第1部第4話 王女出奔!!(2)
「どうやってここまで……」
レイアの問いに、ユリアは軽く唇を尖らせて肩を竦めた。
「昨日、あの後すぐにお城から脱走しようと思ったらシェインに見つかっちゃって……カズキたちに途中で追いつくと思ったから、焦っちゃった」
「ええ?じゃあまさか浄化の森で泊まったの……?」
「まさか。ここまで、夜のうちにシェインが馬で運んでくれたの。ヘイズに泊まっているのなら必ずこの門から外へ出るし、まだ到着していないのならこの門から入ると思ったから、早起きして、待ってた」
……シェイン。なぜ俺のことはせめてここまででも送ってくれないかな……。
「シェインは……」
「宿で別れたわ。まさかシェインまでお城を脱走するわけにはいかないわ」
「……何て……」
何て破天荒な王女様と宮廷魔術師だ……。
「シェインたら何考えてッ……」
レイアが憤慨したように言うのを否定するようにユリアはゆっくりと顔を横に振った。
「シェインは、わたしがどれほどレガードを想っているか知っている」
「……ユリア」
「幼い頃からレガードと共に生きて来たわたしを知っているのは、シェインだけだわ」
そうなんだ……。
俺はぼんやりとシェインの軽薄そうな顔を思い浮かべた。
「もちろん、シェインに散々反対はされたのだけど。魔法を使ってでも止めてやるって脅されちゃった」
ユリアは肩を竦めた。束ねられた髪がふわりと風に舞う。
「でも、わかってくれたもの。城のことは自分が引き受けるから、思うようにやってきなさいって。でも、無茶なことは絶対してはいけないと言われたわ。シサーの言うことをよぉく聞くようにって」
「当たり前ですッ」
レイアが顔を顰める。
「1日に1度、必ず交信をするよう、『遠見の鏡』を渡されちゃったしね」
『遠見の鏡』?……交信するってんだからきっとテレビ電話みたいなもんなんだろーか。シェインは宮廷魔術師なんだし、変なモン持ってても驚かない。
「……大丈夫なの?」
「大丈夫よ。ギャヴァンに行けば、シサーにも会える。わたしだってこれでもプリーストの端くれなんだし」
……えぇ?
その言葉に驚いた。言葉を出さずに目を丸くすると、ユリアは恥ずかしそうに舌を出した。
「まだまだ下っ端だけれどね」
「……王女様が、プリーストの修行を?」
「我がヴァルス王国は、ファーラ教を守護する第一の国。……国を政治的に治めるのは男性の役目で、王族の女性は代々プリーストとしての勉強もさせられるわ。尤も、本当に司祭になれるほどではなくて……全然低レベルの、形だけのものではあるんだけど」
そうなんだ。王女様も楽じゃあないんだなあ……。
十字路へ向かう道を真っ直ぐ歩きながらユリアは続けた。
「でも、わたしは興味があったから。それに『やったフリ』って言うのは納得がいかないの。国民を騙しているみたいで。だから、教えられた期間は真面目に取り組んだし、それ以降もガウナ様に教えを願って学ばせてもらった。おかげで、ほんの少しだけは神聖魔法も使えるわ」
「ホントに!?」
この問い返しは失礼だとは思うんだけど。嘘つくわきゃないんだし。でも咄嗟に俺はそう言っていた。
レイアは治癒系の魔法を使えない。神聖魔法つったら、確かそっちの方が専門だったと記憶している。ユリアがヒーリング系の魔法を使えるんだったら、俺、物凄くありがたいです。
きらきらと期待に満ちた眼差しを向ける俺に、ユリアが不安げな顔でこくりと頷く。
「あの……でも、本当に大したこと、ないのよ」
「でも治癒とか出来るでしょ」
「あ、あの……そんな凄い怪我とかじゃあなければ」
「やった♪」
ソーマ草は昨日試したけど、そんな劇的な効き目とかはなかったからなあ……。メディレスのように、とまではいかなくても、痛いのが治るとか疲れてたのが体が軽くなるとか、そのくらいは期待しても良いかもしれない。
現金な俺は、「お姫様のお守りしながら魔物と戦うなんて到底無理なんですけど」と思っていたのもどこへやら、すっかり気が軽くなった。ついでに足取りも軽くなる。そんな俺に、ユリアがくすりと笑った。
「シェインは、思ったよりカズキを信頼してるのよ」
「はぁ?」
スキップでもし出しそうな俺の背中にユリアが言う。……シェインが?馬鹿な。どう考えたって捨て駒的な杜撰な扱いこの上ないと思いますけど。
