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QUEST  作者: 市尾弘那
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第2部第2章第7話 君に捧げるもの(2)

「アークフィールはそんな戯れ言を真に受けるのかい?」

「いやあ……」

「アンドラーシ様は陛下の寵を良くご存知のはずだよ。アンドラーシ様もまた、誠心誠意、陛下の寵にお応えのはずだ。……滅多なことを言うものではないよ」

 柔らかく窘めるセラフィに、アークフィールは小さく首を竦めた。舌を覗かせる。

「それは失礼致しました。魅力的なセラフィ様のことですからね。ついつい世間も口の端に上らせたがるのでしょう」

「一緒になって口の端に上らせるのではなく、諫める側に回ってもらえるとありがたいな。そのような噂が耳に届けば、僕がアンドラーシ様のご不興を買いかねないよ」

 わざと大きくため息をついて見せると、書簡を持ち上げて髪をかき上げながら、アークフィールもつられたような苦笑を浮かべた。

「まさか」

「いやいや……女性は恋愛ごとにおける誤解を嫌うからね」

「心しておきます」

 アークフィールは宰相の秘書官だ。彼の誤解はユンカーを通じて国王の耳に届きかねない。

「頼むよ。オティクスやフリストと余計な噂話をするんじゃないよ?」

 アークフィールと同年代の秘書官たちだ。それぞれ外務大臣、財務大臣の側仕えである。冗談めかしたセラフィの言葉に、アークフィールも笑いを残したまま頷いた。

「しかと。肝に命じて」


 ……宮廷魔術師と宰相の秘書官がくすくすと密やかな笑いを漏らしている頃、噂の主であるアンドラーシは自室を抜け出し王城の通路を急いでいた。

 もちろん噂通り、恋焦がれる部下の執務室を訪問する為である。今日はカルランスは、正妻の寝室への訪問を余儀なくされている為、自由な身だ。

 アンドラーシは自分の中に宿るセラフィへの想いを、恋と信じて疑わなかった。

 16歳と言う若さで恋する自由を奪われ、以来2年もの間、男盛りをとうに過ぎた国王の相手をする為だけにハーディンの奥深くへ閉じ込められているのだ。恋に恋する彼女の視線が、周囲にいる男性陣の中で最も地位、才覚、容貌、年齢的に目を引くセラフィに向くのは自然な流れと言うものだろう。

 一目姿を見ることが出来た時には胸躍らせ、会えない日には心を焦がす。それが真実恋でなくとも構わないのだ。彼女は恋に似たその感情で十分だったし、夢中だった。アンドラーシにとっては、国の大きな動きなど現状関係がない。自分の中の感情を見つめ、セラフィを手中に納めることだけが全てである。

 自分の姿が男の目を引き付けずにおれないことを、アンドラーシは承知している。今も王城内の男の視線を集めていることも、良くわかっている。けれど、肝心の宮廷魔術師の視線だけが、自分を素通りする。

 それがまた一層、セラフィへの想いをかきたてるのだ。

 あの、どこか氷のような笑顔を、本物の温もりあるものに変えたい。

 表面ばかりなぞり合うこの王城の中で、誰にも心開くことがないのではないか。ならば自分が彼の心許せる存在になりたい。

 幻想だとしてもそれはアンドラーシにとっては真実の想いだったし、彼女自身を陶酔させる幻想だった。

 幾度も訪れているその執務室が近づくにつれ、鼓動が上がる。知らず膝が震え、歩みが遅くなった。そのことが彼女自身を、そして想い人を救うことになったことに彼女は気づいていない。

(いるかしら……)

 セラフィは執務室に不在のことも多い。若くして王の信任を誰より勝ち得ている彼は、恐らくこの城の中の誰より多忙だ。そうでなくとも、どこか謎めいていてどこへともなく姿を消すことも少なくない。

 そしてアンドラーシにとっての難問は、何よりセラフィ自身の態度だ。いたとしたって難攻不落の笑顔の鉄壁である。どうすれば自分に振り向いてくれるのか、そのとっかかりさえわからない。柔らかい、けれど取り付く島のない拒絶は、続けばやはり堪える。

