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孤独な戦士

  第1話 孤独な戦士


 男女10人の一団が、森や丘が続く少し起伏のある街道を北へ進んでいた。昼下がりの明るい時間で、日向は爽やかで暖かい空気に包まれている。反対に、森の中はひんやりとした空気が支配し、土は湿っていた。

 彼らはいわゆる傭兵である。ただし、彼らの半分はおそらく初めて組んだ仲間である。男は7人、女は3人。男は全員武器を持ち、女の1人は魔道士らしく、杖を持っている。彼らは二輪の荷馬車を引き連れているが、その荷台には道中で倒した魔物や得た素材を載せていた。

 傭兵の中に、変わった姿の剣士がいた。歳は20代半ばの男。ロイと名乗っている。平民で、紺色のマントを身に纏っているが、指の露出した革製の手甲以外に防具らしい防具を身につけていない代わりに、なぜか、肩幅ほどもある大きなツバの付いた黒い帽子を常に被っていた。また、武器も変わっていて、海の船乗りが使うような、刃の反った剣を使っていた。カットラスという、主に船乗りが使う剣である。かといって、彼は元船乗りではない。どうやら、昔使っていた武器に似ているから、ということらしい。

変わっていると言えば、常に彼のそばにいる少女も不思議な存在で、見た目は16歳程度の普通の村娘で、杖の類いは持っていないが魔道士だという。ウォリディというのが彼女の名だ。長い銀髪が特徴的で、いつも白い肩掛け鞄を持っていた。

 この2人は、一団の前を守っていた。なお、一団の真ん中付近には回復術士が馬車の御者を務め、魔道士は荷台に座り、後ろを見張っていた。この2人はどちらも若い女だ。馬車の2人は接近戦には向かないので、彼女たちを守るように剣士や槍使いが前後左右に配置されている。

森の中に入ってしばらくして、ロイは足を止めた。同時に、右手を横に大きく伸ばし、掌を後ろの人間に向けた。止まれの合図だ。

「大きな蜘蛛の巣だ」

 ロイは言い、地面の砂を拾って、前方に撒いた。風に乗った細かい砂の一部は、彼の前で空中に留まった。それは淡く光り、それで、蜘蛛の巣の一部がはっきり分かるようになった。蜘蛛の巣は半透明の糸で出来ていて、直径5メートル以上はある。巣の主は巣の上にはいない。おそらく木に隠れているのだろう。この規模の巣は、街道を通る人や動物を捕らえるために張られているようだ。巣から想定される蜘蛛は、自然の生き物ではなく、その理から外れた魔物に違いなかった。

 傭兵たちは自分の仕事を理解して、周囲を上下左右見渡した。槍使いのローグがロイの左に立ち、槍を前に構えた。馬車の右側に立つ射手は、矢を放つ態勢で上の方を警戒し、他の剣士達は、他の脅威に備えて辺りを警戒する。魔道士は全員に筋力強化と防護強化の魔法を掛け、回復術士は神への祈りを捧げ、全員の恐怖心を和らげた。ウォリディは、自分の鞄から、上半身を覆うほどの大きさの盾を取り出した。鞄の口の付近で、まるで空間が歪んでいるように見えた。どうやって収納していたのか分からないほどの大きさの、木製の盾だ。

 ローグは槍の先端で巣を揺すった。巣の右上から、体長が人の倍くらいある蜘蛛が音もなく現れた。足の長い、黄金蜘蛛を大きくしたような蜘蛛だ。動きは素早いが、人間の目で捉えられる。蜘蛛も目が良いらしく、振動の元に獲物らしき姿がないため、途中で動きを止めた。

 ロイはすかさず剣を左の逆手で抜き、振り上げた。その動きは、他の剣士とは明らかに違う剣捌きで、尚且つ早かった。周りには、いつの間にか剣が出現したようにも見えただろう。ロイのカットラスは、刃の長さが70センチより少し長いくらい。他の剣士が持つ剣に比べてやや短いが、代わりに握り手が両手で持てるほど長く、振り上げた剣は少し高いところに止まっていた蜘蛛の左前2本の脚を切断していた。切断面からは赤黒い液体が滴り、巣の糸を辿って落ちた。蜘蛛は異変に気付いて、巣の上の方に移動する。ロイは逆手で抜いた剣を持ち直したが、もう剣は届かない。彼は一歩踏み込んだが、それ以上踏み込めば、今度は彼が巣に捕まってしまうので足を止めた。代わりに、ローグの槍が蜘蛛の頭胸部に刺さった。

「捕らえたぞ!」

 ローグはさらに槍を押し、振り回すようにして蜘蛛を巣から引き離し、地面に叩き落とした。落ちた蜘蛛に、ロイは剣を振るって止めを刺した。

「あっちにもいる!」

 馬車の左を守っていた剣士が叫んだ。木々の中に、同じように巨大な蜘蛛の巣があった。今度は巣の主が中央部に陣取っていた。距離があったので、まずは射手が矢を何本も放った。2本が蜘蛛の頭胸部に当たった。蜘蛛は巣から落ち、駆け寄った剣士により止めを刺された。

「こっちにもいる……きゃぁ」

 叫び声がロイの背後で聞こえた。彼が振り返ると、小柄な、それでも人の半分ほどの大きさがある蜘蛛がウォリディに襲いかかっていた。彼女は盾で蜘蛛の襲撃を受け止めていた。盾がなければ、蜘蛛の牙が届いていたところだ。蜘蛛は彼女を地面に押しつけようとしていた。

「ウォリディ!」

 ロイは血相を変え、剣を左から右へ水平に走らせた。急いで彼女を守らねばと焦りは見えたが、剣捌きは正確だった。剣先は蜘蛛の胴体を掠ったが、負わせた傷は浅かった。蜘蛛は後ろに飛び退き、腹部から糸をウォリディに飛ばした。

「ウォーターブリット」

 ウォリディは盾で糸を受け止め、左手を蜘蛛に向け、水の弾の魔法を放った。焦って放った水の弾は、蜘蛛に当たらなかった。逆に蜘蛛の糸は盾に当たり、くっついた。蜘蛛は糸を真ん中の脚でたぐり寄せた。糸は頑丈で力強く、ウォリディは盾を手放してしまった。蜘蛛は再びウォリディに襲いかかろうとする。だが、ロイが蜘蛛の横から剣を振り、その前足を何本も切り落とした。

 蜘蛛は、今度はロイを襲う姿勢を見せた。ロイは構わず剣を振った。端から見れば狂ったような剣の振り回し方だ。まともな防具を持たない人間にはあり得ない戦い方だが、蜘蛛はついに動くための脚を失った。その間にローグも加勢し、蜘蛛は動かなくなった。

 ウォリディは立ち上がり、ロイのそばに立った。

「ありがとう。ロイ」

「ああ」

 ウォリディはロイに礼を言い、彼は短く返事した。まだ戦闘態勢で声は低かったが、表情には安堵の色が浮かんでいた。ウォリディは、蜘蛛に奪い取られた盾を拾い上げ、くっ付いている糸を落ちていた木の枝に絡めて外した。

「古い盾だけど、助かったわ。ね? 良い買い物だったでしょう?」

 彼女は言う。盾は、古道具屋で彼女が見つけたものだ。ロイは頭を下げ、申し訳なさそうに、

「危険な目に合わせてすまなかった」

といった。その言葉には、彼女を危険な目に遭わせたという悔しさが滲んでいた。ウォリディは首を横に振って、

「そんなことはない。ロイは私を守ってくれたわ」

と答えながら、盾を鞄に収めようとする。明らかに鞄よりも大きい盾は、鞄の口で細かい光の粒になって消えた。光が収まると、そこには普通の鞄があった。

「さあ、街道が通れるように、巣の撤去をしよう。討伐証明部位と素材を集めたら、出発だ。明るい内に街に着けるぞ」

 今回のチームリーダーである、中年の剣士が指示を出した。ロイとウォリディは、倒した蜘蛛や巣の糸を、拾った木の棒に絡めて集めた。蜘蛛の解体は、作業に手慣れている射手や別の剣士が請け負った。

ロイが糸を荷台に載せたとき、御者を務めていた若い女の回復術士が言った。

「さすが、“ワイルドフェレット”と呼ばれるだけのことはありますね」

 その言葉対し、ロイは顔を向けもせず、

「その名前は好きじゃない」

と答えた。どうやら、彼はその名で呼ばれたくはないようだ。


 大陸の西方にあるアーカディア王国。国王の名の元に国は統治され、領主同士の争いはほぼなくなり、平和が訪れて数十年になる。

 戦争がなくなると、困る人たちがいた。その筆頭が傭兵である。その彼らに仕事を与えることも為政者の仕事であり、国の安定にもつながる。そういった理由で、仕事斡旋所というものが国王あるいは領主により設置された。

 王国の中央付近に、アクアリウス侯爵領サダルメリクの街がある。この街は領内の交易や交流の重要拠点であり、幾筋もの街道が交差している。だが、賑わいを見せる街も、そこから一歩離れれば、盗賊と魔物が跋扈する危険地帯だ。

 その街道の安全確保には、領主の兵隊だけでなく、傭兵たちが活躍している。傭兵と一口に言っても、剣を使う者、槍を使う者、弓を使う者などもいれば、魔法を使う者、治療専門の者もいる。そして、常日頃からチームを組んでいる者達もいれば、逆に普段は1人で活動している者もいる。

 今回の仕事は街道の警備であり、サダルメリクの街からスカトの街まで片道数日かかる工程を進みながら、10人ほどで盗賊や魔物を排除していく。基本給に加え、捕らえた盗賊や退治した魔物の賞金が、参加した傭兵の報酬となった。

報酬を受け取ったロイとウォリディは、本日の安宿を確保したあとで、大きな食堂に入った。夜は酒場となり、街に来た行商人や旅人の他、仕事斡旋所利用者のたまり場となっている。その中にはロイたちも含まれた。ただ、彼らは、他の客とは関わらないように、隅の方の席で向かい合って座り、食事をしていた。食事と言っても、パンと野菜、魚の干物とチーズだ。アクアリウス領は大きな川があり、魚が豊富に捕れる。

