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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第1章第5話 急転(1)

 見下ろすユリアの視界の中、静かな表情のままでレガードが小さく呼吸を繰り返している。

 何度見ても、泣きたくなる。生きているのが、嬉しくて。意識が戻らないのが……悲しくて。

 意識不明の状態でギャヴァンの盗賊ギルドに保護されていたと言うレガードは、現在その身柄をレオノーラの大神殿に移されていた。ガーネット――ラウバルがシュリヴィドル尊師と呼んだ人物に替わって、大司祭ガウナがレガードを何者かから保護している。

 意識は、戻らない。黒衣の魔術師から受けた魔法が、レガードの全身を未だ苛んでいる。いかに強力な魔術師であろうと、ガーネットの使う言霊魔法では回復させる手立てがなかった。根本的に種類が違う。浄化をすることが出来るのは、プリーストの上級魔法だ。

 けれど、数ヶ月に渡って体の奥深くまで侵食した悪しき波動は、ガウナの浄化をもってしても回復しきれなかった。残るは大教皇だが、現在戦時中――中立であるエルファーラは、いかにヴァルスと言えど特殊な恩恵を施すことが出来ない。かつての国間条約でそう定められている。大教皇の施しに縋る誰もと同じように、申請をし、受理されるのを待たなければならない。

「レガード」

 大神殿の一室にあてられたレガードの部屋で、ユリアは執務の間を縫ってひと時の面会に訪れていた。寝台の隣に設えられた椅子に腰を下ろし、その顔を覗き込む。

「……情けないわ、わたし」

 意識はなくとも、聞いてくれているような気がする。クレメンスの代わりに、レガードの代わりに、ヴァルスを背負って立たなければならない今……そして、シェインがいない今、ユリアは弱音を口にすることが出来る相手がいない。レイアは聞いてはくれるだろうが、やはり口にしてはいけないような気がする。

 レガードにだけ、こうして弱音を吐くことが許されるような気がする。

「あなたの祖国を、守ることが出来なかった」

 ロンバルトは、連合軍の前に陥落した。王都は現在連合軍の占領下にあり、レガードの父は戦死、母は生死がわからない。

「ヴァルスも……」

 その続きは、恐ろしくて口にすることが出来なかった。続いてヴァルスも陥落――そんなことがあってはならない。

「どうしたら、いいの?」

 形勢を逆転すべく、シャインカルクは連日重鎮たちとの会議を繰り広げている。だが、かつてシェインがぼやいていたように、シャインカルクの要人たちは腰が重い。口にする意見は保守的なものばかりで、参考にならない。そもそも、ロンバルトは彼らにとっては、所詮他国なのだ。誰も不利益をまだ蒙っていない。自らに災難が降りかかってこなければ、老い寂れた柱は崩れそうになっていることに気がつかない。

 ……いや、それはさすがに穿った考えだろう。そうは思う。思うが、ならばどうして建設的な意見が何ひとつ出てこない。ロンバルトを切り分けることで譲歩するだの、モナをロドリスとリトリアにくれてやるだの、譲歩案ばかりでしかもそのどれもが現実的とは思えない。

 連合軍の目的は、ヴァルスの陥落だ。それをユリアは肌で感じている。

 ラウバルもいろいろ考えてはいるのだろうが、まだ不甲斐ない自分の代わりに執り行わなければならない執務が多過ぎる。国王も宮廷魔術師もおらぬ今、采配を行えるのがラウバルしかいないのだ。無理もない。手が回るわけがない。

 だからこそ、自分がしっかり立たなければならないのだとわかっている。だが、頭でわかっていても、実際にどう振舞うべきなのかがまだわからない。

――どうして、ヴァルスは窮地に陥っているのかを、考えてごらん。ユリア……

 レガードの声が聞こえた気がする。もう随分と耳にしていないその優しい声を反芻し、ユリアはその問いに対する答えを探した。

「それは……ロンバルトが陥落してしまって……ヴァルスは、孤立無援だわ」

――本当に?

 無言で、レガードの顔を見つめる。――『本当に?』?

「だって……味方は、いないわ」

――良く、考えてごらん。味方をしてくれる国は、本当に、どこにもないのかい……?

