第3部第1章第2話 魔術師の行方(1)
「すーげーぇ」
見上げる空は雲ひとつないコバルトブルー。それを背景に天へ向かってそびえ立つ尖塔は白く、目映いばかりの荘厳さがあった。
ヴェルヌのシンボルとも言える建造物――教皇庁。
ハーヴェル卿に送り出されて翌日、俺たちはヴェルヌの街へ出ていた。
のんびりしているわけにはいかない、早くヘイリーに腕輪を届けなきゃならない。
わかってはいる。だけどせっかく教皇庁なんてインパクトのある名所があるんだから、見ときたい。
そうごねる俺とキグナスに無理矢理つき合わされているシサーが、髪をくしゃくしゃしながら眩しそうに目を細めた。
「どうせだから、中も行ってみるか?」
「行く行くー」
何だかんだ言ってシサーもつき合いが良い。その提案に、キグナスが元気良く返事を返す。
「中とか入れるんだ」
「一般公開してるトコだけな。……あ、おい、キグナス。はぐれんなよッ」
「おーうッ」
答えながら、キグナスの小柄な背中が人混みに埋もれていった。
さすがエルファーラ一の大都市は、人が多い。いちいち歴史のありそうな建物が立ち並ぶ通りには、巡礼の聖職者や敬虔な一般人って感じの人たちで溢れ返っている。他の集落とは違って店なんかも多く、賑わっている感じだ。
ヴォルテルラ公爵家からは、教皇庁まで遠くない。続く道を歩きながら見上げる建物は、さすが立派。
(カメラ欲しいなー)
そんな、久しく忘れていた真っ当な感覚に浸りつつ人混みを縫う。
教皇庁の本体は、ベージュっぽい大きな石を組み上げたどっしりした感じの造りになっている。幾つかある尖塔が白く塗られた煉瓦造りで……いや、そもそもそういう石なんだろうか。わからないがやけに綺麗。
一般公開されていると言う方の建物は両開きの大きな扉が開け放され、出入り口のところではシスターらしき人が2人出迎えていた。ぞろぞろと並ぶ巡礼者や、多分俺たちみたいな単なる見物の人の列に混じってみる。少し前の方で、キグナスの白金の髪がふわふわと揺れるのが見えた。あー、あんなとこまで行っちゃってるよ……。
何だかこういう『観光してます』的な雰囲気ってのは久しく感じることがなく……そりゃあ魔物と戦ったり国に追われたりダンジョンを彷徨ったりしていれば、どんな場所に行ったところで「へえ〜」などとのどかに見て回れるわけもない。やっぱ、この国に魔物が出ないってことと、あまりに教皇庁が荘厳な感じがするせいだろう。いや、周囲につられているのもあるかもしれないな。
「中には何があるの」
「礼拝堂だよ。礼拝堂に続く通路には、宗教画やそれにまつわる道具なんかの展示もしてあんな」
「大してあるわけじゃないけどね」
ふうーん。美術館みたいなもん?
いや、違うか。日本でもリアルに運営してるお寺とか行って、展示品とかあるもんな。そーいう感じか?またも京都の寺とか思い出しながら、人の列に従ってゆっくりと中に入っていく。
別にアトラクション待ちとかってわけじゃないから人の流れは早く、わりとすんなり大聖堂の建物に足を踏み入れる。煌々と射していた陽を石の建造物が遮って、不意に少し暗くなった。とは言っても、結構明るいは明るい。出入り口からすぐは小さなロビーのようになっていて、見上げた天井は数十メートル、かなり高い。その天井がドーム状になっていて、くり貫かれた模様から光が注いできている。
ロビーはすぐに途切れ、扉の正面から続く真っ直ぐな通路は天井ががくんと低くなっていた。って言ったって20数メートルはありそうだし横幅も広い。5メートルやそこら、あるだろう。
中に入った人々は、進行方向が二手に分かれているみたいだ。通路を歩いていく人たちと、少し先の右手に折れる人。階段もあるけれど、そっちに足を向ける人はとりあえずはいない。
「あっちに行く人たちは何?」
「今から礼拝でも始まんだろう。あっちは礼拝堂だ」
あ、なるほど。じゃあ本物の巡礼者って奴か。中は見るだけ見たいけど、ありがたいお話とかは聞きたくない、別に。
そんな不信心なことを考えながら通路の先に視線を向けると、真っ直ぐ続く通路は左右の壁に絵がずーっとかけられているみたいだった。それを見てみようと足を向けると、礼拝堂の入り口からひょこんとキグナスが顔を出した。
「何だ、中、行ってきたのか」
「うん。凄ぇ。やっぱりエルファーラの聖堂は格が違うなあ」
俺の視線に気づいたキグナスは、感動したような顔で言いながらこっちに向かって歩いてきた。
