第2部第2章第18話 海底のダンジョン1 【反転】(1)
マールがたどりついたのは大地の神殿だった。
がらんとしたその神殿は、ルシルウの冬の大地のように薄く白い。
小さな足跡を残しながらマールが奥へと歩いていくと、祭壇の陰からホビットが現れた。
ホビットは目を丸くして叫んだ。「ドワーフだ!!」
「いかにも」
ホビットの言葉にマールは頷いた。まだドワーフとしては年若いけれど、しっかりした体躯、浅黒い肌、ぎょろぎょろと動く目、その全てがマールがドワーフであることを教えている。
「ドワーフだ!!ドワーフが来た!!」
ホビットは繰り返した。慌て者のホビットは、きょときょとと目を動かしながら飛び跳ねて手を叩いた。「私はドワーフを待っていたのだ!!」
「それはどういうことだい?」
マールは言った。
「私はここを訪れるドワーフに鍵を渡すように言われていたのだ!そうだ、鍵だ!!」
言いながらホビットはまるでコマネズミのように走り出した。祭壇の奥から鍵を手に戻ってくる。
「私はこれをお前に渡せば良い!!さあ、私は自由だ!!」
ホビットは慌てた様子でマールに鍵を押しつけた。そしてマールが驚いている間に神殿を出て行った。
マールは鍵を手に入れた。かつてドワーフが失った財産を手に入れる鍵だ。
◆ ◇ ◆
カツンカツン、と言う音が時折聞こえる。盗賊チームがトラップの有無を確認する音だ。
もちろん全部の場所でやってるわけじゃないけど、こうしてると地道な作業なんだなあと言う気がする。
俺にも何か出来ることがあればいーんだが、あいにくシーフスキルなんかこれっぽっちもない。
今度余裕を見て、誰かに鍵開けくらいは教えてもらった方が良いだろうか。どこかで役に立つかもしれない。……立たないかもしれないが。
俺たちがいるのは、広い部屋だった。真四角のだだっ広い部屋。床にも正方形のタイルが1枚1枚張り巡らされていて、それ以外には壁際に彫像が4つあるだけだ。それぞれの辺のちょうど真ん中辺りに、等間隔で配置されている。
神殿から光の魔法陣で跳ばされて、気がついたらこの部屋だった。とりあえず、何があるかわからんから動くなと言われてじっとしている。
見回す限り、出口も入り口もない部屋だった。普通に、閉じこめられている状態。
天井は高い。光源がどこなのかわからないが、暗い部屋じゃなかった。それに床の質感とかつるつるして光っていて……何となく綺麗だ。地下鉄とかと続いている地下通路を思い出す。
ここに跳ばされてからこっち、シサーの剣はずっと光りっ放しだった。敵の存在を感知していると言うことだ。けれど、感知されたはずの敵の姿は一向に現れる気配はない。おかげで最初はしていた魔物への警戒も、今ではほとんど消え失せている。近くにいるはいるんだろうが、襲ってくるような場所にいないのかもしれない。壁1枚向こうとか。
「ざっと見る限り、でかいトラップはなさそうなんだが……」
複雑な表情で言って、シンが戻ってきた。散っていたカイル、ゲイトもこちらに歩いてくる姿が見える。
「どうやって出るのかわかった?」
尋ねるとシンは、無表情に親指で正面の壁を指した。
「多分あそこに出口が出来るな。が、作動のさせ方がまだわからん。これから調べる。とりあえず命に危険がなさそうかだけ確認してきただけだ」
「ふうん?」
彫像じゃないんだろうか。きちんと等距離に配置されてるから、何か臭そうなんだが。
歩き出そうとした俺を、シンが止める。全員に向かって今度は、床を示した。
「床トラップがあるから、動く時は気をつけてくれ。特にキグナス」
「何で俺ッ!?」
「お前が1番注意力に欠けてそうだと言う判断だ。深い意味はない」
キグナスが無言で肩を落とす。取り合わずにシンは淡々と続けた。
「多分床に落とし穴がある。それもランダムに複数。見分け方は簡単だ。良く見ればタイルに動いた形跡がある。見てれば避けられる」
「……形跡ってどんな?」
試しに聞いてみると、シンはきょろっと辺りを見回してくいっと手を振った。示されたとこについていく。
「こういうやつだな」
