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QUEST  作者: 市尾弘那
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第2部第2章第8話 狂宴の幕開け(1)

 帝国継承戦争の戦線は、西と東の二部に分けられた。具体的にはロンバルト西北に位置するルオー川、そしてヴァルス北東のレフトライン地帯である。

 最初の動きはナタリアだった。海軍がヴァルス東端の港町フォルムスを目指して南下を始めたことを皮切りに、帝国アルトガーデン内部の各国では戦へ向けての初動が開始された。

 ロドリスは国土防衛に5万を残し、陸地を南下するナタリア軍2万、バート軍1万5千と合流する為に2万が東南へ移動を開始する。連合軍総指揮官に指名されたのは、ロドリスの名門貴族アレックスだ。一方で2万5千が単独でヴァルスを目指してこちらは西南へと向かった。こちらを率いるも、名門貴族出身のライオネルである。

 バートは、国土防衛に充てた3万を除く全てが、ロドリス・ナタリア軍と合流を目指して南への移動を開始した。対すべく近隣のロンバルトが、自軍2万を阻止の為に差し向ける。その援護の為にヴァルスは2万をロンバルトとの合流に向かわせ、一方でフォルムスのナタリア上陸を回避する為に5千を差し向けた。フォルムスの守備要塞ファルツ要塞も戦闘態勢に入っており、壊滅した海軍の再編成と造船も急がせている。

 リトリアにはまだ、動きはない。ロドリスに汲みすることを決めながらも、恐らくは様子見の姿勢をまだ崩すつもりがないのだろう。キルギスは完全に静観の姿勢を取っている。主を失ったモナは現在、国主の存命を信じて議会で編成された暫定政権となっていた。帝国によるモナへの制裁はまだ確定されておらず、未決済のままヴァルスはロドリスとの戦端への構えで大わらわである。このままだと状況如何によっては戦後処理と言うことになるかもしれない。……制裁の内容によっては、まだモナに使い道があるのだけれど。

「ギャヴァンの復興はどうなってる」

「自警軍の新隊長が選出され、ギルドと共に中心になって進んでいます。いくつか資材の不足を訴えて来たので現在対応中」

「アドルフにもう少し経費を割いてやるよう言ってやれ。あそこが動かなければ資金の調達も出来ないと脅してやるのだな。造船の進行状況はどうだ」

「10隻ごとにフォルムスに向けて船団を編成して出来次第出発させています」

「ロドリスの動きは」

「軍の編成が完了したところまでで、後の詳細はまだ……」

「ラウバル、いるか」

 外務大臣ハイランドの言葉を遮るように、執務室のドアが開けられた。言わずと知れた宮廷魔術師である。

「……シェイン。ノックくらい……」

「リトリアがロドリスにおちたぞ」

 ラウバルのクレームを遮って告げた言葉の重さに、衝撃が走る。まだハイランドさえも掴んでいない情報だった。

「ロドリスの滞在外交官はアンリだったか」

 険しい表情をそのままに、シェインが口早に問う。目を見開いたまま、ハイランドが頷いた。

「ええ。まだ報告は上がってません」

「アンリからの情報には気をつけるのだな。拘束されてるぞ」

「……」

「そのうちSOSが暗号で上がってくるかもしれぬな」

 物問いたげなハイランドの視線をかわして、ラウバルに向けて答える。

「……言ったろう。独自の情報網があると」

「リトリアとロドリスが手を結んだのはいつだ」

「正確にはわかりかねる。だが恐らくここ10日ほどの出来事だろう。リトリアはまだ動く姿勢を見せていない」

「ではやはりバイカーの首が挨拶代わりか」

 ずっと音沙汰のなかったリトリアへの使者の首が早朝にレオノーラの要塞に投げ込まれたのは、まだ記憶に新しい。

「ロドリスの奸計だ」

「何」

 バイカーの首が投げ込まれたことによって、重鎮たちは色めき立った。スペンサーなどは強硬に、リトリアに対して即刻兵を挙げることを提案する始末だ。確認の方が先だろうなどと冷静な頭で考えるシェインとは、またも真っ向から対立する羽目となる。無論リトリアへの使者の再派遣も検討された。

