第1部第8話 初めての勝利(2)
◆ ◇ ◆
リノの村は、本当に小さな集落だ。砂漠を旅する旅人が必ず立ち寄る村だから宿屋はあったけれど、それでもたったの1軒で、ヘイズの町も小さな町だとは思ったけれど……ここに比べれば大都市と言ってしまいそうな気がする。何せ、1時間もかけずに村の中を1軒1軒回って来られそうな規模なのだ。
整備されていない土で出来た道が村の中を廻ってて、家も物置小屋みたいな……小さな家がぽつりぽつりとあって。妙に……寂しい気持ちになる。
この村には魔物から守る外壁はなかった。危なくないんだろーか。
「あんまり、人が住んでないんだ」
シサーたちが以前も利用したことがあると言う宿屋に荷物を置いて、俺とシサーは外へ出た。ただの散歩だけど、一応道具屋を覗いて来ようかって言ってて。ユリアとニーナとレイアは、とりあえず湯浴みをしたいと言って宿屋の人と交渉してたから……今頃風呂……とはいかなくてもお湯で体を洗ってるのかもしれない。俺も戻ったらお願いしてみよう。
「そうだなあ……。この辺は土地も痩せてるからあまり農作物も育たないし、一応海が間近に迫ってはいるから細々と漁をしながら食ってるって感じだな」
ギャヴァンからリノに向かう行程で一度遠く離れた海は、この村で再び間近に迫っている。ギャヴァンのように賑やかな活気はないけど、この村も潮の香りがした。
「あー、でも今日は久々に屋根のあるところで眠れるんだなー」
思いっきり伸びをする。リノについたのは日暮れ間近で、今も辺りはまだ薄暮に包まれていた。少しずつ空に雲が立ち込めているのが少し嫌な感じだ。
「疲れたか?」
「そりゃもう。何かあちこち痛い気がするよ……。シサーっていっつもこんな生活送ってんの?」
「まあな。もう慣れたもんだ」
これまた町にたった1軒しかない道具屋を覗いて見たけど、目ぼしい物は何もなさそうだった。携帯食の補充だけして店を出る。
「シサーって、世界のあちこち行ってるの?」
「フレザイル以外は、とりあえず全ての大陸に1度は足を踏み入れたな」
シリーと同じようなことを言ってる。……パララーザはまだヘイズにいるのかな。それともどこかに移動したんだろうか。
「……ねえ、ナタって知ってる?」
ふと思いついて聞いてみた。まだほんの子供なのに……下手な大人よりよっぽど謎がありそうな少女。
「ナタ?」
シサーが首を傾げる。……知らないのかな。シリーもメディレスもシサーのことを知っていたから、パララーザのことは知っていそうなんだけど。
「パララーザのシリーって知ってるんでしょ?」
「おお。……何でお前さんが知ってんだ?」
「ヘイズで助けてもらったんだ。シサーに会いに行くんだよって言ったら、『ピカイチのイイ男』って言われた」
ついでに『あんたみたいなガキジャリ』とまで言われましたけどね……。
シサーが苦笑いを浮かべて頭に手をやった。
「またくだらねえこと言ってやがる……」
「旅してる間に知り合ったの?」
「まあ、そうだな。俺もあちこち旅をしてるし、パララーザもそうだからな。時々遭遇するんだよ。……ニーナには言うなよ、シリーの話」
「何で?」
「仲が悪い」
「……」
シサーを大好きな人同士、反目し合ってるってわけね……あ、そう。
「ナタは、パララーザにいた女の子だよ。まだほんの子供の」
「子供?」
シサーが指先で後ろに束ねた長い髪の尻尾を玩びながら眉を上げた。
「うん」
通りには人の姿がない。家にはいるんだろうけど、あんまり気配もしなかった。何だかひっそりと暮らしているって感じがする。けれど、時間が時間だからか、ぽつぽつある家からは食事の用意をする良い匂いが上がっていた。勢い、空腹感を覚え始める。
「パララーザに子供なんかいないぜ」
「え?」
だって……。
「いたんだよ。紫の髪に紫の目の」
「紫?」
「うん」
ぽりぽりと頤を掻いてシサーが首を傾げた。
「知らねぇなあ……。しばらく見ないうちに増えたのか?」
それともナタって、パララーザの人間じゃないのかな……。それにしちゃ、仲が良さそうではあったけど。
「まあ、いいや……。シサー、今日も剣の稽古、よろしく」
「いいぜ。……やる気になってんなあ」
シサーがにやっと嫌な笑いを浮かべた。
「へっへっへー。若いってのはいいねぇ……いよいよ本格的に惚れたか」
「だだだ誰にッ」
「……俺だとは思いたくねえよな、少なくとも……」
「……」
そんなの、俺だって想像したくない。
宿に戻ると、身綺麗にしたユリアとニーナが広間でおしゃべりをしていた。
普段さほど来客のない村らしく、宿屋も農業で身を立てている普通の家が一応お客さんも泊めてあげるって感じで……つまり、普通の家だ。この村の中ではかなり大きな部類に入るとは思うけど。
「そろそろ食事にするけど、大丈夫かい?」
どこかぼーっとした感じの中年のおじさんが戻って来た俺たちに声をかけた。主人のチェザレさんだ。
「あ、はい。お願いします」
頭を下げながらユリアたちの方へ向かう。シサーは買ってきた荷物を置きに、一度割り当てられた部屋へと姿を消した。
「ユリア、お湯、もらったの?」
「うん。カズキも借りたら?」
「そうしようかなあ……」
砂埃と汗と返り血で、相当汚い。はっきり言って。
