第2部第2章第6話 冒険への道標(3)
◆ ◇ ◆
茂みはそれほど深く続いているわけではなく、すぐに抜けて道にぶちあたった。上に向かって緩く続くその道を駆けること数分で、黒煙まがいの瘴気が噴き上げただろう場所に辿り着く。その場にはわかりやすくも、奇妙なオブジェが残されていた。聖杯のようなもの、剣を象ったであろうもの……その全てが本物ではなく模して造られたものだと言うのが見てわかる。何かの、儀式のように。
多分何らかの規則性を持って配置されたそれらは、ニーナいわく本来は魔法陣が描かれたその内側に設置されているんだろうと言うことだった。召喚に失敗したが為に、魔法陣も姿を消したのだろう、と。「んじゃ取っ払っちゃえ」と思ったんだが、ニーナに厳しく止められた。どんな魔法を固めているかわからないので呪術道具に手を触れることはタブーらしい。
(召喚……)
何を、召喚したかったんだろう。
ニーナの意見によれば、これがバルザックがここに出入りする理由じゃないかと言うことだった。自分が契約を結んでいない相手、それももしかするとかなり危険性が高いような奴を召喚して成功するには、磁場が整っていた方が良い。環境の力を借りると言うわけだ。
『魔の山』――ガルシアの言うように、『強大な魔物の通り道』と言う伝説があったような場所を磁場として行う召喚なんか、ろくでもないに決まっている。
「あのくそドワーフを探して、バルザックに関して知ってることを吐かせるぞッ。他に奴を追う手掛かりがねぇッ」
ロドリスと手を組んでレガードを襲撃してみたり、かと思えば『魔の山』で怪しげな召還を行ってみたり……何を考えてるんだかさっぱりだ。ラウバルの仇敵、とかって言い方をいつだかシェインがしていたっけ……。ラウバルを狙うことと、この一連の動きと、関係があるんだろうけれど……。
ともかく、グラムドリングも沈黙を守ったままだったから、多分どこかへ消えたんだろう。バルザックは、空間移動の魔法を使う。確かにそんなもんを使われて逃げられた日には、追いようがあるはずもない。
(そうだよな……)
忌々しげに言ったシサーの言葉に行動方針を定め、きっとまだそこら辺にいるんだろうヘイリーを捕まえる為に辺りを探りながら、その言葉の意味をしみじみ考える。空間移動をするってことは、仮に万が一何かの間違いで追いつめることが出来たって……逃げられちゃうじゃないか。
本当に何て途方もない奴を相手取るハメになってしまったんだろーか。最近忘れそうだけど、俺、ただの高校生なのに。
(ヘイリーが何か教えてくれると良いんだけど……)
こっち側に消えていったんだから、きっとこの先のどこかにいるんだろうとは思うんだが、なかなかどうしてやっぱりヘイリーの行方を追うのさえ簡単なことではなかった。何せとにかく道が悪くて魔物が多い。ようやく小屋を見つけることが出来た時には、既に日没なんかとっくの昔、あとちょっとで真夜中に手が掛かるくらいの頃合だった。
それだけ探したわりには、例の魔法陣の場所から距離にして大して離れてはいないところにあったと言うのがまた、虚しい。道がなく、草木に隠されて見えなかったらしい。
石造りの小さな小屋だけれど、細かなところに手入れが行き届いている感じだ。さりげに見晴らしの良い場所に建てられていて、視界を遮るものなく遠くまで抜けた風景は、遙かな場所まで見通せそうだった。夜なのが残念だけれど、微かに闇に浮かぶ灯火は多分街だろう。
あの灯りの下のどこかに、ユリアも眠るのだろうか。
「ふん。呼ばれもせぬのに来おったか」
ぼんやりとそんなことを思っていると、不意に背後で声がした。……ヘイリー。
「バルザックとオトモダチか?」
振り返ったシサーが嫌な顔を見せて口を開く。どこに行っていたのか、手に斧と枝を束ねたものをぶら下げ、こちらを睨むように足を止めていたヘイリーはその言葉に鼻をひとつ鳴らした。
「知らんなそんなやつ」
「知らんことはねぇだろう。ついあんたが去った直後にその辺で妙な真似をしてたろーが」
言っている内容の割にはキツい素振りを見せず、半ば呆れたように頭に手をやるシサーをちらりと見ると、ヘイリーは無言で俺たちの前を通り過ぎた。小屋に近づき、ドアに手を掛ける。
「ヘイリーさんッ……」
このままじゃあ、何の答えも得られないまま家に逃げられてしまう。そんな完璧にシカトの態勢に入ることはないじゃな……え!?