「今日も食事ができることに感謝します」

 ウォリディは両手を合わせて、目に見えない存在に感謝した。帽子を脱いだロイも、同様に手を合わせた。そして、食事が始まる。ウォリディはよく喋り、ロイはたまに生返事をした。

「っもう、ロイったら、気のない返事ばっか。私の話を聞いてる?」

 ウォリディはふくれっ面を見せる。ロイはパンをかじりながら、視線を下に向けた。

2人の席に、料理と酒瓶を載せたプレートを持った細身の女が近づいてきた。一緒に仕事をし、ロイに『ワイルドフェレット』と声を掛けた回復術士だ。名をリーゼという。

「今日はお疲れさんでした」

 彼女はそう言うなり、ウォリディの隣に腰掛けた。ウォリディは少し奥に移動した。

「リーゼさんも、お疲れ様でした」

 ウォリディは笑顔で言葉を返した。

「結構、男前じゃありませんか。帽子なんか被らなければいいのに」

 リーゼはロイの顔を見ながら言う。ロイは特に言葉を返さなかった。が、わずかに眉が動いたのを、ウォリディは見ていた。

「おや。もしかして、歓迎されていない?」

「そんなことはありませんよ。ねぇ、ロイ」

「まだ、ワイルドフェレットと呼んだことを怒っているのですか?」

「いや。俺は、1人で静かに食べたい」

 ロイは首を横に振った。ただ、二つ名については思うところがあるようだ。

フェレットは、家畜化されたイタチで、胴長短足で小さく身体をしている。フェレットの性格は穏やかだが、野生のイタチはかなり獰猛で、自分の倍以上もある相手にさえ襲いかかり、場合によっては返り討ちに遭うこともあるようだ。

「まあまあ。独り者同士が、隣り合った席で食べるだけですよ」

 リーゼは構わず、酒を木のコップになみなみと注いだ。ロイは彼女の酒を見て、

「あなたは修道女では?」

「元ね。これでも敬虔なメシア教の温故派の助司祭だったのだけど、破門になったんです」

「どうして?」

「お前は酒の飲み過ぎですって。不公平だと思いません? 司教様たちは毎日赤ワインを神の血だからと飲んでいたのに、ブランデーを飲んだ私は破門だなんて」

 リーゼはまくし立てるように言い、コップの酒を一気に飲み干した。

「その飲み方がいけなかったのでは?」

「そうですか? 下品なのは認めますが、飲み方は人それぞれじゃないですか」

「でも、修道女はそもそも、禁欲生活を送っている人たちですよね?」

 ウォリディは聞いた。

「そうですね。でも、酒は禁止されていませんよ。酔うな、とは言われていますが」

「なんだか、破門になった理由が分かった気がする」

 ウォリディは、全てを聞く前に納得した。

「でも、聖書の教えはきちんと守っていますよ。そこが新書派の人たちとは違うところ」

「新書派? 温故派とどう違うの?」

 ウォリディが聞く。

「温故派は、メシア様の教えを唯一正しく守る人たちのことで、神聖帝国の教皇様が教会の一番偉い人。この人を中心に私たちは布教活動をしているの。それに対して新書派というのは、教皇様の教えに反し、聖書を自分たち独自の解釈で教えを広げている人たちよ。温故派の儀式を簡略化して、伝統を蔑ろにしているから困ったものですよ」

「何というか、臨済宗と浄土真宗の違いのようなものか」

 ロイは横から言う。

「何です? そのリン……何とかって」

 リーゼは首を傾げる。ロイは、詳細な説明が面倒と感じた。ロイとウォリディには前世の記憶というものがある。だが、メシア教が主宗教であるここでは、輪廻転生の概念はない。

「昔、自分がいたところでの話だ。遙か東の方にある国で、こことは大きく異なる」

「とにかく、私たち温故派は主の教えをきちんと守っているわけで。お二人は、どちらの宗派ですか?」

「俺たちは……少なくとも俺は、メシア教じゃない。こことは違う国の神と縁がある」

「それは、さっきのリン何とかという宗教ですか。じゃあ、お嬢さんは?」

「私は、精霊王様を信仰しているわ」

 ウォリディは答えた。

「それで、あなた達の関係は、恋人同士? それとも、実は夫婦ですか?」

 リーゼの問いに、水を飲みかけていたロイはむせた。

「ちょっと、大丈夫?」

 ウォリディは心配顔で、右腕を伸ばして彼の背中をさすった。

「俺たちはそういう関係じゃない。旅の道連れだ」

「そう。私は、恋人同士でも良いと思うけど」

「それは駄目だ。あなたは殿の……」

「だから、それは前世の話で、これからは主従関係の話は無しって言ったでしょう?」

 ロイとウォリディは、口論を始めようとする。ロイには明確な前世の記憶があり、ウォリディには記憶はないものの、断片的に言葉が出てくる。それは遠い極東の島国、飛鳥という国での記憶だ。ただ、それを証明する手段はない。

「ほう? 輪廻転生を信じていると。それにしても、それだけ息が揃っているのに、恋愛感情は無し?」

 リーゼは言う。メシア教では、人は死んだら終わりである、というのが普通の考え方だった。しかし、その事は彼女にはどうでも良かったらしく、2人の恥ずかしくなるようなやりとりを楽しんでいて、食い入るように見ていた。

「そんなあなたたちに、大切な話。この国で生きていくなら、メシア教に入信しませんか? 傭兵なら絶対必要になりますよ。教会からの支援も格安で受けられるし、結婚式も割安で挙げられますよ」

「結婚式って、そんな、恥ずかしい」

 ウォリディは顔を赤らめた。彼女はまあ、まんざらでもないようだ。ロイは言葉を失っている。彼には、全く縁の無い言葉だ。ちなみに、この当時は結婚式と言っても宗教儀式であり、文字通り、神に誓いを立てる重要なものである。従って、メシア教の、特に温故派では神に誓った以上、離婚は禁忌であった。

「あなた達のような真面目な人たちは好きよ。神も救いの手を差し伸べてくれることでしょう」

「残念だが、俺は神に会ったことがない。結局、会えなかった。神がいるなら、せめて織衣姫を救って欲しかった」

 ロイは神に責任を求める言葉を、リーゼにぶつけた。リーゼは少し黙った後、

「辛いことがあったのですね。ですが、神がすることには全て意味があると言われています。理不尽なことがあっても、全てが現世で救われるわけではありません。この世で救われなくても、あの世ではきっと救いの手が差し伸べられることでしょう。ただし、この世での行い次第でもあります。神に祈るばかりでなく、日頃の行いも神は見ておられます」

「日頃の行いか。じゃあ、命を奪うのが仕事の俺はきっと、地獄へ行くのだろう」

「誰かを救うための行動だったのでしょう? 懺悔なさい。神は許してくれるでしょう」

「何だか、教会にいるみたい」

 ウォリディは、ロイとリーゼの会話を聞いて、一歩引いた目で言った。

「これでも元修道女ですからね。本当は、魔道士志望だったのですが、良い指導者に巡り会えなくて。田舎の村では当然ですよね。神聖帝国が羨ましい。知っていますか? アイリスとか、ジュリエットという天才魔道士。私は昔、その二人に憧れていたんです。最近は全然名前を聞きませんが。その代わり、今はジル・クリスティという有名な方がこの国に居るそうで。そうと分かっていれば、修道院には入らなかったのに」

「あっ。その人、私の師匠です」

 ウォリディは申し訳なさそうに右手を挙げて答えた。リーゼはウォリディに食いつくように顔を寄せ、

「本当ですか? なるほど。それで、攻撃や回復魔法を容易く扱っていたのですね。いやぁ、実に羨ましい。何とか会うことはできませんかね?」

「宮廷魔道士をしているので、王都に行けば会えると思いますよ。ところで、リーゼさんはどうして、傭兵の仕事をしているのですか?」

「そりゃぁ、食べていくためですよ。自分の仕事はもっぱら、傭兵ではなく、支援職の仕事をですが」

 リーゼは答える。

「斡旋所は別に、傭兵だけを相手にしているわけじゃない。それこそ、普通の村人にも仕事を紹介してくれる。例えば、薬草採取とか、土木作業とか」

 ロイは補足した。

「それで、お二人の今後の予定は?」

「しばらくは、この辺りで仕事を探す予定だ」

 リーゼの問いに、ロイはパンをほおばりながら答えた。

「ロイにとっては、今回はリハビリを兼ねた仕事だったから、これから本格的に活動を再開するのよね」

「こちらの弱みを知らせるような話はするな。傭兵同士が必ず仲間になるとは限らない」

「そうだったわ。ごめんなさい」

 ロイは強めに言い、ウォリディはすぐに謝る。

「どこか怪我でも?」

「傭兵なら、怪我を負うのは珍しくない。それに、もう治ったから、仕事を受けている」

 ロイは答える。

「じゃあ、もしかすると、明日も斡旋所で会うかも知れませんね」

「再会しても、メシア教には入信しない」

「あら、残念」

 リーゼは明るい顔で残念がった。からかい半分、本気半分の不思議な温かい笑みだ。


 翌朝。スカトの街に着いてすぐの次の日に、ロイとウォリディはもう次の仕事を探していた。ウォリディはもっとゆっくり街を楽しみたかったのだろうが、この1ヶ月はロイの怪我により仕事ができず、かといってウォリディ1人で受けられる仕事にも制約が大きい。2人の懐も心許なくなったからだ。

 仕事斡旋所は、朝早くから仕事を求める傭兵や、仕事を発注しようとする人々、特にトレジャーハンターが多かった。スカトの街の仕事斡旋所では、トレジャーハンター向けの発注が多いのには理由がある。

