第2部第2章第16話 初めての航海 -ギャヴァン〜シュート-(2)
眉を顰めて、ゲイトが問い返す。けれど尋ねたキグナスが「あぁ」と頷いたままつらそうに両目を閉じて空を仰いでしまったので、代わりに俺が注釈を付け加えた。
「人の姿に似てて……肌の色とか黒いんだ。木炭みたいな色。普通の物理攻撃は効果がなくて、俺が見たやつは普通の人間ぽい姿してたけど、シサーやニーナが見た奴は半分どろどろになってるよーなのもいたって」
あの禍々しい生き物をどう表現すればうまく伝わるかわからないけど、俺の言葉でゲイトは思い当たることがあったみたいだ。両手をポケットに突っ込んで少し前傾になりながら答えた。
「シェイドのことか?」
「いや……違うんじゃないか」
口を開いたのはシンだ。組んだ片手に頬杖をついて自分の顎を支えながら、微かに眉根を寄せる。
「シェイドは溶けてなんかないだろう。特に亜人型とも言わないような形態だったと思うが」
何だ……と少しがっかりしていると、シンの言葉に記憶を探るような顔つきをしていたゲイトが、やがて顔を横に振った。
「いや、シェイドだと思うけどなー。ガキん頃、親に言われたもん。悪さばっかしてると、シェイドの仲間にされちゃうよって。俺の住んでた村から少し離れたとこに気味悪ぃ森があってさ、夜になるとシェイドが徘徊すんだって言われてた」
「それが……そういう亜人型の……?」
尋ねた俺に、ゲイトが肯定して続ける。
「肌はぼこぼこで……基本、亜人型。どろどろみたいなんもいたみたいだ。噂では、元は人間だって話だから、親もそういう叱り方してたんだろうけどさ」
……それだ。
「シン」
シンが無言で俺を見る。
「シンの言う『シェイド』ってのは?」
「基本的には、無形の魔物だと聞く。だが人間界に姿を現す時には、かりそめの有体となるんだそうだ。そのせいで特定の形態を保つことはなく、元来、実体がないせいで通常の物理攻撃は効かない。アンデッドではないが、アンデッドに分類される魔物だそうだ」
「有体って、どんな?特定の形態がない?」
「ああ。確固とした形状はないらしいな。いわばアメーバ状が近いか?」
「うー……ん……」
少し、ずれる。
ちらりとキグナスを見ると、ちょうど目を開けたキグナスがシンの言葉を肯定するように小さく頷いた。キグナスの認識も、シンと同様だと言うことだろう。
ふうん……。
ゲイト、シンとキグナスの、認識の違い。
同じ魔物の話をしているはずなのに、その姿にずれがある。
単に大陸が違うから、同じ名前、同じ概念の魔物でも異なってしまっただけなんだろうか。古来の日本の幽霊は足がなく、海外の幽霊には足がある、という認識の違いのように。
それとも……。
(その認識の違いこそが、ネクロマンサーの存在の証明に……)
繋がったりは、しないだろうか。
例えばローレシアで言うシェイド。それこそが、シェイド元来の姿を指すもの。
そしてトートコーストで言うシェイドは、シェイドがネクロマンサーの手を経て放出された後の姿、と言うように。
ゲイトの言うシェイドのイメージは、あの魔物のイメージに近いものを感じる。グレンフォードとは到底結びつかないけれど、トートコーストで言う『シェイド』がネクロマンサーを介した存在なのだと言えれば、彼らとグレンフォードを繋ぐ『お兄ちゃん』と言う言葉が『同一のネクロマンサーから生み出された』と言う意味なのだと理解出来ることになる。
「その、魔物だのネクロマンサーだのが、何かあるのか」
考え込んで黙ってしまった俺の頭上から、シンの言葉が降ってきた。我に返って顔を上げる。
「いや……何でもない」
グレンフォードは、俺たちを追ってくるだろうか。だとすれば、シンやゲイトも知っておくに越したことはないんだろうけど……。
少し躊躇って、俺は結局話すのをやめた。あいつがトートコースト産のシェイドの化け物だとしたって、プリーストがいない今、いずれにしてもどうにも出来ないもんな……。
――後に俺はこの時の判断を、深く、後悔することとなる。
◆ ◇ ◆
「ふうん……これがな……」
食事を終えた後、ロビーみたいになっている広い船室でシサーが目の前に広げられた2枚の紙を見比べて呟く。