そう言えばダンジョンで、キグナスが意外とちゃんとファーラ教の知識を持ってるとかって言ってたっけ。だとすれば、いわば本物を目にして俺にはわからない感動があるのかもしれな……。
「でけぇー。すーげぇ、広ぇー」
……そこ?感動のポイント。
俺にも出来そうな感動のレベルだ。
「こっちはずっと絵か?」
「そうみたい。……あ、奥の方のあれは何か物が展示されてんね」
突き当たりの角には、彫像らしきものも見える。あれは展示してるわけじゃないか。察するにファーラ像だろう、多分。ある意味見飽きている。どこまでも不信心。
とりあえず順番に見ていくことにして、俺は左側の壁に掛けられている絵に顔を向けた。100×70くらいの大きさで、説明書きなどは一切ない。尤もあったところで、俺の知る限られた単語でどの程度わかるかはかなり怪しい。
「……何だか、嫌な絵だね」
ぽつっと呟く。前にもここに来ているだろうシサーとニーナはどこかに行ってしまったらしく、キグナスだけが俺の言葉に答えた。
「ああ……」
描かれているのは、噴火口だろうか。そして、そこから舞い上がる……黒い、竜。
眉根を寄せて次の絵に進むと、黒竜はどこかの街の上空に現れていた。
「……」
「……」
沈黙して次々と絵を見ていく。これって……。
「ドラゴン退治を描いてる……」
描かれている場面は1枚ごとに変わり、街を襲ったドラゴンから人々が逃げまどう様子、決起する姿、戦う場面などだ。黒竜が終わるとそれは今度は水竜、風竜、地竜……。
「……キグナス」
その絵の中に、気になるものがあった。一箇所の絵の前で足を止めて目を定めたまま、隣のキグナスに呼びかける。
「人々がドラゴンに戦いを挑む前にさ……」
「うん」
「必ずあるこういう絵って……何だと思う……?」
ドラゴンとの戦い方は、それぞれだ。軍隊が押し寄せているものもあれば、冒険者らしきごく僅かなパーティが立ち向かっているものもある。けれど、そういった戦いの絵の前に必ず、戦いに赴く人が……何か、人じゃないものと対面している場面が挟まれていた。
対面する相手も、戦い方と同じで様々なんだけど……。
黒竜の前には、カバ……いや、カバじゃないか。何か良くわからない、他の動物とごちゃまぜになった巨大なカバみたいな生き物。
水竜の前には、白いふさふさとした犬っぽい……いや、狼。それも、かなり巨大な。
風竜の前には人っぽい形をした、だけど、そう……寺とかの入り口にある風神とか雷神とかああいうごっつい顔をした赤い巨人。
そして地竜の前にはイカ?これまたでかい。しかもイカにしちゃあちと足が多くないか?
変だよな。ドラゴンと戦うはずなのに、必ず間に何か違うものと会っている。それも、戦闘してるとかって雰囲気じゃない。
そしてドラゴンを倒した暁には、必ずファーラ神らしき女神と、その、戦う前に人々が対面していた何かがファーラの前に跪いている。それが、ひとつのドラゴンについての一連の絵の締めになっているみたいだ。例外なく。
「意味は、あんだろけどな」
キグナスがぼそっと言うのと同時に、先ほどの礼拝堂の扉が閉められた。礼拝が始まるらしい。気がついてみれば通路はいやに静かで、人の姿はかなり減っていた。みんな礼拝堂の中に入ってしまったんだろう。後には礼拝に参加しない何人かが、俺らと同じように通路の絵を眺めている。
「聖書の中にはないの?」
「ない。……少なくとも、俺は知らねぇ」
聖書の中にない場面が描かれている……?
「『失われた聖書』に含まれる部分なのかな」
「どうだろな。ハーヴェル卿は『使い』について書かれた部分が削除されたっておっしゃってたけど、もしかするとそれだけでもないのかもしんねぇし」
「……」
「だって、ねぇんだからわかんねぇじゃん」
歩を進めて次の絵……氷の大地に浮かび上がるドラゴン――氷竜シリーズの絵を眺めていた俺は、やはりこれまでと同じようにドラゴンと人々が戦う場面の前の絵……何か、空気をイメージしているような……いや、風かな?風をイメージしたものに目鼻がついたみたいなものを人々が対面している絵を通り過ぎ、次の絵に目を向けて凍りついた。
「氷竜かー」
「……」
「絵を見てるだけで寒ぃなぁ……」
俺の様子に気づいた様子もなく、キグナスはぼそっと言いながら足を進めた。それに答えずに、俺は凍りついたまま半ば無意識に自分の耳に手をあてる。
指に触れる、重み。シェインのくれたピアス。
(……どういうことだ?)