 スカトの街は、人口1万人程度。そして、一時滞在者はその倍以上はいると言われている。住人の多くが傭兵やトレジャーハンターを相手とする仕事をしているが、それは街のすぐ近くに迷宮があるためである。迷宮は、部屋や通路が迷路のごとく配置された場所である。魔物が多いが、宝物も多いため、財宝を求める人々が多く訪れ、富と名声を求めて迷宮に挑んでいる。このため、街の空気は常に熱気と欲望と殺気が入り交じっていた。

 ロイとウォリディは、人気のない仕事を引き受けた。迷宮の地図作成者の護衛だ。

迷宮を管理しているのは大抵が領主であるが、管理している側としては、迷宮で問題が発生しても対処できるように、その内部構造を把握しておきたい。また、探索する側としても、地図があれば便利なことは想像に難くない。地図作成は探索者自身が行う事もあるが、地図専門の人間が作成する地図は精度が高く、また探索者の間でも高く取引される。ただ、地図作製者は大半が戦闘には不向きのため、護衛の募集がある。地図作成が目的なので、迷宮内の宝探しは二の次となる。それ故、迷宮がらみでありながら、引き受ける者は少なかった。

「ロイさんに、ウォリディさんじゃないですか。もう、仕事は決められたのですか?」

 仕事の契約書にサインをし終えたばかりの2人に声を掛けてきたのは、リーゼだった。

「おはようございます。ええ。簡単な仕事を引き受けました」

「どんな仕事です? 良い仕事なら、私も入れて貰いたいものですわ」

 リーゼはそう言って、ロイたちが今交わしたばかりの契約書を堂々と見た。

「地図制作者の護衛ですか。この仕事、他に誰が参加していますか?」

「今決定しているのは、こちらのお二人と剣士のゴーシュさん、ポールとルーアンの兄妹ですね。あとは依頼主側のケントさんとウォルターさん」

 リーゼの問いに、斡旋所の受付嬢はすぐに答えた。今ほど個人情報が厳しくない時代である。それに、参加者の相性が仕事の成否を分けることもある。リーゼは参加者の名前を聞いて、顔をしかめた。

「この仕事、大丈夫ですかね?」

「難しい仕事なのか?」

 ロイはリーゼや受付嬢の顔を見て聞いた。

「いえ。魔物が襲ってくる可能性はありますが、それはどこでも同じだと思います」

 受付嬢は答えた。

「ただね、この参加者が……。いえ、この話はここではしない方が良いか」

「リーゼさん! 受注者が不安になるようなことは言わないように。それに、あれについては、噂でしかないのですよ」

 受付嬢が強い口調でリーゼをたしなめた。というより、口止めに近い。

「おやおや。あの件は告知義務があったのでは?」

「その件は、仕事の内容とは関係ありません。受注者個人の問題です。それに、このお二人ならトラブルに巻き込まれることはないだろうと判断しました」

 受付嬢の毅然とした態度に、リーゼは首をすくめ、

「分かりましたよ。まあ、私もその仕事に参加したいと思っていたところですから。空きはまだあるのでしょう? じゃあ、契約書を作ってください」

「分かりました。では、この申込書にご記入ください」

 受付嬢は、リーゼに紙を渡した。その間に、ロイとウォリディは受付から離れた。

「あっ。ちょっと待っていてくださいよ。すぐに手続きを済ませますから」

 リーゼは2人に声を掛けた。2人は足を止めた。ロイは、受付嬢が言いかけた“あの事件”という言葉が気になり、喉に棘が引っかかったようなもどかしさを感じた。

 リーゼは仕事の契約を済ませ、2人を斡旋所内の別の部屋に案内した。食堂だ。仕事を探しに来た人々を相手に、斡旋所が経営している食堂だ。リーゼとロイ、ウォリディは、窓際の席に着いた。

「リーゼさんは、斡旋所でも一目置かれているのですね」

 ウォリディは言った。リーゼは笑いながら、

「元神職者だからでしょうね。少し煙たがられていますけど」

と答える。給仕が注文を取りに来た。3人は食事を頼んだが、リーゼは加えて、葡萄酒を頼んだ。

「明るいうちからお酒ですか?」

 ウォリディは聞いた。リーゼは笑みを浮かべた。

「お酒は、長寿の秘訣ですよ。それに、明日を知れぬ身なら、せめて悔いの無いように生きたいじゃないですか」

「ただ飲みたいだけですよね?」

 ウォリディの言葉に軽く笑みを返したリーゼ。そうするうちに、料理が運ばれてきた。リーゼは酒の入ったコップに口を付けた。そして、真面目な顔になって、

「あの中では話しづらかったのですがね、最近このアクアリウス領では、屈強な男の傭兵が何人も死ぬ、といった事件がありまして。それも、全員が刺されて」

「それは、仕事中にですか?」

「依頼を受けている最中のこともあれば、全く関係ないときもあります。共通しているのは、男であること、屈強であること、そして……被害者や容疑者に男色の気があったこと」

 リーゼは、最後は声を絞った。同性愛者は昔から存在したが、どの宗教も同性愛は明確に禁止しており、メシア教の温故派では重い罪悪としている。とはいえ、メシア教が広まる前の社会では、むしろ同性愛は広く存在しており、この当時でも全くなかったわけではない。ただ、温故派の聖職者だったリーゼには許しがたい話なのだろう。そう思っていたロイとウォリディだが、

「ま、男が男を好きになろうと、私の知ったことじゃありませんけど」

と、彼女はさらりと、メシア教の聖職者としてはあり得ないことを言う。

「でも、リーゼさんは、メシア教の元修道女ですよね?」

 ウォリディは聞く。修道女とは、メシア教温故派の熱心な信者に等しい。

「世の中、そう簡単に割り切れるものでもなくて。修道院じゃ、同性同士の恋愛は少なからずありましたよ。そもそも、異性との出会いはほぼありませんからね。信仰のため禁欲生活を徹底しても、教義の中にある愛までは、簡単には否定できませんからね。そうすると、同性同士でも恋愛感情が発生するわけですよ」

「そんな考えでも、修道院に入れたりするんですね」

「入ってからの問題ですから」

「それはそうと、傭兵を殺した犯人は分かっているのか?」

 ロイは話を元に戻した。リーゼは首を横に振り、

「いいえ。ただ、剣の扱いに慣れた男だろうと言われています」

「男と判明しているのか?」

「殺されたのが皆、屈強な男ですからね。女なら、返り討ちにあうでしょう。だから、犯人も屈強な男か、腕の立つ剣士だと噂されていますよ」

「じゃあ、ロイも疑われちゃうよね?」

 ウォリディはロイの顔を見る。リーゼは笑って、

「まさか。あなたはこの辺りに来たばかりじゃありませんか」

「しかし、受付で言っていた“あの件”とは、何です? 俺たちの引き受けた仕事の参加者の中に、犯人がいると思っているのでは?」

 ロイは一番聞きたかったことを口にした。

「そうですね。あくまで噂ですが、ゴーシュさんは容疑者の中に入っていますよ。丁度、そういう体格ですし。あと、ポールさんも。あの人は、身体はそこまで大きくはありませんが、身体強化魔法の使い手ですからね」

「なるほど。だから私たちの事を心配してくれて、受付であんなことを言ったんですね」

「仕事に関する告知は、とても重要なことですからね」

「確かに大事なことだ。俺たちは命がけで仕事を受けているのだから。信用のおけない相手に背中は任せられない」

 ロイは付け加えるように言う。

「まあ、何にせよ、今回の仕事は地図制作者を守ると同時に、自分たちも守らないといけない。そういう意味では気の抜けない仕事ですよ。だから、万全の態勢で臨まないと」

「じゃあ、リーゼさんもお酒はほどほどにね」

 ウォリディは、空になったリーゼのコップに右手で蓋をした。

「そうですね」

 リーゼは苦笑しながら、素直にコップを引っ込めた。


 次の日、仕事の当日。

 ロイとウォリディは、指定された迷宮の入り口に到着した。この迷宮は洞窟で、スカトの街のすぐ東にあった。街が迷宮のそばに出来た、と言うのが正しいようだ。迷宮の入り口は領主の兵が管理しており、人々が迷宮に出入りする時刻や人数を記録していた。また、近くには数十人が寄宿する兵舎もある。これは、迷宮で問題が発生した場合に備えて常駐しているのだろう。ここから先は、何があってもおかしくない場所だ。ウォリディは盾をカバンから取り出した。

 入り口の近くには屋根の付いた休憩所があった。壁はなく、ただ強い日差しや雨をしのぐための場所だ。そこが待ち合わせの場所である。依頼主は迷宮を管理する侯爵だが、迷宮に入るのは地図制作者であり、今回はケントとウォルターが依頼主代理となる。実際の地図作成は熟年の男のケントが行い、まだ子供のように見えるウォルターはその助手として雑用を務める。そして、護衛の傭兵も集まってきた。剣士が2人、射手が1人だ。

「ワイルドフェレットか。なるほど。噂通りの格好をしている」

 背中に自分の背丈と同じほどの長さのある剣を背負った大柄な男が、ロイの顔を見て言った。蔑みを含んだ言葉だった。

「そうだな。しかし、そんなに強そうには見えないな。それに、村娘を連れてくるとは」

 全身白色の服を着た男が、鼻を鳴らしながら言う。ロイは表情を変えなかった。ウォリディは彼の表に出ない感情を察知し、そっと彼の右袖を掴んだ。

 フェレットという名については、ロイの戦い方が、狂ったように剣を振り回して戦う様をフェレットに例えて付けられたようだが、選ばれた動物が強さの象徴である獅子や虎ではないのは、どうやら彼が平民だからと見下されているのだろう。家畜であるところも、いわば雇われの身と重ねられているようだ。ロイは気にしないようにしているつもりだ。しかし、そう呼ばれることに良い感情はない。ウォリディも彼の心情を理解し、心配そうに顔色を伺った。

