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QUEST  作者: 市尾弘那
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第1部第7話 守りたい人(2)

 シサーの言う小高い丘はすぐに見付かった。そこを上りきると反対側の斜面に窪みがあり、右側に折れ曲がっているので外からはすぐには姿が見えない。奥がそれほど深いわけでもないから、何か魔物の巣穴とかそういうのを警戒する必要もなさそうだった。

「今日は食料になりそうな小動物とは遭遇出来なかったからなあ。携帯食で我慢するっきゃねーか」

 窪みに荷物を下ろし、シサーが伸びをした。

「カズキ、枝を集めに行こう。一緒に来い」

「あ、うん」

「ニーナ、ユリアを頼むぞ」

「任せて」

 シサーについて丘を来た方向とは反対側に下る。遠くに真っ暗な海が見えた。

 こっちの世界は俺の世界と違って人が多分少ない。魔物と言う、生態系で人間を捕食する生き物がいるせいでどんどん増加することが出来ないのかもしれない。街も、土地の割りには多くなく、明かりもあるわけじゃないから街や村の間はひたすら暗く闇に支配されている。

 丘を離れて少ししたところにある灌木の生い茂る茂みに入り込み、潅木に混ざって生えている背の高い木の間を縫って落ちている枝を探す。

「魔物に気をつけろよ」

「うん……」

 気をつけるってこの場合どうすれば良いんだろう。

 黙々と枝を拾いながら、ぼんやりとさっきのシサーの戦いを思い出していた。鍛えられた戦士ならでは、とても言うんだろうか。無駄のない動きをしていた。相手を見据える目線。反射的に体を動かす神経。

 慣れ、ってのは、あるだろう。でもそれだけじゃあユリアを守れない。俺が克服しなきゃならないのは、まず、恐怖だ。

 見たことのない生き物に対する恐怖。命を脅かされる恐怖。その全てが、俺の動きを封じ、視野を制限する。

 このまま、シサーたちに甘んじてたって何とかなるんだろう、きっと。だけどそれじゃあ、嫌だ。じゃあ、どうすればいい?

「カズキ」

 そんなことを考え込んでいて、俺はシサーが俺のすぐそばにいることに気が付かなかった。魔物に気をつけるも何もあったもんじゃない。密やかな声で呼ばれてはっと顔を上げると、シサーが静かに、と言うように人差し指を自分の口に当てた。

「え?」

 つられて俺も小さな声で問い返す。シサーは体を屈めろと言うような仕草をして自分もその場に片膝をついてしゃがみ込んだ。

 ……?

 わけもわからず、拾い集めた枝を落とさないようそっとしゃがみ込む。見ると、シサーの視線は潅木の茂みの向こう、もう少し高い木々が生い茂った海際の絶壁の方へ注がれていた。俺もそちらに目を向ける。息を飲んだ。

 ともすれば木々に隠れてしまいそうな小さな体。暗がりで詳細は良くわからない。けれど、つるっとした感じの頭に大きな尖った耳、そして暗闇の中でぎらぎらと光る目だけが見えた。……何だ、あれ……。

 心臓が、どきどきした。ぞわーっと全身に鳥肌が立つ。考えているそばから、この恐怖だ。克服することなんか出来るんだろうか。シサーは冷静そのものの顔で魔物を見据えている。

「ゴブリンだ」

 ゴブリン……。

 数えてみると、6人……いや、6匹だ。何かごちゃごちゃと得体の知れない言葉を吐き出しながら、がさがさと茂みの間を縫って行く。じっと息を殺して、その背中が遠ざかって行くのを見つめていた。手に汗が滲むのが、わかった。

「……もういいだろう」

 やがてシサーがぽんと俺の肩を叩いて立ち上がった。笑顔を俺に向ける。

「あれが噂に名高いゴブリンだ」

「……強いの?」

「いんや?大したこたぁねぇけどな……集団になってることも多いから、見付かるとちっと面倒だ。耳も良ければ鼻も良い。目は大して良くねえが。ついでに言えば、しつこい。小賢しいから武器に毒を塗りつけてたりすることもある」

