第3部第1章第3話 mens venatus(2)
沈黙して、揺れる液体の表面に映る自分を見つめる。ラミアが立ったまま、黙ってカップを口に運んだ。同じティポットから注がれたのだから、害はないだろう。大体何かする気なら、意識不明の間にとっくにやっている。そう判断をして、カップに口をつけた。
ラミアの言う通り、体は水分を要求していたようだ。
黙って茶を飲み干しながら、シェインは考えを巡らせた。
確認すべき点はいくつかある。
当然だが、まずは生かして拘束しているその目的だ。
次いで、現在地。
ラミアの行動が、誰の意志によるものなのか。それによって定まるだろうシェインを拘束している人員配置の規模。
シェインのロッドの行方。
最低限、これだけは押さえておかねば、脱出など計っても仕方がない。
「……俺の部下はどうした」
不意に気がついて尋ねる。ラミアは顔を横に振ると、短い返答で応じた。
「すまないな」
その一言で、スフォルツらがどうなったのかわかった。唇を噛みしめるシェインに、ラミアが視線をそむける。
ともかくも、用があるのはシェインだけなのだとわかった。ではなぜシェインなのか。
答えは恐らくその地位だろう。だが宮廷魔術師を拘束することに何の意味がある。戦力の減少?ならば殺してしまった方が早い。人質?何に対する?こう言っては何だが、宮廷魔術師など替えがきく。空きが出たら補充すれば良い。
やはり、良くわからない。殺されるならまだしも、生かされている理由がわからないのだ。捕虜と言えばそうなのだろうが、今ひとつ待遇がそうは見えない。
ではラミアを指示したのは誰なのか。十中八九レドリックだろうが、であればレドリックはウォルムスに戻ったのだろうか。帰城している?
(……)
そうだと仮定するならば、ヴィルデフラウは連合軍の手に落ちているに違いない。ギャヴァン戦と同じ理由だ。内側から連動する者がいれば、外からの攻略はたやすくなる。
「俺がいなくなって、戦況がどうなったかは教えてもらえないのか」
空のカップを弄びながら問うと、ラミアは苦笑するように頷いた。
「それは構わぬだろう」
「ウォルムスは、連合軍の手に落ちたんだな?」
シェインの言葉に、ラミアが目を見張った。
「良くわかるな」
正解だ。
ラミアの背後にいるのはレドリック、その手綱を引いているのはロドリスで多分間違いないだろう。
「……ロンバルトはおぬしの祖国ではないのか」
シェイン自身、愛国心と言うものがそれほど強いかと問われれば微妙なところだ。だが、ヴァルスにはユリアがおりキグナスがいる。ラウバルや、気に入らないながらも大臣たち。彼らは大事な同僚だ。レオノーラや故郷アンソールで触れ合った町人、グロダールやギャヴァン戦など直接間接関わらず共に窮地を乗り越えたシサーやニーナ、ギルド。尊敬し、愛する肉親。
『国家』と言うものに、強い思いがあるわけではない。だが、ヴァルスと言う国を作っているのがそれらひとりひとりであり、そこに築いた繋がりと言うものであればこそ、シェインはヴァルスを守らなければならない。ゆえにロンバルトの宮廷魔術師の行動は……そしてレドリックは、理解することが出来ない。
「祖国だな」
ラミアはあっさりと肯定した。
「だが仕方あるまい?主君の命だ」
「……妙なことを言う。おぬしの主はフェルナンド公だろう。フェルナンド公はウォルムスを死守する為に、先頭を切って連合軍と剣を交えておられたのではなかったか」
低いシェインの問いに答えるラミアの声も、低かった。
「いずこの国にもどの時代にも世代交代と言うものが存在する。そなたもこの世界に属しておればわかろう?次代を担う人間の懐には早く飛び込んでおくべきなのだ」
「だから恩あるフェルナンド公を裏切って、レドリック殿下に翻ったのか」
魔術師は比較的、権力欲などには疎い傾向にある。元来魔術そのものが学問であり、それを追究し操る魔術師は学者だ。研究者たる彼らの最大の関心は研究対象である魔術であり、それ以外に対する興味が極めて低い。
だが、そうしている間に自動的に集まってきた権力にふと目を向けてみると、意外とそれが便利なものであると気がつく。財力は快適なものであると認識を改める。そうしてラミアのように権力欲に取り付かれる魔術師は、大体ある一定の階級を越えてしまった者に現れる。
「綺麗ごとは、やめよう。我がロンバルトは第1王子であるレドリック殿下が治められる。私は次期君主に従ったまでのこと」
「現君主を捨ておいてか」
皮肉まじりの笑みで吐き出すシェインに、ラミアが笑った。
「いや、私の言い方が悪かったな。フェルナンド公は既に現国主ではない。……先代だ」
「何……」
目を見張るシェインの前で、ラミアは顔色を変えずに頷いた。