 大柄な男はゴーシュといった。黒い髪、180センチほどある背丈に、鍛え抜かれた筋肉の身体をしている。その肉体だけでも防御力は十分そうに見えるが、さらに胸当てなどが金属で出来た鎧を装備していた。背中には、自分の身長と同じくらい長い剣を持っていた。ツーハンドソードという両刃の剣だ。剣としてはあまりにも長いため、文字通り両手で扱う。ロイのカットラスより2倍のリーチがあり、なるべく剣を交えないようにしたい。

 もう一人の男の剣士は金髪、標準的な体型だが、大きな剣を装備していた。鞘に収まっているので形状は不明だが、刃の長さは1メートルほどあり、握る手を守るガード付近の刃の幅は、20センチはあるだろう。時にナイトソードとも呼ばれる、まるで板のようにも見える剣は当然重くなるから、片手で振るわけにもいかず、両手で持てるほど長いグリップを持つ。リーゼの情報では、身体強化の魔法を使うという。服装は白で統一され、どこか気品を感じさせる所があった。

 彼とペアを組む射手の女も、同じく気品を漂わせていた。驚くべき事に、この2人の顔は驚くほどそっくりであった。それもその筈で、リーゼによれば2人は双子だという。男はポール、女はルーアンと名乗った。傭兵ではあるが、元は貴族だったのではないかと噂されている。

 最後に、リーゼが合流した。全員が揃ったところで、ケントが今回の目的の説明を始めた。

「では、確認です。今回の仕事は、迷宮地図作成の私の護衛。地図は途中まで出来ていますので、我々はその先から調査します。期間は3日で、一度中に入ったら、3日間で進めるところまで進み、その間は、緊急時以外は迷宮の外には出ません。迷宮の中での行動は私の指示に従って貰いますが、魔物などとの戦い方は、皆さんにお任せします。それから、食材は各自で用意して貰っていると思いますが、調理道具は私どもの方で用意しています。何か質問はありますか?」

「誰が傭兵のリーダーになる?」

 ロイは聞いた。

「それは、俺がやろう」

 ゴーシュが手を挙げた。その声は自信に満ちあふれていた。正直、見知らぬ人間たちを統率するのは大変なので、自主的に引き受けてもらえるのなら助かる。

「それぞれの役割を確認しておきたいところだけど、剣士が前衛になるのは当然として、私は? できれば私は、兄さんと一緒が良いのだけど」

 ルーアンはポールに目配せしながら言う。

「そういう希望を全てかなえることはできない。普段は良いが、アーチャー(弓兵)は後衛が普通だからな。俺とポールさんが前に出る」

「それで良い。それから、俺に『さん』付けはいらない」

 ポールは答えた。ルーアンは不満げだ。

「分かった。みんなも、これからは名前で呼ばせてもらう。リーゼは、回復術士なら真ん中が良いだろう。ところで……」

 ゴーシュは視線をウォリディに向けた。

「この娘はどうする? 魔法使いと聞いたが、どう見ても、そこらにいる普通の娘にしか見えないが」

「私は魔法使いです。まだ、駆け出しですけど」

 ウォリディは声に力を入れたが、付け加えた言葉が迫力を打ち消していた。

「彼女はまだこの世界に入ったばかりだが、魔法の腕は確かだ。俺が面倒を見るから、大目に見てやってくれ」

 ロイは彼女に助け船を出す。ウォリディは彼の言葉に合わせ、少しだけ胸を張った。

「分かった。彼女はロイに任せよう。ケント殿。こちらは決定した」

「決まったようですね。よろしければ、これで出発しましょう」

 こうして、ケントをリーダーとする一行は、迷宮の中に入った。先頭にはポールとゴーシュが立ち、そのすぐ後ろにルーアンとリーゼ。ケントとウォルターが続き、ウォリディとロイが最後となる。今回の迷宮の内部は、人が立ってもまだ余裕があるほど大きく、足元も比較的岩や土で均されているようだ。それだけ、大勢の人間がここを通ったということでもある。明かりはないので、ウォリディやリーゼが作り出した光球を頭上に配置し、一行の前後左右を照らした。

 迷宮と一口に言っても、いろいろな種類がある。今回の洞窟のような場合もあれば、石造りの人工的な、まるで砦の中のような構造のものだ。中には、まるで外の世界にいるような空間もあるそうだが、数は少ない。また、定期的に構造が変わる迷宮もある。ただ、なぜどのようにして構造が変わるのか、なぜ魔物が発生するのかという理由は謎であり、迷宮を踏破した際に迷宮核と呼ばれる何かを破壊すると、迷宮が崩壊するといわれているが、その仕組みも分かっていない。とにかく、迷宮は謎が多い。

 迷宮に入って最初のうちは、先行して入った一行が魔物を倒しているため、その死体が片隅に寄せられていた。そのおかげか、別の魔物と遭遇することはなかった。それに、すでに調査済みと言うこともあり、ケントは時々地図を見はするものの、地図作成の仕事はなく進んだ。何時間も歩くと、ケントが地図を見返す回数が増えてきた。

「あっ。そこには転移魔法陣があるので、注意してください」

 ケントは地図を確認し、先頭をゆくポールに注意した。彼の指す地面には特に何もないのだが、地図には魔法陣の記号が書かれている。そして、メモ書きで「4層へ移動」とあった。なお、迷宮には罠が仕掛けられていることがあるが、地図には記載があっても、実際の場所には印はないことが多い。迷宮を攻略する事が目的の人々にとっては、回答を見ながらパズルを解くような、面白みのないことになってしまうからだ。

「転移魔法陣? 特にそれらしいものは見えないが」

 ポールは地面を無造作に蹴りながら言う。ルーアンは呆れたように、

「兄さん。見えていたら、誰も罠に掛かりません」

と言う。ゴーシュは笑って、

「確かにその通りだ。見えていたら、罠にならない」

と同意と共に、ある種の見下した目をポールに向けた。ルーアンは一瞬、ゴーシュに冷たい視線を向けた。

「魔法陣は道の真ん中にあるので、端を歩けば大丈夫です」

 ケントの言葉に従って、全員が洞窟の左右の壁に沿って先に進んだ。唯一の例外は、一番後ろのロイだ。彼はなぜか、通路の真ん中からそれほど離れていないところを歩いた。すると、何もなかった地面に青白い光が点り、2つの円が同心円になって描かれ、ヘキサグラムや文字が浮かんだ。振り返ったウォリディが息を飲む。ロイはさっと横に飛び退いて円陣から逃れた。全員の目がロイに注がれた。

「何やってるのよ、ロイ」

 ウォリディは半ば呆れたように言う。

「これくらいなら大丈夫だと思っていたんだ」

「端っこを歩くように言われたじゃない」

「だが、上手く逃げられたよ。魔法陣の存在も確認できた」

「そういうことじゃないわ。全く……」

 彼女は腰に手を当てて、怒った表情を見せる。ただ、ロイが近くに来ると、小声で、

「わざと魔法陣に掛かったでしょう?」

「あの魔法陣では、俺は飛ばされない」

「どうして?」

「俺の防御力の方が上だった」

「ジルさんの魔法陣では、移動できていたじゃない?」

「彼女の魔法陣が特殊なんだ」

 ロイが答えた時、先ほどの魔法陣が再び青白い光を放って浮かび上がった。こちらから転移させる力があるなら、逆に対となる魔法陣から転移してくることもあり得る話だ。ロイは剣に手をかけ、ウォリディは盾を体の前に構えた。せいぜい上半身を守れるほどの大きさの盾だ。

 魔法陣に現れたのは、体長1メートルほどの銀色のオオカミだった。オオカミは突然風景が変ったことに戸惑って、身動きしない。

「動作チェックする必要はなかったわね」

 ウォリディは、盾を身体の前に構えながら言う。ロイは剣を抜き、彼女の前に立った。剣を中段で構え、刃をオオカミに向けた。

「ウォリディ。下がれ」

 ロイは言う。

「2人とも、どいて!」

 声に反応して、ロイは振り返った。一行の真ん中付近で、ルーアンが弓を構えているのが見えた。ロイはとっさにウォリディを右の壁に押しやった。ルーアンの放った矢がすぐ左を通過した。矢はオオカミの胴体左側に当たった。矢は、致命傷を与えるには至らなかった。ルーアンが第2矢を放つ前に、ロイはオオカミに立ち向かった。傷を負ったオオカミが襲いかかるが、ロイは正面から剣を振るった。オオカミは倒れた。

「こっちはゴブリンだ!」

 今度は、前方にゴブリンが現れた。ポールとゴーシュは、それぞれ剣を抜いて構えた。

 現れたゴブリンは、醜悪さを集めたような顔をした小さい人の形をした魔物で、棍棒や、どこかで拾ったのであろう剣やナイフを持っている。道具を使う知能はあり、また単体では弱いが、集団で襲いかかってこられると厄介な相手である。

 ゴーシュの剣は、自身の身長と同じほどの長さがある。刃だけでも150センチほど。それをいとも簡単に振り回した。ポールはと言うと、刃は異様に広い幅を持つ見るからに重い剣を背中から抜き取る直前に、自身に身体強化魔法を掛けていた。剣が鞘から飛び出すと、ブオンという音と共に振り下ろされた。一番離れたところにいるはずのロイのマントが揺れた。まるで衝撃波だ。

 2人の戦いは、一撃で相手を仕留めるスタイルだ。10匹はいたゴブリンを叩き斬り、薙ぎ払い、あっという間に倒していく。その後ろで弓を構えるルーアンの出番はほとんどなかった。

