第2部第2章第24話 海底のダンジョン4 【虚影】 後編(2)
「いや、まだいいや……まだ何とかなるから気にしないで。いよいよ困窮極めたら手を貸して」
「……見てるあたしの方がいたたまれないから、頼むから食べて」
ああ……一応食うに困らないだけの食糧は持って旅しているはずだったのに、どこで間違えてこんなことになったんだろう。
「……ありがとう」
ナタに多少の援助を得て食事をとってから、俺たちは早々と眠りにつくことにした。することがあるわけでもないし、疲れてるし、どうせうろうろするなら夜よりは早く起きて朝の方が良いし。
粗末な部屋とは言え、壁や屋根があるのは安心だ。少なくとも何の物音もなく魔物が忍び寄ってくることはない。……多分。
日が沈みきってから、部屋の中程でナタがくるんと寝袋にくるまるのを見て、俺はドアに寄りかかるようにして座り込んだ。剣も手近なところにスタンバイする。明らかにナタの方が強いと言ったって、女の子を鳴子代わりにするわけにはいかないだろう、やっぱり。
「へへー」
「……何だよ」
「女の子扱いされるってーのは気分がいーねー」
「何だそりゃ」
「ふふふー。変な気、起こさないでねん」
「……俺はロリコンじゃない」
どんな気を起こせとゆーんだ。
「馬鹿なこと言ってないでさっさと寝なよ」
呆れて言った俺に、ナタは「はぁい」と素直に目を閉じた。ため息をつきながら、俺もドアに深くもたれかかって目を閉じる。
この階層で、明日こそはシサーたちに会えるかな……会えなかったとしても、抜けることは可能だろうか。
幸い、ナタが妖精語のヒアリングだけは、出来るから……。
つらつらとそんな考えの断片が浮かんでは消え、遠くでナタの寝息が聞こえたと思いながら、俺も少しずつ現実から意識が遠のいていくのを感じた。
◆ ◇ ◆
扉を抜けると、そこは岩場に囲まれた小さな村だった。
足を踏み入れると、マールは目を瞬いた。
「我々の村だ!!リーフダーツの、我々の村に帰ってきたのだ!!」
ゴブリンに襲われて失った、あの村だ!!
喜んだマールが村の中に飛び込んでいくと、長老が現れた。リーフダーツで誰よりも長く生きているナウムだ。
「マールよ」
ナウムは言った。
「お前が探している宝とは何だ」
「私が探しているのは、我々ドワーフの財産だ」
ナウムは、マールの言葉に頷いた。
手招きされるままにマールが連れて行かれたのは、村の外れにある丘だった。丘からは、小さな村が見渡たせる。
ナウムが言った。
「探し続ける心、旅の間の勇気、手を差し伸べてくれる優しさ。全てが、お前をここに導いたのだ。ここはお前の村だ。ここは我々の村だ。失った宝、それは、共に暮らす失われたはずの温もりだ」
マールは涙を零した。
そうだ。我々は帰ってきたのだ。
あの戦で失った宝、それは、我々の村なのだ。
◆ ◇ ◆
カタ……カタカタ……。
何か、いろんな夢を見ていたような気がする。
体は疲れているはずなのにどこか気が張っていて、眠りきれずにうつらうつらしていた俺は体に伝わる振動で意識を取り戻した。背中から……ドア?
そっと開けようとしているような動きに、もたれていたドアから背中を起こして振り返る。辺りはまだ真っ暗だ。窓から射す月の光の中、ナタが目を覚ました。
「……ん?」
「し……何か、いる」
声を潜めてナタに告げる。そっと体を起こして剣を構える間も、ドアは小刻みに揺れていた。時折、ノブを揺する。
「魔物かな」
剣を構えてドアから離れる。一応形だけは守るようにナタの前に立つ俺の背中にナタが問いかけるが、俺にだってわかるわけがない。軽く肩を竦めて応じる。
「さあね。違うと願いたいけどな」
暗闇の中、前を見据えながら答えた俺の願いは、神に聞き届けられたらしい。ドアの向こうにいる何者かが、そっと声を上げた。
「……誰か。ねえ、いるんでしょう」
思わずナタと顔を見合わせる。
「誰?」
こんなダンジョンの中に。
「ねえ。誰か、いるならここを開けて。……助けて」
「……開けて、みようか」
小声でナタに囁く。『助けて』とは……ちょっと、穏便じゃないじゃないか。
「うん」
ナタの答えを受けて、右手に持った剣を下ろしながらドアに近づいた。ノブに手を掛ける。
「君は、誰」
ノブに手を掛けたままでそっと尋ねると、驚いたような沈黙が返ってきた。揺れていたノブも鳴るのをやめる。やがて押さえたような細い返事が聞こえた。
「僕は、スウィニ。悪い奴じゃないよ。お願い、助けて欲しいの」
声を聞く限りは……子供?