言われて良く見てみれば、他のより確かにタイルとタイルの間に隙間と思しき感じがある。つなぎ目の線が太いと言うか。
「物が動く場合は必ず動いた形跡やつなぎ目がある。それを見ればわかるだろう」
ああなるほど、そいつは簡単……ってわかるか、こんなもん。自分と一緒にしないでくれ。タイルごとに目をこらさなきゃわからないじゃないか。そんなことをしてたら、彫像に辿り着いた頃には明日になっている。
げんなりした俺に、シンは苦笑をもらして提案をくれた。
「心配なら、俺たちの誰かについて歩くんだな」
その方向でお願いします。
「つーと、あっちの壁を動かす手段を探さなきゃなんねぇわけだな」
黙って聞いていたシサーが、自分の顎を撫でながらさっきシンの示した壁を指す。少し離れた床に屈み込んで片手をついていたカイルが、顔をあげた。
「作動させてみるか」
「何を?」
「落とし穴だ」
言いながらカイルは、足を踏み出した。片足を別のタイルに乗せた状態で、かんっと踵を打ちつける。瞬間、カイルの足の下がぱっくりと口を開ける。タイルが消えた。
……いや、消えたわけじゃないか。まるでスプリングで支えられてたみたいに、床下に引っ込んだらしい。
「それほど深くはないな」
ぱこんと黒い口を開けたままの空洞を覗き込むカイルの声が、聞こえる。ゲイトが近づいていった。多少不自然な歩き方をしているのはきっと、落とし穴を避けているからだろう。
それを見る限り、その数は結構多い。
「中はどうなってる」
「ただの穴だな。別段何も仕掛けてはいないようだ」
「ふうん……」
シンがぼそりと「怪しいな」と呟く。
「じゃあ何のために……?」
呟きながら数歩歩いて、さっきのカイルのように床を蹴りつけた。開いた空洞は、同様にただの空洞らしい。
「臭いな」
中を探っていたシンが、ひょいと顔をあげた。カイルの方を見ると、さっき開けた穴は塞がってしまったようだ。開いたら開けっ放しにしといてくれれば避けるんだが。戻ることないじゃないか。
「おい、カイル、ゲイト」
「うんー?」
「どっかに鍵、もしかすると宝でもあるかもしれないぞ」
「え?穴のどこかに?」
思わず俺が反応すると、シンは立ち上がりながら頷いた。
「穴に落とすだけでさして深くない。これならすぐに上がってくる。何の為の罠だ?」
『穴に落とすだけ』って言うけれど、頻繁に落とされてたら前に進まないじゃないか。
とは言え……シンの言うことにも一理ある。
少し歩いてはがんッ!!と床を片足で蹴り開けるシンについくっついていくと、穴はことごとくただの穴だった。確かにちょっと不審だ。
「罠の中に隠されてることだってあるんだ」
「でも穴ってたくさんありそうじゃねー?こん中から1個1個探すのか?」
俺とシンの会話を聞いていたらしいキグナスが、鼻の頭に皺を寄せる。
「まさか。何かヒントがあるだろう……」
それきりシンが黙る。ヒントか……。
この部屋にあるとすれば、彫像だけ。何か特殊な隠し方してるんじゃなけりゃ、怪しいのは彫像。
もっとそばで見てみようと、ついつい考え込みながら彫像のひとつに足を向ける。と、足下が不意になくなってがくんと体に重力がかかった。
「うわあ」
……あほか俺は。
これだけ話してた後に、まんまと落とし穴に落ちてる自分が情けない。
「いてぇ……」
平らな穴の底にしては変な感触を受けながら呻く。何だろう。俺、何かの上に座ってる。
「あ」
「気をつけろと言った矢先にやるなよ。……どうした」
呆れた声を投げかけながら近づいて来たシンが、中を覗き込んで少しだけ目を見開いた。
「宝箱」
かなりちっちゃいけど。
立ち上がって持ち上げてみる。長さ15×20センチくらいのもので、持ち上げた感触もかなり軽かった。振ると、ごとごとと音がする。あまり期待は出来ない。
とは言え、中身を見たくないほど好奇心が涸れているわけじゃない。試しに蓋に手を掛けてみると、鍵がかかっていて開かなかった。
「貸してみろ」
しゃがみこんで俺の手元を見ているシンに箱を渡す。シンは軽く持ち上げて箱の裏なんか意味不明に眺めると、腰にぶら下がった細長いピンみたいなものを手にした。鍵穴に突っ込む。