「けど俺……剣なんか全然使えないし……。昨日だって、レイアの魔法がなければとっくに死んでただろうし……」
「……魔物に遭遇したの?」
レイアが簡単にウォーウルフと遭遇したことを説明する。ユリアが見張った目を俺に向けた。
「そう……恐ろしかったでしょう」
そりゃもう。
シェインがくれたピアスだって何もしてくれなかったし。対になるアイテムっての見つけなきゃ使えないんじゃ、現段階の俺にとって何の役にも立たない。やっぱりもっとわかりやすいものが欲しかった。
「シェインはね、カズキは吸収が早いって言ってた」
「え?」
「教えたことはどんどん飲み込んでいくって。だから、きっとシサーに会えばシサーの教えることを吸収していけるんじゃないかって」
「……それは……わかんないけど……」
もそもそと答える俺に、ユリアが笑う。
「『思いがけない拾い物だったかもしれない』って言ってたもの」
拾い物って……。落ちてたんじゃなくって、無理矢理拉致してきたんでしょーが。
ユリアの視線に、俺はため息をついた。買い被り、と言う気がしないわけじゃない。
でも。
そこまで言われたら。
「……期待に沿えるよう、前向きに頑張ります」
ユリアを守りながら、レガードを見つけ出せるよう……俺の、最善を尽くさなきゃな。
◆ ◇ ◆
相手の返答を全く期待していないようなぞんざいなノックがされ、無遠慮に扉が開けられた。ラウバルを相手にこんなことが出来る人間にはひとりしか心当たりがない。
「全くお前には呆れ返るな」
書き物机に向かい、分厚い書類に目を落としたまま投げかけられた言葉に、侵入者は肩を竦めた。
「やはりバレていたか」
「私に隠そうなどと、100年早い」
「ふむ……では俺も永き生命を手に入れる手段を講じなければならぬな……」
嘯きながらシェインはずかずかと部屋を横切り、窓際に置かれた長椅子にごろんと横たわった。
「つくづくお前は王女に甘過ぎるな」
シェインの行動を知りながら黙していたラウバルも同罪であるとは思うのだが、それを口には出さずにシェインは違うことを口にした。
「俺が一緒に行ければ良いのだがな」
「馬鹿を言うな。王が病に伏し、後継者は行方不明、王女が家出同然に旅に出てこの上宮廷魔術師までいなくなっては国の政はどうなる」
「そんなもの、おぬしがいれば十分であろうが」
シェインは無意味に自分の赤い前髪をつまみ、それを眺めた。欠伸をしながら言ったシェインに、ラウバルがふと顔だけで振り返る。
「……ぬかりがあるとは思わぬが……王女の安全は確かだな」
「当然だ。この俺が何の策も講じずに最愛のユリアを危険なところにやると思うのか」
「思わぬがな……。何をした」
「秘密だ」
「もったいぶるな」
シェインは苦笑をして上半身だけ長椅子から起こした。右足を床に下ろし、片手を長椅子について体を支えながら、ラウバルの方へ身を捩る。
「いくつか魔法をかけさせてもらった。ユリアに危険が迫れば発動される」
「例えば?」
「例えば召喚だな。ユリアに切迫した危険が迫れば、自動召喚される種類のものだ」
「召喚?」
興味深そうにラウバルの片眉がぴくりと上がる。
「お前のレパートリーに召喚があったとは初耳だが」
「そんなの俺も初耳だ。宝物庫の中にあった、研究済みのオモチャだ」
「ああ……『遠見の鏡』か」
『遠見の鏡』は本来何かを召喚するような機能がある道具ではない。だが、かつて『遠見の鏡』の研究をしている最中に、召喚機能を持ち合わせている宝玉の魔力を掛け合わせるなどして弄り倒していた。恐らくはその延長だろう。
「……だが、召喚は……」
召喚の危険性を説こうとしたラウバルをシェインは片手を挙げて制す。
「見縊るな。これでも宮廷魔術師だ。召喚が危険な行為なことは重々承知だ」
「では……」
「安心しろ。細工を施してある。召喚されるのは安全この上ない生き物で、敵に対しては頼りになる上ユリアに対しては決して危害を加えることはあり得ない」
「そんな召喚獣が『遠見の鏡』にはいるのか?」
「召喚獣と呼ばれるのは非常に不本意だがな。彼女が召喚するのは大変な色男で性格も良い」
嫌な予感がした。
「……何を召喚する」
「俺だ」
ラウバルは思わず小さく吹き出した。
「……相変わらず突飛なことを考える」
「素晴らしいことと言って貰おうか」
