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QUEST  作者: 市尾弘那
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第2部第2章第9話 オーバーフロー 前編(1)

 松明の灯が、窓の外に増えていく。リートリッヒは小さく息をついて、眼下の光景に目を向けていた。どうやらラティスの町は、ロドリスのルオー川渡河の報をこのデルフト要塞に届けることは叶わなかったらしい。突如現れた2万を越える大軍にデルフト要塞は迎撃準備に入っているが、果たして……。

 この要塞を守るリートリッヒは、弱冠27歳の若者だ。王都ウォルムスの名門貴族クライバー家の次男である彼は、今回のロドリス侵攻の報を受けて、王城ヴィルデフラウより派遣されたにわか城主である。

「……リートリッヒ様」

 従来この要塞に常駐して守っている将軍シュトワードの声に、リートリッヒは振り返った。

 こちらもまだ36歳と年若い。

「ヴァルスからの援軍は間に合うだろうか」

 感情の滲まない、淡々とした問いかけに、シュトワードの顔に苦渋が浮かぶ。

「わかりかねます、としか申し上げられませぬ」

 リートリッヒの視界の中では、刻々と要塞に迫ったロドリス軍が野営の準備に取りかかっていく。明朝、日が昇ってから行動を開始するだろう。

 要塞に逗留している軍は8千。とてもロドリスに太刀打ち出来る兵力ではない。防戦一方の戦いを強いられることは、明らかだった。

 ヴァルス援軍がロドリスを背面から攻撃してくれれば、勝機はあるのだが。

 翌朝になって、ロドリス軍は行動を開始した。

 いくつかの部隊に分かれて、整然と散っていく。何か考えているらしい。直接攻撃を仕掛けてくるつもりでは、なさそうだ。

 リートリッヒは城内の兵に、警戒を怠らないよう呼びかける。要塞は元々戦闘を前提に造られている為、これから補強し直すなどの手間は特に必要としないはずだ。攻城対策として城門や塀の上に投石器や弓砲なども設置されてはいるが、現段階では何の用も為さない。距離が遠すぎる。

 じりじりとデルフト要塞軍が見守る中、ロドリス軍のある者は地にほりを造り始め、またある者は木材を運び込んで来た。数日の沈黙を過ぎ、刻々とロドリスの意図が読めてくる。

「シュトワード!!騎兵を3千だ!!」

 リートリッヒの命令に従って急遽、3千の騎兵が城外へと送り出された。それをロドリスもほぼ互角の3千6百の騎兵で応じる。その間も着々とロドリス軍の作業は続けられていく。狙いは囲い込みと攻城塔の造成だ。

 デルフトは天然の要塞とも言えるべき場所にあり、ロドリスが陣営を築いている方角からは険しく切り立っている岩場の上にある。続く道は1本で、その両側も険しい崖になっていた。

 ロドリスはその道の入り口から両側に広く要塞を取り囲む形で濠と土塁を造り上げ、唯ひとつの道に破城槌はじょうづちを備えた攻城塔を築き上げようとしているのだ。

 木枠を中にして石を組み上げた強固な塁壁ではあるが、おめおめと指をくわえて見ていてやる理由もない。数倍の兵力とは言え、工事に取りかかっている今、その全てが戦闘要員として即投入出来るわけではない。

 小競り合いを繰り返す中、ロドリス軍の攻城塔は着々と出来上がっていく。デルフト要塞軍も火矢を放ったり何とかその作業を妨げようと試みる。

 焦燥の中、じりじりと時だけが過ぎ去って行った。


          ◆ ◇ ◆


 ヘイリーの無茶苦茶な要求を受け入れてようやくファリマ・ドビトークを越えた俺たちは、一度教皇領エルファーラを経由してヴァルスに入った。エルファーラとほど近い城塞都市アンソールから一路、レオノーラへと向かう。

 こっちを出てから一体どのくらいぶりの帰還になるのか、既に感覚がめちゃくちゃで正直良くわからないが、多分……ほぼ1ヵ月半ぶりくらいだろうか。

 アンソールから南へ向かうこと5日、ほぼ平原と言える向こうに見覚えのあるシャインカルクの城下町が見えた時、思わず全身の力が抜けるのを感じる。何だろう……『帰ってきた』ような。

 故郷に帰る気分って、こんな感じかもしれないな。俺がこの世界で1番馴染みがあるのはやっぱり、レオノーラだから。

(『故郷』か)

 最近、思い出さなくなってきたな。あっちの……俺が本来いるべき世界のことを。

 忘れたわけじゃないが、日々生き抜くことで精一杯だし、多分……違和感が俺の中でなくなってきているからだろう。

 わからないことは多分まだまだあるけれど、今のところ生活に不都合はなくなってきている。

(帰れなくなったら?)