「フェルナンド陛下はラリベラにおける戦役で、尊い命を散らされた」
思わず拳を握る手に力がこもった。
「ヴァルス軍は」
「ルアン・ジンベルから動きを見せておらぬな。ロンバルト軍は単独で連合軍を相手取っての、苦しい戦いだったようだ」
何をしているのだ、と怒鳴りたい思いを飲み込む。要塞軍は合流したのだろうか。ヴァルス軍が移動を開始する前に、連合軍がロンバルト軍に仕掛けたのだろう。
「……では、ロンバルトは」
「陥落だ」
「……」
ヴァルスは正真正銘、孤立無援となった。
至急レオノーラに飛んで帰りたい。ラウバルと今後の戦略を練って立て直さねば。レガードはどうした。ユリアは。
胸に渦巻く焦燥を無理矢理飲み下しながら、歯を食いしばる。こんなところで、魔法を封じられて虜囚となっている自分が情けない。
「どちらにせよ、ロンバルトは勝てぬ」
黙ってシェインを見つめていたラミアが、再び口を開いた。
「ウォルムスの陥落は、所詮時間の問題だ。ならば無血開城が最も国民の命を垂れ流しにせずに済もう。……レドリック殿下はそう、お考えだ」
「そちらの方が、綺麗ごとに聞こえるな」
冷淡なシェインの指摘に、ラミアはふっと笑った。
「どう言われても構わぬが」
ラミアとて、その言葉を信用しているわけではあるまい。むきになって反論せぬのが良い証拠だ。
「フェルナンド公亡き後、レドリック殿下がロンバルト公となられる。……いずれはロドリスの後ろ盾を得て、アルトガーデンの主となろう」
「ほう」
やはりか。
ロドリスと通じた目的は、確かにそこにあるらしい。とすればレガードの暗殺を目論んだ大元は、『青の魔術師』の懐に自ら飛び込んだレドリックだろう。ロドリスからすれば、勢力拡大の為の良い手駒が自ら飛び込んできたようなものだ。
「そなたには、頼みがあるのだよ」
険しい表情で思考を巡らせるシェインに、不意にラミアが微笑みかけた。本題を投げて寄越す気になったらしい。
「……何だ」
「現アルトガーデンは、あちこちに亀裂が生じ始めている。ヴァルスの独裁政権から生まれた歪み――そうは思わぬか」
「……」
「政権交代にあたって各国が剣を掲げたのが、その証拠であろう?」
「……だとしたら何だ?」
『ヴァルスの独裁政権から生じた歪み』――認めたくはないが、一理あるかもしれない。
「今は、帝国を建て直す時期ではないかと思うのだよ」
「……」
「長い歴史の中で生まれた膿が、支柱が脆弱になったのを見て一気に吹き出した」
「それはユリアのことか?」
氷点下の冷気をはらんだヴァルスの宮廷魔術師の声に、ラミアが目を上げる。
「まだ若い娘、と言うただそれだけの判断では説得力に欠けるな」
「だが事実だ」
「間違えるな。ヴァルスの後継者がユリアであることがイコール弱体化ではない。物事を一定の秤にしかかけられぬ単細胞の視界にのみ、そう映っているだけのことだ」
言い切ったシェインに、ラミアが黙り込んだ。気を取り直したように口を開く。
「随分と買っておられるようだ」
「俺は無能は嫌いだ。世の中には石頭が多くて困る。ゆえに柔軟な人間への評価が一層上がる」
「共に、アルトガーデンの建て直しに力を尽くさぬか」
「……」
訝しげなシェインの視線に、ラミアは力を込めるように続けた。
「現在の、ヴァルスの独裁政権を崩して体制を立て直すには、一度ヴァルスは敗北せねばならぬ。高見まで上ったヴァルスの地位が落ちてこそ、列国と等しい立場となり、アルトガーデンは新たなる体制を布くことが出来るだろう。ヴァルスの敗北は必要悪だ。共に帝国を建て直さないか」
上った相手と並ぶ為に追いつこうと言うのではなく、相手を引きずり下ろそうとする辺りが浅ましい考えだ。
「レドリック殿下の元でか」
「そうだ」
「断る」
短いシェインの返答に、ラミアは尚も食い下がった。
「私はそなたのような人間と共にやってみたい。レドリック殿下に手を貸してはもらえぬだろうか」
「繰り返すが、断る」
にべもない返答に、ラミアがため息をついた。
「状況がわかっているのか」
「わかっていないように見えるか」
「見えるな。……そなたの選択肢は現在2つしかないのだ」
「ほう」
「我々に組みするか、ここで虜囚となるか」
「ではひとつ付け加えてやろうか。拷問の末の惨死、とな」
「そう言うな。私はそなたをそのような目にあわせたくない。考える時間をやろう」
ラミアの言葉に、シェインは笑った。それこそ、随分と買われたものだ。
「……では聞くが、『我々』とは誰のことだ?おぬしとレドリック殿下のふたりでは考えようにも話になるまいな」
「まさか」
「ロドリスか」
ラミアは、微かに優越を滲ませて目を細めた。
「だけではない。連合軍全てだ」