 間一髪でアークフィールが退出した後の扉の前に佇み、しばし躊躇する。扉の隙間から微かに灯が零れているから、多分在室中だろう。

 ノックの形を作ったまま止めた手を、思い切って扉に軽く打ちつける。硬質の音が静かな廊下に響き、やがて中で人の動く気配がした。ドアノブが音を立てるのと同時にアンドラーシの心臓も高い音を立てる。開いた扉の内側に、彼女の恋しい人が驚いたように目を見開いて立っていた。

「……これは。アンドラーシ様」

 妖艶な、ともすれば女性めいてさえ見える容姿とは裏腹な低い……けれどやはりどこか艶めいた甘い声が、アンドラーシの名を呼ぶ。

「まだお仕事をしているの?体を壊すわ」

 どきどきする胸を押さえながら、問いかける。微かに失笑するように、セラフィの口が笑いを象った。

「私の職務ですから。……火急のご用ですか」

 柔らかい口調は決して崩さない。目をひきつけずにおれぬ笑顔を絶やすことはない。けれど……誰に対しても同じその態度では、ポーカーフェイスと変わりはない。

「お話がしたくて」

「このようなお時間になさることでもないでしょう?陛下がご心配されます」

「お部屋に入れて欲しいわ」

「男ひとりの雑然とした仕事場にお入れするわけには参りません。お目汚しです」

 僅かに開いた扉の隙間を塞ぐように立つセラフィは、部屋へ入れるつもりが微塵もないことが見てとれる。静かな拒絶に、アンドラーシは胸塞ぐ思いを堪えて唇を尖らせた。上目遣いに首を傾げる。

「意地悪だわ」

「そうですか?」

「そうよ。……陛下は、アスティアーナ様のご寝所でお寝みよ」

「ではアンドラーシ様も、そろそろお寝みになってはいかがでしょうか。夜気はお肌に触りますよ」

 そこまで言って、セラフィはふうっとため息をついた。アンドラーシより頭ひとつ高いその位置で、物憂げに目を伏せる。その仕草だけで優美に見える。

「ねえ……どうしてそんなにつれなくするの?」

「そのような言い方をされては、アンドラーシ様が私に含むところがおありかと誤解を招きます。お控え下さい」

「誤解じゃないわ、そんなのわかってるくせに」

「……一部で口の端に上がっております」

 低く言ったセラフィの言葉の真意を図りかねて、アンドラーシは目を瞬いた。

「陛下のご不興を買えば、私もあなたもこのままではいられないでしょう。陛下の耳に下手な噂が届く前に、お控えになられた方が宜しいかと考えますが」

「だって……」

 言っていることはわからなくはない。けれど、素直に頷けるほど簡単に諦められるのならば、これほど軽々しく通ったりするわけもない。一度でも腕に抱き締めてくれれば、それを思い出に耐えることも出来るのに。

 本当の苦しみがそこから始まることにまだ気づいていないアンドラーシは、そんなふうに思って俯いた。

「お話の相手ならば、いつでも致しますから。ただし陛下の目のあるところで、日の高いうちに。……良いですね」

 それでは何の意味もない。表面を滑る会話を増やしたところで、セラフィの内面に近づくことは出来まい。唇を噛むアンドラーシに凍てついた視線をちらりと投げかけたセラフィは、吐息と共に部屋から外へと歩み出た。後ろ手でドアを閉める。

「お部屋までお送りしましょう。……私も本日はここまでで、退城させていただくことと致します」

 その言葉にアンドラーシは顔を上げた。退城……では、今日はハーディン内のシェンブルグの館ではなく本邸へ戻ってしまうのだ。

 アンドラーシの訪問がセラフィを辟易させてそう決意させたとは夢にも思わずに、アンドラーシはセラフィを見つめたまま小さく頷いた。

「そう……今から?」

「ええ。たまには戻らなければ、愛妻が待ちわびてますゆえ」

 アンドラーシを促して何気なく言うその言葉に、思わず背筋が凍りつく。――『愛妻』?

