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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第1章第3話 mens venatus(3)

 ため息を落として立ち上がったシェインは、とりあえず出入り口に向かった。ともかくも、レドリックの身など案じている場合ではない。脱出の方策を考えなければ。

 わかりきってはいても、一応確認だけはするべきだろう。ドアノブに手を伸ばしてみるが、やはりドアは開きそうにない。

 部屋の中を見回して、今度は目に付く窓に足を向ける。窓の外から見える景色は暗いが、どうやら崖を背に立てられているようだ。崖の下は見えない。高さも分からない。ただ、この部屋自体は4階ほどの位置に存在することは分かる。開いたところで下りられる高さではないが、軽く窓を叩いてみてから手近な椅子を振り上げた。窓に向けて叩きつける。

 ガァーンッ!!

 盛大な音が上がり、椅子の方が壊れた。折れた足の破片がシェインめがけて飛来するのを避けながら、椅子を床に投げ捨てる。胸部の激しい痛みが、シェインの呼吸を荒くさせた。

 わかってはいたが、確かに出口はないらしい。恐らくこの部屋の周囲に、透明な厚い壁がはりめぐらされているような状態だ。

 微動だにせず椅子を破壊した窓を睨みつけながら、シェインはその場で腕組みをして頭を巡らせた。

 脱出するにあたって、必要不可欠なのはロッド。魔術師にとってロッドとは、「なくしたから新しいのを」と言うような種類のものではない。見習いを卒業する際に師から贈られるものである。失うわけにはいかない。

 ラミアは「すぐにでも返そう」と言った。つまり、この屋敷内のどこかにある。暗に管理をしているのが誰かを問うたシェインに対する答えを考えれば、ロッドはラミアの私室だ。そこへ侵入する必要がある。

 それから、魔法を封じられている現状であらばこそ、武器が必要だ。どうにかして武器を手に入れなければ、この部屋から抜け出したとて屋敷から抜け出すことは適うまい。ラミアの背後にレドリックがいるとなれば、それなりの人員配置が行われている可能性が高い。

 現在地については、ロンバルトかロドリス南部だろうという推測以外に得られなかった。但しこれは脱出してから知ることが可能である。この際置いておこう。

(ともかくも、この部屋から脱け出さねばな……)

 開いている場所が、あるいはこちらから開けられる場所がないのであれば、常套手段ではあるが手段は自ずと定まってくる。

 開けられる人物に、開けさせれば良い。


          ◆ ◇ ◆


 以前から聞いていた風評では、使えそうな男だと思った。

 実際に会い、言葉を交わし、その印象は寄り強くなった。

 ラミアは、どちらかと言えば物事に深い思慮を持つ方ではない。短慮と言えば短慮、大らかと言えば大らかと言える気質にある。軽薄、と言う点で言えばレドリックと良い勝負だろう。

 訪れた要塞軍の中、無骨なガーフィール将軍とフットワークの良いシェインでは、自然とシェインに目が向くと言うものだ。自ずとターゲットは絞られた。

 シェインを手元に欲しい。味方となれば心強いに違いない。

 ロドリスを手放しに信用するわけにはいかない。レドリックを支えたいと思ってはいるが、自分だけではいかにも心もとない。信用の置ける強い味方が欲しい。

 レドリックからは、ロドリスがヴァルスの宮廷魔術師を消してしまえと言っていると相談を受けている。だが、あっさり消してしまうには惜しい人材だ。もうしばらく粘ってみてから考えても遅くはない。どうせ、魔法を封じられているシェインにあの部屋は脱け出せない。脱け出せたとて、魔術師にとって唯一の護身とさえ言える魔法を使えないのだから、大した敵ではない。

 意識が戻ってからの1週間、ラミアは毎日シェインの部屋へ足を運んだ。無論、シェインの意志を確認するべく、あるいは味方に引き入れるべくであるが、時には他愛のない話だけをして出ていく時もあった。

 シェインの消息不明期間は、既に20日に近い。

「そろそろ考えは変わったか」

 夕食を終えた頃合を見計らって、微笑を口元に部屋の中へ入って来たラミアは、シェインがベッドに横たわったまま片腕で顔を覆うようにしているのを見て、怪訝な表情を浮かべた。