「連合軍全てが、ロドリスとレドリック殿下の結託と父王への裏切りを後押ししているのか。正気の沙汰とは思えぬな」
さすがにラミアが不愉快そうに眉を顰めた。
「大義の前に情は不要だ。親子と言えど志が違えば相対することも致し方あるまい」
「大義か」
「そうとも」
「……レガード殿下のことはどう考えている?同じくロンバルト王子だが」
ラミアの手が、シェインの空のカップを取り上げる。飲むか、と尋ねるような仕草に肯定の意を返した。くれると言うのだからいただいておこう。話の流れ如何ではもう口に出来ないかもしれない。
「レガード様は、ヴァルスに染まり過ぎている」
新たに差し出されたカップを受け取りながら、話に耳を傾ける。
「ロンバルト宮廷には、大きく言って2つの派閥がある。親ヴァルス派と反ヴァルス派だ」
ナタリアと同じだ。国家ぐるみで特定の国に迎合していれば、それに対する反感を持つ国民は必ず出る。レドリックの懐に潜り込んだ反ヴァルス派からすれば、レガードは祖国を捨てて大国におもねるようにも見えるだろう。それは理解出来る。
「レガード様が戴冠なされたのでは、ヴァルスの現状――アルトガーデンの現状に変化はあるまい」
「ではレドリック殿下はヴァルスはヴァルスとして、ご自分はあくまでロンバルト公王として帝冠を戴くと、こういうことで良いか」
いささか意地の悪い質問を投げかける。まさか芳醇の地であるヴァルスを放棄して、帝冠のみで満足するとは思えない。だが、今の建前を突き詰めればそういうことになる。
痛いところを突かれたのか、ラミアは顔を顰めた。
「レガード様がヴァルスにおられては、新体制の妨害になりかねぬ。レドリック様はヴァルス、ロンバルトを併合してアルトガーデンの主となり、ロドリスと協力して各国と足並みを揃えた帝国展開を志しておられる」
「では主のすげ替えが行われるだけで、結果はさして変わらぬな。いや、もっと悪くなるか。ロドリスが帝国に深く浸食していく。もはや拮抗する力を持ちうる国など、このローレシアの地からはなくなるわけだ」
目を伏せて皮肉な笑みを刻んだまま引かぬシェインに、ラミアは一度開きかけた口を閉じた。やれやれ、と言うように顔を緩く振る。
「まあ、今しばらく時間をやろう」
「……判断材料のひとつとして、確認をしておきたいのだが」
「答えられるものなら答えよう」
「俺が是とした場合、ロッドは返してもらえるのだろうな」
シェインの問いに、ラミアは表情を変えずに頷いた。
「すぐにでも返そう。但し、口先だけではないと判断が出来てからになるがな」
「そりゃあ仕方がない。その代わり、おぬしも魔術師ならばわかるだろうが、ロッドは俺にとっては大切なものだ。下手な衛兵に汚い手で触られては不愉快だな」
「安心しろ。他の者には触れさせぬゆえな。……この部屋からは、出られぬ。ゆっくりと考えるのだな」
話を打ち切るように言ってカップをテーブルに置いたラミアに、シェインも低い声で応じた。
「ああ……ゆっくり考えさせてもらうさ」
◆ ◇ ◆
体の痛みは、深夜になっても引く様子がなかった。動けないわけではないが、ラミアの言う通り五体満足で走り回ると言うわけにはいかないようだ。
(くそ……)
忌々しいリミッターを睨みつける。これさえなければこの程度の怪我、瞬く間に治癒すると言うのに。
他人の屋敷に身ひとつで幽閉されていて、することなどあろうはずもない。暇を持て余しベッドに転がってあちこちに考えを巡らせていたシェインは、体を起こしてベッドに腰掛けた。
どうやらラミアは、ろくな情報を持っていそうにない。恐らくレドリックがそもそも大したことを知らぬのだろう。
それは何を意味するのか。――ロドリスから、レドリックがいかに軽く扱われているかと言うことだ。
仮にも王族、それも、今後皇帝として推挙していこうと言うのなら、レドリックを含めて様々な協議を行い、行動方針を決めていくのが筋だろう。だがレドリックは恐らくは何も知らない。ロドリスからしてみれば、ヴァルス政権に食い込む駒に過ぎない。物事には流れと言うものがある。特にヴァルスほどの大国相手ならば尚更、仮に敗北せしめたとてロドリス国王がヴァルスで戴冠するわけにはいかないが、ヴァルス先王が正式に定めた後継者レガードを消してしまえば、その兄がそれを継ぐのは流れとしては悪くはない。レドリックはロンバルトの継承権も持っているのだから、二国まとめてレドリック支配下に置くことが出来る。後ろ盾としてロドリスがヴァルス政権に食い込んでいくのは、そう難しいことではないはずだ。
ロドリスの国力が及んだところで、傀儡の王は、消される。
(本気で気づいていないのだとすれば、愚かなことだな……)