 そうしているうちに飛び込んできた報だった。ロドリスに潜入している間諜からの報告だ。

「バイカーを襲ってヴァルスとリトリアの同盟に猶予を設け、その間に間に割って入った。この程度の策を餌にリトリアを陥落するとは芸達者な奴がいるな」

「……ユリア様はどうしておられる」

 忌々しげにばさりと前髪に手を突っ込むシェインの言葉に、しばし考え深げな顔をしたラウバルが話題を方向転換した。今しがたの険しい表情とは打って変わって、シェインの口が小さく優しい笑みを浮かべる。

「寝食も忘れて学んでいる。教えているラフトシュタインが音を上げるほどだ。存外、良い君主となるやもしれぬぞ」

「クレメンス陛下の子だからな」

「……では、私はこれで」

 2人の様子を見て、ハイランドが退室しようとする。その背中にラウバルが声を投げかけた。

「大臣を召集してくれ。ロドリスとリトリアの同盟について会議だ。裏をとる」

「わかりました」

 扉が静かに閉まると、肩を軽く鳴らしながらシェインが『定位置』へ足を向けた。壁際に設えられたソファに体を投げ出す。

「……ユリア様も、お体を壊されないよう見張っておらねばならぬな。一途な人ゆえ」

「レガードが戻るまで、自分がクレメンス陛下の遺したものを守らねばならぬと必死なようだ。無関係なカズキを巻き込んでいる責任も感じているようだな」

「ユリア様に責はなかろう」

 かけたままの書き物机からちらりと振り返るラウバルの言葉に、口元で微笑を象ったシェインが頷いた。そのままの姿勢で腕を伸ばし、柔らかい午後の日差しの差し込む窓を開ける。

「その通りだ。カズキを巻き込んだ責は俺にある」

 通り道を見つけた風が春の香りを乗せて流れ込み、赤い髪が風に揺れるそのままにシェインが目を細めた。

 窓の外から木々のさざめきと共に街のざわめきが運ばれてくる。今しも取り囲む諸国と一触即発であるとは思えないほどの、穏やかな光景である。

「どうなったかな……」

 否定も肯定もせずにただ沈黙を守ったラウバルの耳に、シェインの呟きが届いた。

「何がだ」

「無論、カズキらの動きだ。レガードの生還もしくは『王家の塔』の解放……取り急ぎはいずれかで良いから、カタがつけばと思うのだがな」

「黙って任せるしかあるまい」

 訪れた沈黙に、ラウバルはユリアへ思いを馳せた。

 どこか庶民的な気質を持つ父王の影響か、ユリアは王城で育った王女のわりには考え方が砕けている。人の意見を聞く耳を持つのだ。そのくせ、こうと決めたら頑なになる強情さも持ち合わせてはいるが、いずれは人の意見を取り入れて政策を貫き通す強さへと育つだろう。

 シェインと別れて自分の執務室を出たラウバルは、足を国王の執務室に向けた。そこでユリアが、ラフトシュタインから政に関する知識を詰め込まれているはずである。先ほどのシェインの口ぶりを考えるに、しごかれているのはユリアかラフトシュタインかは定かではないが。

 扉をノックすると、中からユリアの声が答えた。

「どうぞ」

「失礼します」

 中は乱雑だった。ユリアが掛けている艶やかな褐色の机の上には書物が山と積み上げられ、床にまで書類が広がっている有様だ。書物に埋もれるようにして顔を上げるユリアの隣で、分厚い書類の束を抱えたラフトシュタインが妙にほっとしたような表情をこちらに向ける。

「ラウバル殿」

「シェインに、随分頑張っておられると窺いました」

 壁際に掲げられた灯火が、ちらちらと視界の隅でオレンジ色の炎を揺らした。扉を閉めてユリアの方へ足を向けながら、柔らかく口を開く。だがユリアは笑みさえ浮かべぬ硬い表情のままで、顔を横に振った。

