第2部第2章第6話 冒険への道標(1)
どうしてもファリマ・ドビトークの山中を移動しているせいか、一時は完全に回復をしたものの、今もキグナスの状態は消して快調とは言えない。ニーナがオレアードの力を借りてくれてキグナスを包んでいても、厳しいものはあるらしい。
けれど今はシサーもいるし、ニーナもいる。ガルシアの言う通り高度が上がるに連れ魔物との遭遇率は一層上がっていったけれど、俺とキグナスの2人だった時に比べれば楽なものだった。
キグナスは、俺が小屋を出て行ってから間もなくの記憶が飛んでいた。まだ使えないはずの魔法を連発したことも、どうやら記憶にない。あれだけの魔力を使いこなせるようになれれば妙な考えに悩まされることもないだろうとは思うのだが、それにはまだ時間がかかりそうだ。
休憩をした祭壇から歩くこと3日。
「あれ、何だろう……」
この山に入ってから遭遇するようになったバグベアと言うゴブリンが巨大化したような魔物との戦闘を終え、息を切らせながらふと見上げた空、木々の切れ間に覗いたものが目に止まった。
「あれ?」
俺の言葉に剣を拭っていたシサーが、顔を上げる。木々の隙間に覗く……建物?微かに人工的な建造物らしきものが、沈み始めた太陽の光を静かに受けている。
「あそこがヴァインの跡地、か」
「もうすぐね」
戦闘で乱れた髪を弾いて、ニーナが息をつく。
もうすぐと言っても、人が今も健在な村ではないから安全でないことは同じだろうけど……スタンプラリーじゃないが、ポイントに辿り着いたぞと言う気分にはなる。別にヴァインを目指しているわけじゃないけど、結構上って来てるし、山越えも半分近くまで到達してるんじゃないだろうか。
それに村の名残でも残っていれば、今夜は建物の中で休憩をすることが出来ると言うことになるし。野晒しよりは、ましだろう。
「魔物が増えてきてから……全滅したって言ってたよね」
「ああ」
「何で、増えたのかな……」
「ここに溢れる瘴気につられてるのよ」
「ああ……そういうことか……」
溢れるようになった瘴気が、まるで撒き餌のように魔物を呼ぶ。だったら問題は魔物が増えたことじゃない。瘴気が立ち上るようになったことだ。
誰かが何かしたんだろうか。誰か――黒衣の魔術師……。
俺も握ったままだった剣を鞘に収め、キグナスを振り返った。少しつらそうではあるけれど、前ほどキツそうでもない。
「キグナス、平気?」
「おう」
「さーて、バルちゃんはどこで何してやがんだかなー」
……バルちゃんって。
「そんな可愛く呼んだって、バルザックはバルザックだよね……」
本人がいなかったとしても、何をしに来てたのかがわかればまた……何か違うと思うんだけど。
このままシャインカルクに1度戻るにしたって、手土産になるんだけどな……。
上の方に行くに従って、道がどんどん草木に埋もれていく。かつて道があった名残はあるけれど、横から伸び放題に生えている草が道を覆い隠すようにしているせいで、足元が凄く見難い。その上石がごろごろしてたりするもんだから、ユリアじゃないが転びたくもなる。
「ま、ちょうど夜だし、今日はあそこで休めばいーよな。……あー、またかよ」
歩いている間、グラムドリングはほぼ発光しっ放しだ。グルル……と言う唸りと共に木陰から飛び出してきたウォーウルフに、間髪入れずにシサーが刃を叩き込む。
「やっぱりシサーって便利な人だね……」
あっと言う間に弾き飛ばされ、血を迸らせながら地面でぴくぴくと痙攣するウォーウルフの姿に呆れたような気分になる。あれだけ俺が苦労していたのは何だったんだろう。比べるのが馬鹿だとわかってはいるが、虚しくもなるだろう……。
「便利って何だよ便利って……」
「あいた」
ゴンと剣の柄で頭を小突かれて、軽く前につんのめる。何だか最近、言葉だけじゃなくて手足が出るようになっている気がするのは気のせいだろうか。暴力反対。
建物が垣間見えた場所から1時間ほど進んで行くと、急に道が開けた。剥き出しの、痩せた感じの地面が広がり、どこからどう見ても立派な廃墟としか言いようのない小さな小屋がぽつんぽつんと間遠に建っている。変な話だが、どの小屋もぱっと見る限りドアがない。
まだ夜ではないけれど、日が落ちてきて薄暗くなってきているのが一層侘しさをかきたてる。木々の隙間から零れ入るオレンジ色の西日が、無人の村を照らしていた。山なんかにいるせいで沈むのも早いし。
「これが、ヴァイン?」
「だろーなぁ」
村……と言うには規模が小さいような気がした。人が住んでいた頃はもしかするともう少し建物があったのかもしれないけど……でも跡形もなくなるとは考えにくいから、やっぱり元々凄く小さな集落だったんだろうな。
