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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第1章第4話 脱出(2)

 倒れたままの男たちを乗り越えて階段を駆け下りると、階段が途切れて直進する細い通路と左手に折れる通路に出た。左手は、2エレほどの短い橋のように吹き抜けて、その先が小さなロビーのように少しだけ広い空間になっている。橋から下を覗き込んでみると高さはなく、石畳のスペースが下に広がっていた。枯れ草などが雑に積まれ、床にも草が散らばっている。そしてこの階と同じ方向に通路が伸びているのが見えた。鼻につく匂い……いななき。

 下りてくる足音に押され、橋の柵を乗り越える。着地して顔を上げると、視線の少し先に、壁を抉るようにした大きな横穴が見えた。そして、柵。4つあいたうちの2つには、馬が小さな嘶きを上げながら、繋がれている。

(そうか……)

 外出する為に、一時的に馬を繋ぎとめておく為のスペースだ。厩舎からこちらへ外出に使用する馬を移動させ、体を拭いたり鞍を取り付けたりする。恐らくラミアは、外出する予定でいたのだろう。では、この馬は出かける準備が万端だ。

「すまないが、付き合ってくれ」

 言いながら、柵を開けて馬を出す。階段を下りてきた足音が、シェインの姿を目に留めた。橋の上から覗き込んで怒声を上げる。

「貴様ッ待てッ」

「逃げられると思うのか!?」

 待てと言われて待つものか。構わずに引き出した馬に飛び乗りながら、お決まりのセリフに失笑した。

「やってみなけりゃわからんなッ」

 こんなところで馬が手に入るとは思わなかった。後はもう無理矢理、裏庭の壁を強行突破するしか手段がない。

(死ぬな……)

 心の中で、半ば、覚悟を決める。

 これだけの衛兵を相手にここまで辿り着けただけでも、強運だ。ここからはもう、本当に運任せにするしかない。

 足踏みしていても仕方がないのだから、行くしかない。

(ユリア……)

 胸の奥に最愛の主の笑顔を抱きながら、シェインは死の覚悟を固めて馬場を飛び出した。


         ◆ ◇ ◆


「本当にこちらなんだろうな」

 既に日が落ちきった道を、2つの影がゆっくりと進んでいく。ひとりは女性――それも、まだ少女と言えそうな若さだ。それに従うように歩く男は恐らく20代中ほどだろう。

「あの老爺の言葉が正しければそのようになるが、それ以上は私にはわからないな」

 どちらかと言えば独り言に近かった少女のセリフに生真面目に返す男の言葉遣いは、どこか品がある。対する少女も、言葉遣いこそ雑なものの、凛とした気品のある横顔に苦渋を浮かべた。長い山吹色の髪をぱさりと払って、栗色の瞳で星が瞬き始めた夜空を睨み上げる。

「諦めて、野営をするか……」

「この辺りでの野営は、危険だな」

「じゃあこのまま彷徨うのか、エディ」

 少女にエディと呼ばれた若者は、考えるように沈黙した。さらさらの品の良い淡い金髪を微かな風が撫ぜていく。男が手にしたカンテラの灯りが、モスグリーンの瞳にちらちらと滲んだ。

「もう少し、進んでみよう。この時間ならばまだ、いくら農村でも眠りにつくには早い。ソフィアだって、魔物の心配をせずに眠りたいだろう?」

 エディの言葉に、ソフィアは小さく唸った。それはその通りだ。しばらく海風に晒されて水浴びもしていないので、肌がべたべたするのも気持ちが悪い。

 エディが野営を嫌がるのには、理由があった。そろそろ、ロドリス王国の王都付近に差し掛かっている。戦時中である今、いろいろと警戒が厳しいゆえに、余計なことに巻き込まれるのは御免だ。王都に近寄るつもりはないけれど、目指している方向が王都を越えて東側にあたるので、どうしても近辺を通過しないわけには行かない。特に現在、村があると聞いたのでそちらを目指して僅かに東南に進路を採っている。いよいよ王都の方向である。

「それに、私たちはロドリス軍などに誰何すいかでもされると少々面倒なのは、わかっているだろう」

「ただの旅人だ。文句はあるまい」

「戦時中はそれでは通じないことも多々ある」

 あっさり斬り捨てるエディの言葉に、ソフィアは小さく唸りながらも押し黙った。その通りなのだから反論出来ない。仕方なくエディの言葉に従ってもうしばらく歩いてみることにしながら、黙々と隣を歩くエディの横顔に視線を投げかけた。

