王太子に「二度と戻るな」と魔法契約で追放されました。戻ってこいとのご命令ですが、契約書をご確認ください
「魔力量……初級魔術師の、三割にも届きません」
測定官の声が、王宮の広間に落ちた。
私の手の下で、測定用の水晶は申し訳程度に淡く光っている。
王都の魔術師たちがざわめき、文官たちが顔を見合わせた。
その中で、王太子ユリウス殿下の表情だけが変わる。
「三割未満?」
低い声。
私は水晶から手を離し、一歩下がった。
「はい」
「お前が、冒険者ギルドから推薦された高ランク冒険者の魔法使いだと?」
「リディア・フォルンと申します。正式な召喚状に従い、参りました」
本当は来たくなかった。
山に入り、遺跡に潜り、魔物の術式をほどいて報酬を受け取る。
その方が、よほど性に合っている。
王宮勤めなど、朝は儀礼、昼は会議、夜は派閥の挨拶。
想像するだけで胃が重い。
けれど、王命である。
冒険者ギルドの長と、老魔術師オルガン様の推薦により、私は宮廷魔術師候補として王宮に呼び出された。
断ることはできない。
だから来た。
それだけだった。
「ふざけるな!」
ユリウス殿下の怒声が、王宮の広間に響いた。
「初級魔術師にも満たぬ魔力量で、高ランク冒険者だと? 宮廷魔術師候補だと? 王家を愚弄するにもほどがある!」
周囲の空気が凍った。
老魔術師オルガン様が、慌てて前に出る。
「殿下、お待ちください。リディア殿の能力は、保有魔力量では――」
「黙れ!」
ユリウス殿下は、老魔術師の言葉を途中で切り捨てた。
「私は測定結果を聞いたのだ! 言い訳を聞くために、この場を設けたのではない!」
「しかし、報告書には術式干渉と魔法分解の実績が――」
「紙の上の実績など知るか!」
殿下の声が、王宮の広間に響いた。
「水晶が初級未満と示した。それ以上に何を見る必要がある!」
殿下は私を睨みつけた。
「リディア・フォルン。お前は王宮を欺き、宮廷魔術師の地位を詐取しようとした」
「私は、召喚状に従って参上しただけです」
「口答えをするか、この詐欺師が」
詐欺師。
その言葉が、思ったよりも冷たく胸に残った。
宮廷魔術師になりたいわけではなかった。
王宮に憧れていたわけでもない。
それでも、遺跡の奥で命を拾い、魔物の術式をほどき、何度も依頼人を守ってきた。
その積み重ねを、水晶の淡い光ひとつでなかったことにされた気がした。
平気なわけではない。
けれど、ここで怒鳴り返したところで、何も変わらないことも分かっていた。
ユリウス殿下は、怒りを隠そうともしない。
「王家を欺いた分際で、随分と強気ではないか。よかろう。高ランク冒険者だというなら証を見せろ。この場で上級魔術を放て。今すぐだ」
私は黙った。
上級魔術など、放てない。
私の魔力量では、大きな火球も雷も作れない。
けれど、相手の魔法の流れを見て、止めることならできる。
それを説明したところで、殿下は聞かないだろう。
ここで実力を見せれば、面倒なことになる。
王宮に取り込まれ、派閥に巻き込まれ、王太子の名誉のために働かされる。
そういう未来が見えていた。
だから私は、ただ頭を下げた。
「殿下のご判断に従います」
ユリウス殿下の口元が歪む。
「よろしい。できぬということだな」
声だけは、急に冷たくなった。
「ならば裁定を下す」
「お待ちください」
オルガン様が、低く声を上げた。
「彼女の力は、魔力量だけで測れるものではございませぬ。せめて実技を。せめて、術式干渉の確認を行ってください」
「必要ない。王家を欺く者には見せしめがいる」
「殿下、それは――」
「退け」
ユリウス殿下の声は冷たかった。
「この場の責任者は私だ」
オルガン様は唇を噛んだ。
だが、護衛がすでにその前に立っている。
ユリウス殿下は、私を見下ろして告げた。
「リディア・フォルンを、国外永久追放とする」