慌てて声をかけながら開いた扉の奥に何気なく目を向けた俺の、次に予定していた言葉はたちどころに消えた。代わりに予定外の言葉が口から飛び出す。
「あの絵……ッ」
「え?」
「は?」
位置的には俺のいる場所がベスポジだったようだ。他の3人からは全く見えなかったようで、一斉に「何を言ってるんじゃ」と言うようなぽかんとした応答が返ってくる。
ただひとり、無言で顔を強張らせたヘイリーを除いて。
「ヘイリーさんッ」
動きを止めた隙をついて、閉められる前に駆け寄る。驚きの表情を浮かべていたヘイリーが、そのままで俺を見上げた。
「……知っているのか、あの絵を」
「知ってます。……と、思います」
言いながらそちらに近づく俺に続いた3人が、後ろで息を飲むのが聞こえた。扉の隙間から辛うじて見える奥の部屋、その壁に掛けられているタペストリー。
「あれ……」
間違いない。
『3つ目の鍵』のダンジョンで見た壁画だ。
「何でこんなとこに……」
呟くキグナスをちらりと見遣ってから、ヘイリーは俺に視線を戻した。
「……いいだろう。話を聞こう。お前たちがわしの望む情報を持っていれば、わしはお前たちの望む情報を与えよう」
やった。
思わずシサーと顔を見合わせる。シサーが「良くやった」と言うように、片目を瞑って俺に向かって親指を立てた。同じ仕草で返して、ヘイリーの後を追う。招じ入れられた室内は見た目通り広さがなく、人数分座れる椅子もなかった。仕方ないので主に話を進めることになるだろうシサーとニーナ、そしてもちろんヘイリーが椅子に腰を下ろしてテーブルにつき、俺とキグナスは各々壁際に寄りかかって床に座り込む。
「まずはそちらの話を聞かせてもらおう」
シサーがちらりとこちらを見る。俺が何かの反応を示す前に、向かいのヘイリーに顔を戻した。
「先に言っておくが、その絵に絡んだ詳しい事情を知っているわけじゃない。既にあんたが知っていることかも知らんが、知らなかったとしても俺たちの話から何か得るものがあるのかもわからない」
「構わん。そこの小僧が……」
言ってヘイリーは、シサーの肩越しに俺を見た。
……小僧はやっぱり俺……だよね……。
「そこの小僧が絵を見て顔色を変えたと言うことは、同じ絵を見たと言うことだろう。わしは、他のこの絵の在処を知らん。多分わしにとっては価値がある話となろう」
「わかった」
ひとつ頷いて、シサーは『3つ目の鍵』のダンジョンのことを話し始めた。
大陸を選ばずに散らばる連動した3つののダンジョン、長い間誰も立ち入ることが出来ずにいたこと、そのダンジョンに関する詳しい手がかりは今のところ流れておらず、攻略した何者かがその情報を握っているだろうこと、今は既に攻略されていたからこそ中に入れたこと、ダンジョンの奥深くにその壁画があったこと。
攻略したのが、そして情報のほとんどを握っているのがギャヴァンの盗賊ギルドにほぼ間違いないんだろうけれど、多分意図的にかそのことにはシサーは触れなかった。ヘイリーがこちらの期待する話を渋った時の、切り札にするんだろう。
「そこに眠っていたものは何だったのだ」
一通りシサーが話し終えると、ずっと同じ姿勢で固まったように聞いていたヘイリーが顔をあげた。対してシサーが軽く肩を竦めて見せる。
「そりゃ知らねぇよ。言ったろ。俺たちが入った時には既に攻略された後だ。当然肝心のお宝は空っぽだ」
「それはそうだ」
シサーの言い種に、ヘイリーは初めて笑顔を覗かせた。
「とんだ骨折り損のくたびれ儲けだったわけだな」
「そのとーり。トラップボックスの宝以外にはコイン1枚残されてねぇ」
それからそこで、シサーは1度言葉を切った。テーブルに肘をついて体を乗り出すようにすると、にやっと口元に笑いを浮かべる。
「が、多分何があったかの予想はつく」
「ほう?」
ヘイリーが興味深そうに片目を見開く。焦らすような間をおいて、シサーが口を開いた。
