第2部第2章第27話 代償(2)
先日来た時と同じように、階段は生い茂った木々に空を覆われている。月明かりさえ隠して足元に陰を落とし、階段の段差もおぼつかない。
良くこんな中、あんなに快調に駆け上がって行くよな……。
半ば呆れた気分で、既に影とさえ認識出来ないゲイトを見遣る。いや、見えないんだけど、いるはずの方向。
「……まったく」
階段を上りきった頃には、だいぶシサーたちを引き離してしまったみたいだ。この辺で一度待ってた方が良いんじゃないかな……。
「?」
シンがふと、何かに気づいたように足を止めた。構わずに俺は、既に神殿まで辿り着いてその入り口からこちらを振り返っているゲイトに足を向ける。
「ゲイト」
「早く早く♪」
聞けよ。
俺の制止も構わずに、ゲイトはするりと神殿の中に姿を消した。仕方がないので俺も、その後を追って中に入る。
神殿の中は真っ暗だった。僅かに月明かりが埃っぽい内部を照らしている。ゲイトは夜目が効くから良いかもしれないけれど、普通の人間である俺にはこんな暗闇、良く見えない。
「ゲイト。シサーたちが追いつくのを待っ……」
ゲイトの姿を探して目を凝らしながら、奥へと足を進める。祭壇の付近まで辿り着いた時、不意に全身を何かが貫くような感覚が俺を襲った。――まるで、全身が総毛立つような。
(――!?)
「うわッ!?」
少し離れた位置にいたゲイトが、声を上げて地面を蹴るのがわかる。何かを避けるような動き、僅かに外から射す月明かりに何かが中できらりと反射した。
「ゲイトッ!?」
咄嗟に剣を抜き放った俺の叫びに、ゲイトの返事はない。代わりに中から、聞き覚えのある声が響いた。
「……正解でしたね」
何……!?
「お待ちしておりましたよ。――レガードさん」
背筋をぞくりとした感覚が突き抜ける。闇の中に更に濃い影を落とす長身、乱れた長髪、丸眼鏡の奥の琥珀色の瞳……グレンフォード!!
「ゲイトッ」
抜き放った剣を構えながら怒鳴る。闇の中から答えはなかった。……ゲイトッ!?
「……あんた、魔物じゃないのか」
くそッ……ゲイトさえこいつがいたことに気がつかなかったなんて、何て奴だッ……。
シサー……頼む、早く来てくれッ……。
剣を構えながら、後退する。ゲイトの姿を探したいが、一瞬でも目を離した隙に襲われそうだ。視線をそらす余裕がない。
背後の神殿の出口が、遙か遠いもののように思えた。
「私ですか?」
慣れて来た目が、ようやく少しずつグレンフォードの姿を俺に認識させる。細部はもちろん見えないが、あの時と同じように2本のセイバーを構えているのは見えた。
「なぜです?」
「神殿には、入れないんじゃないのかよ……」
困惑するような沈黙が返った。やがて密やかな答えが返る。
「……誰が、そんなことを?」
「俺の勝手な、予想だけどね……」
答えながらじりじりと下がる。俺の動きはわかっているだろうに、阻止しようと言う素振りを見せないのが余裕を感じさせて、却って焦らされた。
「ネクロマンサー、ってのは、知ってるんだろ……」
「……」
「トートコーストからローレシアまで、何しに来たんだ?」
勝てる、わけはない。
時間稼ぎの意味も含めて言葉を紡ぐ俺の構えた剣の切っ先は、真っ直ぐにグレンフォードに向けられている。……しまったな。効果のない剣よりは、魔法石を構えた方が良かったかもしれない。けれど僅かな動きさえ刺激しそうで、今更手が出せない。向けられる剣にいささかも怯んだ様子を見せずに、グレンフォードは笑いを含んだ返答をした。
「あなたもなかなか失礼な方ですねぇ」
「……そうかな」
「そうですとも。……真実なら一層傷つくとは思いませんか」
(――え!?)
真実!?
驚いて言葉のない俺に、グレンフォードの姿がぶれる。やばい、と思った刹那、予想外の方向にグレンフォードはセイバーを一閃させた。
キン!!……カシャーンッ。
軽い金属音と着地するような足音、舌打ち。
「ちぃッ……」
「ゲイトッ!!」
「ギャヴァンの盗賊ギルドですか」
どうやら今まで身を潜めていたゲイトが何か仕掛けたらしい。俺に答えなかったのは、声から居場所を察知される恐れがあったからだろう。弾き返した姿勢のままで低く応じるグレンフォードに答える声は、またもなかった。
「邪魔ですねぇ……」
やれやれ、と言うように何気なく呟きながらグレンフォードが辺りを見回す。次の瞬間、ゲイトがどこからともなくグレンフォードの前へと躍り出た。首筋を狙うように間近に定められたショートソード……しまった、ゲイトッ!!
