6話 ありふれた非情
あくる朝、ジョン・スミスが事件の現場を後でこっそり見に行ったところ、そこには沢山の警察官達が、人間となったウォルガルフの死体を囲み調べていた。
どうやらその警察官達は、ウォルガルフの身元を掴めず、ホームレスをターゲットにした強盗殺人として処理するというようなことを話しているらしい。
ホームレス狩りもまた、ウォルガルフの生業とするところの一つだった。
ジョン・スミスは静かにその場を後にした。
―――さて、これからどうするべきだろうか。
満月が頭の上に回る時間、30階建てのタワービルの屋上の影の中、ジョン・スミスは身を蹲らせる。
ここに来るのは久しぶりだ。
季節は冬になっていて、増々冷たくなった風が、ジョン・スミスの身体を強く打つ。
ジョン・スミスは街の中心のエスタータワーを見上げながら、考える。
ウォルガルフが死んだことで、時間が浮いた。
やるべき仕事が無くなった。
しかし、元々別に仕事をする必要があった訳ではない。
ウォルガルフを、殺した。
怒りや悲しみはない。
罪悪感もない。
漠然とした喪失感だけが、心に残っている。
あるいは、ウォルガルフに対する怒りや悲しみ、彼を殺してしまったという罪悪感などが互いに消滅し合った結果、何も感じずにいるだけなのかもしれない。
だとすれば、今ジョン・スミスは深く怒り、深く悲しみ、そしてそれらと同程度に深く後悔しているということになる。
しかしそれは重要ではない。
これから何をするべきか、考えなければならない。
ウォルガルフと居る間も、心の空白が埋まったとは思わなかった。
しかし、彼が居なくなってみれば、空虚な穴はより大きく、ぽっかりと、ジョン・スミスを呑み込もうと口を開いている。
何とも、理不尽な話のような気がする。
得たことで喜びはなかったのに、失ったことには、こうまで後悔を感じさせられるとは。
しかし、ならば始めから、ウォルガルフに出会わなければよかったなどとはジョン・スミスは思わない。
ウォルガルフが居なければジョン・スミスはジョン・スミスとならなかったのだし、彼はジョン・スミスに様々な経験と、貴重なアドバイスをくれたのだ。
彼との関わりによって、ジョン・スミスに朧気ながら一筋の光明を見出した。
ウォルガルフが喪われようとも、ジョン・スミスは、この果てのない暗闇の中を進み続けなければならない。
ジョン・スミスは怪物酒場に向かい、いつものカウンター席、ウォルガルフの特等席の隣に腰掛ける。
これからのことを、考えなければならない。
店主のピッキーにガッフィの行方を尋ねられ、ジョン・スミスが自分で殺したことを正直に告げた。
ピッキーは「そーかい。」と一言言って、彼はその話題はそれきりにジョン・スミスに注文を訊ねた。
また、酒をちびちびと飲んでいると、チューイン・タン――ウォルガルフと同棲していた大柄な牛女――が、ウォルガルフを探しに来た。
自分が殺したことを告げたジョン・スミスに対して、彼女は金ズルが云々と文句を言いはしたものの、ウォルガルフの死を悲しむ様子は全くなかった。
ジョン・スミスは拍子抜けするような思いを味わった。
怪物酒場にて、ウォルガルフを殺したことをジョン・スミスは隠しはしなかったが、そのことに対して、咎める者は誰もいなかった。
誰もが当たり前のようにそのことを受け入れ、何事もなかったかのように無視している。
自分は責められ、罰せられるか、殺されてもおかしくないと考えていただけに、この反応にはむしろ納得いかないという思いすらある。
確かに、ウォルガルフは、あまり怪物達にとっても好かれる人物ではなかっただろう。
だが、彼は皆に気のいい話を提供し、また、裏稼業の手伝いをし、偶にはジョン・スミスに酒を奢りもした。
ウォルガルフの死を皆が悲しむべきというジョン・スミスの考えは間違っているのか。
いいや、間違ってはいない。
何故なら、この街の人間は、隣人の死は大いに悲しむべきという文化を持っているからだ。
ジョン・スミスはピッキーに、ジョン・スミスがウォルガルフを殺したのに、誰も怒らない理由を問うた。
「ルールさ。」
簡潔に、ピッキーはそう答えた。
「誰が誰に何をしようと、干渉しない。この街の怪物達のルールで、生きるための知恵だよ。
ガッフィが君に殺されたなら、彼には殺されるだけの理由があったってことさ。」
―――・・・ウォルガルフは、自分を殺そうとした。
「そーかい。そりゃ災難だったね。で、つまみにチーズはいかがかな?」
自分はここに居るべきではない。
ジョン・スミスの決断は、自分でも驚く程に早かった。
酒をどれだけ飲んでも酔いはなく、ジョン・スミスの思考はクリアに晴れている。
怪物達のルールは、確かに彼らにとって、理に適ったものなのだろう。
だが、人間達も正しく、自分とて間違っていない筈だ。
怪物達の価値観に染まってはいけない。怪物は人間とは違う。
ジョン・スミスが怪物達の常識を受け入れるほど、メアリー・ブラウンは遠のくだろう。
何より、ウォルガルフは、もうここにはいない。
ウォルガルフの仕事を手伝うことがないならば、ジョン・スミスはこの場に居る意味など、最早一つたりとも有りはしない。
残った酒を一口で飲み乾し、立ち上がったジョン・スミスは今一度、怪物酒場の者達を見回す。
今日、ジョン・スミスがここに来たのは、ウォルガルフと過ごすことで日頃身に付いた習慣によるものだった。それ以上の理由はない。
元々回りの早い酒にも、味の濃い料理にも、馬鹿けた下世話にも、ジョン・スミスは興味はない。
どれだけ人間達がジョン・スミスを拒絶し、怪物達がジョン・スミスを出迎えていようとも、それは変わりない。
頭が二つありその両方から角が生えている者と、身体の一部分が半透明に透けている者、そして妙に手足が短く頭ばかりが大きい者が、テーブルを囲んでカードに興じている。
人とは思えないほど青白い顔の男と、人とは思えないほど赤黒い顔の女が、一つの椅子に座って人目も気にせず情熱的にキスを交わす。
そういった奇異な怪物達の中で、ジョン・スミスの視線は、ある人物に吸い込まれた。
青いワンピースの少女がいた。
ここに来た最初の日にも見かけた彼女は、この寒い季節にも相変わらずノースリーブのワンピースを着て、大きなテーブルに肘を付きジュースを飲んでいた。
彼女の姿はこの酒場において明らかに浮いているのに、誰もそのことを口にしない。
これが最後という思いを胸に、ジョン・スミスは少女の方へと向かっていった。