「さすがだな、ポール。その剣の振りで、こちらまで切り刻まれるかと思ったぞ」

「そちらこそ、一撃必殺の剣技、見せて貰った」

 ゴーシュとポールは、互いの腕を褒め合った。

「私の矢があってこその勝利ですわ」

 ルーアンは自分の功績をアピールした。

「そう。ルーアンが牽制してくれたおかげもある」

 ゴーシュは、彼女を褒めたのかどうか微妙な言い方をする。

「私一人でも倒せていた」

「だが、一匹も倒せていない。2本目を放つ前に誰かがやられていた」

 ルーアンが抗弁するが、ゴーシュはすぐに反論した。

「あなたが邪魔したからよ。射線上に入ってくるから」

 ルーアンがさらに言い返すと、ゴーシュは突然、彼女の顎を左手で少し持ち上げた。

「そうやってムキになるところ、悪くはないな」

 ルーアンは身体が固まってしまった。さすがにポールがゴーシュの左手を掴み、

「妹に手を出すな!」

と凄む。ゴーシュはすぐに手を引き、両手を挙げた。

「分かった分かった。彼女があまり熱くなるものだから、からかっただけだ」

「妹は一生懸命にやっている」

 ポールはそう言い、ルーアンの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「では、進みましょう」

 脅威がなくなったことを確認して、ケントは言った。地図を確認したウォルターは、

「ケントさん。もう少し進んだら、地図のないエリアです」

と言った。ケントは地図と周囲を見回して、

「そうだな。ここからはウォルターが先頭に立ってくれ。他の人は、ウォルターの後ろから、彼を守るように。ここからは慎重に前に進みます」

と指示した。


 ケントたちは、地図を作成しながら迷宮を進んだ。途中、迷宮探索の人々と何度かすれ違ったが、彼らが魔物を退治しているからか、何事もなく進んだ。

 広い空間に出た。そこには迷宮探索に入ったパーティーが数組いて、それぞれ適度な距離を保ちながら休憩し、中には寝床を準備している者もいた。

 ケントは懐中時計を取り出した。太陽や星の位置が分からない迷宮内では、時間を知る唯一の方法だ。ただ、時計は当時、かなり高価な物だ。貴族や裕福な商人でなければ、所有は難しい。ケントの持っている時計は、おそらくは斡旋所が貸与している物だ。つまり、領主の所有物だろう。ケントは時間を確認した。

「夜ですね。今日はここまでにしましょう。どこか空いている場所を」

「あちらの方に、寝るのに適した場所がある」

 ポールが奥の方を指さした。一行は、他の休憩者達を避けて奥に進んだ。ロイは一番後ろを歩いた。

 一行が落ち着く場所を見つけてから、最初にした仕事は、寝床の確保と食事の準備だ。寝床は平らなところが良いが、洞窟内では人1人が横になれる場所は少ない。慣れた者なら、座った状態で寝るのだが、身体を休めるなら、やはり横になった方が良い。そして、食事は疲労回復や行動のエネルギー源となる。こちらも疎かには出来ない。

 調理用の道具はケントが借り受けた。これは仕事に掛かる経費として、依頼主からの提供となっている。調理道具の貸し出しがなければ、地図作りの引き受け手がいないのだろう。よほど人気のない仕事らしい。

 ウォリディは持参した魚の干物や野菜をナイフで適当な大きさに切って鍋に入れ、魔法で水を作って注ぎ、調味料を適当に入れた。ロイは大きめの石で竈を造り、火打ち石と木くずで火を起こした。ウォリディは、鍋を竈の上に置いて煮始めた。アクアパッツァのようなものができあがった。彼女は木のスプーンで味を確かめた。適当な味付けは、彼女の満足いく結果になったようだ。

 ちなみに、同じチームにいながら食事が別々なのは、彼らが寄せ集めのチームであり、事前調整が全く行われていないから、ということのようだ。食材をそれぞれで用意していることからも、その辺りの事情が見て取れる。依頼期間が迷宮に潜るにしては短いのも、その辺りを考慮したものだ。しかし、鍋を囲むロイとウォリディの横には、リーゼが座っていた。

「いやぁ、済みませんねぇ。一緒にいただいてしまって」

 リーゼとは食材を分け合ったが、調理から食事まで一緒になるとは、ロイは想像もしていなかった。

「ウォリディさんの味付け、薄味ですけど、奥が深いですね。塩、貰えます?」

「どうぞ。濃い味が好きな人は、自分で調整して貰えれば、と思って」

「それ、正解だわ」

 2人の会話の間、ロイは黙って食べ続ける。

「お二人でいるときも、彼は一言もしゃべらないの?」

「話さないわけじゃないですけど、大体、私が一方的にしゃべっています」

「俺は、しゃべりが得意じゃないから」

 ロイはようやく口を開いた。

「私も、実はおしゃべりな男は嫌いですけど、あなたは静かすぎます。女性を楽しませるのも、男の大事な役目でしょう」

「それなら、あちらのグループに入れて貰えば良い」

 ロイは、少し離れたところで食事を取るゴーシュやポールとルーアン、そこからまた別の所にいるケントとウォルターを顎で指した。ポールとゴーシュは談笑していて、そこは少なくとも楽しい時間が流れているようだ。だが、リーゼは首を横に振り、

「あそこは完全に二人の世界ですからね。私が行ったら、邪魔になってしまいますよ」

という。ポールの傍らにいるルーアンはふて腐れたような顔をしている。時々、ゴーシュにからかわれているようだ。リーゼがそこに混じっても、同じ目に遭うだけかも知れない。

 食事を終えたのか、ケントとウォルターが立ち上がった。手には紙と筆記用具などがあった。彼らはロイたちの所へ来ると、

「私たちはこの大広間の調査をしてきます。皆さんは先に休んでいてください」

と言う。

「護衛は無しでも良いのですか?」

 リーゼは聞き返した。ケントは頷いて、

「これだけ人がいれば、魔物に襲われることはないでしょう。大丈夫ですよ」

と答えた。ケントたちが洞窟の入り口の方に消えると、ロイも食器を片付け、剣を手に立ち上がった。

「俺も、見張りに行ってくる」

 彼がそう言うと、ウォリディも慌てて立ち上がり、

「私も行くわ」

と、荷物の片付けを始めた。

「ウォリディはここで眠れば良い」

 ロイは言う。ウォリディは首を横に振った。

「私たちは相棒でしょう? なら、離れない方が良いわ」

「まあ、そうでしょうね。うら若き乙女を一人にしておくのは、感心しませんよ」

 リーゼは何か思わせぶりな、不敵な笑みを浮かべていった。彼の中に、ウォリディを残していくことで、悪い事態が起きるという映像が浮かび上がる。

「わかった」

 ロイは黙って頷くしかなかった。


 食事の後、魔物の襲撃に備えた見張りの人間以外は自由に過ごす。大半の人間は、明日に備えて寝るところだ。今回は、大きな空間に複数のパーティーが居ることから、見張りも分担してすることになった。

 最初はロイが見張りとして起きていた。見張り場所は、洞窟が広い空間から狭くなって奥に続く道だ。反対側の入り口にあたる場所にも、別のパーティーから見張りが出ている。

 ロイは帽子を脱いだ。マントは、洞窟内の空気が冷えているので、防寒着として纏っている。そしてウォリディは、洞窟の壁際で、自分の鞄から取り出した毛布に包まって眠っている。彼の近くにいることで、安心しているようだ。

 ロイは、起きているついでにカットラスの手入れを始めた。緩く反った刃を持つ剣。刃の長さはおよそ70センチ。本来は片手で握る剣だが、彼の剣は両手で握れるように長いグリップが付いている。変わった特徴は刃にもいえ、この剣には波のような模様が刃に付いていた。それもその筈で、この剣は東国の太刀に感銘を受けた鍛冶師が再現を試みた作品だ。鍛冶師は失敗作だと言っていたが、武器としては申し分ない。それどころか、刀身は非常に高価な金属で出来ている。

 ロイが行っている手入れは、素人の手入れだ。研ぎ用の石で簡単に刃を整え、刃に付いた獣脂を布で丁寧に拭き取るだけ。それでも、武器の手入れは傭兵にとって大切なことだ。そして、最近はロイが1人になる唯一の時間でもあった。その時間を奪う人間が彼の前の石に腰掛けた。リーゼだ。右手には小さな水筒があった。

