第2部第2章第11話 接触(2)
「……先頭を切って戦ったって聞いた」
しばらく、ただ繰り返す波の音の中、黙っていたシサーが不意に口を開く。顔を上げた男には目を向けず、石碑に視線を定めたままでシサーが続ける。
「一市民として、礼を言う」
そこでやっと男の顔を見たシサーに、男が小さく笑った。少し癖のある髪に手を当てて、くしゃくしゃと掻き混ぜる。思わずキグナスと顔を見合わせた。
(『先頭を切って戦った』って……)
この男、ギルド!?
「別に、俺らだって困るからな。俺たちの、街だから」
うっそぉ……。
シサーが顔色ひとつ変えなかったから全く気がつかなかった。男の方も特に何も尋ねないってことは、ギルドの人間だってわかっていることはさして特殊でもない、んだろう。
「……当時、俺はここを離れててな」
また石碑を眺めながらシサーが呟く。ギルドの男が、ちらりとシサーが帯びた剣に視線を落とした。
「傭兵か何かか?それとも冒険者?」
「傭兵だ。いたら、何か力になれたかもしれねぇけど」
「そうだなー。一緒に戦えたかもしんねーな」
「……ボードレーが、戦死したと聞いた」
ぽつんと言った言葉に男が顔を俯ける。
「ボードレーの、知り合いか」
「ああ」
男が石碑に手を伸ばす。差し出した指先で板面の名前をなぞった。一カ所でぴたりと止まる。それを目で追っていたシサーが続けた。
「……一緒に戦場に出れれば良かったのに」
「……」
傾いていく陽に、お参りに来ていた人たちが少しずつ帰っていく。海上の冷気を集めた風が冷え込んできて、シサーの長い髪をさらおうと弄ぶ。
「あんた、名前聞いてもいーか?」
「ああ。俺はシサー。ギャヴァンの東南に家がある。こっちはニーナだ。そっちはカズキとキグナス」
ついでに紹介してもらって頭を下げると、男の視線がぐるっと俺たちを見回した。
「ふうん?俺はジフリザーグ。ジフでいい。……傭兵か。みんな?」
「俺とニーナはな。後は……」
言いながら俺とキグナスを振り返ったシサーが、微妙な沈黙の後、苦笑をした。
「……ま、おまけだ」
おまけ!?
ひどすぎる。そりゃあ職業聞かれても困るんだが。
俺とキグナスの責めるような視線をあっさり無視して、シサーが男……ジフに向き直った。
「でも、街が灰塵に帰すようなことになんなくて良かった。……モナの、フラウみたいにな」
ジフが小さく笑う。
「まさか。相手は大国リトリアじゃない。こちらも、大都市だ」
「ドワーフの集落のようにはいかないか」
「もちろん」
邪気のない笑顔でシサーに頷いたジフは、それから軽く伸びをした。あくびを噛み殺すような顔をして髪をかきあげる。
「あのドワーフの集落にも、生き残りがいるだろうにな。……今頃、失った故郷に思いを馳せているかもしれねぇな」
「ギャヴァンの市民がそんな思いをすることがなくて良かったよ。……さあって」
シサーに答えて、ジフリザーグは石碑に目を戻した。それから、遠く揺れる波間へ。
「……俺は、そろそろ帰るかな」
「悪かったな。『対話』の邪魔をしたみたいで」
歩き出したジフの背中へシサーが投げた言葉に、ジフが顔だけ振り返る。人懐こい笑顔。
「言ったろ。俺は毎日来てるから構わねーって。……じゃな」
薄暮の中、遠ざかって行く背中を黙って見送り、その姿が完全に闇の向こうに紛れてから、シサーが低く言った。
「ギルドの頭だぜ」
「――えッ!?」
俺とキグナスの驚きの声が重なる。……頭!?