 それとも、『いつか帰れる』と思うからそんなふうに思うんだろうか。帰れなくなったら、漠然と俺が描いていたはずの未来とあまりに違う姿に、違和感をまた覚えるんだろうか。

「うあー!!やっと戻って来たぁー!!」

 レオノーラを本物の故郷とするキグナスが、俺の隣でくしゃりと相好を崩した。シサーとニーナも気が抜けたような表情で、近づく街並みに目を向けている。

「今日は心の底から休めそうだなあ」

「お風呂にゆっくり入れる」

 嬉しそうに交わす言葉に小さな笑みを象って返しながら、俺の意識はシャインカルクへと飛んでいた。ヴァルス王城――ユリアに。

 微かに心臓の鼓動が速くなるのがわかる。会えるだろうか。会える、よな……。

(……かっこ悪……)

 心臓の位置にそっと片手を当てて顔を伏せる。もう少し……あの、街に、ユリアがいると思うだけで速くなっていく鼓動に乾いた笑いが洩れた。自分で情けなくなるほど……。

 会いたいと逸る気持ちが、胸を締め付ける。どれほど想ったとしたって、どうなるわけじゃないことなんか最初からわかり過ぎるくらいわかっているのに。想い始める、前から。

 そばにいる間に抱き始めた想いは、離れている間に会えない時間に育てられ、今は……。

 ……傷つくことになるのなんか、わかりきっているのに。

 なのに。

(いつか、傷つくことになっても良いから)

 それでも、会いたい。

「キグナスって自分の家、帰んないの?」

 自分を誤魔化すように軽く髪をかきあげて、意識を逸らす。このままだとシャインカルクに戻る目的を忘れてしまいそうだ。

 って言ったって、現状報告と骨休め、そして例の指輪の件だけなんだけど。

 ま、気分の問題として……別にユリアに会いに行くわけじゃなくて任務の一環なんだと言う意識でいないと、第一目的にユリアが来てしまう。それは何となくよろしくない。

「俺ぇ?シャインカルクに帰る」

 拉致られた頃なんかを思い返すと、キグナスは自宅がレオノーラにあるわりに帰らない。

 宮廷魔術師であるシェインは王城敷地内に居館を与えられていて、そこに居候と言うか転がり込んでいると言うか。

「キグナスって自宅帰らないよね……」

「別に帰ってもしょーがねぇじゃん」

「何だっけ……ヴァレンシア……じゃなくて」

 それじゃあ俺的にはオレンジだ。

 舌を噛みそうな名前のシェインの居館の名前を思い出そうとして言った俺に、キグナスが笑った。

「ヴァレンティアナ。……シェインの館な」

 ようやくレオノーラの防護壁を抜けて街に足を踏み入れると、『安全地帯』に足を踏み入れたような気がした。ヴァルス国内で最も警備が堅いはずのこの街で、魔物に襲われることもロドリスに狙われることもないだろう。

「とりあえずは真っ直ぐ、シャインカルクに向かおう」

 旅の汚れを払うようにシサーがぱさっと髪を払いながら提案し、俺たちは久しぶりに歩く王城への道のりをゆっくりと辿り始めた。華やかな人々の行き交う大通りを逸れ、複雑に入り組んだ道を歩いていく。

「戦争って、どうなってんのかな」

 前と全く変わらない上品な活気にぽつりと呟くと、ニーナが軽く肩を竦めた。小首を傾げる。

「さてね。王都が巻き込まれるのは後になるから」

「そうなの?」

「そりゃそーだろう。いきなり攻められてたまるか」

 そりゃそうか。将棋で言えば王将ってとこだよな。そこ取ったら勝敗決まるんだし、そこに辿り着くまでにはそりゃ歩兵から香車からいて守り固めてるわけだし。……って別に俺、将棋に詳しいわけじゃないんだが。

 まあそれはわかるんだけど、だからつってこうも普通の空気してるのが意外だった。人間、足下に火がつかなきゃのんびりしているものらしい。

「ただ、シャインカルクはこの限りじゃないと思うぜ」

 少し前を歩くシサーがちらりと俺を振り返って、そう忠告した。

「仕切ってんのはこれから会う面々だからな。……ぴりぴりしてると思った方が良いと思うぜ」


「しばらくぶりだな」

 シャインカルクへの入城は、『レガード』な俺はもちろんのこと、キグナスもシサーもニーナも全員が顔パスだ。

 何の問題もなく城内に足を踏み入れた俺たちが、取り急ぎ通された応接室で待たされていると入って来たのはラウバルひとりだった。

「手短に聞こう。そちらの状況はどうなっている」

 『ぴりぴりしていると思った方が良い』って言ったって、俺から見ればこの人はいつもぴりぴりしているような気がするので違いが良くわからない。

「あんただけか?」

 苦手なのはお互い様、ってところだろうか。シサーとしてはシェインがいた方が、圧倒的に話しやすいんだろう。そう尋ねるが、ラウバルは無言で頷いた。

(ユリア、どうしてるのかな……)