「武器の手入れに余念がありませんね」

 リーゼの言葉に対して、ロイは肯定も否定もせず、

「眠らなくていいのか? みんな、寝ているだろうに」

「それが、ポールさんとゴーシュさんはどこかへ行ってしまったようなんです。他のパーティーのところへ行って、酒でも飲んでいるのですかね」

「あなたみたいに?」

「とんでもない。私は、自分のペースで飲むのが好きなので」

「ルーアンさんは?」

「一人でお留守番ですよ。彼女は強い人ですね。男ばかりの中で、平然としていられる」

 リーゼはそう言って、水筒の中身を飲んだ。おそらく酒だろう。

「それも酒か」

「ロイさんもどうです?」

「見張りの最中だ。それに、人前では飲まない」

「ああ、なるほど。油断しないようにって奴ですね」

 リーゼは1人で納得する。ロイの剣の手入れを眺め、

「どうして、カットラスを使っているんです? その剣は船乗りがよく使っていると聞きますが。昔、船に乗っていたとか?」

「いや。ただ、昔使っていた武器に近いから、使っている」

 ロイは手入れを続けながら答える。

「そういえば、ロイさんには前世があると言う話でしたね? ウォリディさんも。どういう話か聞かせて貰っても?」

「別に、面白い話じゃない」

「話してみてくださいよ。人々の悩みを聞くのも、聖職者の仕事ですから。あなたは悩みを抱えているのでしょう? あなたと彼女の関係も改善するかも知れませんよ。」

 リーゼの言葉に、ロイは手を止めた。悩みを抱えているのは事実だ。そして、それを心に抱えたまま、ごまかすように仕事を受け続けている。

「これは、夢物語かも知れない。前世とは言ったものの、それを証明する手立てはない。だが、自分の中にある明確な記憶だ」

「それで?」

「俺の前世は、ここから遠く離れた国だ。飛鳥という国で、俺は、小さな領主に仕えていた。ここで言うなら、騎士みたいなものか。とにかく、俺はそこで刀を振るっていた」

「ウォリディさんは? 彼女はあなたとどういう関係だったのかしら?」

「彼女は、殿の娘だった。まだ12才だったはず。俺はその時、たしか30くらいだ」

「おやおや。これは犯罪のにおいがしますねぇ」

 リーゼはにやけた顔を見せた。

「茶化すのなら、この話はこれまでだ」

「冗談ですよ。でも、二人がかつて主従関係にあったという事は分かりました。じゃあ、カットラスは、その時に使っていた剣と同じだと言うことですか」

「そっくりではある。斬るのに適している事も」

「なるほど。で、お二人の前世での仲はどうだったのですかね?」

「仲も何も……俺は彼女の護衛役だった。それ以上でもそれ以下でもない」

「護衛役ねぇ。それで、あなたはいつも、彼女を守るように動いていたのね。異様なほどに」

「そんなにおかしいか? 彼女を守るのは普通だと思っていたが」

「過保護すぎますよ。あれじゃ却って、彼女が息苦しく思うのでは?」

「しかし、前世では守り切れなかった。あの時の姫の叫び声が時々、聞こえてくる。助けての一言が。それが、今でも俺の耳にこびりついている」

 ロイは、当時の怒りを思い出したのか、わずかに声が震えていた。

「その……前世で死んだのは、いつのことです? 何十年も昔?」

「いや。10年だ」

「10年ね……ちょっと待ってくださいよ? 死んですぐに生まれ変わったとして、あなた達はとても10歳には見えないですよ。特にあなたは」

 リーゼが驚くと、ロイはわずかに笑って、

「そう。俺たちの場合は、本当の意味での輪廻転生とは違う。死んだには死んだが、少なくとも俺は、魂の状態で捕らえられて、この身体に押し込まれたんだ」

「その身体って、もしかしてホムンクルス?」

 ロイは黙って肯定の頷きをした。ホムンクルスとは、錬金術で造られた人間だ。ガラス瓶の中で造られることが多く、短い期間で大きく成長させ、いろいろな操作を加えて、常人にはない能力を持って生まれる者もいる。ただ、短期間で育てられるため、その知能は創造主たる錬金術師によるとされている。

「何と言うことを! 人が人を造るだけでなく、魂まで操るなんて」

 リーゼの声は怒気がこもっていた。メシア教の聖書には、人は神が自分に似せて作ったとある。つまり、ホムンクルスなどの人造人間はメシア教としては禁忌とされており、そのうえ、本来なら天に帰るべき死者の魂を現世に戻すと言うことは、神への冒涜を意味した。なお、死者蘇生の魔法がこの世界には現存するが、メシア教としては、それは本当の死ではないという考えだという。

「まあ、今の話を信じるかどうかは、あなた次第だ。おそらく、誰も信じないだろう」

「……そうですね。にわかには信じられない話です。普通、ホムンクルスの知能は、作成者次第とはいえ、せいぜい子供位と言われていますから」

「だから、誰にも言わないでいる」

「でも、どんなに辛い記憶だとしても、今世ではやり直せば良いだけです」

「そう。やり直せるのなら、そうする。姫を守れるのなら」

 ロイは、最後は呟くように言った。

「ウォリディさんも、ホムンクルスですか?」

 リーゼは聞いた。当然の質問だ。ロイは首を横に振った。

「いや。彼女は違う。違うのだが……彼女がどうやって生まれ変わったのかまでは知らない。彼女と再会したのは、最近の話だ」

「そうでしたか。それで、今のお二人の関係は?」

「今の?」

 ロイは不思議そうな顔でリーゼに聞き返す。想定外の質問だったからだ。

「だから、今世のお二人は上手くいっているのか、と言う話ですよ」

「今は、どういう関係だろうな? 対等と言うことになっているが」

 ロイは戸惑いながら答える。リーゼは小さく唸りながら考える。

「うーん。何と言ったら良いのかな? じゃあ、ウォリディさんはあなたにとって、どういう存在ですか?」

「守るべき存在だ。それだけは言える」

「あなたは、彼女を必要としていますか? それとも、一緒にいなくても問題ない?」

「……必要と、しているのだろう。だから、守ろうとしている。だが、一緒にいれば危険なことに巻き込んでしまう」

「彼女がいると、助かることは?」

「いろいろある。彼女は魔法が使える。俺には使えない。それから、料理もできる。俺は、干し肉を焼いて食うことくらいしか出来ない。破れた服の修理も得意だったな。仕上がりは、俺がやるよりも上手だ」

「なんだ。結構、上手くやれているじゃないですか」

「そうか?」

 その時、広間の中心から近づく足音が聞こえた。ロイとリーゼは足音の主を見た。松明の明かりに浮かんできたのは、どうやら見張りの交代にきた男の槍使いだ。

「見張りの交代だ。えっと、ロイだったか?」

「そうだ。交代か。後を頼む」

 ロイは剣を鞘に収め、帽子を拾って立ち上がった。リーゼも立ち上がる。ロイは、パーティーの場所に戻ろうとはしなかった。向かったのは、すぐ近くで寝ているウォリディのところだ。そして、彼女の横に腰を掛けた。

「彼女を起こさないのですか?」

 リーゼは聞いた。

「起こすのはかわいそうだ。だから、俺もここで寝ることにする」

「その方が良さそうですね。私は、みんなのところに戻りますけど」

 リーゼはそう言い、見張りに付いた男に軽く会釈をして、立ち去った。ロイはウォリディとつかず離れずの場所に身体を横たえ、帽子を顔に被せた。

「仲の良いことで」

 リーゼは、素直でない彼の言動に皮肉を込めた。


「ロイ、起きて!」

 ロイは、眠っていた。時間はどれほどたったか分からないが、見張りの役割は終わっている。寝ていても問題ないはず。それが、声と共に大きく揺さぶられ、とても寝ていられる状況ではなくなった。ロイは上半身を起こした。着布団代わりのマントの下では、左手に剣が握られていた。声の主がウォリディと分かって、ロイはすぐに剣を下ろした。

「何があった?」

「大変な事が起こったわ。ゴーシュさんが死んでいるの。誰かに殺されたのよ」

 彼女の言葉を聞いて、ロイは驚きの表情を見せた。すぐに立ち上がり、剣を腰に落とした。

辺りに人は少なく、少し離れたところで人の塊が出来ていた。光球や松明の光が集まっていて、そこで何かあったと想像が付く。そこは、ロイたちが食事を取ったところとは別の場所だ。ゴーシュが死んだのは、これまで起きていた傭兵が殺された事件と関係があるのだろうか。

「あそこで死んでいたのか?」

「ええ。そうみたい」

 ロイとウォリディは、群衆の後ろに立った。20人ほどが倒れている男を取り囲んでいて、様子は分からない。リーゼが男の状況を確認し、依頼主のケントとウォルターが隣で様子を見守っている。リーゼは元助司祭だから、死者と向き合うのには慣れているのだろう。

「胸を一刺しですね。抵抗した痕はない。本人も気づかないうちに天に召されたことでしょう」

 リーゼはそう言うと、ケントと協力して、硬くなったゴーシュの手を胸元で組ませた。そして、祈り始めた。

「主よ、ゴーシュをあなたの御手に委ねます。あなたの僕の旅立ちを見守り、天の国に迎え入れ、永遠の安息が得られますように」

 祈りが終わると、その場にいた全員が黙とうした。黙とうが終わり、あたりがざわざわしだした。遺体発見時にも話が出たであろう、犯人のことである。ケントが立ち上がって、

「残念ながら、厳しい現実に向き合わなければなりません。ゴーシュさんは刺されて死にました。見張りが立っていましたし、魔物の仕業とは考えられない」

「回りくどいな。要は、この中に殺しの犯人がいるってことなんだろう?」

 他のパーティーの剣士が、ケントの言葉を遮るように言った。

「確かにその通りです。その可能性が高いのは間違いありません」

 ケントは言葉を選ぶように言う。全員が容疑者であり、しかも傭兵だ。例え犯人でなくても、機嫌を損ねれば、それだけでも危険が及ぶ。

「もう、逃げたんじゃないのか?」

「見張りの人たちによれば、夜以降に通った者は、入り口にも、奥の方にもいなかったということです」

「その見張りがやった、という可能性だってあるじゃないか」

「そうです。だから、全員に可能性がある。なので、今ここで皆さんを行かせるわけにはいかない。分かるでしょう? 立て続けに起こっている傭兵の殺人。その犯人がここの中にいるのなら、逃がすわけにはいきません」

「だけど、どうやって犯人を見つける? あんただって可能性もあるじゃないか」

 別の男が言う。

「もちろんです。私は犯人ではないが、それを証明する手立ては、今はない。それは皆さんも同じ事」

「俺たちだって、犯人じゃない。この男の知り合いでもないんだ。俺たちは先に行かせて貰うぜ」

「それは駄目です。今まで正体の分からなかった犯人が、言わばここの中にまで絞り込めたのです。こんなチャンスはない。犯人が分かるまで、誰もここを離れることは許されない」

