第2部第2章第21話 海底のダンジョン3 【転走】 前編(1)
森の中を細く続く道を、辿っていく。どうやら途中から、本当にループゾーンに入ったらしい。ある一定の景色が繰り返されるようになっていった。
「だあーッ。あの、ロープみたいなツタ、さっきも見た!!」
キグナスが、空を仰いでぼやく。指で示した枝から枝へ伝うようなツタは、確かに俺も見覚えがある。
「間違いなくループしてるな」
先頭のカイルが近くの巨木に近づいて、ぼそりと言った。幹に深く突き刺さったナイフを引き抜く。
「さっき俺が刺したものだ。間違いないな」
ループを疑って確認の為に刺したんだろうか。
「第2階層は『幻惑』か」
ぽそっとゲイトが呟く。そうだった。そう言えばそんな名前がついてたんだっけ……。
(『幻惑』……)
俺がサキュバスに見させられた夢――それも『幻惑』と言えば言えるんだろうけれど、カイルの言うように魔物の介入は製作者の意図とはかけ離れている可能性が高い。
とすればサキュバスの幻惑はダンジョン的に言えばいわばオプション、予定外。つまり本来の『幻惑』は他にあることになる。
「まさしくこの道が『幻惑』なんだろうな」
俺の後ろでシンが言う。この道が『幻惑』、か。
「何かを見落としているんだろう、多分」
「見落としてる?」
「大雑把に言えば、考え方は第1階層と変わらないんじゃないかなあ」
少し前を行っていたゲイトが足を止めて、俺とシンが追いつくのを待った。
「あっちだってさ、回廊だったっしょ。間違った女神像の中に混じったたったひとつに気づかなければ、ぐるぐる回ってた」
「ああ……じゃあここも、いわば回廊状態になってるんじゃないかってこと?」
「そ」
「途中に逸れるべき道があるのに、見えてないんだな。第1階層と違って面倒なのは、森の中だってことだ」
シンが淡々と言いながら、辺りを見回した。
「木や草が生い茂っているってのは、それだけで視界が悪い。剥き出しのタイルとはわけが違う」
それもそうだ。例えば何かのレバーやらスイッチやらがあったとしたって、草に隠れてちゃ見えないし、石の下に隠れてるのかもしれない。そんなもんをひとつひとつ、草でもかき分けて石をどかすなんて不可能に近い。
「うーん」
「『ハリーバール』か」
考え込むように、自分の顎に組んだ片手を押し当てていたシンが呟く。何だっけ、それ。
「『セイリエルースの森の主』だろ」
きょとんと目を瞬いていると、ゲイトが補足してくれた。……ああ。ドワーフの伝承か。サキュバスのせいで俺の中では『あっちの世界』で過ごした感があるものだから、ニーナから話を聞いたのがだいぶ前のような気がしてしまう。
「どっかにいるんだろうな。『ハリーバール』が」
「んでも『ハリーバール』のヒントはなかったよね」
伝承だからもしかすると抜け落ちてるのかもしれないけど……って待て待て。それじゃあ永遠に辿りつけない。
「ああ。なかったな」
嫌なことを考えてしまって、つい内心冷や汗をかいていると、そんなことはお構いなしにシンがあっさり肯定した。ヒントがなけりゃわかんないじゃん、『ハリーバール』。
「『普段は眠っている』か……」
「ニーナは『森の歌』ってやつを知ってるのかな」
「さあ。聞いてみよう。……ニーナ」
弾むような足取りでシサーの後を歩いているニーナに、シンが声をかける。軽やかに振り返ったニーナが足を止め、さっきのゲイト同様、そのままそこで俺たちが追いつくのを待つ。一緒に歩き出しながら、ニーナが首を傾げた。
「何?」
「『森の歌』ってやつは、見当がつくか?」
シンの言葉にニーナは2、3度目を瞬いてから微笑んだ。
「わかると思うわ。森はわたしたちの領分だもの。ドワーフの伝承にさえ使われているとくれば、それほど知られているものは限られてるわ」
わたしたちの領分……。
「ニーナ。森の精霊とかから何かヒントとか、聞けたりしない?」
ふと思いついて尋ねると、ニーナはそちらの質問には否定的に首を振った。
「この森は精霊の気が微弱なの。ないことはないけれど、多分ダンジョン内の仮想空間だからだと思うわ」
「そっか……」
まあ、俺が思いつくことをシサーやニーナが気づかないとは考えられないし、やれるんならとっくにやってるか。
第2階層は『幻惑』。
何かに騙されている。
キィワードになるのは多分『ハリーバール』……としか考えられない、よな。
マールは鍵を使って最終地に入った。
俺たちは『3つ目の鍵』を使って神殿に入った。
マールは女神に扉を開けてもらった。
俺たちは女神の彫像にヒントが隠されていた。