すっかり体を起こし、長椅子にちゃんと座り直して足と腕を組んだシェインにラウバルは立ち上がった。
「何か飲むか」
「エール酒を」
「執務中だ。馬鹿も休み休み言え」
言いながらラウバルは部屋の隅に設置された棚に向かって歩いた。乗せられたティーポットを取り上げる。
「……そんな事態にならぬことを祈るがな」
「そうだな。……ではおちおち娼館にも行っておれぬな」
ラウバルの背中から投げつけられた言葉に、シェインは盛大に顔を顰めてさも重大そうに頷いた。
「全くだ。素っ裸で呼び出されてはたまらぬ」
ラウバルが声を立てて笑う。珍しいことだ。シェインはその揺れる背中を憮然と見遣った。
「では王女が旅から戻られたら、『遠見の鏡』を肌身離さず持っていただこう。その方がお前も品行方正になろう」
茶を注いだカップを2つ手に振り返ったラウバルに、シェインは唸り声を上げた。
「縁起でもないことを言うな。ユリアに言ったら乗り気になりそうだ。言うなよ」
それから組んだ自分の膝に頬杖をつき、ため息を落とす。ラウバルが差し出したカップに片手を伸ばしながら、口調をやや改めた。
「……正直なところ、どう思う」
「……」
その問いは、あまりに広義だ。返答に詰まって、ラウバルは無言のままカップを口に運んだ。
「シサーがいる。カズキはいささか頼りないが、シサーのそばにいれば成長も望めるだろう。あいつは頭が良いな。真面目だ」
「そうか」
「『王家の塔』の攻略は、望んでいない。カズキが動き回ることで、レガードの消息だけを何とか掴みたい……」
「出来ると、思うか」
「やってもらわねば困る」
「……」
両手の中にカップを包み込んで言い聞かせるように言うシェインに、ふとラウバルは小さく笑った。
「お前は随分とカズキを気に入ってるみたいだな」
「そうか?」
「いやに構っていたようだ」
「ああ……」
ラウバルの言葉にシェインが笑った。
「あいつは面白いぞ。真面目なのか不真面目なのか、頭が良いのか悪いのか。変わってるな」
「……先ほど、『カズキは真面目で頭が良い』と言っていたのは私の幻聴か」
「言ったな」
くっくっと笑いながら、シェインは手近なサイドテーブルにカップを置いた。ソファにどすんと背を沈める。
「生きて帰ってきて欲しい……そう思うのは、本音さ」
剣を持ったことのない人間に魔物の徘徊するこの世界を旅させることが酷だとはわかっている。だが、これ以上彼らには打つ手がない。ヴァルスの財務大臣は『レガード』の旅に消極的だ。金銭的にも人材的にも、密かに行うには限られている。私的な交友関係であるシサーを頼るのが、精一杯だ。
ラウバルは窓際に歩を進めた。視線を外に向ける。
「……ところで、何か用があったのではないのか」
「そうだった。忘れるところだった」
言って、シェインはふいに真剣な顔をした。『平均よりかなり軽い20代男性』から『宮廷魔術師シェイン』の顔つきになる。
「……おぬしが危惧していたことが現実になりそうなのでな」
「何……」
視線を窓から外し、ラウバルはシェインを見据えた。
「では……」
「急くな。まだそうと決まったわけではない。ただ、ちょっとキナ臭い匂いがする」
「……」
沈黙で先を促したラウバルに、シェインはサイドテーブルのカップを指先で弾きながら続けた。
「『王家の塔』へ向かう奇妙な一団を、岬の街フォルムスからの旅商人が見ている」
「風の砂漠か」
「ああ。くそ暑い砂漠を旅するのに、ご丁寧に頭からすっぽりと厚い布を被っていたそうだ。日除けとは思えない装いだったそうだぞ。……正体を知られたくないのだろうな」
「……」
「国の紋章は見かけなかったそうだ」
「……そうか」
「ま、酒の肴で出た話だ。宰相殿に語るには時期尚早だが、おぬしと俺の仲だ。大目に見てくれ」
じっと何かを考えるようにしていたラウバルは、どんな仲だ……と苦笑する。
「早めに耳に入れた方が良いと思ってな」
「……感謝しよう」
ラウバルは素直に頷いた。シェインが立ち上がる。
「まあ、今はまだ静観する段階であろう。カズキの働きに期待するしかない。カズキが……『レガード』が動けば、必ず何かが食いついてくる」
言ってドアの方へ足を向けた。
「戻るのか」
「ああ。……娼館に赴くわけにはいかぬからな。たまには真面目に仕事にでも励むさ」