「もらったッ……」
「ゲイトッそいつにはッ……」
その瞬間、視界の中で闇から黒い影が飛び出すのが見えた気がした。
ザシュッ……!!!
そして続けざまに、肉を貫く鈍い音。真っ暗な神殿の中でさえ、何か液体が……鮮血が、勢い良く噴き上がるのが見えた。
「ゲイトッ……」
「――――――――――ッ!!!!」
鮮血を噴き上げて、グレンフォードのセイバーに貫かれたのは、シンだった。
「シンッ……」
グレンフォードの前に躍り出たゲイトのショートソードは難なくグレンフォードに弾き返され、返す刃がその体を串刺しにしようとしたところで間一髪、シンがゲイトの前に滑り込んだんだ。
暗がりの中、声もなく黒い影が動きを止める。
「シンーーーーッ!!!」
頭が痛くなるほどの、絶叫。誰の?……俺の?
敵を仕留めたセイバーが、するりと抜き取られる。スローモーションのように、シンの体が支えを失って床に崩れた。鈍い音、染みのように暗がりの床に広がっていく血溜り。グレンフォードがシンの体を貫いたセイバーを払い、重ねるように俺の後ろから近づいてくる軽い足音が聞こえた。
次の瞬間。
――――――――――――――――――――ドォォォォッ!!
「何……」
轟音のようなものが聞こえた。それと同時に天井をぶち抜いて来たような勢いで、眩しいほどの白い閃光――それも、直径2メートルはありそうなぶっとい光の柱が上から叩きつけられる。床に激突した閃光が、そのまま床を走るように八方へと駆け巡る白い十字光。
「ナタッ」
駆け込んできた小柄な人影が、そのまま俺とグレンフォードの間に滑り込む。その隙を突いて、ゲイトがグレンフォードとの間合いを広げた。
シンは、床に崩れたまま動く気配がない。
「……これは」
無言のまま、ロッドを構えてグレンフォードと向き合う小さな姿に、ロドリスの狂戦士が琥珀色の瞳を煌めかせて口元に笑いを刻んだ。
「中立、ではないのですか」
……?
ナタは何も答えない。
「やはり正義はヴァルスにあると?」
揶揄するように重ねるグレンフォードに、ナタが低く答えた。
「神の正義がどこにあるかは、あたしは知らない」
「そうですか?」
「けれど」
謎かけのような言葉を紡ぐグレンフォードに、ナタの硬い声が応じる。
「あたしは、人として、人を守る義務がある」
「……そうですか」
その言葉に、ふっとグレンフォードが笑いを刻んだ。どこか自嘲するような、諦めたような。
「私は、あなたの守備すべき範疇には含まれませんね」
「残念ながら。……例えそれが、あんたに罪科のないものだとしても」
「いえ、結構ですよ?」
先ほどシンの体から抜き取ったままの血塗れたセイバーを下ろし、体ごとこちらに向き直った。気づいてみればゲイトの姿はどこにもない。どさくさに紛れて、姿を隠したようだ。
「己の認める範囲でしか慈悲を施さない神など、こちらからお断りです」
「言うね」
「本心ですよ。身も知らぬ他者の肯定を必要とするほど、私の存在は希薄ではないと信じていますからね。……今は」
「……そう」
会話を繋ぐ間も、2人の様子には隙がない。けれど……躊躇いを見せているのはグレンフォードの方、のように思える。
「しかし、参りましたね」
「……」
「神殿ごときならば、私もさして困りはしないのですがね……」
だらりと下ろした両腕はそのままだ。嘆息するようなグレンフォードに、ナタが微かに腰を落とした。腰の下辺りに、何かを発動させるように構えた右手。
外から刃鳴りと駆けるような足音が聞こえたのはその時だった。それから駆ける足音と、闇の中に湧き起こった猛火の塊が、風を切って飛来する。
「ちぃッ……ソーサラーですかッ……」
キグナスの『火炎弾』だ。剣を両手に構えたままでそれを横っ飛びに避けるグレンフォードの脇を『火炎弾』が掠め飛んで、空で破砕した。
「あれはあんたの仲間だろう?」
ナタの声に、グレンフォードが険しい表情を浮かべ、目を眇める。
「あれ、と言うと」
「女兵士だよ」
「……やはり彼女は、あの傭兵さんとは渡り合えなかったみたいですね」
呟くように言う。そして次の瞬間、グレンフォードは素早い動きで地を蹴った。セイバーをこちらに向けて一閃させながら走り出す。
「ファーラッ!!!」
短いナタの言葉。呪文ではないけれど、さっきのよりやや小さめの白い光の柱が俺たちとグレンフォードの間を隔てた。遮る柱から巻き起こる爆風と眩さが、一瞬俺の視界を奪う。
「『風の刃』ッ……」
