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QUEST  作者: 市尾弘那
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第2部第2章第20話 海底のダンジョン2 【幻惑】 後編(1)

 そういうつもりがあったわけじゃない。どこかへ向かう目的があって、中庭から駆けてきたわけじゃない。

 ただ、駆けながらいろんな考えが浮かんでは消えた。

 いろんな顔が……浮かんでは、消えた。

(家……)

 ただ無我夢中で体の動くまま走って来た俺が我に返ると、自分の家の前だった。

 ……覚えてるもんなんだな。体が。

 家を目指して来たつもりなんかなかったけれど、きっと本能で知ってるんだろう。自分にとって1番……安全な場所を。

 こうして目の前にしてみると、全身が安堵するように力が抜けた。それと同時に、今いるここが夢だと思えなかった。抱きついてきたなつみの感触、走ったことで体に感じる重い疲れ、息切れ。夢だとしたら、余りにリアルだ。

(嘘だろ……)

 呆然と家の前に佇んで、思う。

(本当に、俺……)

 帰って、来ちゃったのか?

 あんな、中途半端なところで……?

「あら?和希?」

 門に手をかけたままぼんやりと立ちすくむ俺の耳に、懐かしい声が聞こえた。顔を向けると買い物帰りらしい母親が、スーパーの袋を片手に俺を見て立ち止まっている。

「あんた、学校終わったの?……あら?それ、上履きじゃない?」

「あ……」

 そうだった。履き替えるなんて真っ当なことを思いつく精神状態じゃなかったものだから、そのまま帰って来てしまったらしい。……まあ、うちの上履きはスニーカータイプだから、そんなに恥ずかしい状態でもないと思うんだけど。

「どうしたのよ?具合でも悪いの?」

 懐かしさに、不覚にも泣きたいような気がする。何の心構えもなく数ヶ月引き離された肉親。しかもこの数ヶ月は毎日精一杯で、数ヶ月より遙かに長く感じられる。

「……ただいま」

 ようやく声を押し出す。目を瞬いていた母親は、俺の言葉にくすっと笑いながら再び歩き出した。こちらに近づいてくる。

「おかえり。……やあね。何なのよ。何ヶ月も会ってなかったみたいな顔して」

 変な子ね、と言いながら俺の横を通り過ぎて、動こうとしない俺の代わりに門を開けた。

 その背中に続いて家の中に入った途端、ふわりと鼻を懐かしい匂いが刺激した。……家の、匂い。

「ただいま……」

 もう1度、繰り返す。本当に帰って来たんだと言う気がした。……帰って、来ちゃったんだと言う気が、した。

(何だよ、それ……)

 湧き上がるのは、なぜか歓喜じゃなかった。焦燥、もしくは……落胆?それに近い、胸に苦く重い感じ。その正体も理由もわからないまま、軽く唇をかみ締める。

「あんた、鞄とかどうしたの?」

「……」

「どうしたの?本当に変よ、あんた。何かあったの?」

 ぼーっと今度は玄関に突っ立ったままの俺に、さっさとキッチンに入って行った母親が、顔だけ覗かせて眉を顰めた。心配そうな顔。

「……何でもないよ」

 何がどうなったのかはわからないままだけれど、微笑みを作る。苦い思いに満ちた笑みになった。

 ここが、俺の現実……。

(じゃあ、あっちは?)

 夢?

 幻?

 ……それとも、現実……?


 母親に促されるまま家に入った俺は、かつてそうしていたように自室に入って制服から私服に着替えた。しばらくして俺の鞄を持った雄高が、家を訪れた。

「おーまえ、何だよー。帰るんなら一言断ってからにしろよなー」

 何から考えていいのかわからないまま、何となくぼうっと自分の部屋にいた俺は、これまた懐かしい雄高の顔を見るなり、全てを話してしまいたい衝動に駆られた。

 何がどうなったのか、客観的な意見を聞きたくて。

「雄高……」

「んー?何だよ?寝てたのか?」

 だけど……。

 ……何て言うんだ?何を言うんだ?