まだ小さな男の子みたいな感じだ。
何で小さな子供がこんなダンジョンに?
疑問に思いながらも、とりあえずドアを開けてみる。
まだ夜中の時間帯なんだろうか。人のいない農村の中灯りはなく、ただ月だけが照らす暗闇の中、ドアのすぐそばに小さな人影があった。かなり小さい。俺の太股くらいの位置に頭がある。
「君は……」
「ドワーフ?」
俺とナタの問いかけに、スウィニと名乗ったドワーフが頷いた。
「うん」
口振りを見ると子供……なのかな。だけどどっかおっさんくさくて髭までがっつり生えてるもんだから……何だかなあ……。
まあ、いーや。ドワーフの子供って言ったって、年齢なんか知れたもんじゃない。俺よりは遙かに年長者の可能性がある。いや、まずそうなんだろう。
「中に、入っても良い?」
スウィニはきょときょとと小屋の中に視線を彷徨わせ、俺を見上げた。
「うん。どうぞ」
俺ん家じゃないけど。
そっと中に小さな体を滑り込ませてきたスウィニは、一度辺りを窺うようにしてから扉を閉めた。すぐに壊れそうな頼りない閂を下ろす。
一応訪問者がいると言うことで灯りを灯そうとカンテラを取り出す俺に、スウィニが静かに飛びついた。
「駄目。灯りは」
「へ?」
「あいつらに見つかる」
あいつら?
そう言えば『助けて』とか言ってたな。
スウィニの言葉に従ってカンテラをしまうと、月明かりだけを頼りに俺は床に直接あぐらをかいて座り込んだ。
「どういうこと?あいつらって誰?」
「悪い奴らだ」
そんなひとまとめな。
スウィニは内気そうな目を伏せてもそもそと答えると、俺とナタとを見比べた。膝を抱えて座ったナタが、その膝に顎を寄せるようにしながら口を開く。
「でさ、君は何してんの?こんなとこで」
「こんなとこ?」
「だってここ、ダンジョンの中じゃん」
呆れたようなナタの言葉に、スウィニは瞬きを繰り返して顔を横に振った。
「僕はここに住んでるんだ。僕も、みんなも」
「みんな?」
誰もいないみたいだったけど。
「じゃあここは、ドワーフの村だってこと?」
ナタの更なる問いに、スウィニは無言で頷く。……う、うーん。まあ魔物が勝手にダンジョンに棲み付くくらいだから、妖精が棲みついたってまあ……いいんだろうけど……変なこと、ないのかもしれないけど……変だよなあ。
「で、悪い奴らって?」
あぐらをかいた膝に頬杖をついて顔を支えながら聞くが、スウィニが答えるより早く窓の外で音がした。金属的な音、誰かの気配。
(え……?)
その時、どこか遠くで悲鳴が聞こえたような気がした。それに被さるような怒号。荒々しい物音。
それはまだ場所としては距離がありそうだったが、それとは別にさっき近付いてきた気配がこの小屋のすぐ近くで物音を立てる。
「……」
「来た……」
スウィニが小声で呟く。それには答えず、俺は抜いたままだった剣を握り直して窓の外に目を向けた。
「あいつらが、僕たちの村を襲ったんだ。みんな殺されたり連れて行かれたりした。僕もこのままじゃあ殺される。僕を、助けてくれる?」
「……どうすればいーの」
家の外に意識を向けたまま問う。スウィニが短く答えた。
「退治して」
「……」
ナタはともかく、果たして俺ごときに何とか出来るような奴ならいーけどな……。
思いながら立ち上がって窓から様子を窺ってみる。その時、人の声を聞いたような気がした。
……人……?
外から見えないよう気をつけて窓際に立った俺の心臓が、微かに鳴った。ついてきたナタが小さく俺の名を呼ぶ。
「カズキ……」
人だ。小さな村の衛兵が身につけてるような、チェーンメイルの簡素な鎧を身につけている。この小屋のそばの通りで何かを話し込む2つの影。耳を澄ませると、薄い家屋の外から会話が漏れ聞こえてきた。その背後、どこか遠くの方から悲鳴と怒号が絶え間なく流れてきて、暗い夜空の一部が赤く反射するのが見えた。――火!?
「どこかまだその辺にいるはずだ」
「見つけ次第、動くものは片っ端から殺せ」
穏当ではない。片っ端から、にはきっとスウィニだけではなく俺たちも含まれるんだろう。……いいさ。殺られる前に殺るのは、魔物と一緒だ。やがてその影がこちらに向かって歩いてくる。
「来るぞ」
「カズキ、大丈夫なの?」
「……平気」
技量が平気かどうかは難しいところだが。
「スウィニ。あれが、敵なの?」
「そう」
「彼らは、何者?」
視線を外に向けたままで、ナタが問う。スウィニは小さな声で「侵略者」と呟いた。
侵略者?ダンジョンの中に?
