2話 ライバル宣言
ウォルガルフと肉は、店内を突っ切ってカウンター席に向かう。
「まぁ座れよ。」
ウォルガルフと名乗る狼男は、肉に、自分の隣に座るよう促した。
そう言えば、肉は椅子に座った経験がない。
その丸い回転椅子の前で多少考え込んだ後、肉は自分の体の内、右足と左足の付け根、肩に当たる部分を座席に乗せることにした。
重心が安定せず、一部の関節に不必要に体重が偏る。居心地の悪い姿勢であると感じた。
肉の身体構造は椅子に座るのには適していないようだが、余りもぞもぞと身体を動かして悪目立ちもしたくないので、暫くはこの姿勢を維持してみることにした。
肉はどこか気持ちが落ち着かず、雑然とした店の中に視線を泳がせる。
やはり店内には様々な形の怪物達がいたが、肉はふと、ある一人の人物に視線が引き付けられた。
それは、恐らく人間の少女だった。
少なくとも肉の目にはそう見える。
その少女は確かにどこを見ても、人間であろうことに疑いの無い形をしており、右も左も人間とは呼び難いような形をした客や店員の中においては、むしろ奇妙に浮いていた。
その人間の少女は、薄手の青いワンピースを着ていて、彼女にはやや大きすぎる椅子に座り、足をふらふらと持て余しながら、グラスに入った黄色い液体、恐らくオレンジジュースと思われるものを、さも幸せそうな表情で飲んでいた。
彼女は人間なのだろうか。
「やあガッフィ。そいつが例のエスター街の怪物かい?」
肉のそんなささやかな疑問は、彼らに話しかけた人物の声によって中断される。
「その名で呼ぶんじゃねぇ鳥頭。俺は、ウォルガルフだ。」
「はいはい。ありがとよ、ミスターウォルガルフ。」
鳥頭、と呼ばれた者は、何枚か皺の寄った紙幣をウォルガルフの前に差し出した。
ウォルガルフに、肉を連れてくるよう依頼したのは彼らしい。
彼は鳥頭という文字通りに、鳥の頭を持った怪物だ。
腕と脚と胴体のある人間通りの身体で、アイロン掛けの行き届いていない燕尾服を身に着け、頭を鳥に挿げ替えたかのような珍妙な人物だった。
しかし珍妙さで言えば、恐らく自分の方がはるかに勝るだろうと肉は知っていたため、それを敢えて口に出すことはしない。
鳥頭の男は視線を合わせ、そして彼は、人間らしい自然な動作で、肉にお辞儀をした。
「これはどうも。僕はこの店のオーナーさ。
君は今まで知らなかっただろうけど、この街の怪物にはね、怪物なりのルールがある。
君がこの町でやってくつもりなら、長い付き合いになるだろうね。
ま、よろしく頼むよ。・・・しかし、君は見れば見るほどヘンテコだね。
うん。ファッションセンスの方も中々に奇抜だ。」
鳥頭は肉の身体を上から下まで無遠慮な視線で見回し、面白がるようにけらけらと笑った。
肉はどう答えていいものか分からず、左右非対称な顔で曖昧に頷いた。
鳥頭の人物の身体は、頭以外は人間とあまり違わない。あるいは、人間ではないが、これはこれで正しい形に思える。
それに対して、肉の手足は一本として正しい位置には付けられていない。
ウォルガルフは鳥頭の男に、この街で一般的に飲まれている安価な酒を二つ注文し、グラスの一つを自分の前に、そしてもう一つのグラスを肉の前に置いた。
「こいつぁ俺の奢りだ。なァ、エスター街の怪物さんよぉ。代わりに俺の話を聞いちゃあくれないかい?」
ウォルガルフはゆるく持ち上げた自分のグラスを、肉の前に掲げる。
そこから何をするつもりなのだろうか。
肉が観察していると、やがてつまらなそうな顔をしてウォルガルフは酒を口に運んだ。
「俺と組まねえか?アンタぁここいらじゃ、ちょっとした有名人だからな。」
―――組むとは、具体的に何をすることなのか。
噂になってしまっているというのは先ほども聞いた。