「鍵だよ」
「鍵?」
「ああ。そこのダンジョンは『3つ目の鍵』のダンジョンと言われている。最奥の部屋にも恐らく鍵があっただろう痕跡は見つけた。ここからは想像の範疇を出ねぇが、多分他の2つのダンジョンにも、それぞれ鍵が眠ってたんだろう。ま、それ以外にもちょっとしたお宝なんかはあったみてぇだがな。この3つのダンジョンが全てじゃない」
「……」
少し何かを考えるように、ヘイリーが視線を彷徨わせた。それから窺うように、シサーに視線を戻す。
「まだ続きがあると?」
「ある」
「……」
何を考えているのか、ヘイリーは体を微かに捻って奥の部屋のタペストリーに視線を注いだ。あの壁画と同じものがここにあるってことは、ヘイリーは間違いなくあの絵に描かれているドワーフと何らかの繋がりがあるんだろう。そして絵の中に積まれている、その財貨とも。
「……黒衣の魔術師の行方を追っているのだな」
やや長めの沈黙の後に、ヘイリーはおもむろに顔を戻して口を開いた。シサーにではなく、ぐるりと俺たち全員を見回すように。
その視線を受けて、図ったように全員が頷く。ヘイリーは小さくはっと息を吐いて、顔を微かに俯けた。
「確かに、あの黒衣の魔術師が出入りしていたことは認めよう。だが奴は、しばらくここへは戻ってこないだろう」
「なッ……」
「どこに行ったんだ!?」
切羽詰った表情の俺たちを面白そうに眺めた後に、ヘイリーは低く頷いた。
「話してやっても良い。わしは奴の友人でもなんでもないのでな。わしが知っていることならば、話してくれる。……だが、交換条件だ」
また!?
ずるいよ……。
「何だよぉ」
さっさと話せよと言い出しかねない雰囲気を全身に孕ませて、シサーがため息をつく。
「ドワーフの財貨を見つけてもらおう」
「はあ!?」
あっさり言ったその言葉のとんでもなさに、思わず全員ががたっと立ち上がった。床に座り込んでいた俺とキグナスも例外じゃない。
ちょっっっと待て。
「無茶苦茶だ!!そんな時間は……」
「まだ話していないことがあるだろう」
「ッ……」
「ダンジョンに入ったことで得た情報が他にもあるな?人間は騙せてもわしの目は誤魔化せぬな」
年の功?
「代わりに、この宝のことでわかることを話してやろう。悪い話ではないはずだ。財貨を見つければ、そのほとんどはくれてやる」
ええ?
宝を探して来いって言うのに、いらないわけ?
目を点にしている俺たちに構わず、ヘイリーは淡々と続けた。
「わしが欲しいのはただひとつ……その中にあるだろう、金色の腕輪だ」
「腕輪?」
「両の腕に対になっている。……わしの作品なんでな」
そういや、ドワーフって器用なんだっけ。
「それ以外のものは、全てくれてやる。悪い話ではなかろうが」
「残念ながら、この中に財宝って奴にそれほど興味を持っている奴ってのは、いねぇんだよなぁ」
シサーやニーナは大して宝に興味があるわけじゃないし、俺もキグナスも宝箱で盛り上がりはするものの財宝そのものに熱い思いがあるわけじゃない。ただのロマン。
がんっと背もたれに背中を叩きつけるように椅子に座り直してぼやくシサーをちらりと見てから、さっき立ち上がったそのままでヘイリーに質問を投げかける。
「その腕輪に、何か思い入れが?」
じゃなかったら、器用な職人のこと、もう1度作れば良い。
俺の問いに、ヘイリーがちらっと目を向ける。口元に小さな笑みを刻んだ。
「贈り物だ」
「贈り物……」
ふうん……。
何かこの偏屈な感じと他人への贈り物を大切に思うギャップが妙にそぐわず、この人意外と良い人なんじゃないかと言う気がしてしまった。
他人にはわからなくても、自分の中で譲れない大切なものってのは誰にも必ずあるはずだ。
「……何でそんな大切なものの行方がわからなくなってしまったんですか」
「元々わしは、ダイナと言う村に住んでいた。ドワーフの集落だ」
