第2部第2章第16話 初めての航海 -ギャヴァン〜シュート-(1)
『青い空!!白い雲!!』と大声で意味不明に叫びたくなるほどの、塗り潰したみたいに鮮やかな青空。
遙か頭上で旋回する海鳥の鳴き声を、潮風が運んでくる。少しべたべたする、海独特の風は太陽の熱を孕んで生温い。
陸を離れて3日。船から見える風景は、既に単調なものになっている。遠くに見えていたヴァルスの地も、今は水平線の彼方に没してしまってどこにも見えない。ただただ続く海面の上に、寄せては返す波の白い泡が見えるだけだ。
俺はグローバーの船の甲板に上がり、その最後尾を陣取って、船が水面に描く軌跡をぼんやりと見つめていた。
暇だ。
することがない。
そりゃあ俺たちは別に『お客さん』じゃない。荷物運んだり、掃除したり、いろいろ手伝ったりはするけれど、航海技術があるわけじゃあ当然ないから、基本的に役に立たない。
こうしてぼんやりと、陽の光を反射して輝く波間を見つめながら船で揺られていると、しかもすることがないと、何だかぼんやりして眠くなる。『レガードの安否』と言う心配ごとがひとつ減ったのも、それに拍車をかけているかもしれない。
ラグフォレストまでは、ほぼ2週間くらいの道のりだと聞いている。あと2週間もこんなふうにして過ごしたら、『休みボケ』にでもなりそうだ。
「カズキ」
背後からかけられた抑揚のない声に、俺は寄りかかっていた舳先から顔だけ上げて、振り返った。船室から続いてる階段を上ってくるシンの黒髪を、海風がもてあそんでいる。その階段の向こうでは、陽気に笑い声を上げながら水夫たちが動き回っている姿が見えた。
「暇そうだな」
言いながら近づいてきたシンは、隣に並んで微かに笑った。
「キグナス、どうした?」
航海するに当たって一応部屋を割り当てられているんだけど、狭い……寝場所しかないような部屋に2人ずつが押し込まれている。俺は例によってキグナスと一緒なんだけど、キグナスは船酔いでげろげろ状態のはず。隣室がシンとゲイトだからキグナスの様子を知ってるかと思って尋ねてみると、シンは浮かべた笑みをそのまま苦笑いに変えた。
「ゲイトがそばについてからかっている」
「……」
からかうんじゃなくて気遣ってあげてよ。シンもあっさり言ってないで止めてやってくれ。
俺とキグナス、シン、ゲイトは4人ともほぼ同年代だし、ゲイトは凄く人懐っこい人だったから、3日も一緒に過ごしていればさすがにだいぶ打ち解けてきた。俺は、シンとは前にも寝食を共にしてるし。
どうやらゲイトはキグナスがお気に召したらしく、何かと言ってはちょっかいを出しているようだ。
「今からあんな状態で、この先もつのか?到着する頃には内臓まで吐いてそうだぞ」
内臓吐いちゃったら、さすがのキグナスも生きてらんないと思う。
シンの言い種におかしくなりながら、俺はまた舳先に両腕を組んでその上に顎を乗せるように体を預けた。時折、船で砕けた波が飛沫を上げるのが見える。
「お前は船酔いしないんだな」
海と向かい合っている俺とは逆に、背中を預けながらシンが俺を見た。精悍な首筋には、良く見れば傷痕が見える。襟に隠れて良くは見えないけど、胸元の方にまで伸びている感じだった。ケルベロスにやられたやつなんだろうか。
「うん。俺、子供の頃から乗り物は強かったんだ」
「ふうん?」
それに俺はキグナスと違って、船も海も初めてじゃない。そりゃあそうしょっちゅうこんな長い時間乗ってたことがあるのかつったらないわけだけど、子供の頃母方の祖父母がいた九州にわざわざ船で行ったことがある。うろ覚えだけど、その時は確か船中一泊とかだったはずだ。当時3歳くらいだった弟の拓人が今のキグナスみたいに船酔いになって眠れなかった覚えがある。
兄弟か……ギルドって何か兄弟みたいだったよな。
「ギャヴァンのギルドって、仲が良いんだね」
俺の言葉にシンは一瞬虚をつかれたように、きょとんと目を見開いて俺を見た。それから微妙な表情で空を仰ぐと、くしゃくしゃと髪をかき混ぜる。
「あー……そうか?」
「うん。そんなふうに思えた。兄弟みたいって言うか、家族みたいって言うか」