 けろっとした顔で苦笑する。その余裕な姿を見て、俺ははあっとため息を落とした。俺は全身に鳥肌が立ったって言うのに……。

 シサーと共に枝を抱えて丘に戻り、火を焚いて野営の準備をした。ギャヴァンから持ってきた干し肉とパンを火で炙っただけの簡単な食事だったけど、1日中歩いていたせいかひどく美味しく感じる。

 やがてニーナとレイア、そしてユリアが窪みに潜り込んで眠ると、俺はシサーと2人で黙って焚き火の火を見つめていた。時折シサーが棒で火が消えないように調整しながら枝を足す。どこかで虫が鳴いていた。

「……お前も寝ていいぞ」

「でも……」

「明日も1日歩きだ。休んでおける時に休んでおかないとキツくなる」

「……うん」

 膝を抱えてぼんやりと炎が揺れるのを眺めていた。レオノーラを発って初日のウォーウルフ、そしてさっきのワイバーン、ゴブリン。

「……シサー」

「あん?」

「俺に、剣の使い方を教えてくれないかな」

「……そりゃあ構わねえけど」

 言って、また小さな枝を放り込む。パチパチと枝の爆ぜる音の間を縫って、時折遠くから波の音が聞こえてきた。潮の香りこそもうしないけれど、風が音だけを運んで来る。そのくらいの、距離。

 黙って慣れるのを待っているんじゃあ、進まない。

 ユリアを、守りたい。

 特別な感情とかそういうんじゃなくて、そうじゃなくて、女の子のひとりくらい守れないんじゃあかっこ悪いだろう。

 ……そう、別にそれは、特別なことじゃない。

 怖い思いを、させたくないだけだ……。

「……ユリアに、怖い思いをさせたくない」

「……」

 ぽつっと小声で落とす俺に、シサーが無言で目を丸くした。

「ふ、深い意味があるわけじゃない。そういうのじゃ、ないけど……」

「……」

「……情けない」

 同年代の男にだったら、言えなかったかもしれない、こんなこと。

 圧倒的に俺より頼りになり、優れていると思えるから、素直に負けを認められる。そうじゃなきゃ、こんなこと、言えるかよ……。

 しばらく、シサーは答えずに黙っていた。時折、ぱきんと枝を追って火の中に放り込む。

「……ラグフォレスト大陸のな、シュートって小さい町があるんだよ。一応港町なんだけどな」

「……?うん」

 やがて、シサーが口を開いた。唐突に話が始まったような気がして、とりあえず曖昧に頷く。顔を上げると、焚き火の炎がシサーの精悍な顔を照らして揺れた。深い陰影を落とすその顔には、何の表情も浮かんでいなかった。

「俺はそこで育った。小さな町だけれど、商人の多い町でな。俺の家も例外じゃなく商人の家だったんだ」

「へえ」

「それも結構裕福な家で……兄貴がいるんだよ、俺には」

「うん」

 言われて、ふと自分の弟を思い出した。6歳も年下の拓人。えっらいブラコンな弟で、俺の後ばっかりついて来てはすぐに俺の真似をしたがる奴で。でも……可愛くて。

 どうしてるだろう。俺がいなくなって、泣いたりしていないだろうか。

「これがまた優秀な兄貴なわけだ。裕福な商人……ま、商家って言うんだけどな、商家の人間の考え方では、身は自分で守るものじゃない。金で雇った人間に守らせるものなんだ」

 つまり金持ちなわけだ。豪族とかそういう感じの考え方で良いんだろーか。

「俺には、合わなくてな。……何か飲むか」

 微かに顔を俯けて苦笑したシサーの横顔が寂しげに見えたのは、俺の気のせいか……?語調を一転して水筒の水を小さな鍋に注いで火にかけシサーの顔は既にいつも通りだった。

「うん。ありがとう」

「それで家を飛び出したは良いが、こっちはそれまで学校に放り込まれてお勉強しかしちゃいねえ」

 ……学校で勉強ばかりしているシサーと言うのも想像がつかない。

「剣なんか一度だって触ったことなんかなかったんだ。……今のお前さんと、一緒だ」

 ……あ。

 目を見開いて、動きを止める。

 どうしてシサーが突然こんな話を始めたのかが、わかった。俺の気持ちを汲んでくれてるんだ。

「何をして良いのか、全然わからなかったな。……俺が強くなったのは多分……」

 シサーはそこで一旦言葉を切った。視線を窪みの方へ向ける。

「ニーナと出会ってからだ」

「……」

 意味するところを掴みかねて、俺はシサーを見返した。窪みからこちらに視線を戻して口元に笑みを浮かべる。

「出会った頃、あいつは俺なんかより遥かに戦い慣れしててな。傭兵稼業を始めて半年したくらいか。まだまともな戦闘なんかろくに体験しちゃいなかったし、ニーナはエルフとしてはまだ若くてもこっちに比べりゃ何倍も生きている。生れついてのエレメンタラーって要素もある。経験値が全然違ったんだよな」