「泊まれそうなとこ、探してみっかー。バルザックの手掛かりもどっかにあるかもしんねぇし」
全滅した村、と言うフレーズでリデルを思い出す。それは必然的に、リデルで遭遇したハーディンの近衛警備隊員の記憶を引き連れて来た。グレンフォード……『青の魔術師』の腹心。
集落の中に足を踏み入れながら、ぼんやりと思い出す。あの時、ヴァインの話が出てるんだよな、確か。
――同じ魔物かな
――それは違うと思いますけど
リデルを全滅に導いた魔物と同じ何かがグレンフォードに眠っているんだとしたら、ヴァインを全滅させたのはあいつだったりして。
(……まさかね)
だとしたってどうと言うことでもないか……。
「何で急激に瘴気が濃くなったんだろうなぁ」
隣を歩くキグナスが、きょろきょろしながら目を瞬く。少々顔色が悪いが、それでも元気そうに無邪気な表情で俺を見上げた。
「うん……瘴気がひどくなったりしてる?」
問いかけると、キグナスは鼻をひくつかせるようにしてからくしゃっと顔を嫌そうに歪めてみせた。
「船酔いでもしてるみてぇ」
「……いいよ。吐いても。手伝おうか?」
「……手伝うの意味がわかんねぇ」
瘴気って臭うわけじゃないんだろうから、鼻をひくつかせてもあんまり意味がないよーな気がする。
「げぇ」
視線を薄暮に染まる集落のあちこちに向けていたキグナスが、突然ずざっと足を止めた。嫌な顔をして見つめるその先に転がっているのは、白骨だ。良く見ればぽつんぽつんと石か何かと見間違いそうなほどナチュラルに転がっている。
「……だから全滅した村なんだってば」
死体のひとつふたつ、なきゃおかしいだろう、却って。
「何でそんな冷静なんだよ」
「慌てたって消えるわけじゃないだろ……。だから何で魔物は怖がらないくせに、白骨は怖いんだよ。襲われたことないじゃん」
「襲う白骨もいるけどなー……」
「うあー。なんじゃこりゃ」
のろのろ歩きながらそんなくだらない会話をしている間に、随分先に行ってしまったシサーが声を上げた。
「何かあったのかな」
キグナスと並んで2人を追いかける。シサーは、今にも倒壊しそうなほど風化した一軒の小屋を覗き込んでいた。
「どうし……」
言い掛けて絶句する。一緒になって覗き込んだ小屋の中を、ウィル・オー・ウィスプのぼんやりとした灯りが照らしていた。
「……何、これ」
「何があったんだ?これ……」
並んで首を突っ込んだキグナスも、目を丸くして呟く。
狭い小屋の中には、かつて人が生活を営んでいただろう名残がまだあった。人が消えてから誰も足を踏み入れていないんだろうから、当時の姿そのままなんだろう。
粗末なテーブル、椅子、壁から壁に渡されたロープに干されたままの布巾。テーブルの上には手作りのような小さな籠が置かれ、中にはかつて食べ物だっただろう黒い塊がいくつかある。そのすぐ脇に置かれたヒビ割れた小皿の上にも、何かが乗っていた。いずれにしても埃まみれだ。
生活感を漂わせたまま時を停止させたその空間は、あるはずのもの――『人』の不在を強く感じさせる。
でも目を引いたのは別にそんなことじゃなくて。
「……凄いね」
中に完全に入り込んで、しゃがみ込む。足下に散らばる木片をつまみ上げた。
「ドア、だよね」
「多分な」
ものの見事に切り刻まれた、扉。折れたとか割れたじゃない。刃物の切り口だ。
「魔物に襲われて全滅したんだろ?」
キグナスの声を聞きながら、木片を落として立ち上がる。
いくら刃物だって、普通ドアなんかあんなふうに切れないぞ?それこそチェーンソーだのレーザーだのがあるんならまだしも、ローレシアでその類をお目にかけたことはない。
ってゆーか、考えるまでもなく、ないだろう。
「亜人型だな、間違いなく」
亜人型の魔物……。
「刀剣類を身につけた奴……それも、ややもすると魔剣だな。腕前もかなりのもんだろう」
亜人型で、刀剣類を身につけた凄腕の持ち主がヴァインを全滅に導いた魔物。
(……)
「ニーナは?」
立ち上がって外に足を向けながら、シサーに尋ねる。つられたように他の2人も歩き出した。
「その辺にいるんじゃねぇか」
良く良く見てみれば、足下にも白骨が落ちている。死んだ時にそうだったのか、死後そうなったのかわからないけれど、綺麗な人間の形を保ってはいなさそう。つまり、頭蓋骨がこっち、大腿骨はそっちと言うようにばらばらに飛び散っている。扉がずたずたってことから考えれば、死ぬ時にあちこち斬り飛ばされたと考えるのが妥当かな……。
そんなことを考えていると、どこからともなくニーナが姿を現した。同じようにその辺をうろうろ探っていたんだろう。
「何かあった?」
首を傾げるその背後を、いつの間にか俺のそばを離れたキグナスがとことこと歩いて行くのが見えた。ひょこん、とその辺にある小屋に顔を突っ込んでは中を窺って更に歩いていく。
