第2部第2章第19話 海底のダンジョン2 【幻惑】 前編(2)
苔を敷き詰めたみたいな細い道を歩いていくと、キグナスが幅数メートルもありそうなでっかい木の根元にしゃがみこんでいた。樹齢どのくらいになるんだろうか。横から覗き込むみたいにして、ゲイトが立っている。その足元には確かに箱があった。宝箱……なのかもしれないが、どちらかと言うと堤と言う感じの箱だ。A4のコピー用紙とか入ってるダンボールくらいの大きさの、長方形の箱。少しだけ大きい蓋がかぽんと被さっている。
「これ?」
「おお」
「何か箱からして既に年代モノの匂いがするね」
箱が苔むしている。だけじゃなく、小さな花まで咲いている。
「鍵穴は?」
「それが、ないんだよな」
箱の正面を覗き込むように屈みこんだゲイトが、くぐもった声で答えた。
「さっきも見たんだけど、鍵穴はないんだ。代わりに気になるのが……」
言いながらゲイトは、箱の側面を示した。模様が入っている。綺麗な円の窪み。
「見覚えのある円の大きさだろ?」
「見覚え……ああ」
ゲイトたちが第1階層で見つけた、意味不明な金属の輪っか?
「あ、じゃあ、あれが鍵になってるんじゃないかって?」
「じゃねーかなーと思ってる。まだ試してないけど」
言いながらゲイトは輪っかを取り出した。くるんと人差し指を真ん中に入れて回転させてから、黙って俺の隣に立っているシンを見上げた。
「やってみていい?」
「早くしろ」
「んじゃ行ってみよう」
「早く早く」
キグナスがきらきらとオレンジの瞳を輝かせて急かした。
「結構重い?持ってみた?」
「ああ。持ってはみた。大した重さじゃないな。箱自体の重さとさして変わらない……」
「開いた」
シンの言葉に被せるように、ゲイトの声が重なる。
一応はわくわくして覗き込んでみた俺たちは、蓋が半ば以上開いた瞬間からがくーっと項垂れた。
「またガラクタ?」
「何だこりゃ……」
蓋が完全に開くと、中に入っていたのは鉄の棒だった。直径30センチくらいのただの棒。
「……こんなに容量いらねぇじゃん」
「……でも斜めにぴったり入ってるから、この対角線の長さが必要だったんだよ」
中に手を突っ込んで取り出した棒をゲイトがひらひらと振ると、しゃがみこんだ膝に両肘をつけて顎を支えたキグナスがため息混じりに呟いた。
「んでもさ……」
「多分、続くな」
俺が言いかけた言葉と多分同じことを、シンが言う。
「だよね」
「ま、そうだろうな。ガラクタに見えるけど、次にまた何かの鍵になってんのかもしれない」
わらしべ長者みたいだ。
そんなことをふと思ってから、ドワーフのマールの話を思い出した。
そう言えばあの話も……どっかわらしべ長者みたいだよな。
ニンフにもらった花、その花をグノームにあげて、代わりにマールは靴をもらう。靴の代わりに今度は……。
(そっか……わらしべ長者か……)
次々と交換されていく物。最初は金属の輪っかで始まって、それが最終的に何に変わるのかはわからないけど……何かに変わるのかもしれない。
「んじゃ、後生大事に持って行きますか」
ぱこん、と蓋を元通り閉めながら、ゲイトが棒を振ってため息をついた。
◆ ◇ ◆
「……野沢くん」
やっぱり結構疲れているらしい。全身が重い。
食事を終えて交代で眠ることにした俺たちは、見張りの人間以外は寝袋にくるまっていた。外が明るいから眠れないかなと思ったりもしたが、案外すぐに眠りについてしまったようだ。
ゆさゆさと軽く体を揺さぶる感触に、深い眠りの淵から少しずつ意識が引き戻される。
「野沢くん……」
……?
ぼんやりとした意識の中で聞こえる声に、違和感を覚えた。しばらくその違和感が何だかわからないまま、ぼんやりと眠い頭で考える。
違和感……ああ、そうか。
しばらくそんなふうに呼ばれることがなかったから……。
(――え?)
