第2部第2章第19話 海底のダンジョン2 【幻惑】 前編(1)
女神の示した扉をくぐり抜け、続く道は狭い洞窟だった。
マールは灯りを持たない。暗い洞窟をひたすら歩いていく。
ドワーフにとって暗いことは困難にならないのだ!!
村に伝わる陽気な歌を口ずさみながら歩いていくマールの目に、外の明かりが飛び込んで来た。外だ。洞窟を抜けたのだ。
暗い暗い洞窟を抜け出したマールは、カーンカーンと言う高い音を聞いた。
辺りを見回すと、そこにはグノームが数人陽気な踊りを踊りながら靴を造っていた。
「やあ。これはグノームじゃないか!!」
マールは楽しくなった。グノームはドワーフにとって親愛なる親戚だ。
マールは歌い、踊りながら輪の中に入っていった。
「やあ。ドワーフだ」
「ドワーフだ」
「ドワーフがやって来た」
「やれ、歌え。やれ、働け」
「やれ、歌え。やれ、働け」
しばらくマールはグノームたちと楽しい踊りを踊り、歌った。だが突然グノームが倒れたのだ!!
「ああ、疲れた!!」
「働き過ぎだ!!疲れた」
マールはニンフにもらったエルドナの花を思い出した。
「これはエルドナの花だ。きっともっと働けるようになるに違いない!!」
「そいつはありがたい!!我々は靴をたくさん造らなけりゃならない!!」
エルドナの花をあげると、グノームたちはたちまち元気になり、倍の速度で歌い踊りながら靴を造った。
「おかげで助かった!!我々はお前さんの力になろう」
「この靴をやろう。作りたての、履き心地の良い靴だ」
「きっと倍の速さで歩けるようになるに違いない!!」
「そう言えばお前さんはどこへ向かおうとしているんだい!!」
尋ねられて、マールはドワーフの財産を知らないかと尋ねた。
グノームのひとりがぽんと手を打った。
「ミスター・ハリーバールに聞いてみると良い!!」
その提案にグノームたちは喜んだ。
「そうだ!!ハリーバールだ!!」
「ハリーバール!!森の主だ!!」
「ハリーバールに冬は来ない!!」
「そいつは一体誰なんだい!!」
慌てて尋ねるマールに、踊りながらグノームが答えた。
「ハリーバールは森の主だ!!何千年、何万年もセイリエルースの森を守っているのだ!!」
「木の姿をしていて普段は眠っているんだ!!」
「そいつを起こすにはどうしたらいいんだい!?」
「歌うのさ!!」
グノームたちは踊りながら声を揃えて叫んだ。
「ハリーバールは陽気な歌が大好きなんだ!!そうだ!!森の主だ!!『森の歌』だ!!」
グノームたちに礼を言って、マールはハリーバールに会うことに決めた。
グノームたちにもらった靴は、マールの足を2倍にも3倍にも速くした。
◆ ◇ ◆
カイル、シサー、ニーナ、キグナス、ゲイト、俺、そしてシンと言う隊列で、順番に階段を下りていく。さっきまでの明るいタイルの通路とは違い、ありがちな石造りの暗い階段だった。
灯りはないが、余り長くはない階段で、すぐに果てが見える。上からの灯りもあるし、先頭のカイルが灯すカンテラの灯だけで十分だった。
階段を下りきったところはすぐ、小さな踊り場のような平らなスペースがある。そこからすぐにドアがあるのが見えた。
「……開く?」
ニーナが尋ねるのが聞こえる。答えの代わりにドアの開く小さな音が微かに響いた。
「どうなってんだあ」
「何だこりゃ」
中を覗き込むようにしているシサーの姿は見えるが、俺のいる位置からは扉の中までは見えない。
みんなに続いて中に入ってみると、そこは外だった。
「え?どこここ」
「2階層目だろ」
扉からすぐ、森が続いている。
「だって外だよ。あれ、じゃあさっきの部屋は2階だったのかな」
「……ダンジョンなんかであんまその辺真面目に取り合ってると、わけわかんなくなるぜ、多分……」
んなこと言われても、俺の中では地下か何かに下りたような感覚だったのに、開けてみたら森の中じゃあ何か納得がいかない。
これもダンジョンの中なんだろうか。
