第2部第2章第17話 人魚の神殿(1)
『またある時、主は海へ船で乗り出す民を守るために、海へ向かった。
10ヶ月続いた嵐は、主が海へと舞い降りた時に静まり、主は人の姿をした
魚へ身を変えてしばらく海を守ることにした。
人々は感謝をし、10ヶ月をかけて女神の為に岬に神殿をこしらえた。
主は人々の心に痛く喜び、神殿をもらいうけた。
その日から女神は、鐘の音と共に海を守り、鐘の音と共に町を守った。』
◆ ◇ ◆
今後の行動方針としてはとりあえず、ラグフォレスト大陸の港町シュートに船をつけてもらった後、俺たちは町で食料の補充とか一応情報収集なんかをしてみて、少なくとも一晩はゆっくりと宿をとって、休憩をしようと言うことになっている。目的の場所はそれほど遠い場所でもなさそうだし。
俺たちを下ろした後、グローバーたちはしばらくこの町に滞在すると言っていた。グローバーは本来、シュートを拠点にしている船乗りらしい。
(あれがシュートか……)
船の舳先に両肘をついて体重を預けたまま、顎を乗せる。少しずつ、俺にとっては新たな国の新たな町が、近づいてきていた。
聖書の切れ端の内容は、会議の後に部屋でシサーに教えてもらった。人魚が女神の化身――ダンジョンで見つけたプレートの文章と照らし合わせると、こういうことになる。
『うみにみえるところ』――これは多分、ダンジョンそのものの場所を指すだろう。行かなきゃならない目的地のある辺り。
『うみのめがみがあらわれるとき』――人魚が女神に姿を戻した理由は、神殿をもらったから。そして『鐘の音と共に町を守る』……女神に戻る。キィになるのはきっと、女神の為に建てられた神殿と鐘の音だ。
『うみへつづくみちをさがせ』――これはダンジョンへの行き方ってことだろう。
手記に書かれていた案内文によれば、シュートではかつて『人魚岩』……『人魚』のために建てられた神殿があると言うことだった。ただ、その場所にまでは触れられていない。
シュートと言う町で生まれ育ったわりには辺りにさほど詳しくないと言うシサーは、それでも何とかその『神殿』に心当たりを見つけた。
シュートの町には、町中と郊外に神殿がある。
町中の神殿は、今も町の人の信仰を支える要となる要所だ。もちろん司祭もいるし、訪れる参拝者もたくさんいる。
けれどそれとは裏腹に、郊外の神殿は廃墟なのだそうだ。いつ建てられたものなのか誰も知らないし、もちろん守る人もいない。町外れの小高い林の奥深くにある寂れた神殿で、今では子供たちが時折肝試しにその周辺へと訪れることがあるくらいで、基本的には危険だからと林に立ち入ることも禁止されているのだそうだ。
町中の神殿はダンジョンへの鍵にしては人目に付きすぎるし、方向的にも人魚の為に建てられたとは考えにくい。けれど、郊外の神殿の方は、方角的には『人魚岩』と同じなのだと言う。海を望むことも出来る。
となれば、やっぱり怪しいのは郊外の神殿だ。とりあえずは、そこに足を向けてみようと言うことで全員の意見の一致を見ていた。
「うぁー……陸地だぁぁ……」
ここまでの船旅は順調で、幸い変なもんに襲われたり大荒れになるようなこともなく、予定通りにシュートの町が水平線に姿を現したのを見て、キグナスが帆柱を抱擁した。……いいけど。別に。
「早く降ろしてくれ……」
さすがにもうげろげろ吐いたりはしてないけどやっぱり快適ではないらしく、船旅の間、キグナスの食は細かった。またまたダンジョンなんかに行くんだから体力つけなきゃいけないと思うんだけど、衰えさせてどーする。
「シサーの実家って、この町にあるんでしょ?」
俺の隣に立って目を細めているシサーを見上げると、見下ろして頷きながら短く答えた。
「まーな」
「家に帰らないの?」
「帰るわけねぇだろ」
まだ遠い、けれど少しずつ近づく陸地に目を細めたままでシサーはぼそりと言った。
「そう?せっかく帰るのに。心配しない?」
別に無理強いする気はないんだが。
「しねぇよ。死んだと思われててもおかしくねーな。……言ったろ?折り合いが良くねぇって」
「ああ……」
まあね……聞いたけどさ。
「うるせぇの。でかい商家ってのは、いろいろと」
「いろいろ?」
「久々に帰ってエルフなんて連れててみろ」
「何かまずいの」
悪いんだけど、俺は実家にエルフを連れ帰る事態になり得ないので想像がつかない。敢えて想像するとすれば、ま、間違いなく両親は現実を拒否するか俺の正気を疑うか……いずれにしても、シサーの話の参考になりそうな想像は出来ない。
「だって別にエルフがいるのは普通でしょ?」
「普通じゃねぇよ。稀少なんだってことはわかってんだろ。……異種族なんだよ。似て見えたってな。……引き離そうとするに決まってんじゃねぇか」