 コトコトと言う音が聞こえてきた。火にかけた鍋の中で、小さな泡が無数に生れては消えていく。

「けど、悔しいんだよ、これが」

「……うん」

 その気持ちは痛いほどわかるので、素直に頷いた。

「守りたいと思う人が出来た時、強くなれるんだと思うぜ」

「……」

「尤も、思うことが強くするわけじゃねえけどな。そんなことで強くなれるんだったら、誰だって苦労はしねえんだよ。そう思えば、強くなるよう努力する。それが人をあらゆる意味で強くする。綺麗ごとじゃ、ねぇと思うぜ、俺は」

 さっきよりも激しく大きな泡を幾つも生み出しては消えていく、鍋に沸いたお湯を取り上げて、食事の時に使って置かれたままのカップを手元に引き寄せた。カップにお湯を注ぐと鍋を地面に置き、荷袋の中から小さな布袋を取り出す。中には乾燥させた植物の実が入っていて、それをお湯に溶かすとコーヒーに近い味がすると言うことを、俺はギャヴァンで知った。コカの実、と言うらしいんだが。

「大切な人を守る為に、自分が強くなれ」

 カップのひとつを俺に手渡しながらシサーが続ける。受け取って礼を言うと、コカの実の芳ばしい香りが鼻腔を刺激した。

 大切かどうかは、今の俺にはわからないけど……だって俺にはまだ、ユリアのことも良くわかっていない。

 ただ、突き動かされる。

 泣かないで欲しい、怖い思いをさせたくない。

 ……ただ、それだけ……。

 鍋を火から下ろしてしまったので、再び辺りには静寂が訪れていた。虫の密やかに鳴く声だけが、まるでBGMのように闇を支配している。

 不意に風が吹いて、木々の葉が擦れ合うざざっと言う音が聞こえた。炎が揺れる。俺の髪も風を受けて軽く舞い上がった。

「俺……」

 カップを両手で持ったまま、口を開く。視線は揺れる炎に注いだままだったけれど、シサーの視線が俺を捉えているのを視界の隅で感じた。

「何が、出来るような特別な人間じゃ全然なくて。今もそうだけど、元の世界でもそうで」

「……」

「シェインとかシサーとか、凄く優れてるんだって俺でも見ててわかるから、羨ましいってのは正直思うけど。でもそうやって上見て憧れて指咥えて見てるだけじゃ、全然駄目だから……。これまでの苦労を、いきなり俺が今日明日で突然追いつけるわけないし」

 シサーが静かにカップを口に運ぶ。

「いきなり上見て、なりたいったってなれるものじゃなくて……じゃあ、俺が今。出来ることが何なのか……それからやってけば、いつか必ず、自分のなりたい自分に近付いていけるはずだから」

 言って俺はシサーを見てちょっと笑った。

「俺の世界にね、『千里の道も一歩から』ってことわざがあるわけ」

 きょとんとシサーの銀色の瞳が俺を見る。

「どんなに長い道のりでも、一歩一歩進んで行けば良くて……その第一歩を踏み出さなきゃ、ゴールにたどりつくことは出来ない」

「良い言葉だな」

「うん。……俺に、どれだけ何が出来るのかなんて、今の俺には全然わからない。何も、出来ないかもしれない。だけど、ユリアが泣くのを見たくない。怖い思いをさせたくない。……出来ることなら……」

 守って……。

「……」

「……努力、するから」

 そう簡単には、どうにもならない。

 それは知ってる。

 だけど俺はひとりじゃない。手を貸してくれる人がいる。教えてくれる人がいたって、学ぼうとしなきゃ何も俺の身にはつかない。

「俺、努力するから。だから……俺に、戦い方を教えて下さい」

 シサーの口元に笑みが浮かんだ。

「明日から特訓だな。俺はスパルタ教育だぜ?」

 ……またスパルタなの?

