第3部第1章第2話 魔術師の行方(2)
ファリマ・ドビトークは、元々魔物が多い。戦の余波で他の地さえ魔物が増えたりしているんであれば、尚更だ。
ロドリスの方から山に入るよりは若干ヘイリーの小屋まで行きやすいとは言え、こうも戦い詰めだと辟易してくる。
「ギャアアアッ!!」
シサーが駆け戻っていった後方から、断末魔の悲鳴が聞こえた。俺たちを追ってきていた魔物をシサーが片づけたんだろう。こっちはこっちでそれどころじゃない。
「……ボエブス!!」
先ほどキグナスが放った『風の刃』をくらって木の間から転げ落ちて来たプテラノドンみたいな魔物に、ニーナが『光の矢』を放つ。その間に脇の茂みから躍り出たウォーウルフに、俺は握ったままだった剣を一閃させた。
「ギャインッ」
「ギェェェッ」
複数の戦闘が交錯してかしましい。
プテラノドンをキグナスとニーナに任せてウォーウルフの喉を俺の剣が貫いていると、背後からどさっと言う音が聞こえた。振り返ると草木を縫ってシサーが現れるところで、その足下にはノールと言うゴブリン系の魔物が血を噴いて倒れていた。
「背後ががらあきだ」
「そんなあっちもこっちも構ってらんないよ」
ぼやく俺の声に被せて、枝ががさがさがさっと大きく揺れる音と小さな地鳴り。プテラノドンが片づいたようだ。
「まったくこんなトコ棲んでんなんてホント変わってんなぁ」
「道、間違えてないよね」
「間違えちゃねーだろ……っと、あとちょっとだ」
見上げる先にはほんの少しだけ、前に来たヘイリーの小屋が見え隠れしている。……良かった。これで迷ったりしてたらたまんないよ。
「ドワーフは魔物に襲われないわけ?」
歩き出しながら尋ねる傍ら、シサーが剣を払う。ドラゴンフライと言うトンボみたいな魔物が、それをくらって絶命した。
「んなこたねぇだろ。それならエルフだって襲われちゃおかしい」
「ドワーフと一緒にしないで」
「妖精族って点じゃ一緒だろが……」
「じゃあ良くこんなとこでのうのうと暮らしてられるなあ」
「人と違ってとろくねぇからな」
「……ドワーフってとろいんじゃないの」
「運動能力じゃなくて感覚の話だよ」
ごちゃごちゃ言いながら、道を上がっていく。時折魔法や剣が閃くながらも何とか小屋の前にまでたどり着いた時には、日が落ちかけていた。
「泊めて……は、くれねぇだろうなあ」
前回はしっかり追い出された。
呻くシサーの目の前で、不意に扉の方が勝手に開いた。家の中の光源を背に、陰を落としたビヤ樽が佇んでいる。
「約束を果たしに来たか」
「さーすが、ノック前にバレるとは」
「あれだけ山を騒がせておいて何を言っている」
相変わらずの、愛想のない物言いだ。
ヘイリーは目の前のシサーを見上げると、鼻息をひとつ鳴らして背中を向けた。
「入るなら入れ。中に魔物を入れるなよ」
「魔物とご相席はこっちだってごめんだ」
シサーがヘイリーに言い返すのを聞きながら家の中に足を踏み入れた俺は、半ば無意識に部屋の奥に目を向けた。
部屋の奥にかかるタペストリー。
(……)
その絵は、必然的にシンの記憶を蘇らせる。特に、キサド山脈の時の記憶を。
「財貨は見つかったか」
一応は歓迎してくれるつもりがあるらしい。ヘイリーは、テーブルの上にどんと酒瓶を置いた。……酒かよ。どこから手に入れてくるんだ、大体。
「ああ。……見つかった他の財宝については約束通り協力者に全部あげちまったが、構わないな?」
「構わん」
「これで、間違いないか」
ひとり椅子にかけたヘイリーの正面から、立ったままでシサーは腕輪を取り出した。『人魚の神殿』で手に入れた、対の腕輪。
ヘイリーはかけた椅子から身を乗り出して、シサーの差し出した腕輪を受け取った。無言で、それにしばらくの間視線を落とす。それを見るシサーも、何も言わなかった。急かすようなことはせず、ただ黙ってヘイリーの反応を待つ。
やがてヘイリーが嘆息するように、目を伏せた。
「……間違いない」
「あんたの探し物だな?」
「わしのだ」
知らず、小さな安堵の息が漏れた。これで違ったら目も当てられないもんなあ。探し直してる余裕なんかあるわけがない。
