第2部第2章第26話 海底のダンジョン5 【浄化】 後編(2)
「そうだったのか。ごめんね。ナタ」
そうは思うものの、がっくりしてつい謝罪をしていると、ナタが照れたように笑った。
「へへへ」
「でも、じゃあ良くそっちは抜けられたね」
ニーナは妖精語は理解出来ても、敬虔なファーラ教信者だとは思えない。そもそもエルフがそういうのを信仰したりするのかわからない。……あ、でもここってドワーフのダンジョン。そこでこうなら、それは別にありなのかな。でも普段の様子を見てると、少なくともニーナは別段深く信仰してるわけじゃなさそうだよな。
思いながら答えを待っていると、ニーナは笑いながらキグナスを示した。
「キグナスが大活躍だったわね」
「え!?」
何て予想外な。
俺の視線を受けて、キグナスが照れ臭そうに鼻の頭をかく。
「やっぱりこう見えて、ファーラ教を守護するヴァルスの貴族なのね」
「ふえ〜」
「だって他のメンツ、見てよ。シサーにカイルにシンにゲイト。……誰がファーラ教に通じてるって言うの」
そりゃまあ確かに。
民間の間でも信仰されてるんだから知らないことはないだろうけど、深くいろいろ突っ込まれるんだったらかなり危ういものがある。
「キグナス……やるじゃん」
「やらされんだよ、そういうの。ユリア様ほどじゃねぇけど」
キグナスが貴族階級なんだって言う認識を初めてしたような気がする、俺。
「ダイナのドワーフってのは、随分と敬虔な信者なのね」
ニーナの言葉に、ナタが顔を跳ね上げた。
「ダイナのドワーフ?」
「え?」
「ダイナって……モナの、フラウにあった?」
「ナタ……?」
何だかナタの顔つきが変わったような気がして驚く俺たちに、戻って来たカイルが声をかけた。
「少し行くと、滝があるみたいだな。多分滝の裏に道がある」
促されて歩き出しながらナタを見下ろすと、ナタが小声で尋ねた。
「ここは、ダイナのドワーフが作ったの?」
「うん。って言うか、ダイナのドワーフのダンジョンなんだ」
「そう……」
そう言やナタって、俺たちが何しにここに来てるのか知らないんだっけ。
扉を抜けた先は、似たような風景が広がっていた。今歩いてきたのより少し狭めの鍾乳洞。
「俺たちはダイナのドワーフに頼まれて探しものをしに来たんだよ」
「探しもの?」
「そう。……自分の作品って言ってた」
「ああ」
ドワーフは自分の作品に深い思い入れを持つからね、とナタが納得したように頷く。
「シンたちはギャヴァンのギルドで、まあ彼らは単にここの財宝を追ってて……利害が一致したから、一緒にダンジョンの攻略に協力しあってるってわけ」
「そうなんだ」
「うん。……ここは、宗教色が強い?」
先ほどの話題を尋ね返した俺に答えたのは、黙って俺とナタの話を聞いていたキグナスだった。
「強ぇな」
「そう?」
俺にしてみれば、自分の世界……それも日本なんかに比べたら、最初から宗教色が強く感じられるもんだから、何か今更と言う気もする。
「祠で示される内容ってのは、結構コアだったぜ。俺もわからなくて当てずっぽうだったりしたもん」
「ダイナのドワーフってのは、信仰が強いんだよ」
「へえ?そうなの?」
「うん」
ふうん……。
話しながら歩いていく間に、洞窟の幅は狭くなっていく。カイルの言っていた滝の水音らしきものが次第に迫力を持って近づいてきて、ますます空気がひんやりしていくのに伴って、やがて『いかにも洞窟』と言うようにすぼんでいった。激しい水音に包まれながら出口を抜けると、急に視界が開ける。
と言って外に出たわけではないが、天井は最初の鍾乳洞より更に高くなったし、左右も開放的に拓けた感がある。
何と言っても、鍾乳洞の出口から数メートル先は豪快な崖になっていて、遙か下には碧い水を滔々と湛えていた。俺たちがいる高度からほんの僅か下の正面には向かい合うように崖があり、そこから流れて来る水がもの凄い重爆音を上げながら水を下に叩き落としている。これが、水音の正体だ。