俺が尋ねているからか、俺に顔を向けてヘイリーが話す。
「ダイナがあったのは、モナ公国の外れ……リトリアとの境に当たるフラウ地方」
その言葉に、シサーがふっと顔を上げた。
「じゃあまさか」
「人間どもの下らぬ戦争に巻き込まれてな。村はなくなった」
「……」
憎々しげに、と言うわけでもなく、ヘイリーは淡々とした調子を崩すことなく答えた。その話し方が却って……自分の住む村を失った悲しみを感じさせた。
「戦争?」
「ああ。もう随分昔の話になるけどな。リトリアがモナに仕掛けた侵略戦争だ。いくつかの町や村が戦塵に帰したと聞いてる」
「わしはちょうど村を留守にしていてな。戻ってきた時には、わしの作品を含めたその全ての行方がわからなくなっていた」
「……」
「あの作品はまだ完成していない。彼の人の腕に届く、そのことだけを願って作られたものだ」
「……」
それきりヘイリーが口を閉ざす。こちらもそれぞれの思いに沈み込んで、静寂がその小さな小屋を支配した。
……手掛かりは、確かにあるんだよな。
シサーの言っていた、ラグフォレスト大陸シュートの『人魚岩』。
そして、間違いなく……。
(シン……)
ギャヴァンギルドには、俺たちも俺たちの都合で会わざるを得ない。
そしてヘイリーが口を割ってくれないことには、バルザックの行方はもう手掛かりがない。ここにずっといれば、もしかするとまた『ろくでもない召還』とやらを試みに現れることもあるかもしれないけれど、保証はない上に来たとしたっていつになるかわかったもんじゃない。
時間がないのは確かだし、何だかヘイリーに良いように話を持っていかれているような気もするけれど……『人間どもの戦争』に巻き込まれて村を失ったドワーフが『人間ども』の事情に頓着してくれるとは考えにくいし、そもそも元々の流れがヘイリーに有利なんだから仕方がない。ヘイリーにはバルザックのことを話す義理はなくて、腕輪だって手に入れたくても困ってはいないだろうけど、俺たちは正直困ってるわけで。
「だーッ……くそッ……」
思い切り顰め面で、ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜながらシサーが呻く。
「ったよッ。じゃあ譲歩案ってことでどうだ」
「何だ」
「さっきあんたが言ったのは正解だ。ダンジョンに入って得た情報がある。最後の、宝の隠し場所のヒントと……」
「……」
「多分、その宝にあと一歩ってとこまで詰めてる奴が誰か、だ」
「ほう」
「そいつに交渉するってことでどうだ」
ヘイリーが、ぴくりと片眉を動かした。
「どう交渉する」
「宝を手に入れた暁には、お前さんのとこに必ずその腕輪だけを届けるよう」
「言って聞くのか」
「さあーてな」
鼻の頭に皺を寄せて、肩を竦める。その様子を見ながら、俺はシンのことを思い出していた。交渉してみる価値は、多分ある。無愛想で冷酷なところもあるけれど、嫌な奴じゃない。少なくとも俺やユリアを助けてくれた。
問題は、そもそもギルドがギャヴァンのどこにあるかわからないってとこなんだよな。
「聞かせるしかねぇだろう。知人に協力してもらうさ」
「……」
ヘイリーは少しの間その言葉を吟味するようにじっとしていたが、やがて顔を上げて頷いた。
「それが出来るのならばそれでも構わぬ。誰が見つけようと、わしは手元に腕輪が届けばそれで良いのだから」
「じゃあ……」
「その代わり、黒衣の魔術師の話は、それが済んでからだな」
「……ッ……」
「当然だろう。いずれにしても、全ては手元に腕輪が届いてからだ」
「……ッッッッわかったよッ!!!!」
半ば怒鳴るようにして、がんっとシサーがテーブルに項垂れる。
「交渉、成立だな」
その様子を見てヘイリーが意地の悪い笑みを浮かべて立ち上がった。
「……では、財貨に辿り着くのに必要な可能性がある情報を教えてやろう。来るが良い」