 職務中、だろうか。

 会えるかと密かに期待していたので内心落胆しながら、頭を切り替える。

 『レガード』と『バルザック』だ。

「ロドリスの一件は、ユリアとシェインから聞いてるな?」

「無論だ」

「まずひとつ。ロドリス駐在ヴァルス外交官アンリが押さえられている」

「やはりか。こちらもその話は耳にした。次を聞こう」

「それから現状だ。レガード捜索及び『王家の塔』攻略に係るバルザック捜索、いずれも捜査中。進行状況を話そう」

 味もそっけもないシサーの言葉に、ラウバルも愛想のかけらもなく頷く。

「ファリマ・ドビトークを捜索した。理由は以下だ。『王家の塔』攻略にはバルザックの捕獲もしくは討伐が必須であること、バルザックらしき人物がファリマ・ドビトークに出現するらしいと言う情報を入手したこと、仮にガセネタであったとしても正規ルートでのヴァルス帰還が見込めない俺たちはいずれにしても山越えをしなきゃならないと言うこと。よって無駄にはならないと判断した」

「バルザックがファリマ・ドビトークに出没すると言う情報はどこから得た」

「拘束される前のアンリだ」

「ふむ……。終えて尚捜査中と言うことは、ガセだったか」

「いや。ただし俺たちは遭遇することが出来なかった。代わりに奴の行方に関して、手がかりがありそうな人物と遭遇した。情報を提供すると言っている。だが交換条件だ」

 どちらも余計な口を挟まないので、報告のテンポが速い。淡々と状況を語るシサーに、ラウバルが時折短い質問を挟み、相槌を打つ。

「……以上の理由から、明朝、ギャヴァンに向けて出発する。場合によってはレガードの生存が確認出来るかもしれねぇな。その後の動きはギルドとの交渉次第で、恐らくはラグフォレストもしくはファリマ・ドビトークと言うことになるだろう」

「わかった」

 シサーが口を閉ざすと、ラウバルもひとつ頷いて沈黙が降りる。例の指輪はどうするんだろう。シェインはどこ行っちゃったんだろうか。いないのか、いるけど同席していないだけなのか、ラウバルを見る限りわからない。と言って、ラウバルに指輪の件を聞いても教えてもらえる気がしない。

「シェインはどうした」

 同じことを考えたのか、一通り報告を終えたシサーが椅子の背もたれに背を預けながら尋ねた。微かに顎をひいてラウバルを見据える。

「……」

 ラウバルもそれに対するように、ちらりと目を上げた。相変わらず表情はない。

「……シェインは外出中だ」

「外出中?」

「こちらの状況を話しておこう。ギャヴァン戦の話は聞いたか」

「ああ。耳にしたな。ギャヴァン奪還と、海戦における両国の被害」

「ではそれは省こう。……まず、ナタリアが海陸双方から南下を開始。バート、ロドリスと合流して3カ国連合軍がロンバルト東部から侵攻を狙っている。ロドリスは一方で西からのロンバルト侵入も進めている。こちらが目指すのはデルフト要塞……地図が必要か」

 懸命に頭の中の地図を掘り起こしている俺に気づいて、ラウバルが短く言った。答える前に立ち上がり、壁際に設えられた棚から大きめの地図を手に戻って来る。

「あ、すみません……」

 にこりともせずにばさりと地図を放り出すラウバルに、恐縮した気分で頭を下げると、シサーが苦笑いを浮かべた。

「デルフト要塞はここだ。ロンバルト首都ウォルムスの西部、ヴァルス要塞ラルドの北東部に位置している、ロンバルト西部で唯一の要塞だ」

 唯一……。

「じゃあこれを落とせばロドリスはウォルムスまで一直線ってわけね」

 半ば俺に説明するように確認したニーナに、ラウバルが無言で頷いた。

「ラルド要塞からはデルフトへの援軍を向けている。シェインは、デルフト防衛戦の援軍として送り出した」

「――!!」

 その言葉に、思わずどきりとした。デルフト要塞の防衛戦に……じゃあ、戦争に?

「どうした」

 凝固した俺に気づいたように、ラウバルが顔を上げる。自分の動揺の理由に思考を巡らせながら、俺は短く首を振った。

「いえ……続けて下さい」

 急に、状況を身近に感じた。

 俺の周囲には、戦争に行ったことがある奴なんて、いない。

 ……いや、近所のおじいさんとかは第二次世界大戦の経験者もいるんだろうけれど、正直他人ごとだ。だって今は元気にその辺散歩してたりするんだから。

 でも……。

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