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QUEST  作者: 市尾弘那
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第2部第2章第8話 狂宴の幕開け(2)

「そんなつれないこと言わないでさぁ、遊びに来てよー。寂しいよー」

 じたばたと足を踏み替えながらシェインの袖を掴むミオにユリアが目を白黒させていることに気づいて、シェインが苦笑いをする。

「……ま、友人だ」

 ユリアに向けてミオをそう紹介すると、ミオはユリアに笑顔を向けた。

「どぉもー」

「あ、初めまして……」

「……ミオ、業務規定に背くのではないか?」

 ぎこちない挨拶を返すユリアに、シェインは前髪に片手を突っ込んでくしゃりとかきあげながら呆れた視線をミオに向けた。どんなトラブルに発展するかわからないので、仮に上客だったとしても街中でしかも女性と歩いているところを娼婦が声を掛けるなどご法度だ。

「だってぇ」

「だってじゃなかろーが」

 ぴしっとミオの額を人差し指で弾くと、ミオがくしゃっと顔を顰めて両手で額を庇った。

「いたーい」

 誰が見ても娼婦であることは明らかだが、世間を知らないユリアはそんなことには気づかない。『友人』と言う言葉を真に受けて、曖昧な笑顔を浮かべる。

「この可愛らしい彼女の方はあたしには紹介してくれないの?」

「あー……ユリアだ」

 王女だなどとは言うわけにはいかない。

「えー……俺の、妹のようなものだ」

「えええ?嘘だぁ。シェインの妹がこんな上品なわけないじゃない」

「……失礼だな。妹ではない。妹のようなものだと言ったであろーが」

「ふうーん?」

 目を瞬いてユリアをしげしげと見つめていたミオは、ふと思い出したような顔つきでシェインを見上げた。

「そう言えばさ、聞いた?」

「何をだ」

 問い返しながら、ちらりとユリアに視線を向ける。それに気づいてきょとんとユリアが視線を返した時には、シェインはミオに視線を戻していた。ユリアもミオの言葉の続きを待って、顔を向ける。

「マイルス島だっけ?モナのさ、下の方にある島」

「ああ」

 ロドリスの西、モナの南に位置する島だ。ヴァルス海軍の逗留地であるキール島よりは小さいが、それでもそこそこ大きな島である。小さな漁村が2つほどあったように思うが、いずれにしても大した人口はいない。

「あそこにさ、何人か人が流れ着いたとかって話。誰かに聞いた?」

「……何?」

 シェインの顔が凝固する。――流れ着いた?

「あのさ、ベルがさ……知ってるでしょ?あたしがシェインにつけない時にさ、代わりにさ」

「ミオ……」

 つい真剣になった表情ががくりと崩れる。落とした肩をそのままに、ミオの肩に手を置いた。ユリアの前でそんなことを言ってくれるなと言いたい。

「ともかく……それで?」

「うん。ベルがね、言ってたんだけど。ヴァルスとモナの……例の海戦で行方不明になった人たちじゃないのかって」

「……ほう」

 ユリアの手が、シェインの腕を掴んだ。驚いたようにミオを凝視しながら、空いているもう一方の手を胸元に握り締めている。

「詳しく教えてくれないか?」

 ミオの肩を押さえつけたままだった手を外して、安心させるようにユリアの肩に回されたシェインの腕を見遣りながらミオが微かに首を傾げた。

「詳しくってほどあたしだって知らないけどさ……」

「知ってることだけで構わぬよ。どこからそんな話を仕入れた?」

 シャインカルクにはまだ、そんな報告は上がってきていない。あくまで噂話の範疇を出ない段階なのだろうが……。

 あまり真剣になっていて妙に思われては困るので、敢えて興味津々の表情で好奇心剥き出しのように笑顔を向けて尋ねるシェインに、ミオは小首を傾げて肩を軽く竦めた。

「ほら、あたしってさ、こんな仕事してるでしょ?いろんな人に会うし……」

「どんな仕事ですか?」

 まだシェインとミオの関係を読めていないユリアが、無邪気に尋ねる。ぎょっと肩を揺らしたシェインが押し止めるより早く、ミオがにやーっと嫌な笑顔を浮かべてユリアに言った。