「……嘘よ。だってセラフィは結婚してないもの」

 震える声で、すたすたと先を歩くセラフィの後を追いながら言葉を投げかける。笑顔で冗談だと流してくれるのを祈りながら返事を待っていると、セラフィは微かに横顔だけをこちらに向けて振り返った。

「正式な結婚はしておりませんが。家族と思い大切にしている女性はおりますので」

「嘘でしょう?」

「私がアンドラーシ様に嘘を申し上げることはございません」

 それは忠義を疑うのと同義であると言外に告げた言葉に、アンドラーシは口篭った。

「ごめんなさい。でも……信じられなくて……。……信じ、たくなくて」

 ともすれば置いていってしまいそうなセラフィの背中に追い縋りながら、小さく呟いたその声に、セラフィは怜悧な笑みを浮かべた。

「信じなさるも信じなさらぬも、アンドラーシ様の胸ひとつです。ご自由になさって下さって結構ですよ」

 慇懃無礼、とでも言うのだろうか。丁寧な口調、敬う姿勢をいささかも崩すことなく「好きに受け取れ」と突き放すその言葉に傷つきながら、アンドラーシは尚も尋ねた。

「どういう、身分の人なの」

「……」

 短い沈黙がある。出過ぎた質問だっただろうか。いや、けれど宮廷魔術師であるセラフィの婚姻相手は政治的な意味も持つ。王の寵姫として、問うことは無意味ではないはずだ。

「さて……現段階では余り多くを申し上げることは出来ません。けれど」

 一度言葉を切って、セラフィはまたちらりと視線をこちらに投げた。口元に含む笑い。

「私などでは身に余る程度には、身元の確かな方ですよ」


          ◆ ◇ ◆


 体を軽く揺さぶられて目を開ける。見慣れたラルの能面のような顔が、マーリアを覗き込んでいた。心配げな顔をしていると言うことは、また何かうなされていたのだろう。木製の彼には表情などと言うものはないが、それでも何となく感じるものがある。眠い目を瞬くと、涙の名残に自分でも気がついた。

「ラ、ル。……あぁっと」

 礼を言ったつもりだが、上手く発音出来ない。それでもラルは、マーリアの意図を理解してくれる。

 布団からもぞもぞと身を起こして壁にかけられた時計に目をやると、まだ日付が変わる前だった。日付が変わってしまえばもうセラフィが戻ることはないと諦めるが、逆に言えば変わるまでは諦めがつかない。

「セ、フィは、いそ、が、しの、かな」

 小さく呟くマーリアを慰めるように、ラルの無骨な木の手が撫でる。ラルの気遣いに笑顔で応えて、マーリアは小さく歌を歌い始めた。

 マーリアは、歌うのが好きだ。たくさんの歌を知っているわけではないが、幼い頃どこかで良く耳にしたファーラの聖歌は、いくつか知っている。ファーラ教の教義や宗教の持つ意味合いは良くわかってはいないが、聖歌は歌うと元気になれるような気がするから好きだった。

 優しかった頃の母を思い出す。

「あ……」

 歌声だけが微かに響く静寂の中、不意にラルがぴくりと顔を上げた。同時にマーリアも歌を途切れさせる。馬の蹄の音――セラフィだ。

「……かえ、て、きた……」

 瞳に輝きを宿して立ち上がるマーリアの腕を、ラルが支える。それにつかまりながら、マーリアは部屋を抜け出した。急ぎ足で階段を駆け降りる。

 マーリアにとっては、セラフィが全てだ。父の記憶はない。母は物心ついた時にはどこか狂っていた。手を差し伸べてくれたのは、セラフィだけだ。マーリアの喜びも悲しみも、その全てがセラフィと共にある。

「セ、フィ!!おか、り、さい!!」

 扉が開いてセラフィが中に滑り込んでくるのと、階段を駆け下りたマーリアが到着するのとは、ほぼ同時だった。転がるようにセラフィに飛びついてくるマーリアに、セラフィは目を丸くしながらも微笑を隠せずに抱き止める。

「まだ起きてたのかい」

「ね、てた。けど、お、きた」

「僕が起こしちゃったのかな?」

 柔らかなマーリアの髪を頬に感じながら、抱き締めたその肩の細さに胸が痛む。マーリアは余り食事をとらない。言語能力に障害がある以外は健康体なのだから、多分ひとりで口にする食事の味気なさが嫌なのだろう。そんなことを思う時、グレンが時々口にしていることをつい真剣に吟味したくなる。

