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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第1章第7話 残された時間(3)

 静かに扉を閉める俺を無言で見つめたユリアは、そのまま戸惑うように視線を下げた。その仕草に、微かに後悔が浮かぶ。やめておけば良かっただろうか。でも……だけど……。

「……レイアは」

 苦い思いが胸にこみ上げて、その場から動けないまま何とか言葉を押し出す。聞きたいのはそんなことじゃないのに、他に言葉が見つからない。そんな自分がまた苦く、こちらも顔を逸らしながら小さく問うと、ユリアは顔を俯けたまま元のように背中を向けた。彼女の背中まで、たった2メートルくらいの距離……なのに、遠い。

「眠ってるわ」

「そう……」

 完全に無視を通されなかったことにどこかで安堵し、反面かつてとは違う言葉少なな返事に失望する。

 やはり、お邪魔なようだ。言葉を探し出すことが出来ずに、俺は小さく吐息をついた。

 戻ろうか。

 当たり障りのない言葉が形にならないまま幾つも浮かんでは消える。彼女の笑顔を諦めた俺は、迷って、けれどやっぱり、口を開いた。

「……俺は、随分嫌われたみたいだ」

 ユリアが無言で振り返る。悲しげな瞳からは、俺に対するどんな感情があるのか、読み取ることが出来ない。

「理由を聞ければと思ったけど、言いたくなければ部屋に戻るよ」

「……嫌いになったわけじゃ、ないわ」

 短い沈黙を挟んで、ぽつりと呟く。そしてまたくるりと俺に背中を向けた。

「嫌いになんて、なるわけがないわ……」

「……」

 儚い声はともすれば消えてしまいそうで、遠く響く波の音にさえ掻き消されそうだった。ユリアの言葉に、微かな希望が胸に宿る。

 嫌われたわけじゃ、ない?

 じゃあ、どうして……。

「避けられてる、俺」

「……」

「……違う?」

 ユリアの背中は答えない。返答を待って黙って見つめる俺の前で、ユリアが、手を置いたバルコニーの手摺りに深く項垂れた。コツンとおでこを押し付けて俯いた肩を長い髪が滑り落ちる。

「わたしは、勝手だわ」

「え?」

「わたしは、あなたにとって、疫病神でしかない」

「……?」

 意味が、わからない。

 そっと眉を寄せて続きを待つ俺に、ユリアが言葉を探しながら儚い声のままで続けた。

「この世界に引き込んだのもわたし、あなたをレガードの囮にしたのもわたし、ロドリスの宮廷魔術師と戦わせたのもわたし、常にわたしはあなたを危険に晒している」

「ユリア……」

「そう、わかっているのに……なのに、こうしてまた、危険なことに引きずり込んでる」

「……」

「危険な思いをさせたくない、そう思って、離れていれば無事でいるか心配でたまらないくせに、なのにこうして性懲りもなくあなたを危険な場所に連れて行こうとしているの」

 心臓が大きく鳴った。

 俺のことを、心配して……。

 特殊な意味じゃないってわかってる。全てが自分のせいだとそう思っているんであれば、それは、そう……責任、みたいなもんだろう。

 そうは思うが、だけどそれでも、嬉しかった。

 嫌われたんだろうと思っていればこそ、尚、一層……。

「ヴァルスのことを思えば、わたしはこれが最良だと思った。嘘じゃない。ヴァルスには味方をしてくれる強い国が必要だわ。ツェンカーの力が必要だと思っているわ。その為に、わたしが直接交渉をするべきだとも思っているし、ツェンカーに向かうにはカズキたちの力を借りるのが一番向いていると思っているわ。全部、本音よ。だけど……」

 俯いたままのユリアが細い声で続ける。畳み掛けるように、吐き出すように。

「だけど、それはまたカズキを危険に晒してるってことなのよ……」

「……」

「危険な目に遭わせたくないの。それも本音よ。だけどそうならないの。そうしてるのはわたしなの。きっと心のどこかで甘えてる。あなたはきっと許してくれるって。傭兵のシサーやニーナとは違うわ、ヴァルス貴族であるキグナスとも違うわ。あなたには何の関係もない、なのにあなたはきっと許してくれるって心のどこかで甘えてる。そんな自分がまた許せない。そう思えば、そばにいられないと思う。合わせる顔がないのよ。なのにツェンカーまで一緒に行って欲しい。自分の強欲さに、呆れるしかないわ……。だってわたしは、口で心配してると言いながら、あなたをまた引きずり込んでいるのよ」

 震えながら吐き出す声に、胸を突かれた。

 迷いながら、悩みながら……だけどそれは、それでも俺と一緒にいたいって……そう、聞こえる。

 俺の耳が、都合良く解釈し過ぎか?

 ヴァルスのことを考えるとこれが最良だと思いながら、俺の為を思えばツェンカーへの同行をさせない方が良いと思える、俺の安全を願っているのに、けれど一緒に行って欲しい。……理屈に対して、俺といたいと思ってくれる感情が強いからそれに振り回されている自分を許せないと……そう、聞こえない、か……?

「そんな自分を知っているのに、笑顔なんて向けられないわ。わたしは、ずるいわ」

「ユリア」

 救われた。

 俺の解釈が合ってるかわからない……と言うか、希望的観測なんだろうとも思うけれど、だけど、少なくとも俺は嫌われたわけじゃない。口先だけのフォローだとは考えにくい。俺の無事を思ってくれて、そして俺がツェンカーまで同行することを望んでいる……それはあながち間違いじゃあないだろう?