「あたし?娼婦」

「……」

 ようやく合点の言ったユリアの視線が、シェインをじっとりと睨みつける。王城で色恋沙汰とは無縁に育てられ、厳格なファーラ教信者である彼女は、女性の体を商売道具として見なす職業を嫌悪している。別段、ファーラ教で禁じているわけではないのだが。

「や、まあ、で、何だ?」

 潔癖なユリアの視線をかわすように、肩に置いた手で慌ててしきりと髪をかきあげながら無理矢理話を戻すシェインに、ミオはひとつ頷いて途切れた話の続きを口にした。

「そう、だからね、いろんな人がいるわけじゃない。旅して来た人が骨休めに足運んでくれたりもするし。で、こないだベルがついたお客さんがね、北の方から旅してきた人だったらしいんだわ。ほら……ロドリスの北西部とモナの南端って海を挟んで近いでしょ?何かあの辺の村に立ち寄った時に、そんな噂を聞いたんだって」

「そんな噂?マイルスのか?」

「そう。何人か海岸に打ち上げられていて、そのまま死んじゃった人とかもいるみたいだけど何人かはまだ生きてて、でも重傷で意識不明のままマイルスの漁村が面倒を見てるんだって」

「……」

 沈黙したシェインに、ミオは構わず軽い口調のままで続けた。

「ま、ホントにあの海戦で行方不明になった人たちかどうかはわかんないみたいだけどね」

「ほう」

「だって意識不明だから口利いてるわけじゃないし。鎧とかつけてたわけじゃなさそうだし」

 それはそうだろう。そんなものを身につけていたら沈む以外に術がない。海に投げ出され、それでも何とか装備と言う重石から脱出することの出来た人間が漂流したのだろうが……。

「ヴァルスの国民だと良いのだがな」

 頭に過ぎる考えを微塵も見せずに、世間話の調子を崩さないままそんな感想を述べるシェインに、ミオも深く同意した。

「うん。海軍の中にはお客さんも何人かいるしね。あれ以来、来ないから巻き込まれたのかもしんないし。心配だよね、やっぱさ」

 耳にかかる髪をかきあげながら通りを行き交う人に目を向けるミオに、シェインはちらりとユリアへ視線を流した。無言のまま、ユリアもシェインを見上げる。

 ヴァルス海軍ならば、良い。モナ海軍であったとしても、ただの兵卒ならば良いだろう。

 だが、まさかとは思うが、その中にフレデリクがいたら。

(いや……)

 その中でなくても構わない。そうして無事陸地に辿り着いた人間がいるのだとすれば、モナ暫定政権が信じているようにフレデリクが存命している可能性は否定出来ない。

 フレデリクが万が一存命していた場合……戦線を早々に離脱したと思われたモナが復帰してくる可能性すらある。そうなれば、ヴァルス・ロンバルトは、ロドリスを中心としてリトリア・バート・ナタリア・モナの5カ国を相手取る羽目になる。

 ならば。

(モナへの制裁は、火急だ……!!)

 かなり苦しい戦いを強いられることになりそうな予感に小さく落としたシェインの吐息が、和やかに通り過ぎる人々の嬌声に掻き消された。


          ◆ ◇ ◆


 ライオネル率いるロドリス軍2万5千は、リシア地方北部にある要塞ガーラントを出て海沿いに南下を開始した。目指すはロンバルト西部の要塞デルフトである。

 ロンバルトは、おっとりとした気質から軍事に力を入れる方ではない。背後に控える大国ヴァルスの守りに甘んじている節もあるのだろう。それゆえに陥落すべき要塞も少なく、そもそも領土そのものが大きくはない。