木々の合間を縫って涼しい風が流れて来る。見上げる隙間の空は青く、白い雲が流れていくのが見えた。鳥のさえずりが聞こえてきて、日を遮る木陰の涼しさにのどかな気持ちがしてしまう。
「カズキ」
「ん?」
揺れる葉に目を細めていると、シンに頭を軽く小突かれた。
「ぼーっとしてるなよ。油断していると命取りになるぞ」
「うん……ぼーっとしてた?」
「ああ。平和な顔をしてたな」
平和な顔……。
森の中を続く道は、1本道のようだった。幅1メートルちょいくらいで、むき出しの地面は乾いたライトブラウンをしている。道の左右には背の低い丸っこい木が植えられ、その根元からは草や淡い色合いの花が揺れている。
「道ってこっちでいーのかな」
「さあな。とりあえずはこれしかない。……違うようなら、扉からやり直しだな」
あんまり時間をかけたくないんだが、と呟くのを聞いて不意にギルドでシンが少し引っかかる物言いをしていたことを思い出した。
――人手が揃ったからな
裏を返せば、人手がなかったことになる。
シンがまだ出発してなかったおかげで俺たちは助かったけど、市街戦後、どうしてすぐに出発しなかったんだろう。
尋ねてみると、シンは複雑な表情を見せて黙った。しばらくそのまま黙って歩く。
道は緩やかにカーブを描いて続いている。大きなカーブに差し掛かったところで、シンが答えた。
「行く人材を割けなかったんだ」
「え?」
「ギルドのメンバーは半数以下に減ったからな。……市街戦で」
半数以下……。
――誰か、知ってる方が……?
――……たくさん
石碑の前でぽつりと答えたジフの声が蘇った。
「そんなに……」
「ああ。俺が街に潜入した時は後半戦だったが、その頃には既にかなりやられてたみたいだ。後始末は後始末で、ジフも言ってたようにギルドがかり出されている。器用だからな。便利屋のようなものだ」
普段から余り感情を滲ませることのないシンはいつもと同じ、淡々と言った。
「ギルドが追跡している財宝は別にここだけじゃない。……単純に、人手を割くことが出来ずにいたんだ」
「……そう」
「俺は船だけ何とかなればひとりでも構わなかったし、最低でもカイルとゲイトが同行するとは言われていたからそれで良かったんだが、あいつが駄々こねるもんだから足止めくらってたのさ」
「駄々?」
あいつってのは多分ジフなんだろうな。『駄々こねて足止め』って……一体……。
「懲りたんだろう。周囲の人間が減っていくのに」
「……」
「同行者が増えればひとりひとりの生存率が上がる。とは言ってもダンジョンに行くんじゃ限度はあるが、最低でも6人は確保するまで待てと言って聞かなくてな」
「ふうん……」
「……もう、失いたくないんだそうだ」
「……」
考えてみれば、これまでの行程の中で誰も失うことがなかったのは、幸運なんだろう。
ジフの言う『もう』は市街戦を指しているんだとは思うが、それだけじゃない。その前とかは知らないけど、少なくとも風の砂漠のダンジョンでもギルドメンバーが命を落としている。
シンに同行させるのに頭数を増やしたかったのは、ギルドメンバーひとりひとりの生存率を上げたかったから。……安全では、ないから。
普通に旅してたって今日死ぬかもしれないこの世界、ダンジョンとくれば魔物の巣窟だ。……本当に幸運だったんだな。俺たちは。
ついしみじみとそんなふうに思わざるを得なくて黙り込む。元々口数の少ないシンもそれきり黙って、後は前方からキグナスの遠吠えが聞こえるだけだった。
……と。
「カズキ、気をつけろッ」
視界の隅でシサーの剣が光ったと思ったら、シンが背後を振り向きながら怒鳴った。咄嗟に剣に手を掛けながら振り返る。木々の隙間を縫うように、背後の空から明らかに敵意を剥き出しにした巨鳥が飛来して来る姿が、目に飛び込んで来た。
これまで誰ひとり失うことなく来た俺たちは幸運かもしれない。
だけどこれからも誰ひとり失いたくない。