「別に何も……。キグナス、気をつけろよ。集落たって別に安全なわけじゃないんだから」
「おー」
だんだんこっちから遠ざかって行くのを気にして声を掛けると、キグナスは振り向きもせずにロッドを握った片手をひらひらと振った。
「……わかってんのか?」
だから危ないっつーのに。本調子じゃないくせに。
そのまま木陰に姿を消してしまうので、思わず後を追う。キグナスが姿を消した木陰の先には、他の小屋から更にぽつんと孤立するように建っている小屋があった。そばに寄り添うようにもうひとつ、更に小さな小屋がある。食料庫とかそんな感じだろうか。
「キグナスッ」
キグナスの小柄な背中が多分居住空間だったろう小屋の方に入り込んで行くのを見て、呼びながら後を追う。
「キグ……」
後を追って中に入ると、キグナスは『導きの光』を灯したロッドを掲げ、小屋の中央にしゃがみこんでいた。ちなみにこの小屋も例外なく、扉は刃物で刻まれている。
建物の中はさっき見た小屋ほど粗末ではなかった。大きくはないけれど物は良さそうなテーブルや椅子の他に、当時はお洒落だっただろうカーテンや花を活けていたと思われる高級感のある花瓶なんかの装飾品もある。床にも、今でこそ色褪せているが、リアルタイムでは華やかな色合いだったと思わせる絨毯が敷いてあった。
「キグナス?」
何かただならぬものを感じて、しゃがみこんだその背中に声をかける。返事がないので近づいてみると、キグナスの足下には白骨化した死体が転がっていた。多分、綺麗な方だろう。全身バラバラではなく、上半身と下半身の泣き別れで済んだ様子だ。どちらにしても生きていられないことに違いはないが。
「……どうしたの」
尋ねながら気がつく。キグナスが覗き込んでいるのは白骨じゃない。多分落ちていたんだろう、指先につまみあげたもの。
「指輪……?」
「カズキ……」
俺の声なんか耳に入っていないように、指輪を見つめたままでキグナスが緊張感をはらんだ声を出した。
「……はい」
「これ……どういうことだ……?」
「は?」
どうもこうも、何の話かが見えてないんだが。
「その指輪が、どうかしたの?」
首を傾げる俺に、キグナスがようやく顔を上げる。それから黙って指輪を俺に差し出した。
「?」
受け取って視線を落とすと、良く見れば指輪に何か彫り込まれている。
何か――あれ?
「これ、どっかで見た」
「どっかじゃねぇよ、こんなん、シャインカルクにはごろごろしてるだろッ」
言われて思い出す。そう言やシャインカルクの通路に、これと同じ模様を縫い込んだ旗が……ってちょっと待って。
「ヴァルス王家の、紋章……?」
目を見開いて尋ねる俺を、緊張した面もちでキグナスが真っ直ぐ見つめ返した。
「ああ」
「何で……?」
沈黙したままお互いの顔を見つめる。
どういうことか、良くわからない。
どうしてそんなものがあるのかもわからないけれど、これが意味するものが何なのかさえわからない。
「……」
「……」
「……この、白骨が?」
こくり、とキグナスが頷く。
「何か、妙に気になったからこっちに来てみたんだよ。胸が騒ぐって言うか」
「勘?」
「みたいなもんか?何となく。……そしたら、こいつに隠れるようにして」
「……指についてたりしたの?」
俺の問いに、またも首肯する。
じゃあ、この白骨が指輪……ヴァルス王家の紋章を刻んだ指輪の持ち主?
「……誰?」
思わず視線を骨に落としながら、呟く。今度はキグナスも、目を伏せて顔を横に振った。
「わかんねえ」
「おい、2人とも……」
もう一度手の平に乗せた指輪に視線を落としていると、小屋の外からシサーの呼ぶ声が聞こえた。長身の人影が姿を現し、その後ろを弾むようにニーナがついてくる。
「……? どうした?」
黙ってシサーに指輪を差し出す。目を瞬きながら受け取ったシサーは、視線を落として絶句した。その背後でニーナも息を飲む。
「何だこれ……」
「ここで見つけたの?」
キグナスが黙って頷く。シサーが真剣な表情で眉を寄せた。
「何でまた……」
「盗んだとか?」
最も深い意味を求めなくて済む回答を口にする。
シサーが深刻な表情のままで首を横に振った。
「わかんねぇな。盗めるもんか?」
「王家の紋章が入った装飾品は、王族にしか許されない。王に身につけることを許されないと身につけられない。……王の、権限で」
そーいや、王錫を使えるだの使えなくなるだのって言ってたっけ?そう言う細々としたことってのがファーラに認められた王にしか出来ないのかな。身につけられないって意味が良くわかんないけど。壊れるとか?弾かれるとか?まさかどっか飛んでっちゃうってこたないだろうけれど。