 何者なのかは、ソフィアもわからない。何せ、本人が自分が何者なのかわからないと言うのだから、わかりようがない。

 ただ、『追っ手』に追われるソフィアを助けてくれた。記憶がないと言う男は今後の行動の目的も特にないらしく、なし崩しに一緒に行動をする羽目になっているが、その間にどこか生真面目な気質に触れるに従って、ソフィアも彼を信用し始めている。恐らく本当に、記憶もなければ行動方針もないのだろう。

 名前も、もちろんわからない。しかし共に行動をするのであれば、名前がなければ呼びにくいことこの上ない。その、どこか貴族めいた容姿や立ち居振る舞いからエドアードとつけてやったのはソフィアである。

 ソフィアの勘では、エディは間違いなくどこかの貴族階級だ。ただし、本人が記憶を失った経緯さえわかっていないのだから、それ以上わかりようがない。

 頭は良さそうだった。運動能力も悪くはない。ただ、どちらかと言えばブレーン気質とでも言うのか、剣を振るうよりは物事を思慮するタイプのようである。悲しいかな、剣の腕はソフィアの方が上のようだ。けれどソフィアは物事を短絡的に考える癖がある。自分の代わりにいろいろと考えてくれるエディがそばにいるのは、心強い。

 まだ、旅の本当の目的をエディに話してはいないけれど、遠くないうちに真実を話し、協力をしてもらえれば尚良いと考え始めている。

「もう少し進んでみて、もし村がないようだったら……一度、戻った方が賢明だろうね」

「戻る!?どこまで!!」

「夕刻に分岐路に出ただろう。どうせ野営をするなら、あそこまで戻って北の道に向かった方が良い」

「ああ、そうか……」

 戻るのは時間の無駄と言う気がして嫌なのだが、確かにエディが危惧するように、ロドリス兵は素行が余りよろしくなさそうだ。国内だから一般国民に手荒な真似はしないだろうが、ソフィアにしてもエディにしても、ロドリス国民でないことは言葉で知れる。

 言語は、帝国アルトガーデン共通であるヴァルス語が最も普及している言葉であるが、大きく言って、それ以外に3ヶ国語が存在する。

 ひとつは、ロドリス語だ。これは、ロドリスはもちろんバート南部、そしてナタリアで使われている。

 次いで、リトリア語。リトリアとモナ、バートの北部が使用する言葉だ。

 そしてキルギスは独特の民族なので独自のテュルク語をしゃべる。余談だがロンバルトは、ヴァルスと同じくヴァルス語だ。

 ソフィアとエディがしゃべることが出来るのは、ヴァルス語とリトリア語である。……いや、エディはどうやらロドリス語も話すことが出来るようだが、母国語としない者の発音をする。そこから察するに、エディはリトリアかモナ、バートのいずれかの出身だと分かる。

 ともかくも、明らかに他国民である2人に対して、ロドリス兵が自国民と同じ扱いをしてくれるとは考えにくい。それを考えれば、やはり軍隊とは遭遇しないに限る。

 つらつらとそんなことを考えながら辺りの風景に何気なく目をやると、開けていた右手が次第に木々に覆われていくのに気がついた。小さな山のようになっていると言うか、森のようになっていく。

「エディ」

「何だ?」

「森の中だったら、大丈夫なんじゃないかな……」

「ああ。今度は魔物の出現が気にかかるところだな……」

「魔物だったらわたしが……」

 言いかけて、言葉を飲み込んだ。どこかから喧騒が聞こえてくる。

「……何?」

「さあ」

 まだ少し先――それも、頭上の方から聞こえてくるようだ。複数の人間の声、物音、甲冑の音……?