 レガードの声に、帝国内の国を見回す。

 ロドリスは考える余地がない。ナタリア、バートも、実際にヴァルス・ロンバルト軍と戦を交えている。リトリアもロドリスと組んだと聞いたし、モナは主がいない。援軍を要求してはいるが、大体にして対ヴァルス戦でモナは絶対的に兵力不足なのだ。送れる人材が整っていない。残るはキルギスだが……。

「でも、キルギスは、使者を送っているわ。何度も送っているわ。それでも答えてくれないんだもの」

――ユリアは、頭が固いな。もっと柔軟に考えた方が良い。

 レガードの言葉の意味をもっと考えようとした時、扉が開いた。振り返ると、レイアがこちらを覗き込んでいた。

「……お邪魔しちゃった?」

「レイア。……いいえ。そんなことないわ。どうしたの?」

「ううん。ユリア様が、喜ぶんじゃないかと思って」

「え?」

 くすり、とレイアがいたずらめいた笑みを浮かべる。

「国外どころか、帝国外……ラグフォレストまで行っていたカズキたちが、帰ってきたわよ」

「……え!!」

 思いがけないレイアの言葉に、ユリアは思わず叫びながら立ち上がった。カズキたちが……。

(――!!)

 胸に湧き上がった歓喜に翻弄されかけたユリアの意識を、先ほどのレガードとの『対話』が引き止めた。……今、何かが、引っ掛かった。

「……ユリア様?」

「……」

――味方をしてくれる国は、本当に、どこにもないのかい……?

――国外どころか、帝国外……

「そんなこと、ないわ……」

 立ち竦んで目を見開いたまま、閃光のように脳裏に走った考えに、ユリアは息を飲んでその身を翻した。

 ……逆転の可能性は、ゼロではない。


         ◆ ◇ ◆


 一方、シサーたち帰城の報に、ラウバルもまたシャインカルク城内を小走りに移動していた。ひとつ仕事を片付けていたせいで、少々待たせてしまっている。

 残りの雑務を秘書官に押し付けて応接室に入ると、どこか緊張感のない面々が一斉にラウバルに視線を向けた。足早に、席へ向かう。

「待たせたな。すまない」

「こっちは別に構わんが。……相変わらず、シェインはいないのか」

 礼儀も何もあったものではない。テーブルに頬杖をついたまま、一国の宰相にシサーが問う。立ち上がったのは、辛うじて貴族根性がなくもないキグナスだけだ。今更こちらも期待してはいないので、別にどうでも良いのだが。

「シェインは、いない」

 消息不明であることを告げるべきか、迷う。特にキグナスは血筋なのだから、このままであれば遅かれ早かれ告げねばなるまい。そうは思うが、まだ時期尚早と判断し、結局言葉を飲み込む。

 ラウバルが席に着くと、キグナスも再び腰を落ち着けた。女官がそれぞれに茶を配り終えると、彼女を退室させてシサーと向かい合う。

「どうした」

「経過報告と、あんたの判断を仰ぎたい。……ファリマ・ドビトークのドワーフが、黒衣の魔術師の行方について口を割った」

「どこだ」

「奴の行き先は、ヘルザードだそうだ」

「ヘルザード!?」

 思わずオウム返しに聞き返す。ラウバルの中で、バルザックの行動が繋がっていく。

 執拗にストーム・ブリンガーを狙うのは、そこに目的があったのか。

 ギャヴァンを襲った黒竜グロダール。

 グロダールの竜珠を仕込んだロッド。

 国を追われたクレメンスの兄アウグスト。

 持ち主に生命を取り込む魔剣。

 ……ロドリスと手を組んだ、黒衣の魔術師。

 音を立てて嵌めこまれていくパズルのピースにラウバルが息を飲む目の前で、テーブルに頬杖をついたままのシサーが口を開いた。

「あのじじぃをとっ捕まえなけりゃ、『王家の塔』と戴冠は一向に進みやしないだろう。ヘルザードまで行きたいのは山々なんだが、現在ギャヴァン沖の航行は……」

「禁止されている」

 そうか……ヘルザードに渡るには、当たり前だが船が必要だ。だが、今ヴァルスの港はどこも封鎖されている。ごくごく内海を航行する漁船だけが小さな港から出入りできるだけだ。ヘルザードに渡れるような設備の整った船が出港出来る港は限られているし、そもそもヘルザードへの航路が取れない。

「だろ?……どうする?」

 シサーの問いに、ラウバルはしばし沈黙して考えを巡らせた。

 バルザックを何とかしなければ戴冠が出来ないのは、確かである。だが、シサーたちがヘルザードに渡ってどうなる。いずれにしてもバルザックは、ヴァルスに姿を現す。ラウバルにとって目的が明確に見えた今、それは必ずだ。ヘルザードでバルザックの満足する結果が得られるわけではない。バルザックには、どうしてもストーム・ブリンガーが必要のはずだ。そしてそれも、これまでのように悠長ではないだろう。ロドリスと組んだ理由も、今ならば大方予想がつく。

