彼女の衣服を切り刻もうか?目の前で彼女が弄ばれれば、どんな気持ちがするだろうなあ?」
ショートソードの先をユリアの胸元に向けたままで、スダレが笑う。マッチョデブとマッチ棒は、俺とユリアが放り込まれている牢の鉄格子の外で黙ってこちらを見ていた。彼らは手出しをする予定はないようだ。
「ユリアに手出ししたら、殺してやるッ……」
「ほお?その状態で何が出来る?」
「……陵辱するなら、するが良い」
からかうように剣の切っ先を俺に向けたスダレに、不意にユリアが低く鋭い声で言い放った。その声音に思わず俺もスダレもユリアに顔を向ける。今し方まで怯えたような顔を見せていたユリアが、青褪めたまま、けれど強い眼差しでスダレを見据えていた。
「後で、死ぬほど後悔をさせてみせよう」
ユリア……。
思いがけず気丈に言い放つ姿にあっけにとられていると、スダレが不意に笑い出した。さもおかしそうにけたけたと笑い、ユリアに顔を戻すと目を細める。
「良い度胸だ」
「口先と思うならば後で悔やむことになろう」
「……後は、ないな」
目を細めたままでスダレが言った。
「用が済んだらお前たちは、遠い異国へ売り払われる」
その言葉に目を見開く。カール公が摘発したいと言っていた組織は、もしかしてこいつらか……!?
「お言葉通り陵辱してやりたいのはやまやまだが、途端に廃人のようになって売り物にならなくなる女も多いからな。……せっかく高値で売れそうな商品だ。そのままで、売り払ってやる。売られた先でどうされるかまでは、責任が取れんがな。それと……」
言ってスダレは剣先を軽く振った。咄嗟に避けるが、何せろくに身動きが出来ない体、避けきれずに頬に鋭い痛みが走り、血が振り飛んだ。
「お前の方は、思う存分痛めつけてやる。安心しろ。男は片目くらいなくたって荷運びの奴隷程度なら買い手がある」
「……『紳士倶楽部』」
スダレに険しい顔を向けたままでぼそりと口に出す俺に、スダレは一瞬黙った。俺からその名前が出るとは思わなかったんだろうか。答えが一目瞭然だ。こいつらが、『紳士倶楽部』だ。
もちろん俺の言葉に答えるつもりなどないようで、やがてスダレは軽い笑いを口元に刻んだまま、俺とユリアを睥睨して、告げた。
「2人で過ごす最後の夜だ。……明日また、心行くまで遊ぼうじゃないか」