氷雪吹きすさぶ氷竜との戦闘シーン。剣を片手に躍り上がる男の、その耳に光るのは、赤い石と金色のプレートのピアス。
良く見なけりゃわかる大きさじゃない。だけど、『火系攻撃』から俺を守ってくれているのが多分このピアスだと気づいてから、ずっと気になっている。多分そのせいで、気がついたんだろう。キグナスは全く気がつかずにいるくらいなんだから。
そりゃあ、大して凄い特徴的なデザイン、とは言えない。別にどこにでもありそうと言えばありそうで、深く気にしなきゃ気になることでもないのかもしれないけど。
……でも、やっぱり。
(気持ち悪いな、何か)
たまたま、と言うことはあるだろう。繰り返すが大したデザインじゃない。金属のプレートには何か文字のようなものが刻まれていたような気がするが、俺自身はこのピアスを大してしみじみ見た覚えはないし、絵の中のピアスは小さすぎてそんなところまで見えない。いや、むしろ描かれていない。
だから、何てことはないはずだ。
ないはず、なんだけど。
……すっげー嫌だ。
何かすっげー……嫌だ。
何が嫌って、俺のつけているものとそっくりのピアスをしている奴が『ドラゴンと戦っている』のが、もの凄く嫌だ。そういう不吉なことは是非ともやめていただきたい。俺はドラゴンなんかとは絶対に戦わないぞ。こっちの世界に来た時にもうそう決めてるんだからな……死んじゃうじゃないか。
あ、でもそう……大体、みんな今休眠期だよな。黒竜――火竜はもういないし、あとはみんな寝ちゃってるはずで……。
「氷竜は活動期が近いらしいなあ」
……キグナス。
「そうなの?」
「んー?いや、俺は良く知らねえけどー。ほら、いつだか……ロナードか。ヴァルスとモナのギャヴァン戦が決着ついたとかって号外、出てたろ?」
「ああ……うん」
俺がキグナスにパシらされたあれか。
通路を歩き出しながら、頷く。キグナスもそれに倣いながら、続けた。
「あん中にさ、ツェンカーの代表がどうとかこうとかってあったの、覚えてるか?」
「う、うーん」
うろ覚え。
「あったんだよ。そん中にちらっとそんなようなことが書いてあったみてぇだ。代表者選を決定したのは、氷竜トラファルガーの目覚めが近いことが大きな原因だろうって」
「ふうん?」
ドラゴンと代表者選がどうしたら関係あるんだか、良くわからない。でもまあいいや、そんなことはどうでも。誰が代表だとか落ちたとか俺に関係があるわけじゃないし、わかるわけもないし。
そんなことより大事なのは、氷竜の目覚めが近いらしいってとこだ。嫌だな、寄りによって絵とマッチしてる。黙って寝とけよ。
まあでもこのピアスが何か関係あるとか決まったわけじゃないし、大体俺、氷竜なんかと縁はないし。
「……フレザイルだよね」
「は?」
「トラファルガー」
「ああ。そう」
「ドラゴンは自分の棲み処を大きく離れては活動しないんだよね」
「らしいな」
なら、平気だ。
俺はフレザイルなんかに行くわけじゃない。行くわけがない。断固として用事なんかない。行かない。ああ良かった。
「カズキー。上の資料室にも行ってみようぜー」
「んー」
答えながら俺はもう一度、氷竜と戦う場面にちらりと目を向けた。
(氷竜トラファルガー……)
「カーズキー」
「今行くー」
何となく、その絵を目に焼き付けて、俺は階段に足をかけているキグナスの方へ、足を向けた。
◆ ◇ ◆
ハーヴェル卿が馬を貸してくれて、エルファーラからファリマ・ドビトークまでが10日。そばの小さな集落に馬を預けて『魔の山』に分け入ること3日……。
「しつっこいわねえーッ」
前を駆けるニーナの吐き出す声が流れてくる。時折伸びている木の枝から腕で顔を庇いながら駆ける俺も、ちらりと振り返って小さく吐息。
「やっつけちゃった方が早いんじゃない」
「同感だ、お前ら先行っとけ。すぐ追いつく」
舌打ちしながら、シサーが剣を構えて戻っていった。その言葉を信じて、構わず走る。相変わらずあんまり具合の宜しくないキグナスが不意に、魔法を前に向けて発動させた。