「……どうした」

「いや?」

 短い返事を返して、シェインは億劫そうにベッドに体を起こした。それから小さく呻く。……顔色が良くないようだ。

「痛むのか」

「痛むな。普段魔法でさっさと治してしまうゆえ、回復が遅いな」

 呟くように言って片手で顔を覆うシェインに、ラミアは眉を寄せて近づいた。

「思いの外長引くな」

「まったくだ。こうも体が痛んでひとり閉じこめられていると、おかしくなってくる。おぬしの来訪が楽しみにさえなってきた」

 ぼやくようなシェインの言葉に、ラミアが笑いだした。

「良い傾向だな。あとひと押しと言うところか」

「馬鹿を言ってくれるな。一時の気の迷いと後々後悔しそうだ。何とか踏みとどまるさ」

「……そなたのように頭の回転が速く優れた能力をもあわせ持つ人材は、そうはいまい」

 陥落するなら、弱くなっている今かもしれない。こういう男は一時の気の迷いだとしても、一度こうと決めたらそれを貫こうとするだろう。自分自身の意趣替えをそうころころ許容するタイプではなさそうだ。……であれば、一瞬でもその気にさせれば、陥落の余地はある。明言させてしまえば、信用が置けそうな気がする。

 ラミアはそう判断し、真剣な眼差しで言を重ねた。

「そなたの能力を生かせるのは、出来上がった既存の体制で安穏とそれに乗るのではなく、時代の遺物を破壊し、新しい体制を生み出す時にこそ生かされるのではないか?ヴァルスだ、ロンバルトだなどと言う小さな話ではない。アルトガーデン全土に渡る改革だ。帝国内の各国がレドリック様を掲げてその時を待つ今こそ、そなたの能力が最大に生かされる時ではないだろうか」

 熱心に語るラミアに、シェインは苦笑を浮かべて緩く顔を左右に振った。

「参ったな」

「良いではないか。ヴァルスは既に孤立無援だ。敗北を迎える日はそう遠くはない。ヴァルスが敗北すれば、ヴァルスの重鎮たちはその責任を取ることになろう。だが今の時点で我々への協力を約束すれば、そなたはそれを免れる。悪い話ではないはずだ。私はそなたのように客観的に冷静に物事を判断し、分析し、自ら考える能力のある人間をそばに欲しい」

「今は周囲におらぬか」

「おらぬな」

 ラミアがシェインを味方に引き入れたいと考えたのは、『天才』と評される風評もさることながら、物事の組み立て方や捉え方に触れたからだ。身柄を望む気持ちに嘘はない。シェインが少し考えるような仕草をした。それからふと目を上げる。

「……一応聞きたいのだが」

「何なりと」

「そちらに寝返った場合、俺には何のメリットがある。――目に見えるメリットの話だ」

「……」

 ラミアは一瞬押し黙った。答えられないのではない。シェインが地位や金を要求するのが、少々意外だったのである。

「そなたでもそういうことが気になるのだな」

 思わず口に出してしまったラミアに、シェインが笑った。

「当たり前だ。俺だって慈善事業をやるわけにはいかぬ。ヴァルスを裏切る、と言うリスクはあまりにでかい。ならばそれ以上のメリットがなければ、いかに心揺れようと乗る価値はない」

 弱くなっている、とは言っても、やはり冷静だ。己の地位に拘りを持つラミアにしてみればシェインの考えはひどく真っ当で、加えて安心した。権力に固執する人間は、信義や人情を振りかざす人間を恐れ、あざ笑う。理解が出来ないからだ。ラミアは、シェインが自分と同類らしいことに安堵を覚えた。

