第2部第2章第25話 海底のダンジョン5 【浄化】 前編(1)
まだ朝が来る前の暗い空の下、スウィニに言われた通りの村外れの洞窟とやらを目指して歩く。ナタは何を思っているのか、無言だった。
俺も俺で……自分の考えに沈み込んでいた。
ユリアの言葉が、耳に浮かぶ。
――戦えば必ず誰かの大切な人を奪うわ!!誰かが必ず泣いてるわ!!
ファーラは、戦の神でもあると同時に慈愛を説く神だと聞く。俺にはそれが、矛盾に思えて仕方がない。別に俺は信者じゃないし、信者になる予定もないし、教義の解釈なんかどうでもいいとは思いつつ……どうしても気になった。
その2つが共存するのか?そんなの、アリか?だって、相手に情けをかけていたら、勝利を納めることは出来ないじゃないか……。
――守る為に戦わなきゃならないことがあるのは、わたしだってわかってる
――でもそこに疑問を感じ、矛盾を感じ続けなきゃ駄目よ
額に飲み込まれていく剣先。噴き出す鮮血と、濃い血の匂い。
その光景が目の前に蘇り、軽い吐き気が起こる。
……今更。やったのは俺じゃないか。
あいつらを殺したのは、俺だ。魔物でも捕食の為の小動物でもない。俺と同じ人間を、そうと知りながら意図して殺したんだよ。それが、何だ?襲われそうだった。だからやった。俺自身のみならず他の2人を含めた保身だ。……なのに何でこんなに引っかかるんだよ……ッ。
「ナタは、プリーストでしょ」
久しぶりに感じる頭痛に顔を顰めながら、ぼそりと口を開くと、黙って隣を歩いていたナタは「うん」と短く頷いた。
「ファーラって、人を愛しなさいみたいなこと、説いてんじゃないの」
俺にまさかファーラ神の教義を問われるとは思っていなかったらしく、ナタが驚いたように顔を上げたのがわかった。前を見据えたままの俺の横顔に、ナタの視線を感じる。
「……うん。そう言う意味合いのことは、説いているけど」
「でもナタは、さっき俺が人を……ダンジョン内のイベントとは言え人を手にかけるのを、助けたよね」
「……」
「それってのは『神の意志』とやらには反しないの」
別に責めてるわけじゃない。ただの素朴な疑問だ。淡々と尋ねる俺に、ナタは質問の意図を考えるように軽く首を傾げてから息をついた。
「ファーラは、戦姫でもあるから」
「うん。知ってる」
頷いた俺に、ナタの訝しげな沈黙が返る。俺は更に質問を重ねた。
「『戦の神』と『慈愛の神』。……戦うことと、人を慈しむことは、相容れるものなのか?俺には両者が背理しあってるように思える」
「ああ……」
「……生きてるだけで、手が血に染まっていくんだ。嫌だと思ってた。誰かを傷つけて長らえるのは、何か違う気がしてた。だけど、長らえなきゃと思うと、そう思う気持ちを捨てなきゃならないんだ。ファーラの矛盾……俺とは、真逆に見えるよ……」
結構、まだ早い時間だったんだろうか。ゆっくりとは言え歩いているうちに時間は少しずつ経っているはずだが、朝が訪れる気配はまだない。ナタが視界の外で身じろぎをした。
「正しい解釈とかそういうのは、あたしにはわからない」
見下ろすと、ナタは時折見せる神がかった神秘的な表情を浮かべていた。
「だから、これはあたしの解釈でしかないけれど」
「うん」
「戦うって、どういうことだと思う?」
逆に問われ、言葉に詰まる。どういうって……。
「争い、じゃないの」
「あたしは、そうじゃないんじゃないかなって思ってる」
「……」
「ううん。カズキの意見を否定してるわけじゃない。言葉ひとつの捉え方は人それぞれで、どんな解釈も間違ってるとは言えないんだと思う。ただ、あたしは争うことも含めたもっと広いことだと思ってるの」
「……ふうん?」
「どうして争いが起きるのかって話をしようか。……なぜ?」
なぜって……。
「人は、自分にとって有意義な何かが侵害されそうになると攻撃的になる。それは大切な人かもしれないし、物かもしれない。生きるのに必要と認識しているものかもしれないし、誇りや意地、友情や愛情……信義や信念、そう言った目に見えない何かかもしれない。生きる為の快楽そのものかもしれない。そこに傷がつけば、つきそうになれば、攻撃的になる。……理由のない争いは、ない」
やがてスウィニが俺たちに教えた噴水が、見えてきた。多分、ここが村の中心部なんだろう。言われた通りに、右へ続く道に足を向ける。どこかの家屋の扉が、風に揺れてカタンと小さく鳴った。