『野沢くん』?
違和感の正体に気が付いたことで、急激に頭が覚めた。瞼の裏に感じる外は、明るい。目を開ける。と同時に、思わずがばりと起き上がった。
「きゃ……」
今まで眠っていたはずの俺ががばっと起き上がったので、覗き込んでいたらしい女の子が驚いたように身をそらした。小さく悲鳴を上げる。
肩口で揺れるさらさらの髪、白地に大きなリボンが胸元についた可愛らしい制服、綺麗に整った顔……知ってる顔だ。『あっち』で俺のクラスメートの、秋名なつみ。
……って。
……………………はぁ?
(なつみ……!?)
何で……!?
「ど、どうしたの?野沢くん」
「ここは……」
『何でなつみがいるんだ』?
横になっていたベンチの上で上半身だけ起こしたまま、俺は辺りを見回した。綺麗に敷き詰められた芝生、ぽつんぽつんと生えている、丁寧に手入れされた木々の向こうには灰色のコンクリートの建物。
俺の横にしゃがみこむようにしていたなつみが目を丸くしたままで俺を見上げる。
「学校……?」
尋ねるでもなく呟く俺に、なつみがくすっと笑う。妙に懐かしい感じのするその笑顔。それもそうだ。何ヶ月ぶりなんだろうか。最初の頃は見ていた『本来の世界の夢』も、最近では見ることがない。
「学校だよ。もう5時間目、始まっちゃうよ」
5時間目って。何て今の俺の感覚にそぐわない平和な言葉なんだ。
(嘘……だろ……?)
何が何だかわからないまま、もう1度辺りを見回す。揺れる木々の向こうに見えるのは確かに校舎。……って、え?は?校舎?ガラス張りの渡り廊下には、移動授業があるらしい生徒の姿が垣間見える。
(キグナスは?)
シサーは。ニーナは。……シン、ゲイト、カイルは……?
(俺……)
……戻って、来ちゃったのか!?
いや、落ち着け、良く考えろ。寝る前のことを思い出せ。
寝る前……。
「野沢くーん」
「……」
ゲイトたちと宝箱を開けて、みんなのところに戻って……宝箱の中身と、多分今後も取り替えっこでどんどん物が変わってくんじゃないかって話とドワーフの伝承を繋げたりしてて……で……とりあえずは休もうって話になって……。
(別に……変なことはないよな……)
そう。何も変わったことなんか起きてなかった。いつも通りの野営……寝袋にくるまって……俺の隣はキグナスが同じように寝てて……最初に見張りに立ったのは確かシンとゲイト。
「夢でも見てたの?」
(夢……夢?)
寝たんだから、夢を見ててもおかしくない。
「野沢くーんってば。ねえ。もう予鈴鳴っちゃってるんだよ」
完全に、本当の意味で別の世界に頭が行ってしまっている俺に、なつみが困ったような顔をする。俺となつみのいる中庭には、他に人の姿はなかった。
「でも、今なら、言えるかな……」
ぽつりとなつみが俯いて呟くように言う。それを半ば聞き流しながら、俺は自分の耳元にそっと手を持っていった。
(……ない)
シェインにもらった、ピアス。
目を上げてみれば、見慣れていたはずの一部だけ赤い前髪は、黒かった。見回してみれば俺が身につけているものも、レガードの服じゃない。シャインカルクのどっかに置きっ放しになってたはずの、制服。
(あっちが、夢……?)
浮かんだ考えに、どきりと胸が疼いた。痛みに似た疼きに、僅かに喉が詰まる。信じられるとかられないとか……それ以前にまず信じたくない思いが走った。
とにかく、落ち着け。間違いなく俺は今混乱している。落ち着いて、記憶を辿れ……。
昼休みに中庭に来たことは覚えている。深夜映画を見てたせいで眠かった俺は、昼寝してこうと思ってベンチに転がった。それは確かだ。間違いない。
けれど、そこから先が、夢?
