犠牲の仔
「いらっしゃいませ」
本日もホストクラブ『SIREN』は大盛況。
先程まで、ゲイバーで大暴れして異常にテンションが高かった百鬼も、冷静さを取り戻すと、ある重大な事に気が付く。
‥‥‥完全に遅刻だ。
百鬼は店に入って日もまだ浅く、本当なら誰よりも早く来て、開店準備をしなくてはならないのだ。これはヤバい‥‥‥流石にここでトンズラすることも出来ず、奥の手を出す事にしたのだが。
「ちょっと〜、なんで私が駆り出されなきゃならないのよ?」
心底ツマラナさそうに、短い髪をイジる女性がいた。次男・海の彼女である《小山日菜子》だ。
まだ幼い息子の《蒼》と《紅》を、ゲイの巣窟から救い出したのまでは良かったが、刻々と時間は過ぎてゆき、大幅に遅刻してしまった百鬼が出した苦肉の策がコレ。
もう、これ以外に何も思い浮かべなかった。同伴出勤なら誰にも文句は言われまい!
相手が天敵なのが残念だが。
「まぁ、そう言わず。未来の姑さんの力になれると思ったらいいでしょ? お・ヨ・メ・さ・ん」
それもそうね。なんて、まんざらそうでもない未来の嫁候補は、納得した様子。
なんで、俺がコイツのご機嫌取りしなきゃならんのだ? という感情は、この際あっさり捨てて、お嬢様お手をどうぞ。とエスコートして歩く美男美女はとても絵になる。
「いらっしゃいませ、小山さま。今日も一段とお美しい」
ニコヤカな声で話すは、この店の支配人である鷹村さん。シブいナイスミドルで、はっきり言って百鬼のタイプである。
いつもはガミガミと、口やかましいのが玉にキズなのだが、事前に同伴出勤する旨を伝えておいたので、怒りはないみたいだ。
百鬼は早速、日菜子を席に座らせた。
「ねぇ、鉄郎さん。今日の店は何か様子が変じゃない? 活気がないというか‥‥‥」
そう言われれば、なんかスッキリとした店内だなぁ、例えばゴッソリと人が居なくなったとゆうか、突っ掛かってくる人間が居ないとゆうか‥‥‥なんて考えていると。
ちょっと‥‥‥と、手招きする人物がいた。店内1のチャラ男こと、店長の藤波である。
「店長、おはようございます。なんか今日はイヤに静かですね」
なんて言うと、彼は小声で「捜査が入ったから」と言った。
え、何言ってんの? なのに平然と店を開ける仕事逞しい店長に呆れていると、そのままロッカールームに案内された。
中に入ると、そこだけ異様な雰囲気に包まれていた。彼の話では、百鬼が思っていた人物が捕まったとのこと。その人物は‥‥‥
「どういうことなんだよ、アキトさん。なんでアンタが、こんな馬鹿な真似をしたんだよ! なぁ、なんとか言ってくれよ」
金切り声を出す後輩ホストに、アキトはただ俯くだけだった。
まさか、店の古株で人望ある男が、麻薬に手を出すなんて誰が思う? それなりに責任感というものもあるだろうし。
百鬼だって、そう思ったのだから。人畜無害なのだと‥‥‥だが、自分の目で確かめて人間は見目では分からないのだ。
「でも、なぜ店を閉めないんです?」
百鬼の問いに、店長の代わりに別の声が響く。
「鉄郎。俺が、事を荒立てるなと言ったんだ。どうせ用事はそこだけだからな」
そこには、顔色の優れない刑事の犬居の姿があった。まだ元・相棒の久保田にタックルされた腹が痛むのだろう、顔をしかめる。
「まだ、痛むのかよ?」
骨折れてっからな。と腹をさすった犬居は、どうやら勝手に病院を抜け出してきたようだ。じゃあ、大人しくベッドに寝ときゃいいのに。
ところで‥‥こんな所で何があったんだ? 素知らぬ振りで状況を探ろうとするが、どっかのアホゥが出しゃばるから、教えないの一点張り。
「どうせ、知ってたんだろ? 奴がヤクの売人だったって事を。それと久保田もな」
それどころか、思いっきり身内だけどな。サツのガサ入れ情報を、俺ら組織に流していたのは久保田だったから。今は、コチラも不便な状況だ。
今ここで、大掛かりな捕物があったら、逃げる術はどこにもない。
ま、俺も奴を陥れようとした、人間の1人だが。
「お前の事だから知ってると思うが、浅野は久保田から買い取っていたヤクを、又売りしていた。この店の従業員が客だったみたいだな」
犬居の言う浅野というのは、アキトの本名だ。
ここまでは、百鬼の思った通りである。やはり、久保田は〝魔女の鉤爪〟を探している! アキトが持っていた水色のクスリが、その証拠である。
もし、これで本物が見つかり量産でもされでもしたら、世の中が廃人だらけになってしまう!!