「……何が望みだ?」

「そうだな。ヴァルスの宮廷魔術師――この地位は、保証してもらおうか」

「無論。ヴァルスが敗北を喫した後でも、そなたの地位、財政その他において、今より不自由になることはない。報奨も、出そう」

「それからヴァルス宮廷現幹部の一新」

「……一新か」

 少々虚を突かれたラミアに、シェインは皮肉な笑みを浮かべた。

「ヴァルス宮廷は頭が固い。石頭ばかりでは改革など出来るはずもないな。使えるメンツが揃わぬなら俺は降りる」

「……考えておこう」

 どうせヴァルスを押さえ込むには、既存の重鎮たちは一掃するしかない。ラミアはシェインの要求を尊重すべく、承諾した。

「他にはないのか」

「今のところはな。……つり上がるかもしれぬが、良いのか?」

 皮肉な笑みを崩さないシェインに、ラミアがまたも苦笑して腕を組んだ。息をつく。

「限度はあるがな」

「安心しろ。俺が皇帝になりたいなどと口走ることはない」

 そう笑ってから、シェインは不意に激しく咳き込んだ。

「どうした」

「肺が多分傷を受けているのだろう。それと微熱が続くせいかな。やたらと喉が乾く。すまないが、茶を入れてもらえるか」

「ああ……待っていろ」

 シェインの咳き込む様子がつらそうで、案じながらラミアは踵を返した。ティポットの乗る棚へ足を向けながら、治癒の魔法を施しそうになる自分に苦笑する。

 それはさすがにまだ早いだろう。あと少しだ。体の不調と閉塞した空間は、人を弱気にする良いポイントだ。弱気になっているところに、つけ込む隙が出来ているのだから、もう少し様子を見て……。

(……!?)

「何の真似だ?」

 シェインに背を向けてティポットに手を伸ばしかけたまま、内心の舌打ちを押し隠してラミアは低く尋ねた。

 首筋に背後から押し当てられている冷たい感触――はっきり見えないが、刃物だ。

「悪いな。やはり気が変わった」

 低く、けれど涼やかな声が真後ろで答える。ラミアの首に刃物を押し当てているのはもちろん、囚われの身のヴァルスの宮廷魔術師だ。

「……謀ったな」

「この程度を『謀った』などと言われるとかえって恥ずかしいな。いささかあざといかとも思ったが、どうやらそうでもなかったようだ」

 しれっと答えるシェインに、ラミアの顔が歪む。

「そなたを信用した自分が恨めしいな」

「裏切った人間に言われると気分が良いな」

 まったく減らず口は止まることを知らない。先ほどまでは好ましくさえ感じられたテンポの良い会話が、今は忌々しくさえ感じられる。

「今ならまだ、考える余地をやるが」

 尚も譲歩するラミアに、シェインが笑った。

「見くびるなよ。これでも俺はヴァルスの貴族だ。メリットデメリットの問題ではない。俺の主は、ヴァルス王家だ」

 静かな冷たい声音に、鳥肌が立つ。ラミアは、掠れた声を押し出した。

「どうしてもか」

「俺は、自己の主をクレメンス陛下と定めた。亡き今はそのひとり娘であるユリア様と、クレメンス陛下の定めた後継者であるレガード殿下が俺の主だ。それ以外にひざまずくつもりは毛頭ない。俺自身に恥じる生き方はしなくないのでな。貫くと決めたものは、貫き通す」

 背後にいるシェインの顔を見ることは出来ないが、酷薄な眼差しを浮かべているのが見えるような気がする。

「そんなものを、どこから手に入れた」

「知りたいか?……おしゃべりな給仕が、どこへ行ったのだろうな?後で、ベッドの下でも探ってみてくれ」

「何……」

 すっと背中が冷えた。

 虜囚の身であるシェインであるが、食事をさせないわけにはいかない。当然、部屋に食事を運ぶ人間がいる。

 その都度運ぶ人間は変わるが、何があるかわからないゆえに武器を携帯しているのは確かだ。

 そしてシェインの部屋に食事を届けに行った人物は、すぐに戻る者もいれば、なかなか戻ってこない者もいた。シェインに捕まって会話の相手を強要されるのである。

 相手にしない者もいる。いや、大半だ。だが、中にはうまく逃れられない者もいる。最初こそ叱責をしていたが、聞けば交わす会話は他愛のないものであらばこそ、次第に放置するようにもなっていた。それが繰り返されれば、「またか」と多少戻りが遅くなっても気に留めなくなっていた。

 最初は確かに、警戒していたのだ。そこに何か意図があるのではないかと。だが本当に何ごともなく繰り返されていたゆえに、いつの間にかただの暇つぶしだろうと言う認識を植えつけられていた。魔法の使えない怪我人の魔術師が、衛兵相手に武器を奪うなど出来るわけがないと言う先入観が手伝ったのも、否めない。