「こんなんで開くんだ」
「簡単だな」
言うそばからカチっと言う音がして、蓋に手をかける。今度は簡単に開いた。
「なーんだ……」
中身を覗き込んで、つい呟く。開いてみると、中にはナイフがひとつ入っているだけだった。それも錆びかけていて、余り役に立ちそうもない年代モノだ。
「外れだな。ただのガラクタだ」
「……」
一応手に取ってナイフを鑑定するように見ていたシンが、ぼそりと言ってナイフをひらひらと振る。
「何に要り用になるかわからないから、持って行くだけは行った方がいいかもしれないが……ま、十中八九ただのガラクタだろうな……」
ガラクタか……あ。
「じゃあ俺、もらっていい?」
「構わないが……何に使うんだ?使い道がないぞ」
だって俺、忘れかけてたけれど、何らかを武器職人のアギナルドさんに持ってかなきゃならないんだ。
……こんなもの、アギナルド老だって欲しいかわかったもんじゃないが、意外に俺、『使い道のない刀剣類』と言うものに遭遇しない。これを逃すと買って持って行く羽目になるかもしれない。
シンの許可を得て受け取ったナイフをとりあえず荷袋に納めて、ようやく穴から這い出る。
「でも、穴の中に宝が隠されてる可能性があることはわかったな」
「ああ……そうだね」
頷く俺の足元で、今さっきまで口を開けていた穴が元通りに閉じた。だから閉じるなと言うのに。
「何かあったか」
キグナスを連れたゲイトが近づいて来る。カイル、シサーは各々勝手に部屋の中を動き回っているようだ。カイルはともかく、こんなトラップを作動させずにすたすた歩いているシサーはどっかおかしいとしか考えられない。ちなみにニーナは座り込んでそれを眺めている。やる気を感じられない。
「ガラクタの入った宝箱だ」
「おっとぉ。じゃあ宝がある可能性があるな」
「ああ。ちょっと適当に穴を探して回ってくれ。こればっかりは地味な作業になるな……。カズキ、俺の後ろついてこい」
「え?」
「彫像が見たいんじゃないのか」
俺が穴にはまった理由はばれているらしい。
「うん……さっき見て回った時に、変わったところはなかったの」
「どうかな。それぞれ単体ではおかしなところはなさそうだが。全体にはまだチェックしてないからな」
シンに連れられて、1番近い位置に設置されている彫像に近付く。白い大理石のような綺麗な石で造られたものだ。……女神だろうか。流れるようなストレートの長い髪、ギリシア神話のような衣装を身に纏っている。右手に握って斜めに翳しているのは、剣。
「これは……ファーラ?」
俺はレオノーラでも神殿に行ったことがない。祭壇には何度かお目にかかったが、そこにファーラの姿はなかった。もしこれがファーラなのだとすれば、見るのは初めてだ。
「ああ。戦姫としてのファーラ神の姿だな」
「戦姫としての?」
見上げながら尋ねると、同様に俺の隣で彫像を見上げながらシンが頷いた。
「ファーラには2つの姿がある。戦の神としての姿。象徴するのは右手に握った剣だ。もうひとつの姿は慈愛と平和の女神としての姿。これを象徴するのは左手に握る錫だな」
「左手?」
見上げる彫像の左手は、右手に握った剣の刃にそえられるように伸ばされている。錫なんてどこにもない。
「正式な姿はそうなんだ。だが場合によってどちらかになっていることも多い」
俺の疑問を察したように、シンが注釈を加えた。ふうん。じゃあこれは戦姫バージョンってわけだ。
「この部屋の彫像は、みんな同じもの?」
きょろっと見回して尋ねる。シンも同じように見回してから頷いた。
「俺が見た限りでは、全部剣を握っているパターンのものだな。でかい神殿なんかに行けば正式な剣と錫の神像が置かれているが、小さな神殿なんかではその神殿がより強く打ち出している方針に沿った神像を掲げるな」
「ふうん……」
ここにある彫像は全部戦姫、か。
それからシンについて他の彫像も見て回る。一通りぐるっと見ている間に、宝を探して回っているらしいキグナスとゲイトの歓声が時折届いた。
「……決まりだな」
「……だね」