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その日、ラウバルの元にはいくつかの凶報が訪れていた。
「失礼します、ラウバル様」
このところ、ようやくユリアはラフトシュタインとフォルトに付き添われながら、実務に取り組み始めている。それを見守り、時には意見やアドバイスを与えながら自分の仕事を行うラウバルには、息をつく暇もない。
ようやく自分の執務室に戻り、決済を控えた山積みの書類から目を逸らしたくなる思いを飲み込みながら執務机に向かいかけた途端、来訪者があった。
「入れ」
入室してきたのは近衛警備隊第1班隊長だ。構わず椅子に腰を下ろしたラウバルは、ちらりと目を向けて書類に手を伸ばした。
「どうした」
「は。門兵のところにいささか怪しい男が参りまして」
「怪しい男?」
気のない返事をしながら、書類をめくる。警備隊長は、やや決まり悪そうに頭を下げた。
「ご報告するほどではないかとも思いましたが、その……シェイン様のお名前を挙げられましたので」
「シェインの?」
眉を顰めて、体ごとそちらに向ける。ラウバルが報告に興味を持ったことに気づいて、警備隊長は続けた。
「『本来シェイン様にお届けするはずのものがある。もしシェイン様がお留守の時には、宰相ラウバル様にお渡しするよう伝言を受けている』と」
「……?」
シェインに渡すはずのものとは何だろう。
大体、何者なのだろう。
「何だ?それは」
「書簡、と申しております。こちらがお渡しすると言っても、頑として直接でないとお渡しが出来ないと申しまして、しかも……」
その書簡が全てではない、と男が言うのだと言う。
続きは、男の頭の中に入っているのだと。
その言葉に、ラウバルは弾かれたように立ち上がった。
「――!! 通せ」
シェインの放っている間諜からの情報だ。
途中で盗まれたりすることを恐れ、全ての情報を書簡に記してはいないのだろう。肝心の情報は恐らく、その男の口から語られるはずだ。
「は、はい。かしこまりました」
警備隊長が慌てて出て行くと、しばらくして彼に連れられたみすぼらしい男が入ってきた。どろりとした目付き、興味なさげにラウバルを見据える。警備隊長が退室すると、男はぼそりと口を開いた。
「……ラウバル卿で宜しいか」
「そうだ」
品定めするように男はラウバルを見つめ、それから書簡を手渡した。受け取ったラウバルに、開けるように促す。それを受けて、ラウバルは書簡を紐解いた。
書かれている内容は、ロドリス軍の動きについてだ。ロドリスに放っている間諜からの情報らしい。指揮官、ルート、装備などについて詳細が書かれてはいるが、それはある程度こちらで掴んでいる情報でもある。
「……以下は、報酬と引き換えに」
ラウバルが目を通し終えたことを読んで、男が口を開いた。
「いくらだ」
「8千ギルと」
小さく息を吐いて、ラウバルは金庫へ足を向けた。無論国庫ではない。ラウバルの私産である。
その袋を手渡すと、男は低い声でぼそぼそと続けた。その内容を聞くに従い、ラウバルの顔色が変わっていく。目を見開き言葉を失うラウバルの前で、男は用が済むと静かに出て行った。取り残された執務室で、愕然としたまま、男の姿の消えた扉を見つめる。
男の言葉は、そのまま信じるとすれば恐ろしく深い情報を提供していた。生半可な地位の人間が得られる情報とは考えにくかった。
(レドリック殿が……)
ウォルムスへ帰還……。
もちろんそれを促したのは、ロドリスだ。これで、ロンバルトは押さえられたも同然だろう。
(しまった……)
手を、打っておくべきだった。
焦燥に駆られるラウバルの前で、今し方閉まったばかりの扉が再びノックされた。掠れた声で応じると、訪れたのは外務大臣ハイランドだった。こちらも硬い顔をしている。
「朗報では、なさそうだな」
「おっしゃるラウバル殿も、いささか顔色が良くないようです」
「……聞かせてくれ」
促すラウバルに、ハイランドは小さな吐息をついて口を開いた。
「2点、ございます。1点は、リトリアが動きを開始致しました」
さすがのラウバルも、思わず舌打ちが漏れた。このタイミングか。
「どう動いた」
「今のところ、まだ正確な目的地はわかりません。とりあえずは、西の方角へ向かっているようですが」
西……?