1枚は、ただの絵だ。手書きの……誰かが模写でもしたみたいな絵。もう1枚も絵が描かれているんだけど、こっちには何が何だかわからない文字が絵と一緒にのたうっている。
2枚の紙に描かれている絵はほぼ同じもの……海に突き出た岩の絵――シュートの『人魚岩』。
しっかし、俺の世界でもそうだけど、何でこれが『人魚』になっちゃうんだろう。そりゃあ奇妙な形はしてるものの、『人魚』ってほどじゃない。時々どっかの地方の観光地とか行くと「これのどこをどうしたらそう見えたの?」って名前がついてるものとかあるけど、そんな感じ。
「これを見て、ラグフォレストだとあたりをつけたのか」
「ああ」
隣に座ったカイルが、短く肯定する。
今見せてもらっているのは、ギルドが最終地をラグフォレストに定めた根拠になるものだ。2枚のうち、1枚はダイナの資料から発見されたもの、そしてもう1枚は一般の書物の中から見つけられたシュートの案内文の一部。
ギャヴァンギルドは、何でもジフの父親……つまり先代の頃からダイナの宝を追い始めていたらしい。先代が亡くなってジフに代替わりし、ジフがその事業の後を継いだと言うわけだ。加えて、あのおじーさん――ガーネットが探しているものがダイナの宝に紛れている可能性があるのだと言う。ガーネットを実の祖父のように慕うジフは、それもあって熱心にダイナの宝を追っていると言うところらしい。
長いことダイナの宝を追っているギルドは、時間をかけて、散り散りになった資料を可能な限り手元に集めている。風の砂漠のダンジョンで例の壁画と文章を見つけたシンは、ダイナの資料にあったこの、海から突き出た岩の絵を思い出したのだそうだ。
そこで、このイラストが描かれている地をまずは調査してみたところ、ある冒険家の手記の中にシュートの『人魚岩』の話が見つかったと言う。
「変だとは、思わないか」
全員黙って2枚の紙に視線を落としていると、しばらくしてカイルがぼそりと言った。
「『人魚』だ。要求されているのは『女神』にも関わらず」
「……」
シサーが考える目つきをして顔を上げる。
「……ふうん。それが『鍵』ってわけか」
「だろうと考えている」
シンが短く答えた。
……ダイナの資料に含まれていた『人魚岩』。けれど、『うみのめがみ』じゃない。だったら『人魚』を『めがみ』にしてやんなきゃいけない?
(道は出来るけど、行き止まりって言ってたな……)
前に。
『人魚』が『めがみ』になる時、それが鍵になって『うみへつづくみち』が拓ける?
「ここで言う『めがみ』はファーラだと考えていーのか」
自分の顎を指先で軽く弾きながら再び紙に目を落としたシサーの言葉に、カイルが肯定の意を返した。
「恐らくな。ダイナのドワーフにとって、女神はファーラだろう。……ラグフォレストにおいても、信仰の要はファーラだな?」
「ローレシアほど深い信仰じゃねぇけどな」
「とすれば他に考えられんだろう」
「『女神に変える』意味ってのはわかってんのか?」
「聖書の一部だ」
直接答える代わりに、シンが別の1枚を取り出した。シサーの方へするりと押し出す。
「? ? ?」
横から覗き込んではみるものの、俺にとっては意味をなさない線画の羅列だ。覚えた単語もないではないけど。
『海』とか『船』とか。
「そっちの手記と聖書を、良く見比べてくれ」
カイルの言葉に、シサーと、俺の反対側から覗き込んでいるニーナが黙々と2枚の紙面に目を落とす。キグナスはと言えば、俺の左側で相変わらずの半死半生。テーブルに突っ伏していた。
「キグナス、平気?」
どこからどう見たって平気じゃないのに、どうしてこう聞いてしまうんだろう。人間って残酷だ。
埒もあかないことを考えながら声をかけてみると、キグナスが目だけ上げた。
「船から降りたい」
「降りてもいーけど、今降りると今以上に生死の境をさまようことになると思うよ」
「……おめぇ、時々鬼のように毒舌な」
「……そうかな。事実を指摘してるだけだと思うけど」
「普通、『陸地につくまで待て』とかゆーんじゃねぇの……」
「陸地についてないことわかりきってて言うんだから、いじられたいのかと思って」