「そうして考えると、戦うことって言うのは何かを守ろうとする気持ちの表れなんだとは思わない?」
「ああ……うん」
似たようなことは、あの時俺も考えた。何かを守る為……ああ、そうか。例え戦の原因が権威欲であったとしても、それは言い換えれば自らが今置かれている立場を守る為、人々の信頼を守る為と言う考え方に置き換えることが出来るのか……。とすれば戦うことはイコール何かを守る為なのだと言えてしまうのかもしれない。その対象となるものが、何であれ。
「戦うことは、守ろうとすることなの。自分を。自分の周囲を。……何かを」
「……うん」
「戦いに勝つと言うことは、守りきったと言うことなの。自分が愛し、信じる何かを」
「……」
「人は、ううん、生ある者は皆、生命を繋ぐ義務がある。生きなければならないの。脅かされたら、抗わなければならないの。それは、義務なのよ」
ナタは闇に視線を向けたままで訥々と続けた。
「そう、考えてみると、それは果たして相反するものでしょーか」
くりんっと目を上げて、ナタは不意に冗談めいた口振りで言った。
「……え?」
「戦うこととは自分を守り、周囲を守ること。何かを愛し、信じていると言うこと。慈愛とは、相手を尊重し、同じように相手も生命を繋ぐ義務の元に何かを守ろうとしていることを理解すると言うこと。……それは、果たして相反するの?」
ふうん……。
戦いをイコール傷つけ合うこと、慈愛をイコール無条件に愛することと捉えるとこれほど相反するものが、考え方ひとつで確かにだいぶ視点が近くなったような気がする。共に、何かを大切にして愛することなんだと言うような気が。
「あたしはね」
さっきまでの厳かな口調ではない、軽い表情でナタは微笑んだ。
「あたしは、同じ表現手段を持つ生き物同士は、理解しあえると思っているよ」
「表現手段?」
「『言葉』と言うね。あるいは表情や仕草かもしれない」
「ああ」
「何かを大切に思う気持ちを持てる生き物同士は、理解し合うことは不可能じゃない。だって相手にも想う何かがあることは、気づけるはずなんだもの」
「……うん」
「あくまであたしの解釈でしかないけれど……ファーラの御言葉は、真摯に生きよ、と言うことなのだと思ってる」
「……」
「だからあたしは、自分の生命を繋ぐ為に必死に戦うよ。戦うけれど、相手も必ず尊重する。戦う時は真剣に戦う。相手も、自分の生命を繋ぐ義務に忠実に従っているのだから」
それからナタは、少し申し訳なさそうに上目遣いで俺を見た。
「戦うたびに、カズキに傷がついていることは、わかってはいるんだ」
「……」
「本当は、わかってるの。だけど……だけど、カズキは『生きよう』と言う気力が……あまりに微弱なんだもの」
ナタの言葉に、俺は顔を上げた。
「だからね、ごめんね。荒療治だって、わかってるの。わかってるんだけど、自分で対峙して、向き合って、もっとちゃんと受け止めて欲しいんだ。自分で自分の生命を守ることの……その重みを」
「……」
「生命を繋ぐ義務を負う相手の生命を断ち切って、繋ぐ生命。それは、攻撃を仕掛けてきた相手だけとは限らない。人は捕食する生き物だから、他者の生命を断ち切って取り入れて繋いでいく。……それが、どれほどの重みを持つか」
「……」
「生き延びようとする生命を断ち切って繋いできた生命を投げ出すことは、他者の生命をも軽んじることになる。自分の手で自分の生命を守っていくことで、今繋いでいるその重みをちゃんと受け止めて。……投げないで」
「俺は……」
動かしかけた口を噤んで、軽く頭を振る。何を言いかけたのかは自分でも、良くわからない。
「相手も必死に立ち向かってくる。こっちも死に物狂いで立ち向かう。……前に、言ったでしょ。生命の『摂理』だって」
「……うん」
摂理、か。
(生きようと言う気力が微弱……)
頭の中で繰り返して、小さく笑った。そうだな、そうかもしれない。生きたいと強く願う気持ちは、きっと今の俺にはないから……。
……不整合、だから?
そうまでして繋ぐ生命。そこには何の意味があるんだろう?他の犠牲を強いて尚生きようとする傲慢さ。それは、何の為なんだ?
「でも、どうしたの?急に」
「え?……あ、いや……」
作った笑顔を浮かべながら、心配そうに見上げるナタを見下ろす。自分でもどうしてそんなことが気になったのか、良くわからない。
ユリアの言葉が引っかかるから?