「何を偉そうに。お前は衛兵か?」

「違います。ですが、私は侯爵様の命令でこの迷宮を調べている者。事件があったなら、侯爵様に報告する義務があります」

「だが、ここで足止めを食ったら、他の者に宝を奪われるじゃないか」

 別のパーティーの女魔道士が言う。

「そう言われても、このまま犯人を逃すわけにはいかない」

「俺たちには関係ない」

「こんな状況で、どうして先を急ぐのですか? 何か後ろめたいことでも」

「俺が犯人だというのか?」

「犯人だから、急いでこの場を離れようとしているのでは」

「何を!」

 ケントに煽られた男が剣を抜いた。背後からその手を掴み、捻って剣を奪い取った男がいた。ロイだ。

「俺はこの人の護衛を引き受けた。先を急ぐのなら、自分の潔白を証明した方が良い」

 ロイはそう言い、相手が戦意を喪失するのを待った。

「そ、そういうお前は、どうなんだ?」

「俺もやっちゃいないが、身の証は立てられない。だから、依頼主の指示に従う」

 ロイは答えた。すると、ロイの代わりに見張りに付いた男が出てきて、

「いや。その男は、俺が見張っていたところのすぐ近くでずっと寝ていた。間違いない」

と、彼の潔白を証言した。

「分かった。だが、俺もやっちゃいない」

「早く証明されると良いな」

 ロイはそう言い、相手の剣を鞘に戻した。群衆の外側にいた女の剣士が、

「外にいる衛兵に来て貰った方が良いんじゃない?」

という。至極まっとうな意見だが、問題がある。

「それはそうだが、誰が行く? そいつが犯人だったらどうするんだ?」

 誰かが問題点を指摘した。

「こうしたらどうだ? 各パーティーから1人ずつ出す。そいつらが互いを監視しながら、外に知らせに行けば良い。残りは人質として残る。時間は1日。まっすぐ行けば、往復は可能だろう」

 別の誰かが答える。

「それで皆さんが納得するなら、そうしましょう。私、ケントも行きます」

「何ですって? あなたがいなくなったら、私たちの仕事はどうなるのですか?」

 リーゼが驚き、聞き返す。ケントは首を振り、

「もう、仕事どころではないでしょう。それに、私なら衛兵への話も早いし、地図を持っています。早く帰ってこられるでしょう」

「そうだな。それなら、早く行ってきてもらおう。ただし、待つのは半日だ。みんなもそれで良いだろう?」

 ポールは周囲に呼びかけた。群衆もほぼ同意した。ケントを含め、剣士や魔道士5名が選ばれ、迷宮の外に向けて出発した。ロイは、愁いを帯びた目でその後ろ姿を見送った。その5人の中に犯人はいないように見えたからだ。つまり、ここに残る大勢の中に犯人がいる可能性が高い。ロイは、厄介な事態になったと内心思った。


 ケントや他のパーティーから選ばれた男達が外へ向かって出発して、数時間がたった。その後の大広間の空間を支配したのは沈黙だ。重苦しい空気。誰もが疑心暗鬼に陥り、睨み、少しでも動きを見せれば、他の誰かも動く有様だ。

 だが、仮に衛兵が到着したとしても、事件が解決することはないだろう。なぜなら、この時代に科学的な捜査なんていうものは存在しないからだ。そもそも、警察のような組織もなく、裁判さえ熱せられた棒を掴ませるなどお呪いじみたものであり、公平なものを期待することは困難であった。

 ロイとウォリディは、洞窟の大広間を見渡せるような場所に座っていた。2人も当然監視される側だ。もちろん、お互いは犯人ではないと信じている。ただ、それを他人に対して証明は出来ない。

また別のところでは、時間を持て余した剣士同士が模擬戦闘を始めている。大広間とはいえ閉ざされた空間だ。剣のぶつかり合う音が反響して、周囲に嫌悪感が広がる。

ロイは携帯のランプを灯していた。ウォリディの魔法の光球は、少なからず魔力を消費するからだ。

「私たち、いつまでここにいるのかしら?」

 ウォリディは退屈そうに周りを眺めた。

「それにしても、ゴーシュさんが殺された理由は何かしら?」

 ウォリディは悲しげに言う。同じパーティーにいたからといって、知り合いではないし、犯人捜しに動ける状況でもない。しかし、彼女は仲間となった男の死を悼んでいた。

 2人は遺体の状況を見たが、詳細はリーゼから聞いた。心臓をきれいに一突きされたらしく、寝ているところを襲われたのだろう。抵抗する間もない。持ち物が亡くなったと言うこともないし、そもそも大金を持っているようには見えなかった。

「物盗りじゃないのは確かなのよね」

 ウォリディは、ロイの反応を見ながら続ける。彼はうつむき加減で地面に視線を落とし、座ったまま黙っている。

「だとすると、誰かに恨みを買っていたとか。あり得るわよね。こういう仕事をしていると。でも、そういう相手とここで出くわしたのなら、寝込みを襲われるほど油断するかしら? それとも、知らないうちに恨まれちゃったのかしら」

 ウォリディは1人でしゃべり続ける。ロイは何の反応も示さない。

「もうっ。何か言ったらどう? それに、あの剣戟。外でやってくれないかしら」

 彼女は、1人だけでしゃべっていることに飽きた上、剣のぶつかり合う音に思考が邪魔され、苛立ってきたようだ。ロイは一言、

「俺たちの知ったことじゃない」

と答えた。ウォリディは呆れた顔で、

「でも、ゴーシュさんは仕事仲間よ。今回はね。その人が亡くなって、何とも思わないの?」

と言う。

「ウォリディさんの言う通りよ。ゴーシュさんは天に召されたとはいえ、昨日までは一緒に戦う仲だった。彼の無念を晴らすため、そして私たちの自由を取り戻すためにも、犯人を捕らえなければいけない。それはあなたも分かっているはず」

 大広間の中央からリーゼが戻ってくるなり、言った。ロイは顔を上げて、リーゼに聞く。

「ゴーシュの死と、今まで死んだ傭兵との間に共通点はあるのか?」

「さあ? 私は他の事件の詳細を知りませんが、体格のいい男ということですかね」

「外見ではなく、その背後関係だ。どこかで同じ仕事をしていたとか、出身地が一緒か否か、とか。何か共通点は?」

「ゴーシュさんと組んだのは初めてですし、その他の人も知らない人ですから」

「俺も、ゴーシュと組んだのは初めてだ」

 右手の暗闇からポールが現れた。ランプの明かりでは、すぐ近くにいても判別しづらい。

「しかし、話した感じでは悪い男ではなかった。誰かに恨まれているようにも見えなかったし、その自覚もなかったことだろう。それに、強い男だった。寝込みを襲われたことがそれを物語っている。犯人は卑怯で、臆病者だ」

 ポールは犯人に対して怒りを込めた非難の言葉を口にした。

「知らないはずのゴーシュに随分と肩入れしますね。昨晩はゴーシュと一緒にいたそうだが、その後はどうした?」

 ロイは聞いた。

「確かに、最後まで一緒にいたのは俺かも知れぬが、それはあそこのパーティーも一緒だ。あそこで酒を飲み交わし、宴が終わった後はそれぞれの寝床に戻ったはずだ。ゴーシュがその後どこに行ったのかは知らない。だが、俺は殺していない。あの男は、俺の好みだったのでな」

 ポールは、ごく当たり前といった様子で答えた。

「それは恋愛感情、というものか?」

 ロイの問いに、ポールは頷いた。リーゼは眉間にしわを寄せた。

「メシア教の元助司祭としては、恋愛は男女間においてなされるべきと、主が説いておられます。私は、それを無視することはできません」

 リーゼは否定的な意見を述べるが、ポールは逆に、

「おかしいか? 古代神聖帝国では、皇帝は美少年を愛していたし、神話でもそういう話がある。現代の王室でも、そういうことは結構ある」

「少年を寵愛していた将軍の話は、何度か聞いたことがある。それにしても、神話とか、古代王国の話とかに詳しいようだな」

「こう見えても、元貴族でな。勉強させられたんだ」

「個人の主義や趣向をとやかく言うつもりはありません。しかし、聖書によれば、それは罪とされています。それに、同性同士では子をなさず、子孫繁栄につながらないばかりか、奇妙な病気を生み出すとも言います。それらは言わば、神罰に当たるものです。ノーイの箱船の話もご存じでしょう? 堕落した世界を作り直すため、主はノーイに命じて大きな船を造らせ、世界中から動物の番を集め、乗せたあと、大洪水を引き起こしてありとあらゆる生き物を一度死滅させた。同性同士ではなかった。同性では種を残せないからです」

 リーゼは強めに言った。

「ノーイの箱舟など所詮、作り話だろう。世界を滅ぼすほどの大洪水など、神でも不可能だ」

「ですが、リーゼの言う事も最もです。兄様は、神の教えに従い、恋愛の対象を改めるべきです」

 いつの間にかポールのそばに立っていたルーアンは、リーゼに与するようだ。だが、ポールは意に介さず、

「ルーアン。俺たちは、その神に見放されたのだ。たまたま双子として生まれたと言うだけで呪い子と決めつけられ、世間から隠され、家を追い出された」

と答えた。ルーアンはポールの右腕を掴んだ。

「兄様! その事は誰にも明かさない約束でしたのに」

「そもそも、神の言う愛とは何だ? 俺の愛は、誰にも届かない。いつも、邪魔が入って成就したことがない」

「家というのは、どこです?」

 リーゼは前のめりになって、ポールに聞いた。今の彼女は好奇心の塊だ。

「ここから北の小さな子爵だ。家名は言えない」

「あなた達兄妹は、本当に元貴族だったのですね」

「昔の話だ。今はこの通り、ただの傭兵だ。人生は一度きり。俺たち傭兵は、明日をも知れぬ生き物。ならば、自分の好きなように生きる。それが、たとえ茨の道だとしても」

と言う。これが恋愛の形の話でなければ、なんと立派な言葉だっただろうか。

「ロイ。お前はどうなのだ? お前はその娘を愛しているのか?」

「兄様!」

 ポールは、ウォリディを指さしながら聞いてきた。彼の言葉を止めようとするルーアンの努力は報われない。そして、ウォリディは顔を赤らめた。

「彼女は……森の長老から預かっているだけだ。彼女に何かあれば、長老に会わせる顔がない。俺たちに恋愛感情はない。あってはならないものだ」

「つまらぬ男だ。俺は、お前のような男でも愛せるが、お前は無理に一人になろうとしている。孤独な奴だ。気の毒なほどに」

「人の好みについてとやかく言う気はないが、その嗜好を強制される筋合いはない。お前の生き方があるように、俺にだって俺の生き方がある」

「そうよ。ロイは、私の大切な……」

 ウォリディはその先の言葉を飲み込み、顔をさらに赤くした。その時、周りがざわめきだした。誰かの言い争う声が、洞窟の奥から聞こえた。それが次第に周囲に伝搬しているようだ。