周囲から息を呑む音がした。
「殿下!」
オルガン様の声が、広間に響いた。
「それはあまりに重すぎます! 事実確認もなく、実技も行わず、国外永久追放など――」
「黙れ」
「せめて陛下のご裁可を仰ぐべきです! この場の一存で決めてよい処分ではございませぬ!」
ユリウス殿下の眉が跳ね上がる。
「私の裁定に異を唱えるか」
「異を唱えているのではございませぬ。止めているのです」
オルガン様が、さらに前へ出ようとした。
「今ここで止めねば、必ず大事になります!」
その瞬間、護衛の騎士がオルガン様の行く手を遮った。
「オルガン様、お控えください」
「どけ!」
老魔術師の声が震えた。
「分からぬのか。これは、見せしめで済む話ではない!」
だが、護衛は動かない。
ユリウス殿下は、冷たい目でオルガン様を見た。
「老いたな、オルガン。初級魔術師にも満たぬ女一人に、そこまで取り乱すとは」
「殿下……!」
私は顔を上げた。
国外永久追放。
つまり、この国の領土から出される。
王命で呼ばれた私が、王命で追放される。
それは、こちらから命令に背いたことにはならない。
家族はもういない。
この国は、私にとって帰る場所というより、仕事の登録先に近かった。
未練と呼べるものも、特にない。
胸の奥で、小さく息を吐いた。
――助かった。
だがユリウス殿下は、そこで止まらなかった。
「契約官を呼べ。何があろうと、この国の土を踏めぬよう、魔法契約で縛れ」
オルガン様の顔色が変わった。
「殿下、それだけはなりませぬ!」
「まだ逆らうか」
「国外追放だけでも重大な処分です。そこへ魔法契約まで刻めば、本当に取り返しがつかなくなります!」
「戻す必要などない」
「今はそうお考えでも、後に必ず――」
「黙れ!」
ユリウス殿下の怒声が、オルガン様の言葉を叩き落とした。
「詐欺師を二度と王宮に近づけぬためだ。これ以上、口を挟むな」
文官の一人が、震える声で言う。
「殿下。永久追放に魔法契約を付すのは、過剰ではございませんか。後日、事実確認を行い――」
「過剰ではない」
ユリウス殿下は吐き捨てるように言った。
「二度と戻すなと言っている」
契約官が進み出る。
銀の契約書が広げられ、魔法陣が浮かび上がった。
魔法契約。
王族の命令として刻まれたそれは、ただの処分では済まない。
契約に反する王国側の命令を、無効にしてしまう。
ユリウス殿下は、私を睨んだ。
「リディア・フォルンは、以後、我がアルヴァーン王国の領土に立ち入ることを禁ずる」
契約官の筆が、銀の紙面を走る。
「王族、貴族、軍、宮廷、いかなる機関も、この者に帰還、召喚、登用を命じることを禁ずる」
契約官の手が、一瞬だけ止まった。
「殿下」
「何だ」
「この文面ですと、王国側からの帰還命令も成立しなくなります」
「当然だ」
ユリウス殿下は鼻で笑った。
「国外永久追放だ。詐欺師を呼び戻す日など来るものか」
「……王国側からの解除も困難になりますが」
「くどいぞ。二度と戻すなと言っている」
契約官は、青ざめた顔で筆を下ろした。
「承知いたしました」
私は何も言わなかった。
命乞いもしない。
確認もしない。
契約書に私の名が刻まれる。
ユリウス殿下の名も続いて刻まれた。
銀色の鎖のような光が、私の胸元をかすめて消える。
契約成立。
私は王国から追放された。
◇
その日の夕刻、私は王都を出た。
荷物は少ない。
杖一本、旅装一式、冒険者証、保存食。
城門へ向かう前、鞄の奥から一通の封書を取り出した。
王宮へ向かう前、冒険者ギルド長が私に渡していたものだ。
「今回の召喚状は妙に性急だ。推薦理由も、こちらが送った報告書も、ろくに読まれていない気配がある。王宮で話がこじれたら、これを開け」
そう言っていた。
封を切ると、中には少しの路銀と、隣国フェルゼン支部宛ての紹介状が入っていた。