……とすれば次の段階でくるのはやっぱりグノームたちのエピソードのどこかが、俺たちの次のヒントになると考えるのが妥当だろう。
キィワードになりうるのはいくつかないわけじゃないけれど、やっぱり1番それらしいのは、マールが宝の話を聞くために訪ねる『ハリーバール』。
普段は木の姿をしている『森の主』だろうな。
伝承の中では、『ハリーバール』の居場所について深くは触れていない。グノームの話の中でもそうだし、次のシーンでは伝承にありがちな杜撰さでマールは『森の主』に行き着いている。
だけど、『森の歌』を歌えったって場所がわからないんじゃやりようがない。まさか無作為に大声で歌いながら練り歩くわけにはいかないだろう。歌を知っているのはニーナだけなんだ。それをやって何か起こるにしたって、起きた時にはニーナの声は嗄れている。
『ハリーバール』――普段は眠っていて、『森の歌』で何かが起こる木の、特定の仕方があるはずだ。何か。
「『ハリーバールに冬は来ない』……どういう意味なんだろうな」
考え込むような顔をしていたシンが、ぼそりと言う。
『冬は来ない』……。
冬眠しないとか。
……そもそも冬眠する木を聞いたことがない。
逆に冬が来る木ってのは?『ハリーバール』に冬が来ないんだとして、他の木には冬が来るってことになる。冬が来ると何が起こる……。
(……あ)
「戻ろう」
俺たちとは少し離れた位置にいたシサーが、不意に大股で戻って来た。
「え?戻る?」
「ああ。……『ハリーバール』は常緑樹だ。言われてみればここは落葉樹ばかりだからな」
冬が来れば、葉が落ちる。葉が落ちないのは常緑樹――『ハリーバール』は常緑樹だ。それも『森の主』ってくらいだから、樹齢を重ねた巨大な木。
俺が気づいたことと同じことを言われてすんなりと納得はしたものの、常緑樹ってどこかにあったんだろうか。針葉樹と広葉樹なら区別はついても、落葉樹と常緑樹の区別なんて俺、わからないし。
「ゲイトが覚えてた。お前たちが『宝箱があった』って騒いでいた場所があったろう」
俺を通り過ぎながら、シサーが教えてくれる。
「野営した辺りの?」
それに追いつきながら、あの宝箱を根元に置いていた木を思い出した。太くて樹齢何百年も何千年もありそうな……。
(『森の主』……)
あの木のことだったのか……。
元来た道をひたすら戻り、野営した場所まで戻って来る。そこから宝箱のあったメルヘンチックな脇道を進んでいくと、昨日と変わらず足下に宝箱を置いた巨木が静かに佇んでいた。
「何か起こるのかな」
「起こってくんなきゃ困んだろう」
そりゃそーなんだが。
「じゃあ歌うわよ」
木と向かい合うように立ったニーナが、俺たちを振り返った。少し照れたような顔をして、自分の頬を撫でる。
「……何か恥ずかしいわね」
「綺麗な歌声、期待してますよー」
ゲイトがからかうようににやにやと言って、ニーナがそれを睨みつけた。
「ずるいわよ。もう……」
それから諦めたように木に向き直る。息を吸い込むようにその背中が揺れ、ニーナの細い声が歌を紡ぎだした。
「****************** ***
**** ******* ****** **
************ ***********
******* ** ************」
(……凄いな)
目的も忘れて、思わず聴き入る。ニーナの細い声はハープを思わせる柔らかなソプラノで、奏でる旋律は懐かしさを感じさせるものだった。まるで妖精……ってそうだった。すぐ忘れがちだけど、この人妖精。
(ふうん……)
良く出来た絵を見ているみたいだ。
緑深い森の中、時を感じさせる荘厳な木の前で美しい歌声を響きわたらせるエルフ。まさしく『森の妖精』と言う言葉がしっくり来る。
ドワーフが歌えば酒瓶でも片手に陽気なものに聞こえるのかもしれないけれど、エルフが歌うとそれは、明るいながらも優しい歌に聞こえた。何を言っているかは全く理解不能だが。
やがて歌を歌い終えたニーナが、木と向き合ったまま軽く息をつく。木は少しの間、沈黙を保っていた。
……が。
「消えてく……」
キグナスが呟くのが聞こえる。目を見張る俺たちの前で、その太い木の幹が少しずつ薄くなっていった。代わりに巨大な黒い口が徐々に浮かび上がって来る。
「入り口……?」
幹の一部が綺麗に消えた後には、ぽっかりと口を開けるように、巨大なうろが姿を現していた。
◆ ◇ ◆
マールはハリーバールに会った。
ハリーバールは眠れる森の主だ。ハリーバールは何でも知っているのだ!!
