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QUEST  作者: 市尾弘那
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第2部第2章第14話 歯車(1)

「まーったく、どうなるかと思ったよ。馬鹿、ぼけ、考えなしの間抜け」

「はぅぁ〜……」

 立て板に水のような、澱みなく続けざまに発せられるエレナの悪口雑言にしおしおとうなだれながら、グレンフォードは情けない顔で頭をかいた。

 リトリアを出て、ロドリス北西の小さな集落カンサスを目指して移動中である。

「大体こんな綱渡りで良くリトリアが陥落したもんだよ。相手は武王だ、玉座の間で斬られても文句は言えなかったんだからな。いくらリトリア宮廷がユル〜イったって、正式な使者を斬って捨てたなんつったらあーなんのが当たり前で……」

「まあまあまあまあ、うまいこと流れてくれて良かったですねぇ……」

 適当に相槌を打ちながら、視界に姿を現した集落に視線を定めた。リトリアの放蕩国王から少し気になる情報を入手したゆえの回り道だ。カンサスを出れば後は要塞ガーラントを経由して、リシア地方からどこかへ移動して行った『レガードご一行』の追跡開始である。衛兵の駐屯所に立ち寄れば多分必要な情報はセラフィから届けられているだろう。

 カンサスは小さな村である。元来農業国であるロドリスらしく、豊かな自然が海風に揺れていた。まだ植えられて間もないだろう田圃の苗が、張られた水面を柔らかな緑で彩っている。

 もう数ヶ月もすれば、一層鮮やかな緑が伸び伸びと風に揺れるだろう。そして黄金色の実りが、人々の生活に豊穣をもたらす。

「……何か、聞けるといーけどね」

 いい加減悪態を口走るのをやめたエレナが、同じように苗の影が揺れる田圃に目を細めながら呟いた。

 気になるのは、ロンバルト沖で激突したヴァルスとモナの海戦からの生存者の行方だ。

 最初に発見されたのは、モナのマイルス島。以降、ぽつりぽつりと報告が寄せられていると言う。現在のところはロドリス西岸、マイルス島を越えたモナの南だ。ロンバルトやヴァルスに関しては、現状情報の入手が難しくなっている為不明である。

「はぁぁ……私、リトリア陣営に参加しなきゃいけないんですかねぇ……」

 後から付け加えられたリトリア国王からの条件を思い出してぼやくと、エレナが軽く肩を竦めて笑った。

「まったく特殊任務の多い部下だよ。ま、リトリア参戦の条件だからね。セラフィ様も駄目とは言うまい。思う存分使われて来な」

「はあー。私はロドリス国民として誇りを持ってセラフィさんをお守りする所存であるはずなんですけどねぇ」

 つまりはレガードの追跡も、期間が決められていると言うことだ。もちろんのんびりやるような任務ではないが、それ以上に戦の状況を常に押さえていつでも戻れるよう……もしくは必要時までに任務を完了して、自由の身になっている必要がある。

 村の中には青年の姿が少ないようだ。恐らく兵卒として徴収されている為だろう。

 必要な情報はフレデリクの生死だ。海中に消えたのならそれはそれで良い。だが、ヴァルスに身柄を押さえられるのが少々不都合である。

「襲った魔物ってのは、何なんだろうな」

 村に足を踏み入れながら口にするエレナに、グレンは軽く肩を竦めた。答えようがない。

「何とも言えませんね。巨大な魔物が多いですから。水竜リヴァイアサンではないことは確かでしょうが」

「わからんよ?休眠期を終えて移動して来たのかもしれない」

 冗談めかして見上げるエレナに、グレンは苦笑を浮かべながら柔らかく、けれどきっぱりと否定する。

「ありえませんよ。活動範囲が違い過ぎる。……しかし、残る竜は4匹ですか。グロダールはもういない……はずですからね」

「でもみんな休眠期だから、あんまり関係ないだろ」

「とも言い切れませんよ」

 グレンの言葉にエレナが眉をひそめた。見上げる臙脂色の瞳を、静かに見返す。

「氷竜トラファルガーは、目覚めが近そうですから」

「……そんな予兆が?」

「私がちょうどナタリアにお邪魔した時に、地響きのように咆哮が聞こえました。彼が目覚めると少々厄介ですね」

「厄介?」

「ええ。……ナタリアが、身動きがとれなくなります」

「ああ……」

 それは確かにそうなるだろう。ナタリアはツェンカーやワインバーガと並んでトラファルガーの捕食地域だ。

「それはちょっと、痛いかな……」

 まあ、リトリアがこちらについている分にはいくらでも勝機はあるだろうが、友軍は多いに越したことはない。その分自国の負担が軽減する。

 カンサスの村を包む空気は、のどかなものだった。質素で慎ましやかな雰囲気が、昼下がりのおっとりとした空気に静けさを上乗せしている。

 村の中の畑脇に生えた大きな木の下で、老人が居眠りをしていた。大きな籠を抱えた老女が、その横の畦道をゆっくりと通り過ぎる。

「ちょっと尋ねてみましょうかねぇ……」

 アテもなくさまよっても仕方あるまい。怪我人病人は家の中と決まっている。ただ村をさまよっていたところで、誰に何の話を聞けるはずもない。

「ちょいとそこを行くおじょーさん」

 軽快なスキップとと共にしまりのない笑顔で道行く老婆に声をかけるグレンに、エレナは眉間に皺が寄るのを止められなかった。警戒を解くつもりだろうが、一層増していることになぜ気づかない。