「そんなものを振り翳して、扱えるのか」

「油断している衛兵とやりあって勝てる程度にはな。……芸も達者だと言わなかったか?」

「怪我はどうした」

「おかげさまで回復済みだ」

 言葉を繋ぐ。だが、活路を見出せそうにない。

 相手は自分と同様、魔術師だ。魔術師の弱みを良く知っている。

 魔法の発動には、呪文を完成させるだけの時間が最低限必要だ。そして『言霊魔法』を使用する以上、言葉の力を借りずには発動させることは出来えない。言葉を紡げばこの距離で聞こえぬはずはないし、魔法が完成する前に突きつけられた刃が自分の命を奪う。接近戦において、魔術師は身を守る術を持たない。

「どうする気だ」

「決まっている。ヴァルスへ帰るのさ。……取り急ぎ、俺のロッドを返してもらおうか」

 尚も言葉を返そうと口を開きかけたラミアは、結局飲み込んでそのまま口を閉じた。ため息をついて、ゆっくり歩き出す。

 それに続きながら、シェインが低く告げた。

「妙な気を起こそうと思うなよ。生憎俺は運動不足でな。焦らせると手元が狂うかもしれぬ」

「……」

「衛兵に囲まれた日には、もうどうせこちらも逃げ道がないからな。ひとりの旅路は寂しい。手近な人間にご同行願いたくなるかもしれんな」

「……わかった」

 恐らく、本気だろう。

 シェインの言葉にうそ寒いほどの殺気を感じて、ラミアは素直に頷いた。ロドリスがシェインを消せと言ってきた理由が、わかったような気がした。そう簡単に陥落出来る相手ではなかったと言うことだ。

 だが、この屋敷から脱出することは適うまい。ドアの外にはラミアが伴ってきた衛兵がいる。屋敷の中にも何人もいるのだ。殺すには惜しい男だが、本人がどうしてもこちらに寝返るのは嫌だというならば、仕方あるまい。

 シェインを刺激しないよう、ラミアはゆっくりと静かに扉を開けた。現れたラミアに衛兵が姿勢を正す。次の瞬間、刃をその首筋に押し当てているシェインに衛兵がぎょっとしたように体を揺らした。

「貴様ッ……」

「おーっと。騒がないでもらおう。ご主人様の首に傷がつく」

 低いシェインの言葉に、ラミアが頷く。抜いた剣を構えたままどうしたものかと動きを止める衛兵に、ラミアは押し殺した声を投げた。

「言う通りにしてくれ」

「しかしッ……」

「この部屋は出口がないのだったな」

「……」

 シェインの言葉の意図を図りかねて、ラミアはちらりと視線を後ろの方へ向けた。だがシェインが見えるほどに顔を動かせぬので、その表情まではわからない。

「そこのドア番」

 ラミアを人質にとったままゆっくりと体の向きを回転させて部屋から出たシェインは、ラミアを衛兵と自分との間の盾にするように廊下を僅かに後退すると、衛兵に向かって声を投げた。

「剣を下ろして、俺の代わりに部屋に入ってもらおうか」

「何……」

「早くしてもらえるか。しばらくの幽閉生活で気が短くなっている」

 衛兵の視線が、問うようにラミアを向く。それに応えてラミアは頷いた。ともかくも今は、シェインの好きにさせるしかないだろう。衛兵が渋々とそれに従う。開け放したままのドアの内側に衛兵が入るのを見て、シェインの声がラミアに問うた。

「俺の代わりだからな。鍵を閉めてもらおう」

「……何の為にこんなことを」

 鍵束を取り出しながら、ラミアはそろそろと扉を閉めた。施錠しながら問うラミアに、シェインのせせら笑うような声が聞こえる。

「決まってるだろう?あいつを放置して仲間を呼ばれたら邪魔だからさ。さて。ロッドの場所にご案内いただこうか」

 歯軋りしながら、ラミアは進行方向を指差した。ゆっくりと歩き出しながら、屈辱を堪え、胸の内で呟く。

 脱出など、出来まい。自分がシェインの部屋に行ってから30分以上戻ってこない場合は、衛兵がやってくることになっている。魔法の使えない魔術師など相手ではない。

 あと、5分。

 ラミアの部屋に辿り着いた頃には、ラミアとシェインを探して血眼になった衛兵たちが、屋敷内を徘徊するだろう。











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