「俺たちは約束を果たしたぜ。……話してもらおう。黒衣の魔術師の、行方を」
真っ直ぐに問うシサーに、ヘイリーが視線を俯ける。手の中の腕輪しみじみと見つめながら、頷いた。
「良いだろう。わしの知る限りのことなら話してやる。……ともかく、座れ。そうも立ち並んでいては落ち着かぬ」
ヘイリーの言葉に従って、前回同様シサーとニーナがテーブルについた。椅子が足りないのも相変わらずだ。俺とキグナスはまたも、壁際ですとんと床に座り込んだ。ヘイリーが酒をグラスに注いで、シサーとニーナに押し出す。
「後ろのは、必要か」
俺とキグナスが無言で首を横に振ると、ヘイリーは「つき合いが悪い」と小さくぼやいた。……キグナスはともかく、俺はそんなに飲めない。大体未成年。今更と言えば今更だけど。
「今話したからと言って、今すぐ発つわけではなかろう。酒でも飲みながら、ゆっくり話してやろう」
「ほう?一夜の宿でも貸してくれんのか?」
「無論だ。恩ある者たちには礼をせねばならん。もてなしは出来ぬが場所の提供は出来よう」
へえー。
こりゃまた随分と態度が緩和したものだ。よほど腕輪が返ってきたのが嬉しいんだろうか。
「何から話したものか」
「……朝まではまだ時間があるな。せっかくだから順を追って話してもらおうか。あんたがあの魔術師と知り合ったわけから、奴の行き先――どうしてそれがあんたにわかるのかを」
腰を落ち着けることに決めたらしいシサーが、提案する。愛おしむように手の中の腕輪を撫でていたヘイリーは、やがて顔を上げると酒瓶に手を伸ばした。
「出会った経緯は大したことではない。奴にとってこの地が都合が良かった。わしはここに棲んでいた。それだけだ」
「偶然か」
「それ以上でも以下でもないな」
「あんたは何でこんなとこに棲んでんだ?」
指先で自分のグラスを弾き、シサーが問う。ヘイリーは静かに顔を横に振った。
「聞いても詮のない話だ。わしは人とこれ以上かかわり合いたくなかった。『魔の山』ほどに適した場所はあるまい」
「そいつぁ悪かったな。関わっちまって」
軽く苦笑するシサーに、ヘイリーは真顔で否定した。
「避けたとて、関わるものは関わる。神に定められたことは避けられまい。こうして関わってしまったのは神の導きだ。わしが黒衣の魔術師を知っているのも、おぬしらがここへ迷い込み、わしの腕輪を見つけだしてくるのも」
何か神がかったこと言うなーと思って、思い出した。ナタが言ってたっけ。ダイナのドワーフは信仰が深いって。
「じゃあ、黒衣の魔術師にとっては何が都合いーんだ?この……魔の地が」
シサーの言葉にヘイリーはちらりと目線をあげた。そのまま短く答えた。
「召喚じゃな」
「……召喚」
魔法陣が組まれていたことを思い出す。そう、あいつは確かに何かの召喚を試みていた。失敗、したんだろうけど。
「この地には魔物の通り道があると言われている。悪しきものを呼び寄せるには磁場が良いと言うことだ。実際、バルザックがちょっと餌を撒いただけで、あっと言う間にこの山に集う魔物は増殖した」
「餌?」
「瘴気と言うな」
ああ……つまりバルザックがここでの磁場をより高めるために、瘴気を上げるような呪術だか召喚だか何だかを施したわけだ。したらそれをきっかけに勝手に魔物が集まり、瘴気が高まり、それでまた魔物が集まり、瘴気が高まって……自動的に本物の魔の山へと進化していった。
「だが、奴が召喚したい魔物を呼び寄せるにはまだ足りない」
「……」
「奴の力不足なのか、磁場がまだ完全に整っていないのか、あるいは」
「……封じられているか、ね」
ニーナが低く後を引き取る。ヘイリーが頷いた。
「いずれかは、わしにはわからん。だが奴はここの磁場を寄り強力に整える為に、呼び寄せたい魔物に最も適した取り込む瘴気を求めて移動した」
それが、バルザックの居場所……。
「どこだ」
シサーの問いに、ヘイリーが正面から見返す。短い沈黙を守り、やがて、答えた。
「黒衣の魔術師の行き先は、黒竜の島――ヘルザードだ」
◆ ◇ ◆
――あの魔術師のロッドについている黒石が何かは、知っているか?
