第2部第2章第22話 海底のダンジョン3 【転走】 後編(2)
「はあ……」
きついなー。
ため息混じりに立ち上がる。出血は治まっただろうか。でもそのくらいだ。痛みが軽減されたとはちょっと思えない。血のこびりついた腕と手を拭うすべもなく、剣を鞘に収めて荷袋を肩に引っ掛ける。こっちでいいんだろうか……。
当面進路に定めた壁に続く穴の方向に足を向けかけて、空気が動くような気配を感じた。こういう状況に晒されっ放しで数ヶ月、さすがに危機管理は多少は出来てきているらしい。……まだ、魔物がいる。
「**** ******** ** ******」
ゴオオオ!!
そう感じた瞬間、前方の闇からオレンジの光が浮かび上がった。解読不能の言葉。――魔法!?
「うわッ」
咄嗟にどうしようか判断に困った俺を救ったのは、まさしく『転走』の床だった。つまり動揺してバランスを失った俺は、すてんともはや何度目かわからない転倒をする羽目になった。その頭上を炎の塊が掠め飛んでいく。
「……ってぇぇ……」
そのうち脳震盪でも起こすんじゃないだろうか。
したたかに打ち付けた腰をさすりながら、体を起こす。その俺の目の前に、ゆらゆらと何かが近付いてくるのが見えた。変な仮面みたいなのをかぶった、黒いローブ姿。30センチくらい、地上から浮いている。
(うわー……)
……ないわー……。
魔術師か?これ。人かどうかはわからないけれど、魔法を使う好意的じゃない存在だと言うのは見りゃわかる。
魔法使いに俺ごときが叶うと思ってんのかよ……。まじ、ないって……。
先ほどしまったばかりの剣の柄に手を掛けながら、じりっと床に片膝をつく。陸上の、スタートダッシュのような姿勢をとって、剣を抜き放った。魔術師は何も言わず、動きもみせない。
じっと静かに睨み合う中、再び魔術師が片手を動かした。得体の知れない言葉を放ち、浮かび上がった炎の塊が音を上げて俺に襲い掛かる。
「……ッ……って、あれ?」
咄嗟に片手で顔を覆った俺は、いつまで経っても襲い掛からない衝撃や熱さに、閉じた目を開けた。飛来してきてたはずの炎の塊は、どこにもなかった。
(……そうだった)
俺、火系攻撃は大丈夫なんだった。
つい忘れていた。
魔術師は不気味に沈黙したままだ。ともかくこのままじゃあ埒があかない。意を決して、剣を片手に低い姿勢のままで地を蹴る。もちろん、滑り止めのついた踵に力を込めて。
ぶんッ。
袈裟懸けに切りつけるが、今しがたそこにあったはずの魔術師の姿が消えるようになくなった。と思ったら、少し外れた位置で指先を伸ばす。空間移動の魔法は基本的にはないと聞いているから、移動したんだろう。
「くそ……うわッ……」
炎の魔法は通じないと理解したらしい。次に魔術師の指先から放たれたのは、氷の礫だった。めでたくまともに喰らう羽目になる。
「くぅッ……」
細かな氷礫が連射のように叩き込まれ、これは相当痛い。腕や顔のあちこちを抉られ、飛来するスピードで床に叩きつけられた。
「げほッ……」
またもむせこむ羽目になった俺に、宙に浮いたままの魔術師が無言で片手を振り上げる。その手の平にバリバリと生まれてゆく一際でかい氷の塊。それをどうする気かは聞かずともわかる。
終わった。
やっぱり俺程度じゃあ、ひとりでダンジョンを抜けるのは不可能だ。
今度は逃れられないだろう衝撃を予想して、そのくせどこか平静な気持ちで着々と育つ氷の塊に目を向けている俺の目の前で、いきなり魔術師の体がこっちめがけて吹っ飛んできた。
「うわ」
自分の意志で、という感じじゃない。後ろから予想外の衝撃を受けて吹っ飛ばされた感じだ。思わず伏せる俺の背後で、魔術師が氷壁に激突したような音と振動が感じられた。
(な……?)