「そうか」
ついにリトリアが動いた。レドリックの戻ったロンバルトしか味方をつけていないヴァルスとしては、かなり苦戦するだろう。
「もう1点は」
聞きたくないと耳を塞ぐわけにもいくまい。
更に促すと、ハイランドは一層表情を硬くした。どうやら凶報は、こちらが本題のようだ。
「……シェイン殿が、行方不明です」
「何!?」
だが、予想だにしない言葉に、ラウバルはまたも大声を上げて立ち上がっていた。かけていた椅子が、盛大な音を立てて床に転がる。ハイランドが静かに続けた。
「ラルド要塞からの報告です。同行していた者が全て行方不明の為、詳細は不明とのこと。わかっている状況としては、ロンバルトの宮廷魔術師以下数名が合流、連合軍の別動隊が妙な動きを見せているゆえ、要塞軍にはそちらへの対応を願いたいと申し出、ルートの確認に向かった先から行方が知れぬそうです」
レガードが見つかったと思ったら、そちらか。
つくづくロドリスはやることが汚い。
歯噛みしながら、ラウバルは執務机に強く握り拳を押し付けた。
ロドリスの示唆による、レドリックの帰還。
ロドリスを後ろ盾につけたレドリックが帰還した理由は、恐らくウォルムス陥落の為だろう。
どの王城にも王家専用の脱出用通路がある。王族とは得てしてそういうものだ。危険を回避する為に、国民を置いて真っ先に外へと脱出する為である。
だがそれは、外部と繋がっている通路に他ならない。
通常であればそれを使って内部に入ることは不可能ではあるが、内部にレドリックがいれば可能である。そこから連合軍の別動隊とやらを招じ入れ、ヴィルデフラウの混乱に乗じて今後レドリックの戴冠に邪魔になりそうな人物は一掃してしまえば良い。そしてヴィルデフラウの占拠を理由に、ウォルムスは正面からノックしてくる連合軍に無血開城だ。連合軍にとってのウォルムス陥落は、容易いものとなる。
そして、先ほどの間諜の言によれば、レドリックの帰還にはもうひとつ理由がある。
ヴァルス陣営の主要人物の、拘束である。レドリックからその使命を賜ったのが、恐らくは宮廷魔術師――ラミアだったのだろう。
ロンバルトはヴァルスにとっては、盟友だ。現在ロドリスら連合国軍には到底近付けない人物にも、ロンバルトの人間であれば近付くことが出来る。
ヴァルスの中心人物の叛心を唆し、成功すればヴァルスは内側から瓦解していく。そこを外から一気に叩けば、壊滅だ。
シェインが、ユリアのいるヴァルスを裏切るとは微塵も思わない。
だが、次にシェインに待っているのは、死だ。
ロドリスは、こちらがレドリックとロドリスの癒着に気づいているとはまだ知らぬだろう。だとすれば、ロンバルトの裏切りを知る主要人物を生かしておくわけがない。
確かにシェインは、魔術師としては優れているだろう。しかし、そのシェインを雲隠れさせたのだ。必ずシェインが生きて帰ってくるなどと、どうして言えよう。
(――――――くそッ……)
道が、塞がっていく。
次第に、手詰まりになっていくような気がする。
血が滲むほどきつく唇を深く噛み締めたラウバルは、ハイランドに向けて掠れた声を押し出した。
「ハイランド殿」
「はい」
「ユリア様には、シェインの件は内密に」
「……わかりました」
苦く頷くハイランドの声を耳にしながら、ラウバルは胸のうちで切実な祈りを捧げた。
(頼む……)
シェイン。
――――――無事であってくれ……。
帝国統一暦1529年風の月第1週
――――――――ウォルムス陥落
QUEST 第2部 砕けた心
第2章 冒険者たち