肉が問うと、ウォルガルフは大手を振って語る。
「おうとも。儲かることなら何でもやるぜ。殺しに、ブツの始末に、近頃流行りのババア専門の詐欺まで。あぁ、何でもさ。」
そして、片手に持った酒を再びぐっと煽る。
「お前さんも分かんだろ?バケモノにゃあこんな世知辛ぇ世の中。
だがなぁ、ちょいっと頭が回りゃあいい。俺達みてぇな連中でも面白おかしく暮らせんだ。札束の山で大笑いしてみたかぁねぇかい?なァ。」
成程。
肉は暫し考え込む。
余りにもウォルガルフが酒を旨そうに飲むので、肉は自分も酒を手に取ってみた。
揺れる水面が、元々不揃いな肉を寄せ合わせた顔を、ゆらゆらと歪ませる。
この複雑な工程によって作られるアルコールと果汁を内容物とする液体は、恐らく肉が生きる上で、必要なものではないだろう。
しかしウォルガルフの「面白おかしく暮らす」という言葉には、喉から手が伸びるような、抗い難い魅力を感じる。
もっとも、「札束の山」にこれといった関心も無ければ、「殺しやブツの始末」とやらによって「面白おかしく暮らす」ことができるという因果関係も、肉には理解できないが。
「どうしたぁ?すぐにゃ答えられねぇかい?」
今一度、ウォルガルフの毛むくじゃらな顔を見つめる。
少なくとも、酒を飲むウォルガルフの姿は「面白おかしい」ように見えた。
これはジョン・スミスにとって、初めての他人・・・もとい、怪物との関わりだ。
確かに、人間と怪物は違うものかもしれない。
しかし怪物達もまた、人間達と同じく言葉を話し、服を着ている。
ならば、その付き合い方においても共通する部分は多いだろう。
観察だけに終始せず、実践的な他者との関わりを経験しておくことは、この先重要なことだろう。
そして好都合なことに、少なくとも怪物は人間とは違い、肉を見て叫び声を上げたりしない。
肉は、自分の二つの口のうち、腕が飛び出ていない方の口にグラスを傾ける。
初めて飲んだ酒はひんやりと冷たく、乾くような鋭い舌触りと、甘さと苦さの調和した心地よい味覚が肉の口の中にふわりと広がった。
―――悪くは、ない。
丁度、時間を持て余していたところだ。
どうせ、彼の提案を受けようとも断ろうとも、肉の損になるようなことは無いように感じる。
肉が彼の提案を受けてみることを告げると、ウォルガルフは一層快活に笑った。
「あぁ。ところでよう、お前さん。名前はなんてーんだ?」
―――名前は、ない。
そう肉は答えた。
「そうかい?名前がない、か。そりゃあ今まで不便だったんじゃねぇか?」
―――自分が発生、あるいは誕生したのはほんの半年に満たない以前のことであり、それまでの期間で名前を持たず困るような場面には未だ遭遇していない。
また、名前を生物の個体識別用の呼称という意味合いで捉えるあれば、『エスター街の怪物』がそれに該当し、今後使用する上ではそれで事足りるだろう。
ウォルガルフの問いに対して、そう答える。
「んにゃ。そりゃあいけねえ。いけねえよお前さん。」
ウォルガルフは大袈裟に首を横に振る。
毛に覆われた顔からは判断が難しいが、あるいは彼は既に酒に酔っているのかもしれなかった。
「名前ってのぁなあ。」
ウォルガルフは語り始めた。
曰く、名前というものは極めて重要だ。
人物を識別する上で重要なだけでなく、名前はその人物がどんな内実を持っているのかをも表すのだ。
つまりどういうことなのかと言うと、俺はウォルガルフだから、勇敢で、賢くて、女にとって魅力的な男だと誰でも分かる。
そこの鳥頭はピッキーだなんて間抜けな名前が付いているから、名前の通り頭が空っぽの間抜けな奴なのだ。
それに、お前以外にエスター街の怪物なんて呼ばれる奴が現れたらどうするつもりなのか?