(ヘルザードか……)
宿を借りたヘイリーの小屋は寝静まっている。小さな小屋だから本当に場所を借りただけって感じで……ヘイリーが奥のタペストリーのある部屋に引っ込むと、俺たちは出入り口からすぐの、さっきまで話をしていたその場所でそれぞれ寝袋にくるまった。
――わしと奴が最初に会ったのは……そうさな、10年ほどか。わしはその頃既にここに住んでいた。
――……ヴァイン?ああ、あったな。人間たちの暮らす陰気な集落がな。だがあの村の人間もわし同様、他者との関わりを避けて暮らしていた。わしの存在には気づいてもおらんかったろう。
ヘイリーの話に寄れば、10年前にはまだヴァインは集落として存在していた。けれどバルザックがあの魔法陣の場所で召喚にあたっての儀式を行うようになって魔物が集まるようになり、ヴァインが全滅するまでに要した期間は3年……ヴァインの全滅は、7年前だ。
――奴は、召喚師だな?召喚師は契約を取り付けた相手の強さや数で己の強さを計る。そして悪しき者が力を欲するのは世の常だ。奴は恐らく強力な召喚獣を欲していた。そして目をつけたのが……。
(黒竜グロダール……)
魔物の中で上級に位置するドラゴン、その中で更に覇種と呼ばれるエレメンタル・ドラゴンの内、最も強力で凶暴とされる、火竜。
――黒竜の支配を望んだ奴はヘルザードへ行った。どのようにしてかは知らぬが、奴は黒竜を導いて人の街を襲わせた。……ヴァルスの港街ギャヴァンだ。それに何の意味があったかも、わしは知らぬ。
その理由ならこちらが多分知っている。……ラウバルだ。
――そしてグロダールは人間の前に力つきた。それが奴の狙い通りだったのか、予定外だったのかもわしにはわからん。黒竜を支配するのに黒竜がいなくなってしまっては話にならんからな。だが奴がここで召喚の儀式を行うようになったのは、それ以降のことだ。……奴は黒竜を幻惑させて手に入れた竜珠を手にしていた。それが、奴のロッドに装備されている黒石だ。
バルザックの持っていたロッドについている禍々しい黒石を思い出す。人の頭くらいありそうな大きな石だ。ドラゴンの持ち物にしちゃちっちゃいような気もするんだけど……そんなもんなのかなあ。そりゃまあその石を使って何するわけじゃないんだろうから、いーんだけど。別に。
――奴いわく、黒竜の竜珠はこの先の召喚に必要なのだと言っていた。正確に伝えよう。『黒竜は黒竜でなくなり、真の覇者とならん。最強種の魔物として蘇った黒竜は竜珠の導きで我が手に落ちるだろう』
この、バルザックの言葉の意味がわからない。『黒竜は黒竜でなくなり』?どういうことなんだろう。いずれにしても、グロダールは死んだわけだし……。
……でも、話の流れからすると、バルザックのその言葉はグロダールが死んだ後のものだ。変だな。まるでグロダールが生きている、あるいは何らかの形で蘇るみたいじゃな……。
(――!?)
思わず跳ね起きた。行き当たった考えに、背筋が戦慄した。
死んだ黒竜グロダールを最強の召喚獣として支配下に置くつもりだとしたら……?
この世界には、ネクロマンサーと言う魔術師が存在するんじゃないか。
シェイド――アンデッドとの合成獣であると思われるグレンフォードには魔剣あるいは魔法しか通用しない。風の砂漠で遭遇した骸骨戦士は逆だったから一概にそうとは言えないけど、生前にはない何らかの特性が付与される可能性はある。だとしたらアンデッドとして蘇る黒竜は、恐らく間違いなく、最強だ。
バルザックがそういう手法を身につけているのか、そういった仲間がいるのかはわからない。だけど蘇らせることを前提としていたのだとすれば、バルザックの言動に納得が……。
(いや、待てよ……)
バルザックがネクロマンサーとしての能力があるんだかないんだかわかんないが、いずれにしてもファリマ・ドビトークで行っていたのは『召喚』の儀式なんだよな?召喚ってのはアンデッド・モンスター化してないただの死体にも出来るもんなのか?それともそれがネクロマンサーのやり方?……いや、違う。
――全然……別もん……
召喚師とネクロマンサーは全くの別物だと、キグナスが言っていた。であれば、バルザックが行っていたのはあくまでも『召喚』だと考えて良いんだろう。……それは、何を、示している?
……ぞっとした。
俺の考えが正しければ、グロダールは、どこかにいるんだ。既にネクロマンサーの手を、通り過ぎて。
だけどエレメンタル・ドラゴンは下級魔物じゃない。契約がなければ支配下には置けないし、そうそう召喚にも応じない。だからバルザックは磁場が最初から整った『魔の山』を選んだ。けれど黒竜の竜珠と言うアイテムを使って尚、黒竜はバルザックの召喚に応じない。だからバルザックはヘルザードへ渡った。黒竜が棲んでいたその島で、竜珠に黒竜自身の気を取り込むために。
(でも……じゃあ……)
ロドリスと手を組んだのは、何の為だったんだ?ロドリスが黒竜の何かを知ってる?まさか。グロダールはギャヴァンで果てたんだ。それならヴァルスの方がよっぽど何かを知っていそうってもんだし、大体ラウバルを狙うのと何の関係があるって言うんだ?
それに、黒竜グロダールがアンデッドとして復活しているのなら、どうしてどこにも姿を現さない?どこに、いるんだ?
(ヴァルスの方が、何か知ってる……?)
知って、るのか……?もしかして。
――砂化した、んじゃねぇかな……
シサーでさえ、グロダールの死体がどうなったのか良くわかっていない。と言うことはきっと戦いの混乱の後、グロダールの死体は、そこで埋葬されたとか腐敗していったとかじゃないんだ。
何だろう……。
――奴のロッドに竜珠を仕込んでやったのは、わしだ。
どちらにしたって、今ギャヴァン沖を船が航行出来ないと言うことはヘルザードに渡ることは出来ない。シャインカルクの指示を仰ぐことになる。
レオノーラで、何かわかることが、あるのかもしれない。
いや。
……吐かせてやる。