添えられた短い手紙には、こう書かれている。
――お前はお前の腕で食っていけ。フェルゼン支部には、事情を話せば分かる者がいる。
私は手紙を畳み、革袋を鞄にしまった。
「……ありがたいですね」
王宮から与えられたものは何もない。
そもそも、欲しくもなかった。
城門を抜ける時、門の結界がわずかに歪んでいることに気づく。
通行人の魔力が引っかかり、軽い頭痛を起こす程度の乱れだ。
私は指先で空を撫でた。
針先ほどの魔力を、結界の継ぎ目に差し込む。
絡まっていた糸がほどけるように、門の空気が澄んだ。
門番が目を瞬かせる。
「今、何かされましたか?」
「通行の邪魔になる魔力詰まりを抜いただけです」
「魔力詰まり?」
「すぐ戻るかもしれません。結界担当の方に見てもらってください」
そう言って、私は王国を後にする。
背後で、城門が重く閉まる。
胸元をかすめていた契約の鎖が、そこで一度だけ冷たく震えた。
◇
隣国フェルゼンまでは、徒歩で三日。
私は街道を進み、途中の宿場で野宿を挟んだ。
二日目の夕方、国境近くの森で悲鳴を聞く。
商隊が襲われていた。
相手は盗賊ではない。魔物でもない。
黒い外套をまとった魔術師が三人、巨大な火槍を空中に浮かべている。
商隊の護衛たちは、結界を張って耐えていた。
だが火槍は大きすぎる。あれが落ちれば、馬車ごと焼ける。
さらに厄介なのは、足元に広がる黒い魔法陣だった。
護衛魔術師たちが結界を張るたび、その魔法陣が結界の外縁を噛み、魔力の流れを乱している。
守りを固めようとするほど、結界の内側に歪みが増えていく。
商隊の奥には、灰色の外套をまとった女性がいた。
彼女は片膝をつき、砕けかけた結界石に手を当てている。
「結界を維持して! 火槍を落とさせてはいけません!」
鋭い声が飛ぶ。
ただの商人ではない。
腰に下げた徽章には、フェルゼン魔術院の紋章が刻まれていた。
私は杖を抜いた。
その瞬間、護衛の一人がこちらに剣先を向けた。
「止まれ! 敵か!」
「違います。手を貸します」
「なら下がれ! 不用意に魔力を流せば結界ごと食われる! あれは上級火炎術式だ。足元の妨害陣でこちらの結界が乱されている!」
「分かっています」
私は火槍を見上げた。
派手な魔法だった。
魔力量だけなら、王宮の測定水晶が喜びそうな出力だ。
けれど、無駄が多い。
火の形を保つために、余計な魔力を外側へ流しすぎている。
術式の芯がむき出しだった。
私は小さく息を吸い、杖先で一点を突く。
火槍は落ちなかった。
燃え盛っていた炎が、支えを失った布のようにばらける。
赤い光は空中でほどけ、熱だけを残して消えた。
術式の芯にあった、たった一つの結び目を外しただけだ。
黒外套の魔術師たちが、信じられないものを見るように目を見開いた。
「術式が……消えた?」
一人が慌てて杖を構え直す。
二本目の火槍を作ろうと、足元に魔法陣を展開した。
けれど、もう遅い。
私は足元の小石を蹴った。
小石に、ほんのわずかな魔力を乗せる。
それは魔術師の足元に転がり、黒い魔法陣の線を一か所だけ乱した。
次の瞬間、妨害陣が逆流する。
結界を噛んでいた黒い線がほどけ、三人の魔術師は自分たちの魔力に弾かれて尻もちをついた。
護衛たちが一斉に取り押さえる。
商隊の奥で、灰色の外套の女性が大きく息を吐いた。
砕けかけた結界石から手を離し、こちらへ歩いてくる。
「助かりました。私はフェルゼン魔術院調査隊長、マリアン・グレイスと申します」
私は一礼する。
「リディア・フォルンです。元アルヴァーン王国の冒険者です」
「元?」
「二日前、国外永久追放になりました」
マリアン隊長は一瞬だけ目を丸くした。
しかし、それ以上は踏み込まない。
彼女は倒れた黒外套たちを見てから、私に視線を戻す。