「キグナス、逃げろッ!!」
魔法が飛来する方角から察するに、キグナスは神殿の出入り口にいる。グレンフォードがこちらに構わずに神殿の出口へと駆けて行くのを見て、咄嗟に叫んだ。通り抜けざまにやられかねないッ……。その後を追うように駆け出すナタにつられて、俺も出口へと向かう。
「シサーッ!!」
俺の声で、キグナスは神殿の出入り口から逃げたようだ。グレンフォードが素早い動きで、外へ飛び出す。追って出てみれば、シサーが木に背中を預けるようにして剣を構える何者かを追い詰めているところで、グレンフォードがその脇間から狙ってセイバーを叩きつけた。シサーが剣を引いて後方へ跳ぶのと重ねて、ニーナがシサーへ防御の魔法を飛ばす。
「エレナさんッ」
「『火炎弾』ッッ」
セイバーを横薙ぎ、シサーとの間に距離を作ったグレンフォードが、木にもたれかかる人物に駆け寄る。そこへ神殿脇から転がるように出て来たキグナスの『火炎弾』が飛来した。グレンフォードが再び横っ飛びにそれを咄嗟に避けている間に、エレナと呼ばれた人物が地面に崩れ落ちる。立っているのも精一杯だったらしい。駆け寄るグレンフォードに、三度キグナスの『火炎弾』とカイルの剣が襲い掛かり、グレンフォードがそれを避けながらエレナのそばへ転回してセイバーを構えた。カイルのカトラスを、その体ごと弾き返す。
「ファーラッ。秩序の裁きをッ」
ナタが鋭い声を発し、白く光る巨大な矢が突如中空に姿を現した。グレンフォードめがけて矢が飛来し、エレナを抱えたグレンフォードが間一髪のところでそれをかわす。地面に激突した矢は、先ほどの柱と同様に十字光となって地面を疾った。
「全く、あなたの仕事だけが手間取りますね」
矢を避けた位置から更に数歩、地を蹴って後退したグレンフォードが、腕の中にエレナを抱えたままで神殿の入り口に立つ俺を見つめた。
「やはり私はひとりで仕事をする方が向いているようです。次回はひとりでお邪魔しますよ」
「待てッ」
低く告げる声に、シサーが剣を振り翳して踊りかかる。両手の塞がっているグレンフォードは身を屈めてそれをやり過ごすと、また後退して距離をとった。
「それではとりあえずのところは、失礼しましょう」
言って闇に姿を消したグレンフォードに、シサーもそれ以上追い縋ることはしなかった。しばらく、無言のままグレンフォードが消えた闇の中に目を向ける。
「――シン」
グレンフォードが視界から消えると、俺は神殿を振り返った。
神殿の内部をに駆け戻る。先ほどの場にシンは崩れたままだった。そのすぐそばに、ゲイトが座り込んでいる。
「ゲイトッ……シンはッ」
ゲイトは無言だ。ナタが……そしてシサーたちが外から続いた。
「シンッ」
血溜りにも構わずにその場に片膝をついてしゃがみこむ。シンの体は力などどこにも入っていないようにぐったりとしていて、胸から下は薄暗闇でも見て分かるほどに血でぐしょぐしょだった。濃い血の匂いが、今更のように鼻につく。
「俺が……」
ゲイトが掠れた言葉を飲み込んだ。
「ナタッ。シンを、助けてッ……」
すぐ脇に無言で立つナタを見上げる。シンを取り囲む面々が、ナタに視線を向けた。今更ナタが神聖魔法を使うことを伏せたって仕方がないだろう。いや、そうじゃなくたって……。
「……もう、手遅れのようだよ」
「そんなッ」
「……ごめんね、カズキ」
ナタの目が無機質のように、静かに俺を見返す。
「あたしには、何もしてあげられない」
「……シンッ……」
頭を殴られたようなひどい頭痛。見下ろすシンは、不思議と静かな顔をしているように見えた。
いや……不思議と、じゃないか……。
シンはいつでも、無表情だっ……。
「嘘だろ……」
俺のすぐ後ろからキグナスの声。ニーナが泣くのを堪えているような声が聞こえる。回り込んで向こう側に移動したカイルが、シンの体に屈み込んだ。
――もう、失いたくないんだそうだ
誰ひとり失うことなくここまで来た幸運。
それはわかっている。
わかっては、いる、けれど。
――その、魔物だのネクロマンサーだのが、何かあるのか
あの時、シンに、ゲイトに、グレンフォードの存在を伝えていればッ……。
「シン……」
動かないシンの体を抱え込むようにして、ゲイトが声を押し出した。抱きかかえるその肩は、泣いているように小刻みに揺れていた。
押し寄せる慙愧の念。
――これからも誰ひとり失いたくない
……バルザックを追うことの代償は、余りにも、大きかった。