「ひゃ〜……すっげぇ迫力」
下を覗き込むようにしてキグナスが呟く。見下ろす眼下は数十メートル……どころじゃない、だろうか。落ちたら間違いなく命がない。第3階層で俺が突っ込んだ湖がこんなんでなくて良かったとしみじみ……。
「あの裏に、道がある?」
黙って俺の隣に並んだカイルに、顔を上げて尋ねる。カイルは逞しい両腕を組んで滝を見据えながら頷いた。
「しばらく見てろ。……水量が減る時がある」
「え?」
言われて、俺とキグナスは黙って滝に視線を向けた。しばらく沈黙して滝を見つめる。気づいてみれば全員が同様にして、その瞬間を待っていた。
「……あ」
見守る中、湖に流れ落ちる水流が徐々に細くなる。なりはするものの、決してなくなるわけではないんだが、幅が狭くなったせいでその水流――滝の裏側が、僅かに恒間見えた。
「ほんとだ……」
小さく呟く。滝がなくなるわけではないからその全貌は見えないけど、水が流れ落ちるその裏側に小さな黒い口が開いているのが見える。だけど、滝の両サイドに見える隙間からじゃあどう考えても入れそうにない。どうやってあの洞窟に入れば良いんだろうか。
って言うか。大体。
「……どうやってあそこまで行くんだ?」
ぼそっとキグナスが呟く。問題はそれだよな。
ぐるっと見える範囲を見渡してみるが、どう譲歩してもあそこに続く道はありそうにない。
今俺たちがいる場所は岩棚のようになっていて、すぐに絶壁で途切れている。向こうとこっちを隔てるように崖と湖、反対側の岩棚だって、水の流れる口が開いている程度ですぐに壁だ。あそこからどこかへは、とても行けそうにない。
滝の裏にもここと同じような張り出しが湖の数メートル上にあって、あそこに立てれば裏の洞窟には入って行けるんだろうけれど……。
「ヒントになりそうなもの、あったっけ」
滝に目を向けたまま、ぽつんと言う。キグナスも、そちらを見たままで答えた。
「ないんじゃねぇか?」
「……」
マールは長老に丘に連れて行かれる。そこから見渡した光景、失われた彼の村――それが、彼らの宝。
「シサー」
ぼんやりと、また水流を強めていく滝を眺めている俺の耳に、シンの声が届く。つられてそちらを見ると、シンとゲイトが何かを発見したみたいだ。今出てきた洞窟の出入り口付近、それもかなり低い位置……ドワーフ仕様の高さにあるプレート。
第1階層や風の砂漠のダンジョンにあったプレートと同じものなんだな、考えてみれば。材質とかデザインとか。
一緒になって近づいてみると、大きさの割には何の文字とか刻まれているわけではなく、例の石をはめるんであろう小さな窪みがあるだけだった。
「鍵ってどこで使うのかな」
滝の裏に入ると使える場所があるんだろうか。
そんなことを思いながら石を置くシサーの手元を見つめる。静かに声が響いた。聞き覚えのある声……。
――……時を待て……
最初の神殿の、あの声だ。
思わず辺りを見回しながら、言葉の続きを待つ。
待つ、ん、だが。
「……」
……えぇぇ〜?
それだけかよ。
勢い、全員が嫌な空気の沈黙に陥っていると、不意にシンが「おい」と呟くのが聞こえた。振り返ると、隣に立つゲイトにさっきのプレートを親指で示している。
「あ」
「何か起きた?」
「文字が出てきた」
「どれ?」
再びプレートの周りに集まる。覗き込んでみれば、さっきはなかった文字が浮かび上がっていた。それを見て、またも全員が嫌な沈黙になる。
「……ねえ」
明確にわからない俺だけが口を開いた。
いや、確かに明確にはわからない。けれど何となく見覚えのある文字の並び、そして僅かに混じる俺の覚えた単語。
まさかとは、思うが。
「これ、まさか……」
プレートの前にしゃがみこんだままのシンが、珍しく苦い表情を浮かべながら俺を見上げて答えた。
「ああ。『3つ目の鍵』ダンジョンに書かれていたのと、同じものだ」
「な……」
……にぃー!?