「彼らは、対魔術師用の妨害陣を使っていました。こちらの結界を乱され、守りに回るしかなかったところです」
「そう見えました」
「ですが、あなたはその妨害陣ごと、火槍の術式を切った」
マリアン隊長の目が、静かに細くなる。
「失礼ですが、今の術式分解に使った魔力量は?」
「蝋燭一本分ほどです」
護衛魔術師たちがざわつく。
一人が信じられないという顔をした。
「ありえない。あの火槍は、上級魔術師三人がかりで維持していた術式だった」
「出力は大きかったです。ただ、継ぎ目が甘かったので」
「継ぎ目が見えたのですか」
「はい」
マリアン隊長は、しばらく黙って私を見ていた。
「リディア殿。フェルゼンの魔術院に来ていただけませんか」
「事情聴取ですか」
「いいえ。保護と、能力の確認です。もちろん、あなたが望まなければ無理に引き留めることはありません」
私は少し考えた。
王国へは戻れない。
冒険者として再登録するにも、隣国の信用がいる。
なら、悪くない。
「拘束されないのであれば」
「約束します」
フェルゼン魔術院で受けた測定は、アルヴァーン王宮のものとは違っていた。
魔力量ではなく、制御精度、術式解析速度、干渉成功率、魔力損耗率。
水晶板に数字が並ぶたび、測定室の空気が変わっていく。
魔術院長は、最初こそ穏やかに眺めていた。
だが最後の数値が出るころには、無言になっていた。
マリアン隊長が小さく咳払いする。
「院長?」
「……保有魔力量は確かに少ない」
「はい」
「だが、制御精度が測定上限を超えている。術式解析速度も異常値だ。干渉成功率は、ほぼ百に近い」
魔術院長は私を見た。
「あなたは確かに低魔力です。ですが、少ない魔力で結果を出す技術が、桁外れに高い」
私は肩の力を抜いた。
初めて、まともに評価された気がした。
その翌日、私はフェルゼン第二王子エリオット殿下に呼ばれた。
魔術院から上がった報告が、すぐ王族の耳に届いたらしい。
エリオット殿下は若いが、こちらを値踏みするような目では見なかった。
「リディア・フォルン殿。フェルゼン魔術院の顧問として、しばらく働いてみる気はありませんか」
「宮廷魔術師ではないのですね」
「違います。あなたに儀礼の列席を強いるつもりはありません。必要なのは現場での判断と、術式干渉の知識です」
「冒険者としての活動は?」
「続けてかまいません。むしろ、現場を知る魔術師でいてほしい」
私は少しだけ笑った。
「それなら、お受けします」
フェルゼンでは、私は魔術顧問兼冒険者として働くことになった。
魔法罠の解除。
古代遺跡の結界解読。
暴走しかけた魔導炉の鎮静。
大火力は撃たない。
けれど、撃たれる前に止める。
壊れる前に外す。
暴れる前に流れを変える。
そういう仕事は、いくらでもあった。
王宮の儀礼も、派閥の食事会もない。
依頼を受け、現場へ行き、仕事をして、報酬を受け取る。
私には、その方が合っていた。
◇
一方、アルヴァーン王国では、別の問題が起きていた。
国境砦。
古代戦争時代の魔法罠が、地下倉庫の壁面から見つかった。
その砦は、王太子ユリウスが軍事指揮権を得てから初めて視察する重要拠点。
黒い線が石壁を這い、時折、赤い光を放っている。
砦の兵士たちは遠巻きにしていた。
現場に立っていたのは、ユリウスと、王宮魔術師たち。
そして、老魔術師オルガンだった。
「殿下、魔力を入れてはいけません」
オルガンが言った。
「これは吸魔式の罠です。外から魔力を与えれば、術式が膨れ上がります」
ユリウスは不機嫌そうに眉を寄せて、
「また臆病なことを。古い罠など、火力で焼き払えば済む」
「焼くのではなく、継ぎ目をほどく必要があります」
「またそれか。先日から同じことばかり言う」
ユリウスは王宮魔術師たちに手を振り、
「上級火炎術式を放て。壁ごと焼き切れ」
魔術師たちは顔を見合わせた。