 ついつい『連れ』だと思われるのを避けたい気持ちが強まり、足を止めたままその様子を遠巻きに眺める。何やらオーバーアクションで両手を動かしまくっていたグレンが、こちらを振り返った。

「エレナさあああんッ」

 同類とだけは思われたくないものだ。躊躇いが、エレナの返事を鈍らせる。

「エレナさんってばッ。……あ、あの人ね、私の連れでして」

 老婆の視線がばしばしとこちらを向くのが、胃に痛い。自分だけは真っ当な姿勢を貫こうと決意を固めながら、仕方なくそちらに足を向ける。グレンがだらしない笑顔を浮かべて、ずり落ちる丸眼鏡をしきりと指で押し上げた。

「あのですね、こちらのお嬢さんがちょうどこれから漂流兵を保護してるとこに行くってお話ですから」

「いやだね、お嬢さんなんて年じゃないよ」

 グレンの言葉に笑いながら、それでも老婆はそこはかとなく嬉しげだ。女性と言うものはいくつになっても、若く扱われるのが嬉しいらしい。軍隊に身を置いているエレナにはわからない感覚だ。

「へえー……そりゃラッキーだ」

「ええ。ですからね、ご案内いただければ幸いかなーと」

 そのまま老婆について歩き出す。手にしていた籠には、果物が詰め込まれていた。差し入れらしい。今はグレンが代わりにその籠を抱えている。

「良く見りゃあ立派な身なりをしているねえ。お2人とも兵隊さんかい」

 身が軽くなったついでに口数の増えた老婆が、だが足だけはゆっくりと動かしながらグレンとエレナを見比べた。

「兵隊さん……ってのとはちょっと違いますけどねえ……」

「違うのかい?立派な剣をぶら下げて」

 驚くほど矍鑠かくしゃくとした老婆だ。歩みこそ遅いものの、足取りは確かだし、腰もさして曲がっていない。

「いえいえ、ただの税金泥棒ですよ」

「んじゃあ役人さんかいねえ……」

 投げ掛けられる日差しが、海面に反射して白く光る。寄せては返す碧は、遠く空との境目が溶け合って区別がつかない。近隣の小さな漁船が微かに波間に見え隠れし、海を挟んでぽっかりと小さな陸地が緑を繁らせている。――マイルス島だ。

「……何人くらい、流れついたって?」

 眉を寄せて尋ねるエレナに、グレンの半分より更に小さな老婆がエレナを見上げた。

「5人、いや6人だったかねえ。どっちにしても大した人数じゃないよ。今残ったのは、たったひとりだ」

「ひとり……」

「後の方はお亡くなりになったんですかねぇ……」

 手に持った籠から仄かに漂う果物の香りに鼻ををひくつかせながら尋ねるグレンに、老婆が頷いた。

「可哀想に。みんなここに辿り着いた時にはもうかろうじて生きてるって感じでねえ……。次々に亡くなったよ」

「これは、ひょっとしてお見舞いの品ですか」

 グレンが手に持った籠をさす。それを受けて老婆が深々と頷いた。

「村に唯一の医者の家にいるんだけどね、栄養をとらせてやんなきゃと思ってね……ほら、あそこだよ」

 老婆が示したのは細々と続く畑から少しだけ逸れた位置に、ひっそりと建てられた小屋だった。質素な佇まいである。

「今生き残ってらっしゃる方のお国なんかはおわかりですかねぇ」

 丸眼鏡を押し上げるグレンの頭を、馬鹿にするようにひらひらと蝶が舞う。老婆がそっと首を傾げた。

「さあてねえ。わたしにはちょっとわからないよ。どこか違う国の人間だってことくらいしかねえ」

「ほうほう」

 海戦で行方不明になった人間はヴァルスもしくはモナ、この2カ国。ヴァルスの場合は、傭兵などを考慮に入れればどこの国の人間がいるかは知れたものではないが、基本的にはそうなる。

 共用語であるヴァルス語を理解する人間は多いから、それを考えればモナ兵かと考えたくなるが、このような辺境の老婆にとってはヴァルス語もモナで使われているリトリア語も一緒くたに『異国語』かもしれない。