あー……。国際結婚とかだって、家によってはあれこれ言われたりするもんなあ。日本の話だけど。異種族なんつったらとんでもないってもんだろーか。俺の世界では異種族連れて帰る人はいないだろうけど。
「ニーナを傷つけに帰るようなもんじゃねぇか……。俺はもう、家は捨てたんだからいらねぇよ」
「ふうん……」
何だかんだ言ってこの2人って、お互いのこと大切にしてる、よな。甘い雰囲気なんか微塵も感じたことないけど。……少なくとも、俺の視野の範囲内では、だけど。
どのくらい一緒にいるのか良くわからないけど、わかり合ってる感じがある気がするし。
パートナー的って言うのかな。俺とキグナスがわかってなくても、シサーとニーナで通じ合ってることは少なくない。
「何だよ……」
「べっつに。若い人はいいなあと思って」
俺の言葉に、シサーが吹き出しながら頭を小突いた。
「お前に言われることじゃねぇな」
それからシサーは揺れて近づくシュートの町に視線を戻した。
「……ま、お前もいつかこの先、いい出会いもあるだろ」
「……」
シサーは、俺がユリアを想っていることを知っている。はっきり宣言した覚えはないけれど、聞かれた覚えはあるし、勘がいいから気づいてるだろうし。
なのにそんな言い方をするのは……ユリアのことに触れないのはきっと、シサーなりの気遣いなんだろう。
叶いようがないこともまた、シサーだってわかりきっているだろうから。
そう思って作り上げた笑顔は、痛み混じりになっていたかもしれない。
「うん。……そうだね」
叶わなくても、きっとこの先にも、俺にだって誰かとの出会いはあるのかもしれない。
だけど……。
「船を降りる準備を始めるか」
「うん」
シサーの背中を追って歩き出しながら、俺はそっと胸の痛みに顔を顰めた。
だけど、俺は……。
(忘れる、くらいだったら……)
忘れることで出会う誰かと、いつか手に入れる幸せなんて。
……欲しく、ないんだ。
◆ ◇ ◆
船を降りても続いていた足元がおぼつかない、揺れているような感覚は、ゆっくりと町を歩いている間に次第に弱くなっていった。
ラグフォレスト大陸シュート。
「キーグナース。だーいじょーぶかー」
ゲイトがキグナスをゆさゆさと揺さぶる。ずっと船酔いに苦しんでいたキグナスは、可哀想に、安定した大地を踏みしめている恩恵を未だ受けきれずにいる。完全な千鳥足。オプションで鮨折でも持たせたい。
「んがあーッ!!揺さぶるなーッ!!」
予定通り、まずは下見がてら『神殿』とやらに行ってみようかと言うことになっている。一応今日は場所の確認だけ出来ればいいやって感じなんだけど。
神殿の場所に心当たりがあるのは、シサーだけだ。果たしてそれが本当にダンジョンへ続く鍵になるのかわからないが、とりあえず見るだけ見て場所の確認くらいはしてみて、何かわかることがあるかもしれないし。もしどう考えても違うなら、改めて対策を練らなきゃなんないし。
「ギャヴァンと、ちょっと似てるね」
後ろでキグナスが雄叫ぶのを聞き流しながら言うと、隣に並んだシンがまだ高い位置にある太陽に目を細めた。
「ああ。俺もそう思った。港町だからな」
「港町は雰囲気が似てる?」
「そうだな……似てると思う。だが、ギャヴァンとシュートは本当に良く似ているな」
何でシサーがギャヴァンを選んだのかが、わかるような気がした。海の香はきっとどこも同じだろうし、町の雰囲気が生まれ育った町に似ていればやっぱり落ち着くだろう。
少し違うかもしれないけど、シンの黒髪と黒い瞳の組み合わせが故郷を思い出させて俺を安心させるのに似ているだろうか。
「俺、こっちの人間じゃないんだって、前に話したじゃん」
カイルと並んで歩いていくシサーについて歩きながら口を開くと、シンは無言でこっちに視線を向けた。
「俺の世界の俺がいた国ってさ、みんな、シンと同じ髪と目の色してるんだ」
「黒か?」
「そう。俺も別に、レガード真似して染めてるだけで、本当は全部黒髪だし」
シンがひょこんと眉を上げた。
「みんなか」
「そう。みんな」
俺の返答を聞いて、シンがまた目を上げて空を仰ぐ。どっか呆れたみたいな。
「それは気持ちが悪いな」
俺にしてみたら、こうも節操なくやり放題って感じだと落ち着かない。こんなに思い思いでいーんだろーか。……別に良い悪いの問題じゃないが。
「レガードってどうしてここだけ赤いのかな」
前髪をつまんでいると、何をされているんだか背後からキグナスの雄叫びが聞こえていた。すっかり仲良くなったみたいで良かったね。
「赤い髪は、ファーラの力の一部を特別に授けられてるって説もあるな」
「……へ!?」
ぼそっと言ったシンに、頓狂な声で聞き返すと、シンは目を伏せて軽く肩を竦めた。
「爺婆の間で言われてる迷信だ」
「ふうん?そうなの?」
「ああ。実際問題そんなところで決まりゃしないけどな。ただ、赤髪の者は優れた何かの気質を持っている率は高いとは言うが」
シェインとか?