軽くなった耳たぶを無意味に引っ張りながら、記憶を探る。最初に出会ったのはレイア。キグナスとは浄化の森で会った。シャインカルクに連れて行かれて、シェインやラウバル……そして……。
(ユリア……)
最後に見たはずの、悲しい顔が瞼を掠める。……夢?まさか。そんなはずない……!!
「野沢くん」
次第にわけがわからなくて混乱を深めていく俺の耳に、なつみがどこか儚げな声で呼びかけた。まだユリアやキグナスたちの幻影に囚われている俺を見上げる顔が、心持ち赤らんでいる。
(こっちが夢……?)
「あのね、もう夏休みに入っちゃうから、その前に、言いたいことがあって……」
「……うん」
でも、これが、『こっち』が俺の現実なのは、確かだ。本来俺がいるべき世界。いるべき居場所。
俺の住む世界には、魔物も魔法も……ないんだから。
じゃあやっぱり、あれは、全て、夢……?
……ユリア、も……?
「あのね、わたしね……」
ぼんやりしたままの俺の腕に、なつみが手を掛けた。確かな感触。
「わたし、野沢くんが好きなの……」
「……へ!?」
言うなり、ぐいっと腕を引っ張られる。ベンチの上で上半身を起こしたまんまの姿勢だった俺は、バランスを崩しかけた。咄嗟にベンチに片手をついて持ち堪えている間に、なつみがふわりと俺に抱きつく。……って、えええええ?
(何だ何だ何だ?)
もはや何が起こって何がどうなっているのか、俺の脳味噌は完全に置いてけぼりだ。
「ななななつみ?」
慌てふためく俺の耳に、チャイムの音が響く。さっきのなつみの言葉から察するに、本鈴だ。
「ねえ、学校抜け出しちゃおうよ……」
「はいい?」
俺の首に両腕を絡めて、なつみが耳元に囁く。熱い吐息が……あああああの、そそそその……。
「なななつみ?」
あんまりっちゃああんまりに急激な状況変化と急展開に、俺の心臓は混乱のまま早鐘のようだ。なつみの唇が耳に触れれれれ……。
な、なつみってこんな感じの人だっただろーか。って待て、俺、今し方「好き」だとか言われたか?言われたとして、こんな唐突に抱きついてくるような人だったか?これじゃあ告白を通り越して、誘惑だ。いやでも俺のなつみの記憶はかれこれ数ヶ月前、その前だって知り合ってまだ3ヶ月くらいで良く知ってるわけじゃない。じゃあそういう人だったのかもしれない。そんな馬鹿な。あああああ、収拾がつかない。
「2人で、どっか、行こ……?」
耳元から顔を離したなつみは、今度は俺を至近距離で見上げて目を細めた。色っぽい目つきにちょっと、妙な想像を誘われたくなる。いやいや誘われてる場合じゃないだろう俺。
「ど、どっか?」
「2人になりたい……」
待て!!
唐突にこっちの世界に戻されて、そこからして混乱しきっていると言うのに、混乱から立ち直る前に告られてしかもこんな怪しげな誘いをもらってしまっては、混乱から脱出の仕方がわからない。
「なつみッ……!!」
とにかく、この現状から逃げ出してみよう。
頭の中を整理して、何が起こっているのか把握してからでなければ、なつみに拉致されるわけにはいかないじゃないか。……別にその後なら良いって話じゃないが。
そう心に決めて、がしっとなつみを引き離す。そうだよ、大体これが夢なのか現実なのかわからないけど、何はともあれここは学校だ。抱き合ってる場合じゃない。誰かに見られたらどうするんだ。
「ちょっと俺、今、わけわかってないから、その話は後日ゆっくりッ」
「え?」
「じゃあ、そういうことで!!」
俺は今、超絶ひどいやつかもしれない。今目の前で起こっていることだけで判断すれば、俺は告ってくれた女の子にこういう態度を取って目の前から逃亡することになる。
「野沢くん!?」
とは言え、今の俺はどちらにしても、なつみにまともな態度が取れる自信がない。なつみを引き離したそのまま、俺はベンチを下りて駆け出した。
一体、何がどうなってんだ……!?