 ロンバルトの首都ウォルムスは、領土のほぼ中央に位置する。ライオネルの行軍の狙いは、デルフトを陥落してロンバルト首都ウォルムスに迫り、ヴァルス北西部に聳えるラルド要塞からの派兵の壊滅だ。一方でロドリス東南、ファリマ・ドビトークの麓で合流を予定しているロドリス・ナタリア・バートの連合軍は、険しいファリマ・ドビトークの中でも最も山越えをしやすい南から中立地帯エルファーラに一旦入り、ヴァルス最北の要塞リミニに迫って後ウォルムスでのライオネル率いるロドリス軍との合流を予定している。

 ローレシア大陸の最南に位置するヴァルスは、地理的に攻めにくい。更に王都が南部に位置する為に、陸地から攻めるには数々の障害を取り除かねばならなくなる。間に立ちはだかるレハール、アンソールなどの城塞都市も侮れない。

 ライオネルが率いる2個大隊はパイク兵(長槍兵)、コルスレット(重装長槍兵)を中心とした300名を1個中隊とする20旅団と歩兵、重装歩兵、竜騎兵(乗馬歩兵)や輜重部隊などである。1日の進行速度は45エレが限度であり、時にはそれより落ちる為、ガーラントからおよそ430エレの距離がある国境ルオー川までは10日の日数を要した。

(これがルオー川か……)

 ロドリスとロンバルトの国境でもあるその大河を前に、まだ20歳のリニウスは感慨深く心の中で呟いた。

 ロドリス北東、ナタリアにほど近い小さな農村に生まれ育った彼は、雄大な光景のひとつとして知られるその大河を目にするのが始めてだ。

 今回のこの従軍は、リニウスにとって初めての経験となる。優れた馬術を買われた彼は、竜騎兵として連隊に組み込まれていた。馬上にあるとは言え、竜騎兵はあくまで歩兵であり、騎兵とはその格も扱いも違うのだが、馬上から戦闘せよと言われてもリニウスの方も困るのでその待遇に不満はない。

 ぼんやりと雄荘な河の流れに目を奪われていた彼の耳に、不意にけたたましい喇叭らっぱの音が飛び込んできた。はっと顔を上げるとどうやら全軍に後退命令が出されたようだ。隊列に従って馬主を返す。

「……どうしたんだ?」

 私語は隊長に見つかれば厳しい処罰を受ける。出来る限り抑えた声で隣を進むやはり若年の竜騎兵に尋ねると、彼も微かに首を傾げてリニウスに応じた。従軍経験のない若者たちには口をきくことも許されない、名門貴族出身の将軍の考えなどわかろうはずもない。

 ルオー川を離れた森の中まで完全に退却すると、野営の準備をするよう通達が行われた。

 まだ日は高い。

(……?)

 リニウスがそっと首を傾げながら馬を下りようとすると、不意にリニウスの所属する一旅団に召集がかけられた。旅団長であるディラが残忍な表情を顔に浮かべて、声を張り上げる。

「第一師団竜騎兵第六旅団はこれから単独でルオー川の渡河に入る」

(――え?)

 『単独で』?

 リニウスが目を瞬いている間に、ディラは説明を続けた。

「単独渡河の目的は、全軍渡河の危険の排除――ラティスを焼き討ちにする」

「……!!」

 ようやく合点がいった。ルオー川からさして離れていない場所にあるラティスの町には衛兵の駐屯所がある。小さな町だから戦力は恐るるには及ばないが、ロドリスの侵入に際してデルフト要塞への伝令を役目としていたはずだ。渡河の最中にデルフトからロンバルト軍が襲撃してくれば、致命傷を受けかねない。その前に、不安の種を取り除いてしまおうと言うわけだ。

 使命を負った竜騎兵第六旅団は、川から離れた森の中を密かに上流へ向かって移動を開始した。

 リニウスの全身は緊張に包まれていた。遠からず始まるだろう戦闘に、微かな恐怖とそれを遙かに上回る高揚感。

 命など惜しくはない。この戦で戦功を挙げられれば、彼は村の勇者だ。

 しばらく森の中を静かに移動し、日が傾く頃数騎が渡河地点を決定すべく川へと探索に出た。やがて渡河地点が決定され、日が完全に落ちるのを待って行動が開始される。

 奇妙な光景だった。川の上空に浮かぶ月がひっそりと水面に影を投げかける中、300騎もの人馬が黙々と列を成して静かに川を横切っていく。木々のざわめきと水の激しい流れの音だけが、ただ宵闇を支配していた。時折暗い空を夜鳥の黒い影が通り過ぎていく。