「じゃあ超重要人物じゃん!!」
あっさり別れちゃって良かったんだろーか。
目を剥く俺に、シサーが苦笑を返した。
「別に今ここで何を聞いたところで何も答えちゃくれねぇよ。結構食えねぇと思うぜ」
そりゃあ仮にも盗賊まとめてる人なんだから……あっさり口を割るとは思えないけど……。
「ギルドがレガードのことを何か知ってるんだとすりゃあ、頭が知らねぇわけねーだろう。少なくともシンって奴がお前の顔見てレガードと繋げてんだ。知ってる可能性は高いな?」
「……うん」
「なのにあいつ、お前の顔を見ても僅かたりとも動揺しなかった。目に、ほんの僅かな驚きを滲ませることさえしなかったんだぜ?……大したもんだ」
……シサーだって大概人のこと言えないよ。ジフの顔見た瞬間からギルドの頭だって気づいてたんだろうけど、微塵もそんな素振り見せなかったじゃないか。おかげで全く気がつかなかった。どっちも狸だ。
「んじゃあ、どーすんだ?」
「……とりあえずちょっと、街を歩くか」
キグナスの言葉に、シサーが歩き出す。ニーナが後を追いながらくすっと笑った。背中から受ける夕陽の名残が、ニーナの整った顔に陰影を刻んだ。
「おいしい屋台なんかもいっぱいあるわよ。今のうちに食べておいた方が良いかもね」
「カズキも前はそれほどゆっくりしてないし、キグナスもあんまり来たことねぇだろ?せっかくだから見物してけよ」
「あ、うん」
シサーの言葉に頷いて後を追う。 さっき上ってきた緩やかな丘を下りながら、微かに合葬墓地を振り返った。
心の中で、祈りを捧げる。――そっと。
(守る為に戦ったあなたたちに……)
心からの、冥福を……。
◆ ◇ ◆
ジフと別れてしばらく、シサーはギャヴァンの街を歩き回った。ゆっくりと無作為に、かなりの広範囲を歩き回る。至るところで街人に声をかけられ、戦闘の時の様子やその後の復旧作業のことなどの情報を仕入れ、俺は素直にそれが目的なのかと思っていた。
完全に日が沈み、夜がやってくる。街中の街灯や店頭のランプに心癒すような柔らかな光が灯り、ヴァルスの港街はどこかセピアめいたオレンジの灯りに包まれ始めた。
喧噪は相変わらずだ。宵闇が街を支配しようとしても、この街の人々は屈するつもりがないらしい。むしろ夜が濃くなるにつれてますます賑やかになっていくみたいだ。
ロドリス王都フォグリアでも感じたけれど、昼と夜は華の色が違うように思える。
「……そろそろ、行くかな」
「え?」
ぼそっと言ったシサーに、ニーナが頷く。軽く俺を振り返ってみせた。
「今日の宿泊先にね。シャインカルクほどのおもてなしは出来ないけど。眠る部屋くらいは提供出来るわ」
やっとシサーとニーナの家に向かうらしい。ニーナの言う通りちょろちょろと屋台を覗いたりもして腹は減ってないけど、疲れて今度は少し眠い。
「……こんだけいろんな人を知っていてさ」
変わらずのんびりした足取りで人通りの多い大通りを逸れていくシサーの背中に、疑問を投げかける。
「何でギルドの場所はわかんないの?」
何か知ってても良さそう。あるいは知っている人を知っているとか。
素朴な疑問だ。
俺の問いにシサーが微かに鼻の頭に皺を寄せてから、軽く困ったような笑みを浮かべる。
「ギルドの場所は、変わるんだよ」
変わる?
「ギルドは本部と支部があるんだけどね、本部の場所は団員の幹部しか知らない。支部は団員以外の闇稼業の人間なんかも知っていたりするけれど、その場所を頻繁に変えるの」
「移動先を知る手段は一般の人間にはわからねぇな」
ふうん……。
「ギルドって、どのくらいの人数がいるの?」
「さあ……正確には知らねえが、100人はいないだろ。ン十人ってとこじゃねえかな」
中小企業ってとこ?でもそんだけの人数がいるもんを、しょっちゅう移動すんのってしんどそうだよなぁ。そりゃあ別に無意味にやるわけじゃないだろうけど、ご苦労サマって感じだ。
「どっちかって言うと家につく前に……外のうちに仕掛けて来て欲しいんだけどな」
……は?