どうやら話してる方が気が紛れるようだ。それに気づいて会話を繋いでいると、隣でシサーがぱさりと紙をテーブルに置いた。
「『神殿』か」
「『うみのめがみがあらわれるとき』って、そういう『時』を表してたのね。『時』と言うよりは……『場所』と言うか」
置いていかれる。
無言のまま視線でシサーに訴えると、シサーがこっちをちらりと見て「後でな」と片づけた。
「『人魚のために造られた神殿』……不自然だろう?心当たりのある『神殿』があればありがたいな」
「ある。……あの廃墟にそんな伝承があったとは知らなかったな。……じゃあ、潮が引いた時に現れる道と洞窟は……?」
「洞窟?」
「『人魚岩』の辺りはひどい遠浅で、潮が引くと道が出来る。続く先は海に沈んだ洞窟だ。……それのことかと思ったんだが」
「ふうん……どうだろうな」
「さあな」
「関係ないのかしら。引っかけとか」
「ただ、俺たちは実際に現場を見て判断しているわけじゃない。『人魚』と『女神』の相違、聖書の記述とその手記から『神殿』が入り口じゃないかと予想しているだけだ。それが正しいかどうかは行ってみなければわからんし、もしかするとその洞窟が怪しいかもしれないしな」
聖書の記述とやらがわからないので、いまひとつ話が見えない。仕方ないので、シサーの手元から紙を引っこ抜いて視線を落とす。
『海……船……人々……海……海……人……魚……海……人々……神殿……人々……神殿……海……町……』。
……何だか俺、真剣に馬鹿みたいだ。こうも文法がわからず、ごく限られた単語しか覚えてないとなると、単語の並びから文脈を推測することさえ不可能に近い。これで文章を読めと言うのは無理とゆーものだ。
聖書ってことだから、ファーラって名前がちょこちょこ出て来てたりするのかな。繰り返し出てくる単語……これだろーか。
(……)
頼みの綱のキグナスは死亡寸前だし。
(まあいーや……)
どうせ後で教えてくれるってことなんだし……。今無駄に悩んでみてもしょうがない。
真面目にみんなの話を聞こうにも、根拠となっているものがわからないもんだから、半ば放棄するような形でテーブルに頬杖をついてキグナスの髪をつつき回す。
つつき回しながら、昼間に甲板でしていた話を思い出していた。
(シェイド、か)
ネクロマンサーの存在は、良くわからなかった。だけど、ゲイトの言うシェイドは亜人型。
『シェイドがあれ』なのか、『シェイドと人間があれ』なのかわかんないけど、ともかくシンはアンデッドだって言ってた。
(アンデッド……)
グレンフォードを単に『魔物との融合体』なんだと思ってたから神殿なんかは立ち入れないんだろーなって思ってたけど、アンデッドとくればますます……。
(ますます……)
……プリーストがいないのが痛い。
いやでも、魔法は有効なんだよな。ただ確かプリースト……それも上級になれば、アンデッド系を一発で何とかするよーな種類の魔法があったはずなんだ。
クラリスがいたらな……。
今なら、クラリスがいたらグレンフォードは脅威にならないかもしれない。だけど神聖魔法の使い手がいない今、シサーさえ勝てるかわからない相手とすると、今度襲われたら痛い。
今はメンツは増えたし、腕は立つんだろうけど、あくまで盗賊……剣士じゃない。シサー以上の戦力を彼らに求めるのは多分酷だよな。
聖書の紙と、いつの間にかラグフォレストの地図なんか引っ張りだして話し込んでいる面々に、視線を向ける。
(カイル……)
強そうだけど。
シサーとどっちが腕が立つだろう。年齢知らないけど、ジフのお父さんの親友ってことは相応の年齢だろうし、実際そう見えるし、経験値はいろいろ豊かそうではあるんだが。
『青の魔術師』の腹心――ロドリスの人間だと思えばどうしてもグレンフォードが頭の片隅から消えず、つらつらとそんなことを思って完全に会議からはぐれ者になっていた俺を、不意に耳に飛び込んできたシサーの声が現実に引き戻した。
「じゃあ、とりあえずはそれに決まりだな」
テーブルから体を起こす俺にシサーが顔を向けた。
「ラグフォレストについたら、まずは、『神殿』だ」