「しかし、オルガン様が――」
「この場の指揮官は私だ」
その一言で、彼らは従うしかなかった。
三人の魔術師が杖を掲げる。
赤い魔法陣が展開され、火炎術式が壁面へ放たれた。
炎が黒い線を舐める。
一瞬、罠の光が弱まったように見えた。
ユリウスが笑う。
「見ろ。大したことは――」
次の瞬間。
黒い線が、炎を飲み込んだ。
壁面を這っていた術式が、まるで生き物のように広がる。
赤い光が砦の床へ走り、天井へ伸び、兵士たちの足元で弾けた。
「結界を張れ!」
誰かが叫ぶ。
遅かった。
砦全体に重い衝撃が走る。
魔導兵器の保管棚が爆ぜ、結界石が割れ、兵士たちが吹き飛ばされた。
数人が動けないまま倒れ、軍医が駆け寄る。
国境砦の主結界は沈黙し、壁面の防衛術式も半分以上が焼き切れていた。
死者こそ出なかった。
だが、国境砦はその日から機能を失った。
ユリウスは護衛に庇われて倒れ込む。
「な、何が起きた!」
オルガンは唇を噛んだ。
「申し上げたはずです。魔力を与えてはいけないと」
「ならば、どうすればよかったのだ!」
「継ぎ目を外すのです」
「誰ができる!」
オルガンは、疲れた声で答えた。
「先日、殿下が永久追放なさったリディア・フォルン殿です」
砦に、嫌な沈黙が落ちる。
ユリウスの顔が引きつった。
「ふざけるな。あの女は初級魔術師にも満たぬ魔力量だった」
「はい。ですから、吸魔式の罠には最適でした」
「どういう意味だ」
「魔力をほとんど流さず、術式の結び目だけを外せる。彼女は大魔法を撃つ魔術師ではありません」
オルガンは、砦の壁に広がった黒い罠を見た。
「大魔法を殺す魔術師です」
◇
そのころには、私の名前はフェルゼン魔術院の記録に載っていた。
国境近くで襲撃された調査隊を救った低魔力の魔法使い。
アルヴァーン王国を国外永久追放された元高ランク冒険者。
そうした情報は、魔術院から王宮へ上がり、国境を越えた照会にも引っかかるようになった。
数日後、アルヴァーン王国から、フェルゼン王国へ正式な通信要請が届いた。
名目は、国境砦の魔法罠に関する技術協議。
だが、フェルゼン側の担当者として、私の同席を求める一文が添えられていた。
さらに、要請書の末尾には、こう記されている。
――本件は、アルヴァーン国王および宰相の立ち会いのもと、王太子ユリウス殿下の裁定内容を確認する場とする。
その一文を見て、エリオット殿下は短く息を吐いた。
「これは、あなたを無理に戻すための通信ではありませんね」
「では、何のためですか」
「おそらく、王太子殿下の失態を正式に確定させるためです。隣国であるフェルゼンを立会人にして、契約内容と経緯を確認するつもりなのでしょう」
「私が同席する必要は?」
「当事者だからです。あなたが何を命じられ、何を禁じられたのか。それを本人の前で確認する必要がある」
私は要請書に視線を落とした。
呼び戻せないことは、向こうも分かっている。
それでも通信を求めてきた。
つまりこれは、私を説得する場ではない。
ユリウス殿下が何をしたのかを、王国自身が認めるための場だった。
通信室へ向かうと、マリアン隊長が待っていた。
「無理に応じる必要はありません」
エリオット殿下が言った。
「先方はあなたに接触したいようですが、契約の件がある以上、あちらから帰国や登用を促すことはできません」
「分かっています」
「それでも、同席しますか」
「はい。どうせ、契約書を確認すれば済む話ですので」
通信水晶に光が入る。
向こうに映ったのは、王太子ユリウス殿下。
その後ろには、国王、宰相、老魔術師オルガン様、契約官の姿もある。
ただ、空気がおかしかった。
ユリウス殿下だけが苛立っている。
国王と宰相は険しい顔で、契約官は青ざめていた。
通信がつながる前に、何か確認が行われたのだろう。