「そうねー。ま、何もないならないで、違う手を考えるしかないわね。……今、何人?」
「さあなあ。俺がわかる範囲は2人。もっといるだろう」
「家だけ確認するのかも」
「でもそうだったらひとりでコト足りるだろう」
……あちゃー……。
今頃気づいた。シサーが街中歩き回ってた意図。思わずしかめ面で額を片手で押さえつける。
「……そーゆー『囮』みたいなことやってんなら先言って」
「『囮』?」
隣でキグナスがくりっとした吊り気味の目をしばたかせ、対するシサーがにやーっと笑ってみせて前に向き直った。
「おう。勘がいーじゃねーか」
逆だよ。今の会話を聞いてわからない方がおかしい。むしろもっと早く気づくべきだった。
「だっておめぇらに言ったら行動が不自然になって尾行に気付かれちまいそーだかんなー」
「……ついてんだ?尾行」
「おう。ばっちりな」
危ないじゃん。
はーっとため息をついて、さっきのシサーとジフの会話を思い出す。
『フラウ地方』。
『ドワーフの集落――生き残り』。
わざわざこの単語を示唆することで、ジフの注意を引きつけたんだ。
(馬鹿……)
何で気がつかなかったんだろう……。
「? 何?」
俺以上に感づくのが遅いキグナスが首を傾げる。声を潜めてそっと教えてやった。
「ギルドの尾行だよ」
「え!?」
「馬鹿!!」
言った途端頓狂な声を出され、思わず平手で目一杯キグナスの頭を叩きつける。「いてぇー」と呻きながらキグナスが地面にしゃがみこんだ。
「振り向いたりするなよ?」
「……何で尾行?」
「シサーがさっき、話を振ったからだろ」
それから、シサーの背中に小さく問う。
「……どーすんの?」
「何が起きても抵抗はするな。しゃべるな。……ギルドは今、無用な殺戮の制限をされてるはずだ。こっちが下手な真似しなけりゃ殺されるようなことはまずねぇだろう。大体、俺たちが何を知ってるのか知りたいはずだ。殺しちまったら何もわかんねぇからな」
「……うん」
「ただし、下手な真似すれば即効性の毒を仕込んだダガーがシュッ……だ」
言いながらシサーが、軽く手首を振る。ダガーを投げる真似をして見せて、おどけたように舌を出した。
「さっきジフに直接フラウの話を振ったところで、話しちゃくんねぇだろうと思ったからな。俺たちの目的はフラウの件で交渉がしたいだけだ。出来ればギルドに案内してもらえればありがたい。レガードの件もあるしな。……出来るだけ、ギルドともめたくない」
「……うん」
「だから向こうから仕掛けさせたんだよ。……チャンスは1回きりだ」
「……うん」
「キグナスも魔法で何とかしようとか思うなよ。呪文が完成する前にお亡くなりだ」
「……わかった」
一通り俺たちが理解したところから、辺りは次第に人気のないものになっていった。建物とかないわけじゃないんだけど、倉庫とか会館みたいな雰囲気。住宅街や商店って感じじゃない。ところどころに広い草地があって資材とか積まれたりしている。
「この辺は随分寂しい感じだね」
「ああ」
「シサーん家ってこっちの方?」
キグナスもきょろっと辺りを見回して尋ねる。遠い大通りから流れるざわめきが他人ごとみたいな静けさ。
「本当は別の道からも行けるんだけどな。ここを抜けるとまた少し、人が住んでる区域がある。そんなにたくさん住んでるわけじゃねーけどな。その一画だ」
他の道から行けるってことは……きっとわざわざ人通りの少ない道を選んでるんだろう。……狙いやすいように。
シサーに合わせてゆっくりと歩く。『襲われる』のが前提とくれば妙に構えてしまって当然だろう。意識して背後の気配を探ろうとしてみるけれど、残念ながら俺程度では何も感じることが出来なかった。尾行がついてるなんて到底思えない、完全な静寂。