何となく波間を見つめながら、シンに答える。それから、シンの横顔に視線を向けた。
「ギルドって、そういうもの?」
「まさか」
驚いたように、呆れたような表情を浮かべた。頭上を旋回している海鳥の甲高い声をBGMに、目を伏せながら軽く肩を竦めて見せる。
「盗賊ギルドは盗賊を取りまとめている。仲良しになんかなるわけないだろう。でかくなればなるほど、普通はもっと政治的な駆け引きや思惑が入り乱れてくるだろうな」
政治的な駆け引きや思惑か……。
「頭領に就任するのが誰だとか、派閥だとか。そういう諍いはどんなところでも起こるものだ」
「じゃあ、ジフが就任した時も、何かそういうのがいろいろあったりしたの」
ジフが頭になってからまだ数年って話だっけ。風の砂漠でシサーがそんなようなことを言っていた気がする。考えてみれば、ジフって盗賊の頭なんかやってるにしては随分若いんじゃないだろうか。キサド山脈で襲ってきた盗賊の頭だって、結構壮年て感じだった。
「そんな殺伐とした感じには見えなかったな」
「あいつがあんなふうだからな」
「あいつって……」
ぞんざいな言い方がおかしくて、俺は目を細めた。
「ま、ギャヴァンギルドに関して言えば、実際家族みたいなものだ。俺も……それにゲイトもだが、不本意ながらあの馬鹿に育てられたようなものだし、カイルは先代の親友だ」
「そうなの?」
「ああ。俺は自分の親を知らないからな。先代が俺を拾ってきて、ジフに弟だと言って押しつけたらしいから、その流れでジフの弟ってことになってる」
そうなのか……。
「ゲイトが来たのはもっと後だ。とは言え10歳かそこらで……あいつもそこからは俺と一緒にジフに育てられた。ゲイトは元々はトートコーストだ」
「……え!?」
「え?」
唐突に大声を上げて体を起こした俺に、シンが驚いたような顔をして俺を見た。
トートコーストって確か……あの、リデルを襲った魔物の出身地じゃなかったっけ?そりゃあ本人に聞いたわけじゃないから、『その疑いが濃厚』と言うだけだが。
(ふうん……)
じゃあ後でゲイトに聞いて……。
「おぇ〜……ついて、くんな、よぉ……」
視線を海に戻してそんなふうに考えていると、不意にその思考が近づいてくる聞き慣れた声に遮られた。振り返ると案の定、青い顔をしたキグナスと、面白そうな表情でそれに従うゲイトが、こちらに向かって階段を上がってくるところだった。
「いやいや、ちゃんと見届けてあげないと」
「何を、見届け、ん、だよ……ついて、来るなら、手ぇ貸せ……」
よたよたと階段の手すりに縋るようにして階段を上がって来たキグナスは、黙ってそっちを見ている俺とシンに気がついた。
「……大丈夫?寝てたら?」
「静かに寝かせてくれる気があるんだったら、このうるせぇの何とかしてくれよー……」
……。
ゲイトは悪びれない顔でにこにこと俺たちを見上げると、ひらりと片手を振った。
「こんなとこにいたんだ」
シンが答えようと口を開きかけたところで、ぐらりと大きな波に船が揺れた。途端、階段にしがみついていたキグナスがばしっと口を押さえて船縁にダッシュする。この揺れで支えもなしにダッシュするとは天晴れなバランス感覚だ。
「おぇぇ……」
……。
それを見てゲイトが爆笑していた。
「あーおもれー。キグナスって何であんなおもろいんだろ」
本人は面白いつもりじゃなくて必死だと思う、多分。
「キグナス、平気?」
2人が来たせいで体の向きをシンとお揃いにしたまま舳先に寄りかかると、船縁から体を乗り出すみたいにしていたキグナスが、そのままずるーっと床に崩れた。
「……もぉ、吐くもん、が、ねぇ……」
「じゃあやめたら?」
「このこみ上げる熱い想いをどう処理していーかわかんねぇ……」
「……それは『熱い想い』じゃなくて『吐き気』って言うんだと思うけどな」
ついつい真顔で答えてしまった俺に、ゲイトが腹を抱えて笑った。この人、笑い上戸なのかな……。
「下まで連れてってあげようか?」
これで部屋に戻したら、キグナスがここまで来た理由が全く意味不明だが。