本物のレシピは、行方知れずになった時点で全て廃棄処分したが、今の技術を持ってすれば、解析なんてお手の物。
留美子が、死んでまで隠し通した物を、今更暴かれてなるものか!
「ところで、お前は宮田を覚えてるな」
その名前に、百鬼はソッポを向いた。なぜなら、その《宮田》とは、3男・千夏司の実父だからだ。
「そんな名前の奴なんて知らないね。昔のオトコの名前なら、忘れないんだけどな〜」
ここで、知らぬ存ぜぬを突き通せるものなら、突き通したい‥‥‥なぜなら、千夏司の父親は極道者で、ヤクザの抗争に巻き込まれて死んでいる。
何を今更、蒸し返そうっていうんだ?
犬居は、神妙な面持ちで語る。
‥‥‥本当は、こんな話を洩らす訳にはいかんのだが、コトは急いだ方が良い。
今、裏では血眼になって《宮田》の息子を捜している。宮田は〝組〟の重要機密を握っていた。
奴が亡くなった時にアイツらは回収しようとしたらしいが、見つからなかったらしい。
息子をお前に渡す時、何か聞かなかったか?
なんだって? 正司の奴、そんな事を何も言わなかったじゃないか! 自分のせいで子供を犠牲にするつもりかよ。
自分の弟分に怒りを憶える。だが、ここは平静を装わなければならない。
「隠すのか? 今、引き渡すならウチで保護するが、どうする?」
冗談じゃない! 引き渡した所で、安全だという保証がどこにある?
「何言ってんだよ? 宮田だが何だか知んないけど、これから店が忙しくなる時間なんだよ。帰ってくんない?」
百鬼は、それだけを言い残すと、とっとと自分の持ち場に戻った。
‥‥‥席に戻ると、百鬼の代わりにセナが日菜子の相手をしていた。
「セナ、悪かったな」
そういうと、セナはニコッとして席を離れた。日菜子は、そんな彼を横目に言った。
「ねぇ、鉄郎さん。あの子、ウチの周りをいつもウロついてるでしょ?」
え、なんでセナがウチをウロついてんだ? それよりも、お前はまだウチの嫁じゃないんだぜ? 聞きづてならねぇな。
いや、それよりも‥‥‥
「今、知り合いの刑事に聞いたんだが‥‥ウチの千夏司が狙われてるらしい」
なんで? なんでチカちゃんが誰に狙われるっていうのよ!
わかんねぇ、わかんねぇよ。正司が一体何をチカに残したのかも。
早く、早く千夏司を隠さないと‥‥‥でも、どこに?
ブーッ・ブブーッ。と、百鬼の胸ポケットに入れといた携帯電話のバイブレーションがブルった。
確認すると、それは古賀家に潜り込んでいる《栗栖要》からであった。今度、行く《古賀麗華》の誕生パーティのプレゼントの件だろう。
「そっか! この手があった!!」
え、なんの事? 不思議そうな目で、日菜子は百鬼を見た。