「何の騒ぎだろう」

 眉を顰めながらも、とりあえずは足を進める。音の出所を気にしながら頭上を振り仰いでいると、右手の森の中、それも崖のように高い位置に、微かに屋敷らしきものがあるのが見えた。誰か貴族の別荘か何かだろう。それは別に良いのだが、どうやら騒ぎはそこから漏れ聞こえてきているようである。

「……何か、あったのかな」

「何かあったんだろうな」

 あっさりしたエディの返事に唇を尖らせながら、ソフィアは屋敷を見上げて足を止めた。

 次の瞬間だった。

 ギギギギィ……ガシャーーーンッッッ。

「何!?」

 盛大な物音が耳を劈く。まるで大きな何かが破壊されたような激しい音、それに続いて馬の悲痛な雄叫び。重なるように怒号と何かが墜落してくるような木々のざわめき。一斉に飛び立つ、鳥たち。

 ズシーンッ……ガンッ、ガンッ……ガシャーンッ……。

 地鳴りのような音が響き、やがて静かになった。頭上の騒ぎは相変わらずだ。思わずソフィアとエディは顔を見合わせた。

「……行ってみよう」

「ソフィア」

「だって」

 エディの阻止も顧みずに、ソフィアは物音のした方向へ足を向けた。屋敷の方ではない。屋敷から何かが墜落してきた、その方向である。

 がさがさと、森の中を木々を分け入っていく。意外と距離があったらしく、目的の場所にはなかなか辿り着けなかった。道がないのも、遅々として進まない理由である。

「確かに、何かが、落ちたよね……?」

「多分な」

「何が……?」

 落ちたのは、大きなものだ。

 どんどん奥へ進んでいくソフィアに、仕方なくエディも続く。面倒なことに首を突っ込みたくないと言っているのに、人の話を聞いていない娘だ。

「あッ……」

「何かあったか?」

「エディ、カンテラの灯りを貸して」

 言われるままにカンテラを差し出すと、ソフィアはそれを受け取って少し先の地面へ掲げるように照らした。

「何だこれは」

「柵……?」

 残骸と成り果ててはいるが、どうやら元は壁だの柵だのと言った種類ものだっただろうと言う気がするガラクタが、山となって木々を押し潰している。見上げる木々の隙間からは、屋敷の方の様子は良く見えない。

「……あッ」

 眉を顰めて屋敷の方を眺めるエディの前で、ソフィアが小さな声を上げた。視線を向けると、明かりの先にはガラクタとは異なる類の落下物が目に入った。馬の遺体だ。上から転落してきたせいか、見るも無残な有様である。

「……行こう、ソフィア」

「うん……」

 目を叛けながらソフィアを促して、踵を返しかける。ふとその視界の隅で、見落としていたらしい何かがちらりと映った。

(……?)

 気になって、もう一度顔を向ける。……大振りの木の上に、何かが引っ掛かっている。

「……ソフィア」

「え?」

「灯りを……」

「え、あ、はい」

 視線をそちらに定めたままカンテラを要求し、受け取った灯りを高く掲げた。暗闇の中に目を凝らす。

「人だ」

「え、人?」

 エディの言葉に、ソフィアが顔を跳ね上げた。乗り出すように闇に目を凝らし、息を飲む。

「本当だ」

「……どうするつもりだ」

「助けるに決まっている」

「死んでるだろう?」

「近付いてみなけりゃわかんないよ。……馬と一緒になって落ちてきたんだったら、馬が緩衝材になって助かったかもしれない」

 面倒なものを見つけてしまった。上の屋敷の連中に追われたらどうする、と言う言葉を飲み込み、仕方なくソフィアに続く。構わずソフィアは、まるで猿のように身軽に木の上へと上がっていった。ぎりぎり、としか言えない状態で枝葉に引っ掛かっている姿を見て、ぞっとする。僅かにずれたら、あの馬と同じ運命だっただろう。

 若い男だった。燃えるような赤い髪に、葉がいくつも絡まっている。端正と言える顔には無数の傷がつき、良くみれば左の腕を矢が貫いていた。胸は血に染まり、口元にも血が滲んでいる。いや……腰の辺りにも、切りつけられたような怪我が。

「ソフィア。どうだ」

 エディが下から急かすように問う。何かあったのは間違いないだろうから、屋敷の連中がこの男の捜索に下りてくることを懸念しているのだろう。それはわかる。ソフィアとて、妙な連中に巻き込まれたくないのは確かだ。

 手早く男の生死を確認しようと、口元に耳を近づけた。そっと目を見開いて、息を飲む。

「生きてる……」

 ソフィアの耳に、確かに男の呼気が僅かに聞こえた。儚く、今にも途切れそうに、けれど、確かに。

「エディ、生きてる」

 状況を考えれば信じ難いことに、男――シェインは確かに、辛うじて生命を繋ぎとめていた。











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