俺の言葉にキグナスが床に座り込みながら、力なく顔を横に振った。
「や……少し、風にあたりたい……。横になると、揺れが、全身にリアル……」
なるほど。
「どっかこの船ん中で揺れねぇとこ、ねーのかなー……」
船なんだから、基本、ないだろう。
「ねえ。ゲイト」
半ば呆れた気分で死にかけのキグナスとその前にしゃがみこんでいるゲイトを見つめながら、俺も船縁に背中を預けて床に座り込んだ。
「んー?」
「ゲイトって、トートコーストなんだって?」
「え?出身?」
「うん」
キグナスがへたれた表情のまま、ちらりと俺を見る。キグナスのつむじに指先を伸ばしていたゲイトが、こちらに視線を向けた。
「そーだけど……んでももう、こっちの方が記憶としては長いけどね。10歳くらいまでしかいなかったし、幼少の頃なんか覚えちゃいないし」
「ああ、そうか……。いや、それでもいいんだけど。もしわかったら教えて欲しいなってことがあるだけだから」
「教えて欲しいこと?」
ゲイトが立ち上がって、首を傾げる。頷きながら、俺はどう尋ねたもんか考えた。何をどう聞けばいいんだろうか。でも何かあの魔物、もしくはネクロマンサーについて少しでもわかれば、グレンフォードについてわかることがあるかもしれない。
あいつがロドリスの人間として……『青の魔術師』の腹心としてレガードを追っていれば、きっとまたいつかどこかで会うことになる気がする。
「……ゲイト、ネクロマンサーって、知ってる?」
「は?」
キグナスの前から立ち上がったゲイトが、俺の方を見下ろしながら目を瞬いた。
「何?それ」
あれ?
「魔術師、だよ」
へろんへろんとキグナスが口を開く。今度はそっちに顔を向けて、ゲイトは首を傾げた。
「魔術師?人名か?」
「じゃなくて……ネクロマンサーって種類の魔術師……。いろいろあんだろ、魔術師にも。ソーサラー、エンチャンター、イリュージョニスト……そゆ……得意分野の、種類」
「ああ……」
キグナスの説明で理解したように頷いたゲイトは、片手を腰にあてながらちょこんと首を傾げた。
「んで、その『ねくろまんさー』ってのは何を得意とするんだ?」
「……融合魔術……死霊の支配……」
「……」
キグナスの答えに、ゲイトが目を見開く。確認するように俺を見るので、俺は軽く顔を横に振った。俺だって人に聞いた知識であって、別に自分の知識じゃないから良くわかっていない。
「死霊……アンデッド系ってことだよな。それを支配下に置くのが得意分野なら、それは召喚師っつーんじゃないの?」
ああ、なるほど。言われてみればそんな気もする。
答えを求めて俺もキグナスを見ると、キグナスは青い顔のまま、力なく否定的に首を振った。
「全然……別もん……」
ふうん……そうなんだ。
何だか良くわからないが、ネクロマンサーってのはあくまで魔術師に分類されるらしい。
キグナスがそう言うんだったら、きっとそうなんだろう。
「ふーん。ま、いーや。んでそのネクロマンが何だって?」
適当なところで切らないでくれ。それじゃあ何なんだかわからないじゃないか。
「そういう、アンデッドを使役するような魔術師の話をトートコーストで聞いたこと、ない?」
ネクロマンサーって魔術師の存在が確認されないことには、『アンデッドとの合成獣』なんじゃないかって言う俺の予想は成り立たない。するとグレンフォードの正体が全く不明になってしまって、対応策の講じようがなくなる。
でも、そもそもネクロマンサーって何?から入るゲイトが何か知ってる可能性は薄いだろうなと思いながら尋ねてみると、案の定ゲイトは唇を尖らせながら困った顔をした。
「知らないなあ」
そうだよな……幼少の頃しかいなかったんだったら、トートコーストのことを良く知らなくても道理……。
「悪いな」
「ううん……ありがとう」
「その『ネクロマンサー』ってのがどうかしたのか」
それまで黙って聞いていたシンが、口を開いた。
「いや……」
どう答えたものか言葉を選んでいると、キグナスが青い顔を上げて口を開いた。
「ゲイト、肌がぐずぐずの魔物、知らねぇか?」
「肌がぐずぐずの魔物?」