「ハリーバール!!」
マールはその偉大な姿に歓喜して叫んだ。
そしてグノームたちの言う通り、『森の歌』を歌った。歌いながら踊った。
マールは次第に楽しくなった。
「私を呼ぶのは誰だ!!」
すっかり陽気に歌って踊っていると、やがて地面をびりびりと揺らすような声がした。
「楽しい歌だ!!私も一緒に歌おう!!」
言いながらハリーバールは枝を揺らしながらマールと一緒に歌いだした!!グノームにもらった靴は、マールに一層踊りを上手にさせた。
「やあ、楽しい!!こんなに楽しいのはいつぶりだ!!」
「私はハリーバールに聞きたいことがあるのだ。ミスター・ハリーバール。ドワーフの宝の隠し場所を教えてくれ!!」
ハリーバールは木の枝を揺らした。
「よし来た!!私の体を上っててっぺんまで行きなさい。リトルモアが連れて行ってくれるだろう」
マールはハリーバールを上った。汗をかき、時にその枝で眠りながら上った。ハリーバールは背が高い!!
やがてたどり着いたマールは、てっぺんの木の枝に立って大声で叫んだ。
「リトルモア!!私を連れて行ってくれ!!」
すると、遠くの空から鳥が飛んできた。紫の羽をした綺麗な鳥だ。リトルモアが来たのだ。
「私がお前を運んでやろう。さあ、私の背に乗るが良い!!」
ハリーバールの言ったことは本当だったのだ!!マールはリトルモアの背に乗った。
けれども、幾日か飛ぶうちに大きな鳥が現れた。リトルモアより大きいのだ。
大きな鳥は鞭のようにその羽でリトルモアをひどく叩いた。リトルモアは、まるで萎んだ雲のように真っ逆様に墜落した。
マールは水の中に放り出された。水だ!!森の中にある湖に落とされたのだ!!
「助けてくれ!!」
マールはもがいた。するとウンディーネが現れた。彼女は水の妖精なのだ。
「私が助けてあげられるわ」
ウンディーネはマールを岸に連れていった。
「助かった!!」
「代わりに、助けてあげて欲しい人がいるの」
「私で出来ることならば、私は何でもしよう!!」
するとウンディーネはマールを連れて木陰へ行った。そこには老人が岩に腰掛けていた。
「どうなさったのですか」
「私は動けなくなってしまったのだ」
「なぜ動けなくなってしまったのですか」
「なぜなら靴が壊れてしまったからだ」
老人の言葉にマールは飛び上がった。
「私は急いで南の神殿に行かなければならない。私は司祭なのだ!!」
「そいつは大変だ!!」
マールは急いでグノームの靴を差し出した。
「こいつはグノームの靴だ。何倍にも速く神殿へ行けるに違いない!!あのグノームだ!!」
「助かった!!」
老人はぴょんと岩から飛び降りた。
「だが君が困るのではないかね?」
「それなら大丈夫!!」
マールは自分の靴を持っているのだ。
老人は早速グノームの靴を履くと、マールに赤い石を渡した。きらきら光る綺麗な石だ。マールは喜んだ。
「代わりにこれをやろう」
「ありがたくもらうことにしよう!!だが私はこれからどうしたら良いのだろう」
考え込むマールに、老人が言った。
「神の言葉に従えば、きっと道は拓けるだろう」
「そうしよう!!」
マールは頷き、老人は走り去った。