5月31日
さて、この日記も二日目だ。なんだか沢山書いた気になってはいるが、いまいち進んでいない。それは当然だ。まだ二日目だもの。
あんまり馬鹿なことは言うものではない。自分がそのまま馬鹿になるような気がしてならないのだ。いや、確かに馬鹿ではあるが、それとは毛並みの違う馬鹿というか、こう…
あまり馬鹿馬鹿言うもんじゃない。本当に馬鹿になってしまう。僕は迷信はこれっぽっちも信じちゃいないが、これは迷信じゃない。正論だ。
馬鹿と言った方が馬鹿になる。
これは事実だ。
相手に、『馬鹿』という概念的なイメージを押し付けることによって、自分はその瞬間から相手の感情を読むことを辞めてしまう。相手が『馬鹿』だからだ。相手に対してそういったイメージで接する為、考えることをこちらが先に放棄してしまうのだ。そうして、自分はコミュニケーションが単調になり、相手が如何に正論を話そうが、正義を語ろうが、全く耳を貸さなくなり、相手が『馬鹿』だから、の一点張りになる。
これを『馬鹿』と呼ばずに何と呼ぶのだろうか。これでは確実に、自分が『馬鹿』になっている。
よって、馬鹿と言った方が馬鹿になる。証明終了。
人間は子供のときからそれを悟っているかと思うと、やはり賢い生き物だと思う。
忘れてしまう大人が多すぎるのも、考えものではあるのだが。
おっと。流石に脱線が過ぎたか。僕は日記を付けに来たのだ。決して哲学的な証明をしに来た訳ではない。
今日は特に普通だった。何もない。
良い一日だった。
代わり映えのない。
感動するぐらい、この社会はぬるい。学校というシステムは抜け穴が広すぎる。明るく、でも少し影のある生徒を演出していれば良いのだ。誰にでもできる簡単なお仕事。大人だって騙せる自信はある。
誰もが僕を甘いというだろう。
自分でも思う。
甘い上に杜撰だ。
杜撰ですらない。
雑。
それに尽きる。
だが、それにすら騙されるような、甘さを誇る学校。
ぬるい。
まあ何、ぬるくて損をする筈がない。こっちも甘くて良いんだから。時々、刃を研いで置けば良いのだ。
明日は何かありますように。
何もないのが一番良いのだけれども。何もなくて、平和に、自分の好きなように身が振れれば構わない。
明日も成功しますように。