「俺が、お前を強くしてやる」

 シサーの言葉に被せるように、一際大きな音で火にくべられた枝がパチンと爆ぜた。


          ◆ ◇ ◆


 レオノーラの街をやや南西に下ると、海沿いにファーラ大神殿がある。

 広大な庭には聖典に登場する天使たちを模った像が置かれ、良く手入れの行き届いた木々や植物が風に揺れていた。

 神殿の白い大理石の壁も磨き抜かれていて僅かな汚れもない。

 正面に開放された扉から入るとそこはすぐに大聖堂になっている。扉に入らずに、廻らされた回廊を歩いて行けば、聖職者たちの住まう神殿内部に入ることが出来た。大の男が2人で腕を回しても抱えきれないほどの太さがある神殿内部の連立する柱の間をラウバルは奥へと進んで行く。大聖堂の奥、祭壇の正面にこちら側に背を向けるようにして立っている老人が振り返った。

 長身のラウバルに比べれば圧倒的に小柄なその体は、質素だが凝った刺繍が施されている白いローブに包まれている。頭にはローブとお揃いのつばのない帽子を被り、丸い顔には穏やかな表情が浮かべられていた。大司祭ガウナだ。それなりに高齢とは言え、背筋は伸びており緩やかな動きはしかし矍鑠としている。

「どうなされた」

 人の良さそうな小さな目を細めたまま、問う。ラウバルは少し離れた位置で足を止めると、会釈をした。

「お耳に入れておいた方が良いかと思いまして」

「何か、あったのですか」

「いえ、まだ。……ただ、戦争になるかもしれません」

「戦争……」

 ガウナが痛ましい色を目に浮かべ、そっと伏せた。

「また、多くの者が命を落とすのですね……」

 ラウバルがそっと顔を横に振る。

「確定したわけではないのですが。……ちょっと、不穏な動きを感じておりますゆえ」

「不穏な動き……」

 頷いてラウバルは祭壇の前に歩を進めた。ファーラ神の壮大な像がそこに祀られている。

 ファーラ神は、人を慈しみ、愛するよう説く美しい女神だ。だが、戦いの女神としての側面も持っている。相反する2つの顔を持つのだ。複雑なその多面体は、まるで人のようだと思う。

 ガウナもラウバルに従い、ファーラ神に目を向けた。しばらく黙して神に祈りを捧げる。

「まだ調査中のことゆえ、はっきりとは申し上げられませぬが……『王家の塔』に向かったと言う奇妙な一団を目撃したと言う情報が」

「奇妙な一団……」

 ガウナが微かに目を見開く。

「詳細を確認する為に、『王家の塔』へ人を派遣しました。まだ、報告は得られてはおりませんが……別ルートから得た情報ではロドリス王国に妙な賓客がいるとの話も」

「賓客、ですか」

「ええ」

 いずれも詳細はまだ不明だ。決定的などんな出来事があるわけではない。

「全身黒ずくめの……ローブで身を包んだ魔術師だとか」

「特徴は」

 黒ずくめの魔術師など、挙げていればきりがない。それだけでは『妙な賓客』とは言えないと判断したガウナが更に問う。

「……大きな黒い石を先頭に掲げたロッドを持っている、との話です」

 低く言ったラウバルに、ガウナが身動ぎした。驚愕の色が浮かんでいる。

「まさか……」

「……やもしれぬ、と考えてはおります」

 ガウナが飲み込んだ言葉を正確に把握してラウバルは肯定した。

「……やつだとすると、レガード様は……」

「滅多なことをおっしゃるものではありません、ラウバル」

「……は。失言でした。お忘れ下さい」

 柔らかな叱責にラウバルは表情を変えずに謝罪した。

「『青の魔術師』も、何を考えておるのかわからぬ男ゆえ……」

 ラウバルが言いながら顔を横に振った。長い銀髪が揺れる。正面に祀られた像に視線を戻した。

「奇妙な考えを起こしていなければ良いのですが」

 ファーラ神は、何も言わない……。











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