「隣、行っても、いい?」

 少しでも近くに行きたい。本音を言えば、触れたいよ……。

 だけど、それは出来ないから、せめて隣に。

 俺の言葉に、ユリアが沈黙する。それから、小さな返答が届いた。

「……うん」

 ようやく扉の前から離れて、ユリアの隣に並ぶ。ユリアは手摺りに押し付けていた顔を起こし、けれどこちらに視線は向けずに俯いたままだった。

 間近で見るユリアの横顔に、泣きたいほどの愛しさが胸にこみ上げる。

 ギャヴァンの東南にあるシサーの家のバルコニーからは、遠くはあるけれど海が見えた。顔を反対側に向ければ、夜に包まれた街。ほんの少しだけ高い位置にあるから、遠くまで見晴らせるわけではないけど、高い建物がないのも手伝って、昼間ならそこそこ町並みが眺められる。

「良かった」

「……」

「嫌われたんだと、思った」

 顔を伏せたままで微かに首を横に振るユリアに、目を細めた。

「引きずり込んでよ」

「……」

「俺は、ユリアがツェンカーまで一緒に行って欲しいって思ってくれただけで、嬉しいよ」

 暗い街に目を向けて、ユリアの心を軽くしてくれる言葉を探す。ユリアがこちらに視線を向けたのがわかった。

「いーじゃん、ずるくても。俺が良いって言ってるんだから」

「わたしは……」

「それに俺は、ユリアがずるいとは思わないよ」

「……」

「ユリアが俺の無事や安全を思ってくれたことが、嬉しい。だけど、俺もユリアを守ってツェンカーに連れて行ければと思ってる。俺自身がそう望んでる。ユリアじゃない、俺が安全でない道を自分で選んでる。ユリアが悪いわけじゃない」

「……」

 悲しげにきゅっと唇を小さく噛むユリアに、微笑を向ける。

 俺にとっては、何より……会えずにいたこれまでより、こうしてそばにいられる……それだけで。

「俺がそう言ってもユリア自身がそう思えなければどうにもならないのかもしれないけど、でも俺は、自分で望んで今ここにいる。ユリアに押し付けられたわけじゃない。俺が選んでいることなのに、どうしてユリアが俺に悪いと思う必要がある?」

「……」

「前にも言ってる。ユリアの為に何をしてあげられるのか、考えてるって。俺は、俺の出来ることならユリアの力になりたいと思っているし、それが俺の望むことだから……」

 だから。

「……笑顔を、見せてよ」

 顔を見て、言えなかった。さっきのユリアのように、両手をかけたバルコニーの手摺りに俯くように、小さく言う。

「寂しいよ」

「……」

「避けられてる方が、俺は、つらい……」

 自嘲するようにちらりとユリアに視線を向けると、ユリアは言葉を失ったままで俺を見返していた。それから、長い睫毛を伏せる。

「たくさん、いろんなこと悩んでると思うから、俺のことなんかで自分を責めないで。別に……今すぐここでさあ笑えって言っているわけじゃないんだけど……」

 俺の言葉に、ユリアが微かに目を細めた。少し、俺の気持ちがわかってもらえただろうか。

「普通にさ」

「……ありがとう」

「一緒に、ヴァルスの援軍を連れて来よう」

「うん……」

 ユリアの気持ちがほぐれてくれるように笑顔で言った俺の言葉に、ユリアも笑顔を覗かせてくれた。ようやく取り除かれた気まずい空気にほっとして、俺はバルコニーの手摺りに背中を預けると、そのまますとんとしゃがみ込んだ。

 良かった……嫌われたわけじゃ、なくて。

「……ツェンカーに行くって言うのは、ユリアが考えたの?」

 少しは、会話をしても大丈夫だろうか。話題を変える俺を、ユリアが見下ろす。

「そう」

 一度頷きかけて、それからユリアは考えるように街に視線を戻した。

「……ううん、わたしだけじゃないわね」

「うん?」

「レガードが……教えてくれたの」

「……え?」

 思わずユリアを見上げる。レガード?

「意識が、戻ったの?」

 この前聞いた話では、レガードはまだ昏睡状態から目覚める気配がないと聞いている。魔法を受けた衝撃で脳とか神経とか、何だか良くわからないがそういうものに影響を受けていて、どうとかこうとかって。俺は勝手に脳震盪の延長版みたいなもんかと思っている。

 ともかくも意識はない……話せる状態にはないと聞いているんだけど。

 俺の問いに、ユリアはゆっくり顔を横に振った。寂しそうな横顔を覗かせ、それから小さく微笑んで俺を見下ろす。

「意識は戻ってないけれど。……弱音を聞いて欲しい時に、レガードのところに行くの」

「……」

「レガードにだったら、言っても良いような気がして」

「……」

「そしたらね」

 俺の複雑な胸中に気づくはずもなく、ユリアは照れたように大きな瞳を優しく細めた。何かを思い出すような、誰かを……想う、ような。

「レガードが教えてくれた気がする。『もっと周りを見てごらん』って」

「……そう」

「それで、気がついたの。手を貸してくれる可能性がある国があることに」

 ユリアは……。

 ……ユリアは、本当にレガードを大切に想ってるんだな。

 それは、前から感じている。それは知っている。でも……本当に。

 きっと自分の吐いた弱音に対して、レガードだったらこう言ってくれるんじゃないかとかそう言うふうに考えながら、昏睡しているレガードのそばにいるんだろう。

 意識不明の状態においてさえユリアを支えてやれるレガードに、俺が太刀打ち出来るわけがない……。

「……ツェンカーから戻った時に」

「ん」

 一転して痛みを訴える胸を堪えて言葉を押し出す。

 誰を、想っていたとしても……。

「レガードの、意識が、戻っていれば、いいね……」

「そうね……」

 俺は、俺に出来ることをやるだけだ……。











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