 無事、全騎が対岸へ渡りきった頃には、月は頭上にさしかかろうとしていた。疲労困憊ひろうこんばいではあるが、夜のうちに攻撃を仕掛けねば夜襲の意味がない。

 体に鞭を打って静かな行軍は続く。先刻と同様森に身を潜めた進軍だったが、これくらいの人数になれば魔物も襲っては来ないのだと言うことをリニウスは初めて知った。

 竜騎兵第六旅団が進む度に安らかな安眠についていた鳥たちが驚いて飛び立つ。その都度、バレはしないかと内心冷や汗をかく。

 過度の緊張の中、進行が止まった。眠りの静寂に包まれた小さな町ラティスが、その前方に姿を現していた。

「我々の働き如何いかんで全軍の動きが変わる。女子供も容赦なく殺せ。恐れることなく戦った者は、英雄だ」

(英雄……)

 騎士に憧れて志願兵となったリニウスは、その言葉にたちまち魅了された。許された殺戮、それは罪ではなく功となる。

「行け!!」

 ディラのかけ声と喇叭にときの声が上がった。もはやここまで来てしまえば、こそこそと隠れることに意味はない。リニウスも周りに負けじと馬を疾走させ、ラティスへと駈ける。戦功に逸る竜騎兵が、勢いに任せてその頼りない町門を破りなだれ込んだ。

 竜騎兵の基本は馬を下りて戦うことにある。馬はただの移動手段であり、戦闘時には一介の歩兵と化すのだ。馬を下りたリニウスは、震える腕を叱咤して剣を片手にその小さな町を駆けた。

 兵に志願してから厳しい訓練を受けている。人の殺し方なら一通りは身につけたはずだ。だがこれが初戦。恐れを抱かずに済むはずもない。

 深い眠りに沈んでいた町は無力だった。突如押し入ってきた侵略者たちに為すすべもなく、自分がなぜそんな目にあっているのかわからぬままに死んでいく。町の後背をついた侵入により、恐らく夜間も行われていただろう警備が気づくのが遅れたのだった。

 家の中にいても殺戮者たちがなだれ込んで来ることを知った町人たちが、逃げようともがく。決死の覚悟で立ち向かう男たちも、厳しい訓練をくぐり抜けた竜騎兵の刃に命を散らしていった。

 それはまさしく一方的な殺戮だった。衛兵たちが装備を調えて駆けつけるも、勢いのついているロドリス軍の前に圧されてしまう。

「いやぁぁぁッ!!助けてぇぇぇッ!!」

 容赦なく血濡れていく刃に、鼻につく鮮血の狂宴に、リニウスの理性が少しずつ麻痺していった。内側から湧き上がる凶暴な欲望。つい先日までは、村人の誰かが亡くなれば涙を流して心からの祈りを捧げていたはずの、どこにでもいる普通の青年だった彼は、手にした凶器が朱の塗装を濃くするにつれてそこに快感を見出し始めていた。

 獲物を求めて路地裏に駆け込んだリニウスの前方に、胸に幼子を抱いた若い母親の姿が見える。空いた片手にはもうひとり女の子。突然その路地に姿を現したリニウスに、恐怖と驚愕の入り交じった表情を浮かべたままで顔を強ばらせていた。咄嗟にどうすべきか判断がつかないのだろう。その、追いつめられた小動物のような姿はリニウスに凶暴な衝動をかき立てた。

(――こうして人は血に酔い、戦で狂っていくのだ……)

 心の片隅の呟きに目を瞑りながら、鈍くなった刃を拭ってリニウスは獲物へと足を進めた。

 この全てが、功となる。

 心行くまで、楽しませていただこう。












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