ともかくスウィニに奥に隠れるように言って、ドアに向かって剣を構えたところでドアが激しく揺れた。
「ナタ」
「うん」
「……援護、よろしく」
ガシャーンッ!!
強行突破を決めたらしい。荒々しくドアが破られ、飛び込んできた男たちがこっちを認識する前に床を蹴った。胸はチェーンメイルに覆われていて無理がある。狙うなら首筋と、先ほど決めている。狙いを定めて剣を下から振り上げたところで、ナタが魔法を発動するのが聞こえた。
「アモル・オムニブス・イーデム、森羅万象その全てを普く照らす神々の目よ、惑わし闇を聖なる灯に変えよ!!」
途端、炸裂する白い世界。
俺にとっては背後の出来事でも、侵入者たちにとっては目にもろだったろう。視界を奪われて眩んだようにたたらを踏んだひとりに俺の剣が襲いかかる。
白い光をまだ放つ世界の中、赤い血飛沫だけが有色のもののように見えた。
仲間に何が起きたのかわからないでいるもうひとりに、そのまま返す刃を突き立てる。
「うわッ」
咄嗟に風を切る音でも聞いたのか、男が腕を振り上げた。剣が篭手に当たって弾き返される。構わず俺はもう一度切り込んだ。男の足が俺を蹴りつける。バランスを崩してよろけた俺に、男が剣を構えて間近に迫った。
けれど、刀身が俺のものより短い。咄嗟に突き出した剣が、俺の真正面で男の額に飲み込まれていった。俺の方目掛けて噴出す、鮮血。
(俺……)
――剣を持つのは嫌だ……ッ……
どこかで、誰かの悲鳴が、一瞬だけ、聞こえた。
「カズキッ、平気!?」
「俺は、平気……」
どさり、と男の体が床に投げ出される。悲鳴を上げる間もなく命を絶たれた男は、崩れた床にあっという間に血溜りを広げていった。
「仲間は、どのくらいいるんだ?」
今みたいに不意をつければともかく、俺ひとりで何とか出来るわけがない。息をやや荒くつきながらスウィニを振り返ると、隠れていたスウィニが物陰から顔を覗かせた。俺を見上げる。
「ありがとう」
「まだ、終わりなわけじゃないんだろ?あと、どのくらいいるんだ?」
動かないことを確認する為に、出入り口付近に転がる2つの死体に視線を戻しながら訪ねた俺に、スウィニが黙って首を横に振った。わからないってことだろうか。
あんまりたくさんいるようじゃ、俺の手に余る。何か対策を練るために、どこか安全な場所と言うのはないんだろうか。
じっと黙って考え込む俺を、やはり黙って見つめていたスウィニがぽつんと尋ねた。
「ねえ……」
「え?」
「……どうして、泣いてるの?」
「……」
泣いてる……?
言われて手を上げてみると、頬に触れた指先に涙が伝った。……涙?誰の?……俺?
「さあ……」
泣いている自覚がない。
ぽかんとして、涙を拭う。拭った手の平は、血塗れだった。……血塗れ……そう、だって今俺は、人の命を奪ったから。
「……欲しいものを手に入れようとする時」
ぼんやりと涙と血の入り混じった指先を見つめる俺に、スウィニが不意に言った。今までの子供じみた雰囲気とは異なる雰囲気に顔を上げる。
「何かを失わなければならないことがある」
「……スウィニ?」
「我々は、人と共存している。だが、時には我々を守る為に立ち向かわなくてはならないこともある」
「……」
「勇気を持ってそれに立ち向かえ。今、お前は己にとって最も恐るべき敵に打ち勝った。そうあれ。さすれば、二度と村を失うことはあるまい」
何かに取り憑かれたようにそう語るスウィニの言葉に目を見開いた。……え?これってダンジョンのイベントなのか?
「ここに来るのが、ドワーフって前提の言葉みたいだね」
隣のナタが俺を見上げて、そっと小声で告げる。その視界の隅に、先ほど倒したはずの男たちの死体が映らなくなっていることに気がついた。……なくなってる。
「村の外れにある洞窟に向かえ」
そこでスウィニは言葉を切った。それから行き方を説明すると、続けて早口で何かを告げる。……妖精語。
「その言葉で、開くことが出来るだろう。進め。最後の階層に」
そこまで言って、不意にスウィニの姿が掻き消えた。
――己にとって最も恐るべき敵
……そうかな。
俺は、別に今更、人と対峙する、ことなんて……。
「カズキ?」
ぼんやりと手の平を見つめる俺に、ナタが心配そうに声を掛けた。顔を上げて、笑顔を向ける。
「ううん……」
今更、そんなこと、どうとも思ってない……。
「何でもない。……行こうか。その、村はずれの洞窟に」