 であれば、ことはこちらの問題となってくる。シェインではなくラウバルがシャインカルクに残った理由である。そう決めた時には詳細が繋がってはいなかったが、何やら暗躍している以上バルザックがストーム・ブリンガーを狙ってくるだろうことが予想されたからこそ、ラウバルはシャインカルクに残ることに決めた。シェインもそれは同意の上だ。

 ともかくも、そうであるならばもはやシサーたちの手は必要ないだろうか。レガードの身柄がこちらに戻っているのだから、特にカズキは解放してやっても良いのではないか……。

(いや、そうか……)

 シェインが、いない。

 カズキをこちらの世界に引きずり込んだシェインがいない以上、カズキを元の世界に帰してやれる手段がない。

「……」

「ラウバル?」

 黙りこんだラウバルに、シサーが痺れを切らしたように問いかける。言葉を選んで迷いながら口を開きかけたラウバルの耳に、慌しい足音が聞こえた。やがて足音が扉の前で止まる。

「入りますよ」

 ユリアの声だ。開く扉に、ラウバルは思わず立ち上がった。

「ユリア様」

「久しぶりですね。シサー。……ニーナ、キグナス……カズキ。ご苦労です」

 先ほどとは違い、がたんと4人が一斉に立ち上がる。それに微笑を残して、ユリアはラウバルに向き直った。ユリアは少しずつ、君主らしい威厳を身につけ始めている。

「相談があります、ラウバル」

「……今、ですか」

「ええ。出来ればカズ……シサーたちにも協力していただきたいのです。まとめて話を聞いてもらえば、無駄がないでしょう」

「は……しかし……」

「その前に、シサーたちが今後どう動いていくのか、現状どうなっているのか、教えていただけますか」

 何やらユリアが突拍子もないことを言い出すのではないかと内心はらはらしながら、ラウバルは状況を簡単に説明した。彼らがバルザックの行方に関する情報を掴む為にラグフォレストに渡ったことまでは、ユリアも知っている。黒衣の魔術師がヘルザードに姿を消したらしいと言うことを聞いて、ユリアは目を丸くした。

「ヘルザード……?何の為に……」

 答える者は、いない。

 その沈黙に、バルザックを追う面々に視線を走らせたラウバルは、彼らが何かを知っているらしいことに気がついた。特にカズキが、今までにない険のある眼差しを向けている。だが、口に出しては何も言わない。ラウバルも深く触れることはせずに、顔を横に振った。

「そこまでは、何とも」

「そうですか……」

 ユリアが考えるような目つきをして、4人を見回した。それから、ラウバルに視線を戻す。

「では、シサーたちはヘルザードに渡ることになるのですか」

「そのことですが……」

 任を解いてやっても良いのではないか、と言う考えをどう伝えるべきか迷いながら、口を開く。

「現在、ギャヴァン沖に魔物が棲息中の為、航行することが出来ません。ゆえに、彼らをヘルザードに渡らせるわけにはいかない」

「ああ、そうでしたね」

「ですから……」

「では、黒衣の魔術師の追跡は、一旦保留、と言うことになりますね?」

 続けようとしたラウバルの言葉を遮るように、ユリアが言った。心なしか、その顔が生き生きとしているような気がする。嫌な予感がする。

「……まあ、そう、ですね」

 だが言っていることはその通りなので、渋々頷くラウバルに、ユリアは満足げに頷いた。どうやらここに駆け込んできた理由――シサーらに協力して欲しいと言うユリアの考えにそぐう展開のようだ。益々嫌な予感が高まる。

「では、当面シサーたちにお願いすることがあるわけではありませんね?」

「……は、それは、まあ……」

「では、わたくしの方からお願いがあります」

 何を口にするつもりだ。

 ラウバルは思わず身構えた。構わずにユリアが意気揚々と口を開いた。

「シサーたちには、わたくしを守ってツェンカーに向かってもらいます」

「ユリア様!?」

「何い!?」

「ユリア!?」

 ラウバルの驚愕の叫びと、シサー、ニーナが叫ぶ声が重なる。思わず、ユリアを除く全員がテーブルから愕然と立ち上がっていた。

「ユリア様……ツェンカーって……どういう……」

「今から、説明します。ともかくも椅子にお掛けなさい」

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