 いずれにしても会ってみればわかるだろう。焦るようなことでもない。

 老婆の歩みに合わせてのんびりと歩き、医師の家に辿り着く。老婆は無遠慮に扉を開けた。

「先生」

 慣れた空気で入って行くところを見ると、馴染みでいつもこうして届け物をしているのだろう。

「おう。らっしゃい。……どちらさん?」

 開いた扉の中は、あっさりその全貌が見渡せるほど狭かった。奥に扉が見えるから、一応はこちら側が診療所、と言うところだろうか。

 小作りな棚やテーブルが置かれ、その奥の書き物机に向かっている男がこちらを見て破顔した。

 30過ぎくらいの若い医師だ。どこかぼうっとした頼りない顔つきをしている。

「そちらはどちらさんかな」

 目を瞬いて再度首を傾げながらも、人の良さそうな顔に笑みを浮かべている。立ち上がった若医師に、老婆がグレンとエレナを紹介した。

「お役人さんだそうだよ。ほら、先生んとこにいる若いの。先の海戦の兵士じゃないかって話でしょう。だからね……」

「ああ……」

 役人、と聞いて医師が顔を顰めた。自分のところで保護している病人のことを、あれこれ詮索されたくないのだろう。

「いえね、私も別に怪我人病人においたをしようってわけじゃありませんからご安心を。ちょっとお話を聞けるようならそれに越したことはないだろうと言う程度のことでして」

 役人を名乗るにはいささか軽薄な言い回しで来訪意図を告げるグレンに、医師は軽く頷く。

「申し遅れましたが、私はグレンフォードです」

「エレナです」

「私はリクベル。しがない町医者です」

 立ち上がったそのままに、ラフな裾の長い上着のポケットに両手を突っ込む医師に、老婆が声をかけた。

「わたしゃ帰るよ。しっかり食べさせてやってよ」

「はいはい。ありがとう」

 グレンが持ったままの果物籠に苦笑を浮かべてリクベルは肩を竦めた。

「漂流者から金を取るわけにもいかない。と言って食わせないわけにはいかない。こう言った心遣いは素直にありがたいものです。……さて、お話を窺いましょう。とりあえずお掛け下さい」

 申し訳程度に置いてある椅子を勧められ、腰を下ろすことにする。

「彼に聞きたい話の種類と言うのを聞いておきましょうか。患者の精神に不安を投げ掛けたり動揺を誘うような話であれば、僕は医者の見地から止めなきゃなりません。そう言ったお話でないことを祈ります」

「逆に聞きますが、どのような話を避けるべきなんでしょうかねえ。何が起きたか聞かないことには、何ともならないんですが」

 グレンの問いに、リクベルは複雑な表情を浮かべた。考えるような沈黙の後、短く息と共に吐き出す。

「……あまり詳細を突っ込んで聞かないのならば、まあいいでしょう。それで良いですか」

「聞きたいのは、概ねそんなもんです」

 フレデリクの行方を尋ねるか否かは、彼の様子を見て判断しよう。そもそも自分以外の生存者の行方など、知っている方がおかしいのだから。

 こちらだって真剣に問いただすつもりがあるわけでもない。わかることがあれば聞いておきたいと言う程度のことである。

「わかりました。……こちらです」

 リクベルに促されて立ち上がる。示されたのは奥の部屋だ。

 扉を開けたそこに広がっていたのは、更に狭い部屋だった。医師の私室、と言うにはあまりに簡素だった。たったひとつ置かれたベッドには、男がぼんやりと横になっている。

「エクセルさん」

 リクベルが柔らかい声で呼びかけた。エクセル、と呼ばれた男が顔を上げる。

「調子はどうですか」

 歩み寄る医師に、エクセルが微笑み返した。良く見ればかなり若い。多分まだ10代だろう。ややもすると先の海戦が初戦だったかもしれない。助かったのは僥倖だ。

「悪くないです」

 答えながら、続いて入って来たグレンとエレナに首を傾げた。リクベルを見上げる。

「お客様ですか」

「君にね。……お話を聞きたいってことなんだよ。嫌なら追い返すけど」

 本人たちを前にしゃあしゃあと言うリクベルの言葉に、グレンは思わず吹き出した。エクセルがしきりと瞬きを繰り返しながら、リクベルと訪問者たちを見比べる。

「あ、僕は別に……何でしょうか」

「いえね、私共はロドリス王国ハーディン王城に縁の者でして。大したことじゃありません。先の海戦で何があったのか、お聞き出来たら良いなあと思ったまでのことですよ」

 あっさりと来訪目的を告げたグレンに、エクセルは目を見開いた。

「ロドリス……」

「エクセル、不都合なことや言いたくないことは言わなくて良いからね」

 リクベルが口を挟む。柔らかいのんびりした口調で言われて、さすがにエクセルも吹き出した。

「先生……」

「仕方ないだろう。俺にとっては患者の健康が第一なんだから。思い出して具合が悪くなるような種類のことは、思い出して欲しくないんだからね」

 軽く肩を竦める医師にくすくすと笑いながら、エクセルの顔がグレンとエレナを見比べた。

「大丈夫です。……何が起こったのか、詳しいことは僕にも良くわからないと言うのが本当のところです」

「君は、どこの国?ヴァルス?それともモナ?」

 エレナの問いに、エクセルが複雑な表情を浮かべた。

「僕は……」

「ご安心下さい。別にどちらだとしても、私たちは何をするつもりも、誰に報告するわけでもありませんから」

 ロドリス、と言う国に対する警戒を読み取って口を挟んだグレンに、エクセルはまだ迷うような目つきをしながら頷いた。

「僕は、ヴァルス兵です」

「ふーむ。初陣ってやつですか?」

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