◆ ◇ ◆
『うみにみえるところ
うみのめがみがあらわれるとき
うみにつづくみちをさがせ』――。
……気分は、振り出し。
とにかく、『時を待て』と言うんだから、ここで野営をするくらいの気分で時間が過ぎるのを待つことにしてみる。これは、何となくわからなくはない。
滝の水量は、何の加減なんだか増えたり減ったりしている。ちょうど、通れるくらいに減る瞬間があると言うことなんじゃないか、と言うのが俺たちの意見だった。
尤も、その時にあちら側にどうやって渡るのかまではまだわからない。『その時』までに何とかその手段の見当くらいはつけておきたいとあれからあちこち探り倒したが、もうこれ以上わからないと言うところまでやり尽くし、以降、俺たちは各々地面に座り込んでぼけーっと無為に時が過ぎるのを待っている。
あのフレーズがまた出てきたのはどういうわけなんだろう?出口の在り処?まさかと思うが本当に振り出しに戻されるわけじゃないだろうな。
「……あ」
あてがなくただ時が経つのを待つと言うのは、精神的に結構疲れる。そのせいか誰もが無言の中、ニーナがぽつんと呟くのが水音の中に聞こえた。その声に顔を上げている間にも、滝の水量がみるみる減っていく。それも……これまで増減があったのとは比較にならないほど速やかに。
「来たか」
ニーナの隣で、座り込んでいたシサーが立ち上がる。俺も立ち上がって崖際に歩み寄った。みるみる減っていく水は、あっと言う間に細い流れに変わり、まだちょろちょろしてはいるものの、あれなら抜けて裏の洞窟に行ける。
けど。
「……くそ。どうやってあっちに渡りゃあいーんだよッ」
ゲイトが盛大に顔を顰めて舌打ちをした。確かに期待したような、向こう側へ行けるような変化は……。
――盗人か、真に資格を有するものか、見せてもらおう……
途切れた水音に、声がかぶさる。いつもの声、そしてこのフレーズもまた、知っているものだ。
最初の神殿で言われた言葉……。
「こんだけ試して、まだ試したりねぇのかよ」
そうは言っても、あんだけ試されてここまで来た割に、実際この中に受け継ぐべき資格を持つ者はひとりもいないからなあ……。疑り深くなってもそりゃ道理、なんて思いたくもなるんだが。
ここに来るまでの『試験』に切羽詰まったものを感じたことがないから、ついそんなふうに思う。
が。
これまでと違ってここの『試験』はそんな生易しいものではなかった。
――我々ダイナのドワーフは、ルシルウの泉のウンディーネと相互協力の契約を交わした……
相互協力の契約?
――……彼女の名を、答えよ……
声が、問う。
誰もが、息を飲んだまま口を開かなかった。
その問いに答えられる者は、ここにはいない。わかるわけがない。
それこそ……ダイナのドワーフでもない限り。
――……盗人、その正体を表したり……
答えに詰まる俺たちに、今まで淡々と言葉を紡いでいた『声』が色を滲ませる。嘲るような、あるいは……怒りを滲ませるような……。
――うぬらの恥を知るが良い
――今こそ、欺き続けた汚れを『浄化』してくれよう……
その言葉に、緊張が走る。やばい、これまでと違って、外したら制裁がある……!?
それきり静かになった声に、俺たちも沈黙して何が起こるのかを思わず待った。シサーの剣の白光――何かが起こる……!!
「うわ……」
キグナスの呟きが聞こえた。足下から洞窟全体を揺るがすような重い響きが、それをかき消す。視界が何重にもぶれるように足元が細かく、激しく揺れ、俺は目の前で起こっている展開に完全に目を奪われていた。
「嘘だろッ……」
どごんッどごんッと重い音を立てながら、崖下から浮かび上がってくる岩が積み重なっていく。重い唸りを上げながら、意志でも持っているかのように……まるで、何かを組み立てていくかのように。
「まさか……」
目の前で次々と造り上げられていく姿。
それは、ロドリスの館で見たものを彷彿とさせた。――『黒衣の魔術師の館』で見たもの……。
「ゴーレムだッ……」
第5階層――『浄化』。
このネーミングは、間違いだ。『浄化』なんてもんじゃない。……『粛正』だ。
ドゴーンッ。
組み上がったゴーレム……ストーン・ゴーレムが、その巨大な腕を振り上げる。重力のまま振り下ろされた握り拳が、地面に破片を巻き上げながら叩きつけられた。咄嗟に全員、その破片を避けながら地面を蹴って散開する。……勘弁しろよッ……こんな狭い崖っぷちで戦えってのかッ!?