そして、その結果がよくなかったことだけは、こちらにも分かった。
ユリウス殿下は、以前より少しやつれていた。
だが、尊大な態度は残っている。
「リディア・フォルン。貴様を呼び戻す」
私は首を傾げた。
「不可能です」
ユリウス殿下は、苛立ったように契約官を振り返る。
「王太子である私が命じている。なぜ不可能なのだ」
契約官が震える声で答える。
「その命令は、契約上、王国の命令として成立いたしません」
「何だと?」
「契約書には、王族、貴族、軍、宮廷、いかなる機関も、リディア・フォルン殿に帰還、召喚、登用を命じることを禁ずる、と記されております」
ユリウス殿下の顔がこわばった。
「ならば、契約を解除しろ」
「できません」
「なぜだ!」
「この契約は、王国側からは解除できない契約でございます」
「では、いつ解除される!」
「契約が定めた期限が満了した時でございます」
「期限はいつだ!」
「国外永久追放でございますので、期限はございません」
通信室に、低い沈黙が落ちた。
ユリウス殿下の喉が、かすかに動く。
「……私が、そう命じたのか」
「はい。契約書に、殿下の署名と魔力印がございます」
一瞬だけ、ユリウス殿下の目が泳いだ。
自分のしたことを、ようやく理解しかけたように見えた。
けれど、それはすぐに怒りに塗り潰される。
「私は知らなかった! あの女が本当に有能なら、なぜあの場で言わなかった!」
「実技試験を、と進言しました」
オルガン様が低く言う。
ユリウス殿下が振り返った。
「黙れ!」
「その時も、殿下はそうおっしゃいました」
通信室に重い空気が流れる。
ユリウス殿下は、なおも言い募った。
「魔力量は初級未満だったのだぞ! 詐欺と疑うのは当然だ!」
「報告書には、低魔力高制御型であると記載されておりました」
宰相が淡々と言う。
「殿下はお読みになっていません」
「測定水晶が初級未満と示したのだ! 王宮の水晶が!」
「その水晶は、保有魔力量しか測れません」
契約官が小さく告げる。
「制御精度や術式干渉能力は、測定項目に含まれておりません」
ユリウス殿下は、怒りで肩を震わせた。
「そもそも、こいつが低魔力でありながら高ランク冒険者などという紛らわしい存在でなければ――」
「殿下」
私は静かに遮った。
「それは私の罪ではなく、殿下がそう判断なさった理由でございます」
通信室に、再び沈黙が落ちた。
ユリウス殿下の口が止まる。
私は続けた。
「私は召喚状に従い、王宮へ参りました。殿下は測定値をご覧になり、私を詐欺師と断じました。報告書を読まず、オルガン様の説明を遮り、実技試験も行わず、魔法契約付きの国外永久追放をお命じになりました」
「それは……」
「私は帰国を拒んでいるのではありません」
そこで一度、言葉を切る。
「戻れないように、と命じたのは殿下でございます」
ユリウス殿下の顔から血の気が引いた。
私はさらに言う。
「帰還、召喚、登用の命令は無効。契約期限は永久。王国側からの解除も不可。すべて、殿下の裁定です」
ユリウス殿下は、それでもなお叫んだ。
「ならば命令ではない! 依頼だ! 国境砦を直せばよいだけだろう!」
「同じことです」
私は答えた。
「王国が私を呼び戻すための言葉なら、どのような形でも成立しません」
「そんな馬鹿な……」
「魔法契約なので」
ユリウス殿下の指先が震えた。
「ならば頼む! 何か方法を探せ! いや……探してくれ。王国には、お前の力が必要なのだ!」
私は少しだけ黙った。
王宮の広間。
冷たい水晶。
初級未満と告げられた数値。
詐欺師と呼ばれた声。
そして、契約書に刻まれた言葉。
あれらは、もう過去だ。
今の私は、フェルゼンで仕事を得ている。
必要とされている。
冒険者としても、魔術師としても。
だから、静かに頭を下げた。
「お力になれず、残念です。殿下のご命令ですので」