『幸運』を維持する為に……必死に、戦うしかない。
立て続けに襲いかかってくる魔物を撃破しながら森の中を進んでいくが、果てはなかなか見えない。と言うか、どこに向かっているのかわからない。
「駄目だな。このまま歩いても埒があかない」
どこまで行っても1本道がただ続いているだけだ。風の砂漠のダンジョンを思い出すけれど、あちらと違うのは風景がちゃんと変わっていくこと……多分、ワープで跳ばされて同じところをぐるぐる回ってるわけじゃない、とは思うんだが。
「ちと、あそこで休憩しよう」
カイルの言葉を受けてシンが指した先は、下生えの草や木が途切れて小さな空き地みたいになっていた。
「言われてみれば腹減ったー……」
キグナスの言葉で気がつく。青空につい騙されてたけど、神殿についた時点で夕刻だったんだ。あれから1階層目を彷徨ったりしてることを考えれば、もう結構良い時間になってるはずだ。腹も減るし眠くもなってくる。
「そうだな。ちょっと本腰入れて休憩しておこうぜ」
短くあくびをして、シサーがカイルを仰いだ。賛成。
「食事もしておいた方が良いしな。交互で眠っておくことにするか」
同意して歩き出すカイルの背中について行こうとして、ニーナが少し妙な顔をしていることに気がついた。微かに耳を動かしながら、空を仰いでいる。
「ニーナ。どうかした?」
「え?……ううん。何か変な感じがしただけ……何でもない」
変な感じ?
敏感なニーナの『変な感じ』と言うのはちょっと気になる。だけどニーナもそれ以上説明する気はないようだ。……いや……しようがないのかな。
なのでそれ以上追及するのはやめて、みんなに続くと地面に荷物を投げ出した。カイルとシサーは打ち合わせ風に立ち話をしている。シンとゲイトの姿は見えなかった。
「結構疲れたね。やっぱり」
すとんと座り込むと、先に地面に直にあぐらをかいていたキグナスがごろんと転がった。地面に大の字に伸びた状態で、横に座る俺を見上げる。
「そりゃそーだろ。ここまでずっと船の上、それが終われば今度はダンジョン。ああ風呂に入りてぇ」
そんなリズミカルに訴えられても。
「でもさ、1階層目が結構簡単な感じで……この調子だったら何とか結構良いテンポで進めないかな。難解な感じ、あんまりしない……」
「そだなー。それでいきゃいーけどな。んでも何か進めなくなったりしたら、あの伝説からヒントを探しゃいーんじゃねぇの?……あんなふうにばんばんヒントをくれる奴とかいりゃあいーのに」
「んでもあれって口承伝話でしょ……どんどん簡略化されたりしたんじゃないの」
「あーそうかもなー。伝承って細かいところ、どんどん杜撰になってくかんなー」
「変な言い回しのセリフが多いのも、口承のせいかもしんないね」
荷袋を漁って食料を取り出しながらぼそぼそとキグナスとそんなことを言っていると、周囲の偵察に出ていたらしいゲイトとシンが戻って来た。
「気になるもの、発見」
にやにやしながら、ゲイトが言う。かじりかけたパンをくわえながら体を起こしたキグナスが、「ひになるもお?」と尋ねた。
「ああ。宝箱、らしきものだな」
ゲイトの隣に黙って立って腕を組んでいたシンが、ちらりとこっちを見てぼそっと答える。キグナスが飛び起きた。
「宝箱ッ♪」
「キグナスって貴族階級のくせに金汚ぇなぁ」
「金汚ぇって何だよッ。んだって、何が入ってんのか楽しみだろおお♪」
呆れたように言うゲイトに反論しながら、パンを口にしまいこんでゲイトとキグナスが元来た方へと戻って行く。シンが無言で俺の方を見るので、俺も干し肉を飲み下しながら立ち上がった。
「カイル」
「ああ」
「宝箱だ。勝手に中身チェックしてくるぞ」
「頼んだ」
キグナスとゲイトが姿を消した方に歩き出すシンに続く。穏やかな青空は相変わらずで、鮮やかな黄緑の草や乱れ咲く花、深い緑を湛えた巨木の間の細い道なんかはどこかメルヘンチックだ。
「カズキ、早く早く」