それは、あるだろう。
そこに、今の自分の在りようを……理由付け出来る何かが欲しかったから?……今更?
……それも……あるのかもしれない。
剣を振るうことに、人の返り血さえ浴びることに、ためらう気持ちがなくなった。けれどそんな気持ちを引き戻すように、時折起こる頭痛。何かから逃げている、何かから目を背けている、そんなふうにシャインカルクで感じた。
だけどそこを突き詰めて何になる?やらなきゃいけないことは同じだ。生きる為に他者を手にかける。ならば考えない方が良い。
だけど本当にそんなんで良いのか?わからない。考えたって正しい答えなんか見つかるわけがないじゃないか。ぐるぐる回る考えに疲れ、放棄し、果ては生命を繋ぐことさえどうでも良くなる。生かされているのは、ユリアがいるから。
薄く唇を噛んだ。行き詰まる思い、在りようの肯定の仕方がわからない。世界と俺の不整合。なのにまだ、帰りたくない。
(ユリア……)
……会いたい。
◆ ◇ ◆
マールは祭壇の前で意識を取り戻した。
神殿の祭壇の前だ。
夢の中ではホビットがマールに鍵をくれたのだ。
崩壊した村、リーフダーツ。神殿だけが無事に残っていたのだ。
マールは長い夢を見ていた。長い長い夢だ。
失われた村を求めて、マールは旅をしていたのだ。
息をついて体を起こしたマールの手には、鍵が握られていた。
夢の中でホビットがくれたものだ。
それを手の中に確かめて、マールは祭壇の奥へと進んだ。
長い旅が、始まる。
◆ ◇ ◆
「……あれ、かな?」
「そうじゃない?」
村をほぼ横断して、俺とナタはスウィニに言われた洞窟と思しきものを見つけた。ようやく、空がうっすらと白み始めている。
相当村の外れまで来たと思う。あれほど立ち並んでいた民家は今はどこにもなく、ただただ畑と山。それに、特徴的なのは、至るところにやはり石造りの四角い小さな建物が見えることだった。
「……何なのかな」
「何が?」
「あの、ちっちゃい建物」
俺の言葉にナタがきょとっと辺りを見回して、猫みたいな目をくりくりさせた。
「鍛冶場、かね」
「鍛冶場……」
ダイナの村の再現、だったりするんだろうか。
ここに来たのが本来来るべき資格を持つ……ダイナのドワーフだったら、ここに辿りついた時に何を思っただろうか。
『虚影』――失われた、かつての故郷。
「……あ。ねえ」
そんなことを思って今来た道を振り返ってみる俺の服を、ナタがつんつんと引っ張った。
すぐにその理由がわかる。
「あ……」
洞窟の手前の人影、長身の人物がこちらに気づいて立ち上がった。……シサーたち!!待っててくれたんだ?
手を大きく伸ばしてこちらに振る姿に、俺も応えて片手を上げる。
「良かったね」
「うん……」
「カズキぃぃぃぃッ」
シサーの横で勢い良く跳ね上がった人物が、そのままどどどどッと俺めがけて突っ込んできた。思わず足を止める俺に構わずその勢いのまま……って、おいッ。
「うわ……」
どすーんッ。
「……」
キグナス……。
「カズキ、無事だったんだなー。良かったー。心配したんだよ俺ぇ……」
「……ありがとう。ごめん」
ほとんどタックルをくらったみたくキグナスに飛びつかれたまま、尻餅をついてその肩を軽く叩く。シサーとニーナがキグナスの後を追うように、こっちに走ってくるのが見えた。
「カズキッ……無事再会出来て、良かった」
「もう。次から次へと手のかかるコね」
……。
すみませんね。
キグナスがのそっと俺から離れ、地面に座り込んだままで近づいてきたシサーたちを見上げる。
「シンたちは」
「この階層内を、お前を探しに行ってる。俺たちは行き違いにならないように待ってたんだ。出口は多分、ここだろう?……第3階層からは、いきなりこっちに放り出されたからな。この階層のどっかにいることを祈るしかなかったよ」
「いきなり放り出された?」
「ああ。祭壇があって女神像があんなと思ったら、いきなり最初みたいにこいつが」
言いながらシサーが、例の石を取り出した。親指で空に弾いて受け止める。
「反応しやがって、足元がなくなりやがった」
へえ。俺の時とは違う女神像だろうか。パターンがいくつかありそうだ。
「シサーたち、第4階層ってどこに出た?」
「どこって?」
「放り出されたんでしょ」