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ナートゥーラー・ドゥーケ・ヌンクァム・アベッラービムス……『風の刃』!!」
「軽やかに踊る風の精霊シルフよ、その姿を刃に変えよ!!ウォラト!!」
続けてキグナスとニーナの魔法が発動される。ゴーレムに俺の剣は効果がないッ……。舌打ちしながら、先ほどシサーにもらった魔法石を取り出す俺の目が捉えたものを、つい俺自身が疑った。
耳を劈くような豪快な音。ゴーレムの右肩が木っ端になっている。
「キグナス……」
「……嘘ぉ」
当の本人が目を点にして唖然としている。キグナスの『風の刃』……それが、今まででは考えられないほどの威力を発揮してゴーレムの体を粉砕したんだ。
これが、あのアイテムに引き出されたキグナスの力……。
しかも、まだほんの一部かもしれない。
ドカーンッ。
右肩を粉砕されたにも関わらず、顔色ひとつ変えずにゴーレムが足を踏み出し、また手を地面に叩きつける。拳大以上の砕かれた破片が四方八方に高速でばらまかれ、その破片をくらうだけでも多分、相当のダメージ。
「うひゃー、いいなあ、これぇ」
「浮かれてないで何とかしろよッ」
スキップでも始めそうにご機嫌なキグナスに、横合いからゲイトの怒声が飛ぶ。その間に魔力付与道具を持つシサーとシンが、ゴーレムに踊りかかっては攻撃を加える。カイルはゴーレムの前方でその動きを引きつけ、ゲイトはパンツのポケットから何かを取り出して、口で何かを噛みきった。……発破!?
ちなみにナタは相変わらずの見物コース、悪いんだが俺も大した力になれない。
「『ノームの手』ッ……」
足止めくらいにはなるだろうか。手にした魔法石をゴーレムに向けて叩き込む。それに被せるように、調子に乗ったキグナスが魔法を飛ばした。
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ナートゥーラー・ドゥーケ・ヌンクァム・アベッラービムス……『風の刃』ッ♪」
更に、ほぼ同時に着火した発破を『ノームの手』に絡められたゴーレムへと投げつけたゲイトが怒鳴る。
「散れッ」
その声を受けて、接近戦を挑んでいたシサーらが後方へと逃れる。起こる爆音、爆風、立て続けに炸裂したキグナスの『風の刃』。折り重なるような種々の風圧を受けて、ゴーレムが作り上げた瓦礫が舞い上がっては吹き飛んできた。全身に石礫を浴びて、痛い。
「軽やかに踊る風の精霊シルフよ、その身を障壁の渦と変えよ。フェレンティース!!」
無言で、欠けまくった体を起こしながら腕を振り上げるゴーレムに、ニーナが俺たちを防御する。
「カズキッ、ナタを守れよッ」
シサーから飛んだ声に、思わずナタと顔を見合わせた。ナタが俺を見上げて嬉しそうに微笑む。
「守ってね」
「……」
俺の守りなんか、あんたにゃ必要ないでしょが……。
呆れて、にこにこするナタを見下ろす俺の視界で、ゴーレムから離れたこちら側に駆け寄ってきたカイルが背中の荷物からボーガンを取り出すのが見えた。魔法石をゴーレムに投げつけ、『ノームの手』による拘束の延長を図りながらそれを見る。カイルはゴーレムではなく対岸……滝の方の壁をめがけて続けて3発、ボーガンを放った。放たれたボーガンにはロープがそれぞれついていて、カイルはこちら側のロープを崖際の岩に固定した。
「何……」
「このままじゃあ『資格』を認められなかった俺たちは、向こう側に渡らせてもらえそうにない。水が弱くなってる間しか穴には抜けられんだろうから、時間もさほどないだろう」
カイルが低い声で答えながら、ぐいっとロープの固定具合を図るように引っ張る。
「俺が行く」
ゴーレムに投げつけたチャクラムを受け止めて地に降りたったシンが、こちらに駆けてきた。……行くって。
「あっち側で確実に固定したら、ナタとカズキは渡って来い」
……渡るって……まさかとは思うが。