「全然よ。まだまだ足りないわ。まだまだ駄目だわ。……実務をラウバルとシェインに任せたままでごめんなさい」

 そう呟くように答える顔には、濃い疲労が滲んでいる。『寝食を忘れて』と言う言葉はどうやら大げさではなさそうだ。

「少し休憩をなさい。体を壊されては元も子もありません」

「そうですよ。無理に詰め込まれても、こういったことはゆっくり……」

「ゆっくりしてられる状況じゃないわッ」

 ラフトシュタインの声を遮り、ユリアがテーブルに手のひらを叩きつけて立ち上がった。珍しいことだ。かなりぴりぴりしているらしい。

「ユリア様」

「……ごめんなさい。でも……」

 そこまで言って、歯を食い縛る。ユリアの肩に宥めるように手を置き、椅子に座らせる。

「ラフトシュタイン殿の言う通りですよ。根を詰められてもろくなことにはならないでしょう。少し、街の空気にでも当たっておいでなさい」

 ラウバルの提案に、ユリアが長い睫毛をしばたかせる。

「街……?」

「シェインをつけましょう」

 言って、ラウバルは目を伏せた。小さく笑う。

「最近城に篭って職務にかかりきりだから、ストレスも溜まっていることでしょうし。シェインは我々には教えられないことを教えてくれるでしょう。私もいつだかシェインと街に出て少々驚きましたゆえ」

「……?」

「城の奥にばかりいては視野が狭くなる。一般人にとって当たり前のことが我々に見えなくなりがちなのかもしれません。……視察も勉強です。肩の力を抜いて、心おきなく行ってらっしゃい」


          ◆ ◇ ◆


 レオノーラの大通りは、今日も喧噪に包まれている。ユリアの少し前をゆっくり歩くシェインが、気遣うように振り返った。

「ユリア。迷子にだけはなってくれるなよ」

「やあね。子供じゃないのよ」

 むくれたように唇を尖らせる仕草に、シェインは軽く肩を竦めた。前に向き直って歩を進めながら、その言葉に答える。

「俺にとっては似たようなものだ」

「ひどいわ」

 いつの間にか季節は、花に隠れて緑が芽吹く季節へと移り始めている。息吹の名残を乗せた風が、日を追うごとに少しずつ柔らかな熱をはらんでいく。まだ衣服の袖は長いけれど、人いきれの中を歩いていれば額に汗が薄く光ることもある。

「ラウバルの言う通りだ。肩の力を抜け。ろくなことにならぬ。真面目過ぎるのも考えものだぞ。適当にやってれば何とかなる」

「そんなわけには……」

「何の為に城の中をぞろぞろと人間がうろうろしてるのだ。おぬしに使われる為だぞ。使ってやらねば悪いだろう。学ぶ姿勢は大変良いが、学ぶだけで詰め込んだ知識を使えなければ無駄な労力だ。知識は必要最低限を押さえたら、後は状況に応じて取り入れてゆけ。それまではラウバルの立ち居振る舞いを見て学ぶのだな」

 黙りこくるユリアに、シェインは小さな吐息をついた。国を自分が支えねばと焦る気持ちはわかる。何せ、最初からレガードにヴァルスを預けるつもりだったクレメンスは、ユリアに帝王学を何ひとつ学ばせてはいない。

 だが、肩肘を張っていては折れてしまう。シェインから見れば、この城の誰も彼もが真面目に過ぎて頭が固い。

「おぬしには世紀の色男を筆頭に優秀な部下が揃っておろーが」

「色男?シェインじゃないでしょーね」

「俺以外におらぬだろう。まさかアドルフとは言うまい?」

 しゃあしゃあと言い放つシェインに、ユリアが吹き出した。ようやく浮かべた心からの笑みに、自身もほっと笑みをこぼしながら最愛の王女を優しく見遣る。

 ユリアに甘い、との自覚はある。最愛と言う言葉に、今のところ嘘はない。とは言え、そこには恋愛感情めいた色合いがあるわけでもない。

 シェインが唯一自分の主と認めたクレメンスの愛娘であり、能力とは関係なしにシェインの人間性をこの王城で最初に受け入れてくれたのがユリアだった。だからこそユリアに注ぐ無償の愛情は、強いて言えば兄妹愛に限りなく近いものだろう。

 無論、天性の女好き、と言う所以もあろうが。

「俺もラウバルも好きに使えば良い。気がかりなことがあれば片っ端から相談しろ。他の奴には言えぬことも俺には言えるだろう?政のことでも今日のドレスのことでも構わぬ」

 町並みをゆっくりした足取りで歩きながら、シェインが顔だけを傾ける。その優しい表情に、ユリアの顔が泣きそうに歪んだ。

「……焦っているのは、わかっているのよ」

「……」

「でも、今この瞬間にもカズキは命を落としかけているかもしれない。そんな危険なことに巻き込んでおいて、もしもわたしがヴァルスを守れなかったらと思うと、怖くていても立ってもいられないのよ」

