プロローグ
ここはどこかの世界の、ある地方の、まだ国境線の定まっていないとある地域。
この地域には、一年を通して雨が降ることは滅多にない。それ故、周囲一帯に草花はなく、熱した大地が砂の色ばかりの地平線をゆらゆらと歪ませる。
そんな厳しい土地ではあるが、多くの人々の記憶によれば、この地域には一つだけ人の住める町がある筈である。
しかし現在では、それは一つだけ町があったと訂正しなければならない。
その理由には様々な要因が考えられるのものの、その内の一つが、この町に一年中乾いた風が吹き荒れ、そこに住む人々の心を荒ませてしまっていたからだというのはまず間違いない。
それは、全てを言及し尽くすにはやや煩雑な要因が、偶発的にぴったりと噛み合った結果である。ある意味では自明の道理として、この町は死んでしまった。
この町にはもう人間はいない。
人々の諍いの煽りを受けて建物も道も車も瓦礫同然のがらくたになり、今となってはもうオアシスの植物や井戸でさえも枯れ果ててしまっていた。
「どーれにしよーおーかな♪」
そして最早人の姿のないこの寂れた町には、人の代わりに大量の人肉が転がっていた。
腕の肉、足の肉、腹の肉、それに内臓。
まるで子供が玩具箱をひっくり返したかのように、人間の肉が乱雑に散らかる。
その内に人としての形を成すものはなく、その全てが細切れにされ、猟奇的に分解し尽くされ、肉であった元の人間達に対する悍ましい恨みを感じさせる。
そんな肉の山が、町の果てまでを覆い尽くしている。
それは見ていて決して楽しい光景ではないのだが、しかしそれでも町をよく見てみれば、人肉の間にもそれぞれに個性があり、切れ方や大きさ、鮮度に至るまで一つ一つ異なっているということが分かる。
「てーんの、かみーさまーの、ゆ・う・と・お・り♪」
人間の肉の山と、血の海。あるものは焼け、あるものは千切れ、あるものは新鮮で、またあるものは腐っている。
そして地獄絵図のような荒野の町に不釣合いな少女が一人、揚々とスキップで駆けている。
ビーチサンダルを踏み鳴らし、高らかに歌いながら、吹きすさぶ風で水色のワンピースが翻る。
少女は汗ひとつ掻かず涼しげな表情で、時折そのサンダルが足元の肉を無造作に踏み潰す。
かつてここに住んでいた人々にとっては四六時中淀んで見えた空でも、彼女にとっては能天気に澄んだ青空と変わりないらしい。
「てっぽー撃ってーばんばんばん♪もう一度撃ってーばんばんばん♪」
やがて歌が終わるころ、彼女は何の変哲もないひとつの肉の前に止まる。
「ばーん!」
少女は、白く短い指で作った鉄砲で、その肉を撃った。
無論、肉に反応などない。
それは恐らく、人間の肉のどこかの部分だった。その小ささからどこの部分かは分かりようもないが、およそ、肉と呼ぶ以外に表現しようのない無特徴な形をしていた。
はたはたと吹く砂ほこりを被って、やや黄色く滲んだ肉。
そして少なくとも数分前までは、それは生きた人間の一部分であったのだろう。
太陽の乾いた熱気に晒されながらも、その赤く黄色い肉は、てらてらと湿り気を帯びた光を反射していた。
少女は、どこからともなく細長い筒を取り出す。
それはごく一般的な形をしたラベルの貼られていない透明のペットボトルであり、その中身は粘着的な黄金色の液体によって満たされていた。
少女は蓋を回し、にこやかに微笑みながらペットボトルを無造作にひっくり返して、中の液体を肉に降り振り掛ける。
赤く湿った肉が金色の液体に浸される。
溢れ出た液体は、ジュウジュウと音を立て蒸発しながら、太陽の光を浴び粘性を失ってゆき、肉の周りに小さな水溜りを作った。
少女がその様子をじっと見ていると、水溜りの中に溺れた肉がかすかにピクリと蠢いた。
「これでよしっと。・・・頑張ってね。ばいばーい」
少女はその言葉が肉に届いているかなど知る由もなかった。
それでも一応の礼儀として、肉に対して励ましの言葉を投げかけることにした。
そして少女は、また歌いながらどこへともなく駆けて行った。