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怪物以上、人間未満  作者: 例の予備軍
1章
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4話 生人の情景

空の真上に差していた日が、地平線にほど近くなる頃まで、不揃いな肉塊は町を彷徨い続けた。

そして遂に、最後のそれを見つけた。


名もなき男の右のブルーの瞳と、名もなき女の左のブラウンの瞳が、それを捉えた。

それは道路の真ん中に打ち捨てられた赤子の頭だった。

すやすやと眠るように、幸せそうに、穏やかな表情で死んだ赤ん坊だった。



―――ミツケタ・・・ミツケタ・・・。



肉の塊には、一目で分かった。

これが自分にとって必要な最後のものだと。



―――・・・・・・。



何をするべきかは解っていた。


肉は左太腿に取り付けた左手で、地面に落ちていた鋭い金属片を持つ。

二つある口の内の一つから生えた右手で赤子の頭を持つ。



―――・・・・・・。



そして肉は、金属片を赤子の眉間に押し当てた。

そしてその眉間を切り裂こうとしたが、しかしその赤子の表情を見て、何か違和感を感じた肉は、ふと腕を止める。



―――・・・・・・。



この肉に、心と呼べる部分があるのかは分からない。

しかし今まで本能でしか動いてこなかった肉は、ここで確かに、胸の中に埋まる心臓に近い部分が、ちくりと痛んだような不思議な感覚を覚えた。


肉の目には、その赤子の寝顔は、幸せに満ち足りているように見えた。



―――・・・・・・。



もう一度、今から自分のやるべきことを想像する。

これは確かに肉にとってはあまり好ましくない行動だったが、同時に、最後のものを得るためにはどうしても無くてはならないことだった。

実際のところ、肉が最後に手に入れるものがこれである必然性はどこにもなく、また歩き出してどこかで別のものを見つけてもよかった。


手を動かす。

ゴリ、という固い音がして、それとは裏腹の、皮膚を裂くことによる、粘つくような不愉快な感覚が手に伝わってくる。

ゴリ。ゴリ。ゴリゴリ。

一度動き始めた手を止めることはできず、一心不乱に、肉は赤子の眉間を削る。


ともかく、このチャンスは、絶対に逃せない。

目の前に在る宝物を逃すことなど、餓えた肉にはどうしてもできなかった。


これでいいのだ。

この部分は、新鮮であればあるほどいい。



血塗れになった赤子の顔は、それでも穏やかで、眠っているようだった。


赤子の血を手で拭うと、皮膚の裂け目から純白の頭蓋骨が現れる。

比較的柔らかいその頭蓋骨を硬い左腕の金属片が慎重に削ってゆく。


中にあるものに万が一でも傷を付けてはいけなかった。

肉は辛抱強く削り続け、やがて空の大部分が藍色に染まった頃、その頭に穴が開いた。



―――ミツケタ・・・ミツケタ・・・ミツケタミツケタミツケタ。



赤子の頭を割った中には、血混じりの透明な液体に包まれた、皺の入った桃色の肉があった。

それは人間にとって、最も特別な意味を持つ肉。

赤子の表情は穏やかだった。溢れ出た血が目元を伝い、涙を流しているように見えた。



肉の喉から生えた右腕が、赤子の頭の中に伸びてゆく。

優しく、丁寧に、決して傷つけることがないように、その皺の入った肉に、震える手が触れた。


うにょりとした、不思議な弾力のある、熱い肉だった。


そして、頭蓋骨の尖った部分で傷をつけてしまうことがないようそっと取り出す。


あるべき場所に。

肉の右目の上の部分にある自分の頭蓋骨の割れ目に、そっと収めた。




その時、不意に肉の両目から涙が零れ落ちた。

右側のブルーの眼からも、左側のブラウンの眼からも。

かつて死体であった名も亡き人間の両目からは、止めどなく涙が流れていた。


肉の身体が意図せずぶるぶると震え始め、全身の感覚に変化が起こる。

視界から一枚の膜が取り払われ、嗅覚は淀んだ空気が入れ替わったかのようだった。

今まで薄ぼんやりと欲求を感じるだけだった思考が晴れ、殻を破られたかのように全ての知覚が新鮮で、はっきりと感じられるようになった。



肉はこれで人間になれたと思った。

誰が何を言おうと、肉は自分が人間であるという確信を持っていた。



なのに、肉は満たされなかった。

不思議と涙が止まらなかった。


いつの間にか冷たくなっていた風は肉の身体を強く打ち叩き、紅色の最後の夕日が、肉の影を色濃く照らす。


肉は感動に打ち震えながら、はっきりとした自意識の中で、周囲を再び見渡す。


そこには、大量の死んだ人間の肉が転がっていた。

血の海と人肉の山の中に、肉はぽつんと一人、立っていた。



―――――・・・~~~っ!!!???



それは今まで疑問にすら思わなかったことだが、その事実に気が付いた途端に、今まで以上に鮮やかな空白感が、肉の初々しい心を容赦なく責め立てた。


体の底から震え上がるような、圧倒的に巨大な穴に、肉は震え慄く。


それは、肉が生まれて初めて感じた寂しさだった。


抑えきれない空白感に、肉は大きな危機感を覚えた。

そして同時に、この寂しさはこの世界のどこかにいるはずの同類に会うことによって、この空白を埋めなければならないと、肉は考えた。



―――・・・ニンゲンハ、ヒトリデハ、イキルコトガ、デキナ、イ。



人間は、独りでは、生きることが、できない。


そして求めるためには、動かなければならない。

そのことを経験として、今の肉は知っていた。


身体の震えが徐々に収まってゆく。

肉は満点の星空の下で、どこにいるかも検討もつかない人間を探し、再び宛てもなく歩き始めた。

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