6月4日
統合失調症という病気がある。一般的にはなんの関係のないものに、関連を付けてしまったり、逆に、関連のあるものの共通項が全く分からなかったりするらしい。論理性に欠く考え方しかできなくなる病気、と考えて差し支えないだろう。
この病気、一体誰が診断できるのだろうか。
医者には勿論それなりのガイドブックがあるはずで、ケースに応じた対応がある程度マニュアル化されているに違いない。
しかし、これは考え方の違いだ、と処理してしまうこともまた容易い。
例えば、言語の通じない人同士で会話を試みた時に、言語が通じないからコミュニケーションはできないが、相手は何か理由や理屈に基づいて喋っているはずだ、思うだろう。
なぜなら、理解できないからだ。
この人にはこの人なりの理屈があるに違いないと思う以外に、どうしようもないからだ。
知らない人が、訳の分からないことをもっともらしく説明しだして、恰も筋道が通っているかのような雰囲気を醸していて、その上その人の言っていることが本当に、一分も理解できないから全く判断が付かない時、僕らはそれを否定できるだろうか。間違いだと言えるだろうか。
違う言語で話しかけられている状態と大差ないのに?
迂闊には言えまい。言える人は頭が悪いか、図々しいか、といったところか。
…段々自分の言っていることが分からなくなってきた。こういう不明瞭な文章は良くない。良くない良くない。良くなくなくなくなくもない。
調子が良すぎるか。反省反省。調子に乗ってもろくなことがない。失敗を増やすだけだ。反省反省。
日記にこんなことを書くのはどうかと思うのだけれど、しかし、誰かに見せる訳ではないし、家にしまってあるから家族がこっそりと見ない限り、まあ見る人はいないだろう。僕の親は見る訳がないからそこらへんは安心できる材料だろう。
時々、部屋に彼女が上がり込んで来るのが怖いが、何、大したことじゃない。
今日は気分が良い。だからどうだというのはあるが、何、日記だから関係ない。
今日起こったこと、基、今日したことをここに書くと、見つかった時に完全に証拠として上がるのだが、如何せん書きたい。
ハイになっているのだろう。犯罪者心理というのが分かる、というと可笑しいか。犯罪者だし。
そうだ、自分は犯罪者だ。
だからといって、何が変わる?
自分がこの自分であることに一切の迷いはないし、それが危険であることは、重々承知だ。
僕は学生だ。学生の間は成人後、いや18歳以降か。それまでは、罪が軽いのだ。
なのに何故、犯罪をしておかないのだろうか。理由が分からない。皆道徳的で、牧歌的過ぎる。
この中は、治外法権、領事裁判権を持っている。学校という組織はその中で社会の勉強をさせる、という崇高な目的があるから、実際の意味で社会の縮図。基本的には自治権を持っているのだ。
犯罪は少し事情が変わってくるが。
それでも、学生の万引きは学校に連絡が行くことも珍しくないし、学生の覗きぐらいなら説教で終わるではないか。
本当に、壊れている。
この制度が。
法律が。
こんな穴だらけで隙の多いシステムは何の役にも立ちはしない。
いや、あえて言うなら、そうだな。僕のような犯罪者には役に立つ。とっても都合の良いシステムだ。
他人の財布から金を抜くだけの簡単な作業。しかも捕まらない。まさに僕のような犯罪者にはうってつけじゃないか。
被害額はそろそろ馬鹿になっていないはずだけれど、やはり、学校というところは腰が重すぎる。全く、楽しい限りだ。
毎日、この為に学校に行っているようなものと言っても過言ではない。
彼女は何と言うだろうか。お節介が多く、愛が重い、僕の彼女である彼女は果たして何と言うだろうか。
もっと言うと、彼は何と言うのか、気になったりする。
不思議なもんだ。