「……ユリア」

 その声の持つ切実な響きに、足を止める。ユリアの表情が苦しげに崩れていた。

「『スキンティア・エスト・ポテンティア』――お父様が私に向かっておっしゃった言葉よ。……わたしは何も知らなさ過ぎる。何の力もなさ過ぎる。学ばなければいけないのよ」

 クレメンスがユリアに残したという言葉を、シェインは胸の内で反芻した。

 『知ることは力である』。

 だが、それは果たして学問としての政を指すだろうか。

「お父様の遺したものをわたしが守ることが出来なかったらと思うと、怖くて仕方がないのよ……」

 繰り返すユリアに、言葉に詰まってシェインは視線を人並みに向けた。続く商店街は活気に満ち、ところどころに出ている屋台は人で賑わっている。

「クレメンス陛下は、良く街に降りておられた」

 ぽつりとこぼした言葉に、ユリアが目を上げる。整った横顔は、人混みの中に亡き主の背中を探すように遠くを眺めていた。

「俺も城にじっとしている方ではないからな。ふらりと遭遇してぎょっとしたことが1度ならずある」

「……そう?」

 ユリアの知る父は、王城にしかその姿がない。ユリア自身がシャインカルクから出たことがほとんどない為だ。外出するとすればそれは、警護の者を連れた公式のものである。

「君主の資質は、自分で何かを成すことではない」

 止めたままだった足を再び動かしながら、シェインが小さく言った。ラフなシャツの裾が、行き交う人の巻き起こす風にふわりと翻る。

「……ラウバルも同じようなことを言っていたわ」

 ついて歩くユリアの声に、ちらりと振り返ったシェインがふっと口元を緩める。

「そうか。……陛下は、人々を良く見ておられた。街に降りることは、遊びではない。人々が何を求め、何を恐れ、何を喜ぶか。知識ではなく肌で感じ、共有するには自分が街に降りて歩き、触れ合うしかあるまい」

「……」

「国民は、君主なしでも生きてゆける。国民なしで生きられぬのは君主の方だ。世の中にはそこを間違える支配者が多すぎるな。……陛下は、理解しておられた」

 すれ違う人や屋台に座る人々が、時折シェインに声をかける。実に知り合いが多いらしい。ユリアを連れているせいかシェインも足を止めるようなことはせずに、軽い挨拶のみを返して通り過ぎた。声をかける方も見慣れぬ美少女を連れているシェインに好奇の目は向けるものの、深い追及をする様子はない。

「ユリアがしなければならぬことは、人々を知り臣を知り、自分の理想とする国を描いていくことだ。具体的な施策を考えるのは臣の役目。上がって来た施策から取捨選択をすれば良い。遂行するのもまた、臣だ」

「……」

「人の使い方を覚えることだ。それが1番難しくもあるぞ」

「……」

「執務室に篭って学んでばかりでは身につかない。人との触れ合いの中から学び取っていくものだ」

 子供たちが歓声を上げて通り過ぎた。うちひとりがシェインに体当たりをするのを受け止めて笑う。前を行く仲間たちの後を追う為に、振り向きもせずに駆けて行く子供の後姿をそっと見送りながら、シェインが目を細めた。

「……レガードは、必ずカズキが見つけてくれよう。それまでの辛抱だ」

「シェーイーンッ」

 返事を返そうと口を開きかけたユリアが顔を上げるのと同時に、後方から甲高い声が聞こえた。2人して足を止めて振り返ると、人の間を身軽にすり抜けてひとりの女性が駆け寄ってくるところだった。肩まで伸びたオレンジ色のふわふわの髪と、そばかすの浮いた愛嬌のある顔。美人ではないが、くるくると動く瞳が好もしく、生地の少ない薄手のワンピースの下にははちきれそうに豊かな肢体が見て取れる。

「おう。ミオ」

「最近ご無沙汰じゃないよーッ。新しいコでも見つけたの?」

 そばまで駆け寄ってきたミオは、ユリアの隣に立つと品定めでもするようにじろじろと無遠慮にユリアの全身を見回した。

「随分可愛いコ連れちゃってさ」

「馬鹿なことを言うな。最近はいろいろと忙しくてな」

 今はユリアも『遠見の鏡』を身につけているわけではないから突然呼び出されるようなことはないだろうけれど、戦の準備に忙しい。娼館にふらふらと足を運んでいるような余裕があるわけでもない。

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