あの人、一応『天才』。
「ジフも?」
ギャヴァンギルドの長も赤い髪に類すると気づいて言ってみると、シンが虚を突かれたような笑みを浮かべた。
「あいつは別に特殊な能力なんかあるわけじゃない。……まあ、盗賊としては優秀と言えるのかもしれんが」
「そうなの?」
「ああ見えてな。スキル的なものはかなりのトコまで行ってると思う」
「ふうん……」
最初にジフに抱いた印象ってのを思い返してみると、おかしい。詐欺とかに真っ先に餌食になりそうって感想だったっけ。あどけない、人を信じやすそうな顔してたから。職業柄、そういうところも却って武器になったりするのかもしれない。
「じゃあ、レガードの前髪も何か特別だったりするのかなあ」
それがあのおじーさん……ガーネットの『頼みごと』に関係あったりするんだろーか。
だってレガードの身元とか知らなかったんだから、ガーネットはもちろんレガードのことを知らないんだろうし、だったら頼みたいことが出来るなんて変じゃないか。
したら外見的特徴……赤い前髪に理由があったのかなとか。そりゃあ『レガードの内に眠る何かの匂い立つようなオーラ』なんてのがあるんだったらともかく。俺、そういうの信じられないし。
それにガーネットが探してるって言う何かと、レガードと、何か関係があるのかな。その……『頼みごと』ってやつに。
シンにもその辺はわからないらしい。軽く肩を竦めてそれきり黙る。
「シン、前より少し話してくれるようになった気がするな……」
シサーの背中について歩いているうちに、気がついたらかなり町外れまで来てしまったみたいだ。人がまばらで、どちらかと言えば住宅街って雰囲気。街路樹や庭先の緑があちこちに目に付く。港のあった町の東側とは反対の西側はちょっとした山に通じていて、町からは直接階段が続いていた。そこを上っていく。
「そうか?」
「だって前なんか何聞いても、何も答えてくれなかったもんね」
笑みを覗かせることなんかまずなかったし。
今は会話の合間に白い歯を覗かせることもたびたびある。そりゃあ凄い爆笑してくれるようなことはないけど。
「前は、俺も警戒があったからな」
「ああ……そうか」
「レガードが何者だとしたって身分が高い人間だろうとはわかりきっていたし、王侯貴族の疑いは濃厚だった。そのレガードを探していると言うお前だって何者なのかわかったものじゃない。下手なことを口にしてお前がレガードにとって不都合な人間だった場合、ことは国単位のトラブルに発生する可能性がある」
「うん……」
実際、ああしてシンが接触を持ったのが俺じゃなくて例えば……グレンフォードのような人物だった場合、シンがレガードの所在を漏らしたら命は間違いなくなかった。それはヴァルスとロンバルトの運命を左右するわけだし、あの時点で俺がそう言う人間じゃないと言う保証はシンにはなかったんだもんな。
「仮にユリア……カズキが連れていた彼女が本当にヴァルスの王女だとすれば、何もあの場で慌ててレガードの件を告げなくても、王城に連絡を取ればより危険ではなくなるだろう。城に伝えればいずれお前たちにも伝わるし、万が一お前たちが何者だったとしてもレガードに危険が及ぶ可能性は低くなる」
つまり今は俺への警戒を解いてくれたってことなんだろうか。