(ハーディンに……か)

 マーリアをそばに置いておきたいと思い、寂しげな様子を不憫に思うのに、反面やはり自分のそばに置いておいてはいけないとの思いを消せない。清浄なマーリアが染まることはないだろうと思うのに、どうしても薄汚れている自分を必要以上に近づけてはいけないような気がしてしまう。

「ラル。留守をありがとう」

 背後にひっそりと控えているゴーレムに労いの言葉をかけ、マーリアと手を繋いで応接間へと足を向ける。セラフィに纏わりつくようにはしゃぐ様子を見て、ふとセラフィは心の中で苦笑した。

(アンドラーシ様に感謝、かな)

 アンドラーシの訪問がなければ、区切りをつけられずについつい今も仕事を続けていたことだろう。今日途中で放り出した分明日しんどいことになるだろうが、このマーリアの様子を思い出せばそれさえも頑張れそうか。

「マーリア。もう、お寝み?」

 羽織っていたマントを外し、ソファに放り出しながらマーリアの頭をそっと撫でて囁くと、マーリアはぷっと口を尖らせて頬を膨らませた。

「セ、フィ……マー、リアがお、きあ、ら……いな……もん」

 それは恐らくそうなるだろうが。

 ナタリアは、既に動き始めている。海と陸の双方からの南下だ。ロドリスの徴兵も刻々と進んでいる。バートはまだ動きがないが、国内ではヴァルスと対峙する準備に入っていることだろう。

 ロドリスの動きは、ナタリアと連動している。ヴァルスとの全面戦争が開始されれば、ますます忙しくなるのはわかりきっていた。セラフィ自身が出陣することはなかなかないだろうが、それでも大きな会戦には行かざるを得まい。何せカルランスは、ハーディンから一歩も出るつもりはないだろうから。

「明日は、一緒に朝食をとろう」

 考えを変えて言いながら、ソファに腰を下ろす。甘えるようにその隣に飛び乗ったマーリアの瞳が、くりっと見開かれた。

「ほ、と?」

「本当だよ」

 優しく微笑むセラフィの首に、マーリアが飛びついた。恐らくアンドラーシが見たいと願っている笑顔は、今浮かべているような笑顔を指すのだろう。

 そのままソファの上で、マーリアを膝の上に座らせてやる。肩から回したセラフィの腕の間から顔を出し、小さな両手でしがみつくようにして見上げるマーリアの顔は、この上なく嬉しそうに輝いている。

 ……触れ合いに飢えているのだ。まだ、ほんの子供なのに。ラルだけでは決して満たされることのない、人の温もり。

 そしてそれはまた、セラフィも同じことだった。自覚があるわけでも不満があるわけでもないが、マーリアの空気に触れるたびに感じる羽目になる。多分、自分は得ることのなかった『温かな家族』と言うものにどこか羨望を抱いているのだろう。無償の愛情を注ぎ、注がれ、いるだけで癒される空気と言うものに。

(失わずに済むのなら……)

 ずっとこの腕の中に守り続けたいと、そう願ってはいるけれど……。

「セ、フィ。マー、リ、ア、きょ……お、そと、で、え……」

 たどたどしくセラフィが不在の間の出来事を一生懸命話すマーリアに相槌を打ちながら、ぼんやりと当時の記憶を蘇らせていた。マーリアの足首に光るアンクレット。そして、服から伸びた足や腕、首筋に覗く折檻の跡。

――7年前のことだ。

 貧しい家庭に生まれ育ったセラフィは、一流と言えるエルレ・デルファルの出身ではない。宮廷魔術師としては希有なことに、私塾での学歴のみである。

 自らの両親をその手に掛けた後、ヴァインを出て数年をエルファーラの辺境にある神殿で過ごし、ロドリスの小貴族に里親として引き取られることとなった。だがその新しい家でも今度は義母がセラフィに魅了され、嫉妬にかられた義父によってリンクスと言う町の私塾へ住み込みで入れられたのである。

  17歳まで師の元で言霊魔法を学んだセラフィは、その卓越した能力と稀少と言えるエンチャンター能力を買われ、恩師の紹介により当時の宮廷魔術師の元へ弟子入りすることとなった。