湯浴みをしたユリアたちのそばにいると、尚更自分の汚さが気にかかる。
「あの、すみません」
小さな台所を覗き込んで、食事の支度をしているチェザレさんに声を掛けた。
「俺も、湯浴みさせてもらっても良いですか?」
「ああ、良いですよ。風呂なんて豪華なものはこの村にはないんでねえ……。廊下の奥にね、小さな部屋があるんですよ。そこにお湯、持って行きますから」
「すみません」
タオルを取りに行くため部屋に向かうと、こちらへ来るシサーと擦れ違った。部屋に戻って荷物を漁り、マントと上着を放り出してタオルを抜き出すと、チェザレさんに言われた通り廊下の突き当たりに向かう。木製の古いドアがあってそこを開けると、藁葺きで目隠しするようにぐるっと取り囲まれた半畳くらいの小さな空間があった。足元はスノコが置いてあって……でも、外だろ、これ。
チェザレさんは既にお湯を用意してくれていて、でかい盥の中に張られた水からは湯気が上がっていた。シャツを脱いで上半身裸になると、タオルをお湯に浸して体を拭く。
それからひどく苦労して頭を何とかお湯で洗い、俺はそこを出た。何か中途半端な気はするけど……やらないよりはましだろう……。
「ありがとうございました」
「あ、俺も俺も」
俺が広間に戻ると、入れ違いにシサーが湯浴みをしに行き、シサーが戻ってきた時には粗末なテーブルの上に質素な食事が並んでいた。……うー。久々のまともなご飯だ……。
「いただきますー」
パンに魚、具の少ないスープと言う質素極まりない食事ではあったけど、凄くありがたい。あっちの世界では食事がこれほどありがたいものだとは気がつかなかった。
「ユリア、シェインと交信ってやってんの?」
食事を口に運びながらいきなり思い出して聞いてみる。ギャヴァンからリノへ向かう行程の中では交信しているのを見掛けていないような気がしていた。
「うん。毎日、報告してるわよ、ちゃんと」
「そうなんだ」
「何だ?シェインと交信って」
「『遠見の鏡』って言うアイテムを渡されてね……毎日無事ですって報告しろって」
「相変らずユリアに対しては過保護だなあ……」
「王女様なんだから当然じゃないのよ」
ギャヴァンにいた時に、何か気掛かりなことがあるようなことを言ってたけど……どうなったのかな。
「レオノーラで、何かあったの?」
わいわいとシサーやニーナと話していたユリアは、俺に視線を向けた。スープに手を伸ばしながら首を傾げる。
「え?何で?特に何も聞いてないけど……」
「あ、そう?」
別に、何でもないのかな……。
なら、良いんだけど。
「いや別に……何でもないけど」
食事を終えて部屋に戻る。借りた2部屋の部屋割りは、当然俺とシサー、ユリアとニーナ、そしてレイアだった。
宿屋についた時、シサーは意地が悪い顔をして言ったものだ。
「俺はニーナと一緒で良いんだぜ?」
俺はユリアと一緒じゃ凄く困るんだよッ。
わざとそんなことを言ってはからかうシサーを強行突破して、現在の部屋割りを押し切ったのだ。……ってか当然。
「あーあ。カズキにニーナとの間を裂かれちまったなあ……」
意地悪くぼやきながらシサーがベッドのひとつにごろんと転がった。そんなシサーに、タオルを投げつける。
「あのねえッ」
「おーっと。いちいちムキになる辺りがまだまだ若いねえ……」
「おっさんくさ」
「何だとぉ?」
ベッドからぴょこんと体を起こしてシサーが俺に掴みかかった。その筋肉質の腕でヘッドロックを固められる。
「やーめーてー!!はーなーせー!!」
「……なぁにじゃれてんのよ……」
コンコンとノックされるのとほぼ同時の勢いでドアが開き、しらっとした顔でニーナがそこに立っていた。俺にヘッドロックを決めたまま、シサーが顔をそちらに向ける。
「こいつが生意気な口利くから」
「生意気ってねえええ……」
良いから離してよ。
ふっと呆れたようなため息をつきながら、ニーナは部屋に入ってくるとさっきまでシサーが転がっていたベッドに腰を下ろした。すらりと伸びた足を組む。
「どうした?」
「何か、ちょっと変な感じがして」
「変?」
だからヘッドロック解いてよ……。
じたばたと俺がもがくので、ようやく腕を離しながらシサーが尋ねる。げほげほとむせながら俺はもうひとつの空いているベッドの上に転がった。
「……元々風の砂漠はシルフの力が強いところなのだけど」
風の砂漠だからなあ……。風の精霊の力が強いのは当然なんだろう。喉を押さえながら俺はニーナの言葉に耳を傾けた。
「何だか、猛り狂っているような……そんな感じがするの」
「猛り狂ってる?……シルフが?」
「そう」
ニーナの言葉にシサーは考え込むような顔付きをした。
「何でまた?」
「まだ、よくわからない。キサド山脈を越えてもう少し砂漠に近付けば、何かわかるかも知れないけど」
「そうか……」
俺はシェインと交信した時に言っていたことを思い出した。
―何か妙なことが起こっていそうなのでな。
確かに、そう言っていた。妙なこと、って何だろう……。
「まあ、行ってみるしかないな」
シサーが腕を組んで呟く。ニーナがこくりと頷いた。
まさか、『王家の塔』に近づくことも叶わないなんて、その時の俺はまだ知る由もなかった。