ユリウス殿下は、何かを言おうとしていた。
しかし、国王がそれを遮る。
「もうよい」
その声は静かだった。
「ユリウス」
ユリウス殿下は振り返る。
「父上、私は王家を欺く者を――」
「報告書を読まなかった」
国王の声は低かった。
「専門家を黙らせた」
ユリウス殿下の唇が震える。
「そして、自分で読まなかった契約書に、王国の首を縛らせた」
それだけで、通信室の空気は凍った。
国王は宰相に視線を向ける。
「先ほど確認した方針で進めよ」
宰相が一礼した。
「承知いたしました」
「王族会議が終わるまで、ユリウスの軍事指揮権と外交交渉権を停止する。王太子としての公務も控えさせよ」
ユリウス殿下が目を見開いた。
「父上!」
「王太子府の魔術予算は凍結。国境砦の損害は、王太子府の管理責任として調査する」
「そんな……!」
国王は続けた。
「本日をもって、ユリウスの王太子位を停止する」
その一言で、ユリウス殿下の顔から血の気が引いた。
「父上、私は……」
伸ばしかけた手が、通信水晶の前で止まる。
国王の視線が冷たすぎて、それ以上の言葉は続かなかった。
王太子位の停止。
正式な廃太子ではない。
だが、王族会議で廃太子が議題に上がるという意味だった。
国王は、ユリウス殿下を一瞥しただけだった。
それから、通信水晶越しにこちらへ向き直り、
「フェルゼン王国には、我が国の不始末によりご迷惑をおかけした。正式な謝意と、国境砦に関する協議の申し入れは、改めて書面にて送る」
エリオット殿下が静かにうなずいた。
「承知しました。正式な文書をお待ちします」
国王は、最後に私を見る。
「リディア・フォルン。此度の件、王として謝罪する」
私は一礼した。
「お言葉、確かに承りました」
国王は短くうなずき、通信官に合図すると、通信水晶の光が、静かに薄れていった。
◇
水晶の光が消えたあと、私はしばらくその場に立っていた。
数日後、フェルゼン魔術院に一通の書簡が届く。
差出人は、老魔術師オルガン様だった。
そこには、推薦しておきながら守り切れなかったことへの謝罪と、王宮で私の能力を正しく説明しきれなかった悔いが、短く記されていた。
最後に、こうある。
――リディア殿。貴殿の才を正しく扱える場所で、どうか健やかに働かれよ。老いぼれの推薦が、せめて少しでも貴殿の未来につながったなら幸いである。
私は書簡を閉じた。
オルガン様を恨む気などない。
あの場で止めようとしてくれたのは、あの人だけだったからだ。
エリオット殿下が、横からこちらを見る。
「戻りたいとは思いませんか」
「はい」
「故郷でしょう」
「故郷ではあります」
私は窓の外を見る。
フェルゼンの魔術院の庭では、若い魔術師たちが術式制御の訓練をしていた。
大きな火球を作るのではなく、小さな光を揺らさず保つ訓練。
魔力量ではなく、扱い方を見る国。
少なくとも、今の私にはこちらの方が息がしやすい。
「ですが、戻れないようにしたのは私ではありません」
そこで私は、ふと笑った。
「それに、宮廷魔術師になるのは、やはり向いていませんので」
エリオット殿下も小さく笑う。
「では、フェルゼンの魔術顧問として、次の依頼をお願いしても?」
「内容によります」
「古代遺跡の封印解除です。魔力量自慢の者たちが三日かけても開けられなかったそうです」
私は杖を取った。
「では、一度見てみましょう」
窓の外では、若い魔術師たちが小さな光を揺らさず保つ訓練を続けている。
大きな火球ではなく、消えない光を。
私はその横を通り、次の現場へ向かった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
面白いと思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