 マーリアと出会ったのはその頃だ。

 ハーディンへ上がる数日前、ふらりとヴァインへ立ち寄ったのだ。

 あの頃の屈辱と苦痛を己に刻みつけ、必ず上へのし上がってやる為に。

 かつての自宅だった場所へ足を運び、家の外でうずくまって小さな声で歌を歌っている少女――それが、マーリアだった。

 その歌を聴いた時の気持ちは、今でも覚えている。それまでの人生で一度たりともセラフィの心に訪れることのなかった、安寧。血を流すことさえも忘れるほど荒み、涸れ果てた心に染み入る癒し。それはエルファーラの神殿でさえセラフィに与えてくれることのなかった、心の休息だった。

 柔らかな幼い歌声は魔力に似て、けれどそれだけでは説明がつかぬ癒しの力に満ちていた。彼女の、身に纏う静謐な空気がまるでセラフィの全身を冒していた毒を浄化するように。

 そしてそれと同時に、マーリアの姿もまたセラフィの心に強い印象を刻んだ。寒空の下、薄手のワンピース1枚を身に纏い、覗く腕や足には痛々しい傷跡が見え隠れする。セラフィの心が崩壊を始めたこの同じ場所で、同じ痛みを味わいながら尚清廉な気を放つマーリアの存在は、セラフィに強い衝撃を与えずにいられなかった。

 ハーディンに上がってからも度々ヴァインに足を運ぶようになったのは、マーリアのそばでだけ自分の心に安息がもたらされることを知ったからだ。同時に、彼女を心ない母親の仕打ちから解放したいと強く望むようになった。

 そんな折りだ。

 あの『魔物』がヴァインを訪れたのは。

 村そのものが壊滅し、マーリアのそばで『魔物』――グレンフォードが自我を取り戻し、そしてセラフィはマーリアを自分が引き取ることを決意した。母親の残した日記を含む書類などからマーリアの身元がわかったのはその時だ。そしてセラフィは、マーリアの為にしてやれることを己に問い始めた。

 マーリアのアンクレットには、ヴァルス王家の紋章が刻まれている。身につけて今尚紋章が消えずにいると言うことは、ヴァルス国王――クレメンス8世もしくはその先代にあたるベリサリオス4世に、ヴァルス王家に名を連ねる者として認められたことに他ならない。最強の身分証だ。

 とは言え、一度王家から抹消したマーリアの存在をそう簡単に公的に認めるとは考えにくい。だとすれば、それはそれで結構だ。

 ロドリスがヴァルスに勝利し、レドリックとユリアの婚姻を成立させ、ロドリスの国力をヴァルスにまで及ばせる。ヴァルスが実質ロドリスの傀儡となったその時に、レドリック、ユリア共に抹殺してしまえば良い。カルランスの嫡男であるウィリアムをアルトガーデンの皇帝として擁立し、マーリアをヴァルスの女王として即位させればカルランスは文句を言わぬだろうし、ウィリアムとマーリアが婚姻関係を結べばマーリアはヴァルス王家に返り咲くことが出来る。マーリアのアンクレットを見せてやれば、カルランスは喜ぶだろう。ヴァルス貴族も文句は言うまい。そしてそれなら、マーリアの後見人としてそばにいてやることも出来よう。

 それこそ、美しい流れと言うものではないか。

(もう少しだ……)

 もう少しで、手が届く。

 クレメンスの崩御、リトリアの陥落。

 レガードの首を除いて、必要な駒は揃った。

 仮に『本物』がどこかに生きていたとしても、この際戦のどさくさに紛れて消すのでも良い。出来ればヴァルス・ロンバルト両軍の戦意喪失に利用出来れば尚良いのだが、最悪、戦争の終結までにヴァルス後継者がいなくなれば良いのだから。

「でね、ラル、があ……」

(マーリア)

 他の誰もいらない。

 望んだ家族などもう欲しくない。

 一生君のそばで支えよう。それが望む幸せの姿だ。

 その笑顔が曇ることのないように。

 だから、その為に。

(君に……)



――君に、ヴァルスを、あげる。











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