 客観的な意見なんか、わかりきっている。中庭で寝ていた俺は、夢を見ていたんだ。あまりに深く夢を見すぎていて、リアルに感じすぎた。目が覚めて、夢と現実が混乱している。

――それ以外に、考えられないじゃないか。

「いや……何でもない」

 誰かに聞いて欲しいと思う反面、言えないと思う。口から出かかった何かを飲み込み、俺は笑顔を作った。

――カズキ、最近笑わなくなったから

 キグナスの声が、耳に蘇る。

「ちょっと体調が悪いんだ。……鞄、ありがとう。少し、寝るよ……」

 別れの言葉も、言えなかった。

「うん?そうか?」

「……うん」

 少し俺を変な顔で見ていた雄高は、頭をかきながら微妙な表情で鞄を差し出しながら首を傾げた。

「……和希」

「ん?」

 鞄を受け取る。確かに俺の鞄。……あの日、持ってたもの。

「何かあったんなら、言えよ?」

――やりたくねぇこととか、どうしても無理なこととか……言って良いんだぜ

「……」

「ま、何もしてやれねーかもしんねーけどな」

「うん……さんきゅ。でも本当に、大丈夫だよ」

 気遣いに感謝しながら作った笑顔のまま雄高と別れた俺は、部屋に戻って鞄を床に下ろすと、そのままドアにもたれかかってずるっと座り込んだ。

 閉じた瞳を片手で覆う。

 シェイン……ロドリスとの戦争に出陣したきりだ。どうしただろう。無事に戻って来られるといーんだが。

 シン……ようやく打ち解けてくれ始めたんだけどな。愛想がないのは相変わらずだけど。

 シサーとニーナ……ずっと最初から俺を助けて、支えてくれた。少しは、足手まといじゃなくなって来たかもしれなかったのに。

 キグナス……あっちで多分、俺にとって1番の友達。俺より年上のくせしてどっか抜けてて頼りないけど。

 そして……。

(……ユリア)

 あんな悲しい顔をさせたままになってしまった。伝えたい言葉なら、他にあったはずなのに。

 何ひとつ、伝えることが出来ないまま……。

(嘘だろ……)

 浮かんで消えるいくつもの顔、いくつもの声。

 何も伝えられないまま、全てを途中のままで放り出して来てしまった。俺は、あちらへの行き方がわからない。

 しばらくそうして、ぼんやりと座り込んでいた。その間、自分が何を考えていたのか覚えていない。ただ、様々な思いや記憶が浮かんでは消えていった。

 次第に、部屋に薄闇が忍び込んでくる。電気もつけずにぼーっとしている俺の部屋は暗く、けれど窓から差し込む外の光が家具の輪郭を浮かび上がらせている。俺の家は代々木にある。東京23区に含まれるこの場所では、ローレシアのような真の闇は訪れることがない。

 もう、闇の中に異形のものの気配を感じて気を張る必要はないんだ。命を狙われることなんか、ありえないんだから。

「……良かったじゃないか」

 何はともあれ。

 口に出して呟いてみると、薄闇に放り出された俺の言葉は行き場をなくして白々しく浮かび上がった。

 階下から母親の作る夕食の匂いが階段を上がってくる。何だっけこれ……カレー。

 いつの間にか学校から戻ってきたらしい弟の拓人が、母親に何か怒鳴られる声が聞こえる。

(良かっただろ……)

 心の中で繰り返す。

 帰りたいと思っていた。俺の大切なものは、みんなこっちに残して来たんだ。帰りたかった。

 レガードは無事、見つかったんだ。意識不明だとしてもそれはもう、俺に何が出来るわけじゃない。レガードを見つけることと、彼が行方不明になった背景を知ること――ユリアとの約束は、果たしたんだ。俺のしなきゃならないことは、もうないはずだ。

 ……俺がいた場所に本来立つべきなのは、俺じゃない。レガードなんだから。

(夢……?)