(シンが来たりしないかな……)
そしたら少しは話が早い……。
(……)
かどうかは謎だけど……。
愛想ないもんなぁ……。何も話してくれないし。友好関係が成り立ったと思っていーのかさえわかんないし。必要があれば遠慮なく殺されそう、俺。
日夜一緒に行動したあの数日間は何だったんだろうとそこはかとなく虚しくなって、ため息をつく。何か感じたような気がして何気なく振り返って、次の瞬間首筋にひんやりした感触が触れた。ぐいっと腕を引っ張られ、そのままねじあげられる。
「いてぇッ……」
良く見りゃ俺のすぐ後方を歩いていたはずのキグナスもしっかり同じ状態だ。いつの間に。
俺とキグナスを押さえつけている2人はそれぞれ若くシンや俺らと年が近そうに見える。知らない人だけど。そして更にその背後に2人シサーと同年代くらいの男が影のように立っていた。前を歩いていたシサーとニーナが振り返り、後ろの男たちのダガーや、俺には名前のわからない射程範囲の広そうな道具が狙いを定めた。
「聞きたいことがあるだけです。別に害を加えるつもりはない」
俺にダガーをつきつけている男が口を開く。ちらりと視線を落とすと、ダガーには何かてらてらと光るものが塗られていた。やだなあ、毒なんだろうなぁ……。
それから後ろの男が小さく笑ったのが聞こえた。
「予想済みなんだろ?」
それに答えて、シサーが軽く肩を竦める。
「何の話かな」
「頭がね、言ってましたよ。『あーやだなあ。絶対こっちが食いつくの狙ってんだろーなー。やだなあ』ってぐずぐずと」
ぐずぐず……。
何か、『盗賊団の頭』ってイメージを着々と崩してくれる人だよなあ……。
緊迫してる場面なはずだけど、俺にナイフ突きつけてる男がラフな丁寧語なので、つい気が緩む。キグナスを押さえている男が吹き出して突っ込んだ。
「ゲイト」
「ま、ともかく。……こっちも手荒な真似をする予定はないんすよ。今んトコは。話の内容によりけりだけど、何にしてもちょっと黙って付き合ってもらえませんかね?」
だけど、そこに潜む迫力は本物って感じがした。シンと似た匂いと言うか……油断したら本当にやられそうな。
必要があれば、多分殺すことをためらわないんだろうなと言う印象を受ける。
「って言っても、無理にでも付き合わせるつもりだろう?」
「やだな、あんたもそういうつもりなんでしょ?」
俺の首筋のダガーはそのままに、ゲイトと呼ばれた男が軽く顔を伏せて笑う。
「あんたらもこっちに何か話があるから餌を撒いた。こっちにとって問題なのは、あんたらが持ち込もうとしてるのがメリットかデメリットかってことっすね」
対の腕輪ひとつとは言え、「宝の一部をよこせ」って話だからデメリットかもしれない。
でも、ヘイリーの話を考えればギルドだけじゃあそもそも宝に辿りつけないかもしれない……そう考えればメリットかもしれない。
どちらに取るかはギルドの頭……ジフリザーグ次第、と言うところだ。
「おっと。物騒な得物だけは、こっちにもらっときましょーか。わかってると思いますけど、余計な真似はしない方が身の為だ。素直に聞いて下さいね」
ゲイトが続けた言葉に、シサーとニーナが剣を前に投げ出す。それを見てゲイトは、俺が帯びている剣もベルトごと解除した。キグナスのロッドも、押さえている男の手の中だ。後ろに控えていた男2人が油断ない顔で歩み寄り、拾い上げる。それを確認して、ゲイトが再び口を開いた。
「じゃ、行きましょうか。……あなたたちの望み通り」