おい、エスター街の怪物。
お前もエスター街の怪物だろ?
おっと、忘れちゃいけねぇや。俺だってエスター街の怪物だぜ。
あの毛むくじゃらのハンサムな化けモンなんてーんだい?
何?エスター街の怪物?おいおい、そりゃクレイジーなジョークだぜ。
「ってな訳だ。わかるかい?」
舌を時々もつれさせながら、凡そそんな内容のことを肉に語った。
「何なら俺が決めてやろうか?うぅ、む。・・・エスター街、エスティ。ちょいと安直すぎるってか?んじゃあ・・・」
―――ジョン・スミス。
暫しの黙考の後、肉は宣言した。
「ジョン・スミスぅ?・・・ジョンスミス・・・ジョン。あぁ。やけに人間臭せぇ名前だが、まぁいいんじゃねぇか?だが、なんでわざわざ?」
―――・・・これといった理由がある訳ではない。
強いて言えば、今まで耳にした人間の名前の中で、ジョン・スミスという名前が、最も自分にとって印象深かっただけだろう。
そう、ジョン・スミスとなった肉は言った。
「はぁん?まァいいか。よろしくなぁ。ジョン」
―――よろしく。
ウォルガルフはもう一度ジョン・スミスの前で杯を掲げ持つ。
とりあえず、ウォルガルフの眠たげ声に、ジョン・スミスは相槌を打つ。
ウォルガルフはジョン・スミスを胡散臭そうな目で一睨みした後、「まぁいいか」と呟いて酒の最後の一口を飲み乾した。
こうして、ウォルガルフはジョン・スミスの相棒になった。
ウォルガルフはつまみと、二杯目の酒を自分用に店主に注文した。
「おいおいガッフィ。飲みすぎるなよ。君は弱いんだから。」
「ウォルガルフだ鳥頭。いーからさっさと持って来い。」
もう一口、酒を口に含んでみる。
今度はすぐには飲み込まず、じっくりと口の中で味わってみた。
つんとした香りが鼻の奥に伝わり、不安定な感触で、粘膜が乾いてゆくようだった。
奇妙なものだ。
これが、人間達が普段飲んでいるものなのか。
「ウチの安酒の味が、そんなに気に入ったのかい?」
そんな様子を見た鳥頭のピッキーが、ジョン・スミスをからかうように言った。
ジョン・スミスとなった肉はふと恥ずかしくなり、慌てて酒を飲み込んだ。
ウォルガルフに言った言葉通り、確かに深い考えはなかった。
しかし後になって考えてみれば、ジョン・スミスは、改めて自分がジョン・スミスと名乗ることに気恥ずかしさを覚えていた。
メアリー・ブラウンのボーイフレンド。
あの素晴らしい男性と、惨めな自分が同じ名前を名乗るとは。
そこに至ってジョン・スミスの不揃いな顔は、やや複雑な感情を湛えた表情となっていたのだが、運ばれてきた燻製肉を噛み千切るのに夢中なウォルガルフはそれに気が付くことができない。
グラスをぐっと口に傾けて、ジョン・スミスは自分に言い聞かせる。
―――自分は、ジョン・スミスだ。
ジョン・スミスとは、即ち、どこにでもいるごく普通の、人間臭いジョン・スミスのことなのだ。
それは奇しくもメアリー・ブラウンのボーイフレンドの名前と同じだったが、それとは全く、関係が無いことなのだ。
ジョン・スミスはふと、酒に酔うということがどのような状態なのか体験したくなったが、残念ながらウォルガルフの奢りの一杯の酒だけでは酔うことはできそうにない。
情けないことに、ジョン・スミスは一文無しだったのだ。