 手のひらを開いてみる。剣を握り続けたせいで、ぼろぼろになってたはずの手のひらは、何事もなかったように柔だった。マメのあとひとつない。

 立ち上がって鏡を覗き込む。伸びてきてたはずの髪は短く、少しずつ上がってきてたはずの視界の高さは、かつてこの部屋で過ごしていた時と変わらないような気がした。

 ……夢、だったんだろうか。全部。

 その手を血で汚した記憶さえ。

 ……君を抱き締めた、温もりさえ……。

「和希ー。ごはん出来たわよー」

 階下から響く母親の声に、我に返る。

 夢だったとしても、現実だったとしても、いずれにしても。

「うん……今、行く」

 ……いずれにしても、全部、終わったんだ。

 手の中から再び……大切なものを、こぼしたまま。


          ◆ ◇ ◆


「おはよー」

 俺にとっては、ひさびさの登校。

 あの日の朝そうしていたように、迎えに来た雄高の自転車の後ろに乗って、のろのろと歩いていく生徒たちを追い越していく。黒い髪と黒い瞳の群れ。多少茶髪だの何だの混ざってるとしても、本来の姿は統一されたその姿。

 初夏の風と、まだ熱を放つ前の眩しい太陽の中、制服姿の中になつみの後ろ姿を見つけた。

(……そうだった)

 忘れてた。なつみのこと。

 俺、彼女に何か答えを用意しないといけないんだろうか。

「なっつみー!!はよーっす!!」

 何も知らない雄高が明るく声をかける。振り返ったなつみが雄高の後ろに俺の姿を見つけて、陰った笑顔を覗かせた。

「……おはよう」

「……はよ」

 どんな顔をして良いのかわからなくて、顔をそらしたまま挨拶を返す。幸いこちらは自転車だ。雄高の漕ぐ自転車は、あっと言う間になつみのことを追い越して行った。

「なあ」

「え?」

 もうじき校門が見える。自転車のペダルを漕ぎながら、雄高がぼそっと口を開いた。

「お前、なつみと何かあったの?」

「え?」

 な、な、な、な、何で!?

「昨日、お前もなつみも、何か様子が変だったから」

「……」

 自転車が校門を抜ける。チャリ置き場に自転車が入る前に飛び降りて待っていると、自転車を停めた雄高が複雑な表情を浮かべて片手の中で鍵を鳴らしながら、戻ってきた。

「なつみに告られたりとかしたんだったらさあ」

「……」

「つきあっちゃえばいーじゃん」

 ……は?

「付き合ってやれよ。可哀想じゃん。いーじゃん、あいつ可愛いし」

「……」

 気楽に言いながら歩いていく雄高に、違和感を覚える。

 雄高って、こんなふうに言う奴だっただろうか。良く事情も、俺の話も、聞きもしないで。

 俺と雄高の間では恋愛めいた話ってのは出たことがない。俺自身に特に好きだと思うような人がいなかったせいもあるだろうし、雄高も多分そうなんだろう。

 そりゃあ誰々が可愛いだのスタイルがいいだの×××だのって話をしたことがないとは言わないが、その程度だ。この年齢の男なら興味が湧くだろう常識範囲の話で、特定の誰かについてとかそういうのは……なくて。

 だから、雄高が恋愛話でどういうことを言うとか言わないとかは、正直良くは知らない。

 知らないけど、でも俺は雄高という人間については、良く知っている。

「つき合えよ。なつみに良い返事してやんなよ」

 だけど、俺が何も言っていないことに対して、押しつけがましい意見なんか言う奴だったか?俺が相談でもすれば、親身に考えてはくれるだろうが。

 これじゃあ俺の意見や気持ちは無視して、なつみの援護に回っているようにしか見えない。

「好きな奴とかいるわけじゃないんだろ」

 下駄箱で靴を履き替えながら、どきりとした。黄金色の髪が脳裏をかすめる。

「好きな人……?」

 小さく呟く。俯いた視界の中で、小さな足が近づいてきた。

「野沢くん」

 なつみに追いつかれたらしい。

「おはよう」

「……はよ」

 はにかむような笑顔に、昨日逃げ出した罪悪感が押し寄せる。

「昨日の返事、考えてくれた?」

 昇降口には次々と生徒がやってくる。こんなところでそんなことをあからさまに聞かれると思っていなくて、言葉に詰まった。靴を履き替えた雄高が、俺となつみを黙って見比べる。