「カズキッ……」
思わず背後を振り返って魔術師の末路を唖然と見つめる俺の耳に、声が飛び込んでくる。軽い足音。
声の方向……階段に顔を向けた俺の目に、紫の髪が揺れるのが見えた。
◆ ◇ ◆
「ナタ……!?」
余りと言えば余りに予想外の人物の登場に、開いた口が塞がらない。床に叩きつけられたまま座り込んでいる俺に、階段を上りきった少女……ナタが駆け寄ってくる。
「間に合って良かったよ。あんた、行方不明になっちゃうんだから」
行方不明って、どこの時点からの話をしているんだろうか。
「ナタ、どうして……」
「あ」
驚いたまま目を見開いて見つめる俺の問いは完全に無視して、ナタは俺の背後に目を向けた。つられてそちらに目を向ける。
「あ」
コローン。
何が起きたのか不明だが、壁にぶち当たっていたはずの魔術師の体が消えていくところだった。代わりに何かが床の上に転がり落ちる。
「やりぃ。アイテム持ち♪」
「アイテム持ち?」
「そうそう。たまーにいるんだよね。魔法使うような奴には結構多いけど」
言いながらナタは、軽い足取りでそっちに駆けていった。『転走』の床も何のその、まるで影響を受けていないような足取り。
「あー。残念だね。これはカズキには使えないなぁ」
「何?」
「魔術師のアイテムだね」
言ってナタが示したのは、チェーンのようなものに繋がったリングだった。キラリと金色の光を放つ。
「ロッドに装備するんだよ。魔法の威力の増幅になるはずだ」
「へえ……」
言いながらナタが俺に渡してくれるので、つい受け取る。
「もらっていいの?」
「あたしはいらないし」
魔法の威力の増幅……キグナスにあげれば喜ぶかもしれない。再会出来たらの話だが……って、だから!!
「……ナタ、どうしてここに」
「いちゃまずい?」
まずいとかまずくないとかって話じゃなくておかしいだろが。普通に。
「ともかく、痛そーだねー。ちゃっちゃと治すか」
「……え?」
まだ床に座り込んだままの俺の横にナタもぺたんと座って、にこっと笑った。相変わらずの大人びた眼差しとあどけない笑顔。……治す?
「アモル・オムニブス・イーデム。我らを守りし偉大なる女神ファーラよ。……癒しを!!」
瞳を閉じたナタが言葉を放つ。……神聖魔法!?ちょっとユリアとかクラリスと呪文が違うような気がするけど、概ね、似てる。優しい光が俺に降り注いだ。
「ナタ……」
目を見開いたまま、体が軽くなるのを感じる。傷が癒され、痛みが吸い取られていく。
「はーい。カズキくん、ふっかーつ」
ぱちっと目を見開いて、猫のような両目をくるくるさせたナタは、勢い良くひょこんと立ち上がってばしっと俺の肩を力一杯叩いた。
「いてぇッ……」
「あれ?まだどっか痛い?」
じゃなくてあんたが叩いたんだろーが、今。
「……すっげー聞きたいことがいろいろあるような気がするんだけど。俺」
どうしてここにいるんだとか、俺と再会したのは偶然なのかとか、偶然じゃないなら何の為なのかとか、どうやって俺の居場所がわかったのかとか、さっきの魔物に何をしたんだとか、そもそも治癒をしてくれたってことはナタって魔法が使えるのかとか、じゃあどうしてあの時わざわざメディレスにやらせたのかとか、ひとまとめにして何者なのかとか!!
「気のせいだよ多分。じゃあ行こうか。それともここに座ってる?」
これだけの疑問の数々を「気のせい」で片付けるな。
俺より年下の少女に翻弄されながら、仕方なく俺は押し黙って立ち上がった。握ったままの剣を鞘に戻す。
「ともかくさ、先に進みましょ」
「ナタは、一緒に行ってくれんの?」
「だーってカズキだけじゃ危なくてしょーがないでしょ」
ぐ……。
そりゃあそうだが、屈強な男とかに言われるならともかく、年端もいかない少女に言われるといかにも情けない。
とは言え、人を見かけで判断すると痛い目を見る。ナタが今し方、俺がやられかけてた魔術師を一撃で始末したのは疑いようのない事実だ。
「……何者なの、ナタ」
過去にもこの問いは口にした気がする。見つめる俺の視界の中で、ナタは少し意味ありげな笑みを浮かべた。どこか……儚いような。寂しいような。
(……?)
「何者なんでしょ。さてさて、こっち?」
「知らない」
「知らないって何よ。こっち行こうとしてるんでしょ」
「それはそうだけど、別に目的があってそっちに行こうとしているわけじゃない」
「……じゃあ何でこっちに行こうとしてんのさ」
「何となく」
ナタも別に道を知っているわけじゃないんだろうか。
首を傾げる俺の前で、ナタは小さく口の中で何か呟いた。が、特に変化は……。
「……あれ?」
目の前の暗い空間が、暗くなくなった。日の射す、普通の場所のように辺りが見て取れる。目を瞬いている俺を見上げて、ナタがにーっと白い歯を見せた。
「便利でしょ」
「何……魔法?」
「神聖魔法『可視皓』。『導きの光』とか『灯火』みたいに目に見える炎を灯すわけじゃなくて、本人の暗視を助ける。猫の目みたいなもんだ」
つまり夜目が効くようになったと言うことだろうか。これは便利かもしれない。炎を掲げているのは敵にも目印を与えることになるが、これは要は周囲は真っ暗に変わりはないわけだろ?