 その目の前で、なつみが俺の腕に腕を絡めた。

「ね……良い返事が、欲しいの」

 なななな何か、変だぞ、やっぱり。

 まるで誘惑するような色っぽい目つき。朝っぱらから昇降口でどうかと思う。

「あの、なつみ……」

「和希。男らしくねーなー。なつみが可哀想じゃないか」

 あのなあ。

「野沢くん、2人でどっか行こうよ……」

「いや、あの……」

「ねえ、2人になれるとこに行こーよ……」

 言いながら、なつみがまたしなだれかかってくる。誘うみたいに俺の首に這わされる白い腕。……絶対違う!!絶対おかしい!!こんな人じゃなかったはず……ってゆーか、普通の神経の持ち主なら出来ると思えない。

「ね」

「……なつみ、離して」

「何でそんなにつれないの?ねえ、わたしのこと、嫌いなの?」

 間近でなつみが覗き込む。その綺麗に整った容姿、確かに可愛いと思ってはいた。いや、今だってこうして見ればやっぱり可愛いとは思うさ。

 だけど。

 ユリアの幻影が、俺の脳裏に走る。責めるような悲しい眼差し、拗ねるように尖らせた唇……思い出したくて思い出せずにいた、花開くような、笑顔……。

 切ないような胸が痛むような、そんなふうに心の底から湧き上がる愛おしさ。他の誰かを可愛いとか綺麗だとか思うことはあるとしたって、そんなふうに感じるのはユリアにだけなんだ。

 なつみが何かおかしいとは思う。理由は知らない。原因なんかわからない。だけどそんなことより何より、俺はユリアじゃなきゃ嫌なんだ。他の誰も欲しくない。少なくとも今は、俺は……。

「……好きな人がいるんだよ」

 昨日の混乱が、また頭に蘇る。雄高にもなつみにも感じる違和感。それともそれは、俺の頭がおかしくなったのか?長い夢に染まって、夢の中のユリアへの想いに引きずられているだけなのか?

 混乱が、恥も外聞も投げ出させる。登校して来た生徒たちの行き交う昇降口で、人目も構わずしなだれかかるなつみと、そのなつみを援護するような雄高に、思わず俺も周囲を構わずになつみを引き離す。そんなにでかい声で言ったつもりはないけれど、まるでみんなが耳をそばだてていたかのようにしんとなった。

「……じゃあそれでも、いーわ」

 は?

 一瞬驚いたように目を丸くしていたなつみが、やがて気を取り直したように口を開いた。

「それでもいいって言ってんのよ。……どっか、行こうよ……」

「なつみがそう言ってんだから、いーじゃん。どっか行って来いよ」

 だからどっかって、どこだよ!!良くないだろ!!

「何だよ、何か、おかしいよッ……」

 せっかく引き離したのにまた腕を絡めるなつみを、再度無理矢理引き剥がす。途端、なつみが泣き出した。

「ひどい……」

 待ってくれ。ひどいって。

「あーあ。和希が付き合ってやらないから泣いちゃったじゃないか」

 そう言われると弱い。両手で顔を覆って俯いてしまったなつみに、わけがわからないまま謝る羽目になる。

「なつみ、あの、ごめん……言い方がきつかったかもしれないけど……」

 果たして自分が悪いのかさえわからないまま謝っていると、足を止めてこちらを見ている生徒たちの後ろから先生が姿を現した。

「何騒いでるんだ。早く教室に行きなさい」

「野沢くんが秋名さんを泣かせちゃったみたいで……」

 誰かが余計なことを言う。その言葉に先生が顔をこちらに向けた。

「1-Aの野沢か」

「あ……はい」

 誰だっけ。この先生。

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