「へえ〜……」
「こっちに行くと何があんのかなあ……」
「……ナタ、どうして俺がここにいるってわかったの」
弾むような足取りで、俺の数歩先を歩くナタの背中に問いかける。顔だけ微かに振り向かせてから、ナタはまた前に向き直った。
「わかってたわけじゃないけどね。あたしね、神殿とか祭壇とか、場所にも寄るけどそれを使って移動することが出来るちょっと変わった能力があんの」
「――え!?」
いや、それは『ちょっと変わった』どころじゃなくて『相当変わっている』と思うんだけど。
「だからって何を出来るわけでもないけどね……。だから、カズキの後を追ったわけ」
……『だから』がどこにかかってるのかわからない。祭壇や神殿を使っての移動が出来るから俺を追うと言うのは意味不明だろう、やっぱり。
「そしたら第3階層でカズキ、ひとりで行方不明になっちゃったでしょ。これは大変だってわけで探したんだ。そしたら……カズキ、壁に傷を作って歩いてたじゃない」
「ああ……」
「あれを見つけたし。ああこっちに行ったんだなあってわかったから、追っかけてみたの」
……凄ぇ納得出来るような出来ないような……。
「何で俺の後を追うの」
「危なくてしょうがないから」
「くッ……いつから?」
「最初から。でも別にずっとじゃない、時々だよ。あたしだって別に暇なわけじゃない」
最初からかよ?
言葉を失う俺の前で、ナタはくるんと俺を振り返った。にこっと笑う。
「……カズキはこの世界の住人じゃない。いろんな意味で心配だった。その心配は、当たっているみたいだけど」
「え……?」
「そのうち教えてあげられる、かな?あげられないかな?どっちかな?」
なぞなぞのように、歌うように、また前に向き直りながら、ナタは軽い足取りで先に進んで行った。ああ、意味がわからない。
答えてくれるかはわからないけど、とにかく聞くだけは聞いてみよう。いくつか質問を投げかければ、そのうちいくつかは答えてくれるかもしれない。
「じゃあ、何者なのかは置いといて……神聖魔法を使うってことは、ナタは、プリーストなの?」
エルファーラの人とかは、それっぽい能力を備えている人もいるみたいだけど、ちゃんとした神聖魔法は聞く限り修行とか勉強とか、何かそういうのが要りようのようだ。それを思えば神聖魔法を使うナタはちゃんと学んだ人間――プリーストと言うことになる。
「……そうね……そう言えるかな」
こんな小さいのに!?
そうは思うものの、そう言われれば納得がいくような気がした。あの時……前に会った時にナタが得々と俺に語ってくれた話の内容……プリーストの言葉だと思えばその内容に納得がいく。どこか神がかっていると言うか。
「じゃあ何であの時、わざわざメディレスに回復魔法を使わせたの?」
プリーストなら、ナタが自分で回復魔法を使えたはずだ。だけどパララーザでナタは、メディレスを呼んで俺の回復をさせた。魔法をケチったわけじゃないだろう。
ナタが足を止めて俺が追いつくのを待つ。壁の中の通路は、狭く、ただただ直進だ。先に明かりが漏れてくるのが見えている。
「あたしはね、パララーザに神聖魔法の使い手だと知られたくないのさ」
「何で」
「ううん。パララーザに限らず。……カズキも変だと思ったでしょ。あたしが神聖魔法を使うのを」
「ああ……うん……まあ」
何でこんな小さい子が、とは思った。
「だから。あたしが何者なのか興味をそそるような真似は、極力したくないのさ。こんな小さな子供がってただそれだけで、興味を引く対象になってしまう。それが嫌なだけ」
「……ああ……そうなんだ」
じゃあ、ナタのことをあれこれ聞くのはまずいだろうか。
んでも、気になるもんは気になるんだけど。
「あとは聞きたいことは?」
俺の考えを見透かしたようないたずらっぽい笑みに、言葉に詰まる。そう言われると……聞かれたくないものをあれこれ聞くのもどうかと思うじゃないか。
「……シサーたちが、どうしているかは知ってる?」
少し迷って、俺はやや方向をずらした問いを口にした。ここまで俺を追って来たんだったら、知っているかもしれない。けれどナタは首を横に振った。
「わからない。そりゃあ最初のだだっ広いところまでは、あたしだって知ってたけどね。その後はカズキを追って来ちゃってるんだもん。あたしは別に、千里眼じゃないんだから」
「そうなの?」
「そりゃそうだよ。神様じゃあるまいし。身を隠す術に長けているだけ。あとは、ちょっと変わった能力があるだけ。……それだけ」
「ふうん……」
やっぱり何か納得がいかないけど。
曖昧な表情で頷く俺に、ナタが笑顔を向けた。
「ともかく姿を現しちゃったしね。このダンジョンを抜けるまで、一緒にいてあげるからさッ」