「何だ?」

 ポールは言い争いの内容を確認しようとする。

「誰かが勝手に、洞窟の奥に行ってしまったようですよ」

 同じく聞き耳を立てていたリーゼが言う。

「ケントが衛兵を連れて戻るまで、誰も動かない約束だったじゃないか」

「でも、お宝が掛かっているなら、誰だって抜け駆けしたくなりますよ」

「じゃあ、俺たちも……」

「いえ。私たちはケントさんの護衛が仕事じゃないですか。ケントさんが戻るまで、ここを動けませんよ」

 リーゼの言うのは尤もだ。ロイたちはケントに雇われている。彼がいない今、勝手に動くことはできない。だが、ゴーシュを殺した犯人が逃げてしまうかもしれない。

「様子を見てこよう。この混乱に乗じて、犯人が逃げるかも知れぬ」

 ポールは立ち上がった。ルーアンはバネで押し出されたかのようにパッと立ち上がった。

「兄様。犯人捜しなど、どうでも良いじゃありませんか。それに、彼らは殺気立っています。私たちは、ここでケントの帰りを待っていましょう」

 ポールの行く手を阻もうとしたルーアンを、彼はその頭を掻き撫でながら、

「何を心配している。俺がそこらの傭兵に後れを取るとでも思っているのか? 安心しろ。ただ、様子を見てくるだけだ」

と言い、1人で洞窟の奥に向かっていった。剣戟を繰り広げている、迷惑な傭兵たちを避けて。ロイは座ったまま、顔だけ動かして見送った。ウォリディは犯人捜しに前のめりになっているようで、

「ロイ。私たちも行かなくて良いの?」

と聞いてくる。だが、ロイは無関心を決め込んでいて、

「俺たちが聞き回っても、誰も本当のことは言わないさ。衛兵が来たって、誰も核心的な部分は言わないだろう。それに、凶器はここにいる大半の人間が持っている」

「そういえば、みんな武器を持っているわね。でも、動機がありそうな人なら、絞れるのじゃない?」

「動機があるとすれば、愛情のもつれ。それが一つの可能性だ」

「ああ、同性同士の恋愛で、別れ話が生じたか、もしくは誰とゴーシュさんがいい仲になっているのを見た犯人が、嫉妬の炎をメラメラと燃やして犯行に及んだ、とも考えられるわね」

 2人の会話を聞いていたルーアンは、明らかに不機嫌そうな顔をしていた。

「あなたたちは、こんな状況でよくもそのような、無責任な話ができるのね。犯人捜しは、ここの領主に任せれば良いのよ」

 ルーアンに言われた2人は、互いの顔を見合わせた。その様子を見守っていたリーゼが、

「犯人が早く捕まれば、安心じゃありませんか。それに、犯人が捕まるまでここから離れられないようですし」

と、2人の気持ちを代弁するようにいった。ルーアンはその言葉に納得したのか、幾分か表情を和らげた。

「確かにそのようね。だけど、それは衛兵の仕事。私たちは待つしかない。それより、ロイさんは兄のことをどう思っているの?」

「どうと言われても、俺には、特に思うところはない」

 急に聞かれたロイは、答えた。一応、正直な答えた。それでルーアンが機嫌を損ねるのではと、ウォリディは心配した。ルーアンは逆に安堵したように見えた。

「それなら大丈夫とは思うけど、今後、兄が寄ってきても相手にしないで」

「あら? それはまた、どうして?」

 ロイより先に、リーゼが聞く。

「兄は、まあ、あの通りの人だからよ。悪い人間ではないけど、これまでの境遇もあって、他の人には理解しがたいところがあるわ」

「俺は、仕事だけの関係と割り切っている」

 ロイは答えた。

「それで充分よ」

「ルーアンさんは、お兄さんのことを大事に思っていらっしゃるのですね」

 ウォリディは、尊敬ともとれる眼差しをルーアンに向けた。

「双子ということもあるけど、私にとっては分身のようなもの」

「ところで、双子だから家を追い出されたと言うことですけど、双子だと何がいけないのですか? 私たち、貴族の事に全然詳しくなくて」

 ウォリディは純粋な好奇心から聞いた。

「不吉だからよ。貴族の間では、双子が生まれた家には災いが訪れるとされている。それから、跡継ぎの争いを避けるため。だから、生まれた事実を隠すか、生まれた内の1人を里子に出したりして、双子の事実を隠すのよ。さすがに父も、私たちが小さい間は、追い出す真似はしなかったけれど」

「ごめんなさい。私、知らなくて」

「別に構わないわ。過ぎた話よ。それに、兄様と2人でなら、どこでも生きていける」

「そうですか」

 ロイは、興味なさそうに真っ暗で見えない天井を眺めた。ルーアンはポールと2人で生きていこうとしている。だが、ポールはルーアンのことを大事にしつつも、自分の道を歩もうとしている気がした。

「とにかく、ルーアンさんが心配するようなことは、何もありませんよ」

 ロイは答えた。何気なく足下を見て、ロイは陶器の破片を見つけ、拾い上げた。元は絵皿だったのだろう。しかし、何の絵かは分からない。高価なことは間違いないが、洞窟内で使うようなものではない。裏は白地だが、数字の1が描かれている。これは後から書かれたもののようだ。

「それは何?」

 ウォリディは聞いてきた。

「こいつは……」

 ロイは答えようとした。突然、大きな声が聞こえ、彼は言葉を止めた。

「いい加減に止めろよ。いつまでやっているんだ」

 その場にいた全員が、今し方まで続いていた剣戟の辺りに向く。剣を打ち合っていた2人のすぐ後ろに、背はロイよりやや低いコボルトの男が怒りを顕わにして立っている。コボルトの仲間は、彼の身を心配してすぐ後ろに立っているが、剣戟の後で剣を抜いたままの傭兵を警戒して、前には出られない。傭兵も、自分たちが有利な状態にあることが分かっていて、

「どうせ暇なんだ。お前もやるか?」

と、剣を小さく振り回しながら言う。彼の持つ剣は刃の真っ直ぐなショートソードで、この世界で最も普及している武器だ。刃の長さは決まっていないが、彼の持つ剣はおよそ70センチくらいだ。腕前は分からないが、そこそこの自信はあるのだろう。その場にいた誰もが彼に対して言いたいことがあったのだろうが、振り回される剣が彼らの動きを鈍らせた。勇気のあるこのコボルトも、次の言葉を慎重に選んでいる。

「剣を振り回すなよ。危ないじゃないか」

 コボルトが身構えながら言う。最悪の事態を想定して、左右のどちらかに逃げられるようにしていた。

「嫌なら、向こうへ行きな」

 男に悪びれた様子はない。するとウォリディが、立ち上がり、コボルトに近寄った。誰も積極的に味方しないのなら、自分が、という気持ちなのだろう。彼女の正義感は強い。

「それなら、あなた達が人のいないところに行けば良いじゃない」

 ウォリディの言葉が、周りに勇気を与えた。といっても、同調の声くらいだが。しかし、2人の剣士は剣戟で高まった興奮状態がまだ収まっていない。その上、村娘のような姿のウォリディでは、彼らの目を覚まさせるどころか、馬鹿にされたと勘違いさせたようだ。

「お前、何様だ。俺たちみたいな傭兵に守られる側のくせに。俺たちは剣1本で命を張って生きているんだ。鍛錬は欠かせないんだよ」

「だからって、今じゃなくても良いじゃない」

 ウォリディは男達を前に引き下がらない。彼女の場合、誰かのため、という気持ちが強いのだろう。だが、分が悪い。見るに見かねて、リーゼが彼女の横に立った。

「そうですよ。何も今、鍛錬する必要は無いじゃないですか。この先に行けば、魔物がたくさんいる。剣の腕なら、そこで試せるでしょうに」

「ここから出られないから、ここでやるしかないじゃないか」

「そういえば、死んだのはお前達のパーティーの剣士じゃないか。ということは、全部お前達のせいだ。こうしてくれる!」

 男は剣を振り上げた。リーゼとウォリディは首を竦め、互いの身を庇おうと抱き合う。コボルトは自分の身を守るので精一杯だ。男の剣が振り下ろされる。が、次の瞬間には男の身体は後ろに飛ばされていた。男がいたところには、ロイが右肩を前に出す形で立っていた。もう1人の男が動きを見せたので、ロイはマントを翻した。その右手には鞘に入ったままのカットラスが握られていた。ロイはそれを中段で構えた。

「鍛錬の相手が必要なら、俺がやってやる。だが、やるなら木刀がお勧めだ」

 抜き身の相手に対しては、男達も慎重になった。それでも剣を収める気はないようだ。

「あいつは、ワイルドフェレットだ。聞いたことがある」

 周りの誰かがささやくように言った。気に入らない二つ名だが、それなりに有名なようだ。ただ、強そうではない名前は、知らない人間には誤解を生む。

「イタチ野郎が、生意気な!」

 もう1人の男が剣を斜めに振り上げたが、ロイは一歩前に出ながら、相手のみぞおち目掛けて突きを繰り出した。硬い木製の鞘は男の急所を捉えた。男は死ななかったが、地面に突っ伏して胃の中のものを吐き出した。

 その頃には、突き飛ばされた男が立ち上がった。右手には剣が、左手には銀色の掌サイズの板が握られていた。板には炎がいくつも描かれていた。魔法が使えない人間が使う、魔法を発動させるための道具だ。道具は板の場合や、杖の場合もあるが普通、発動は一度きり。効力は作成者の力量に左右される。

「くそ。これなら」

 男は板を頭上に掲げる。周りは男から離れた。何か魔法が発動しようとしているのが分かったからだ。リーゼはその手の道具に詳しいのか、次に起きることを予測していた。

「バカ! それは敵に向けて投げるもので……」

 リーゼは忠告しようとしたが、男の板からは巨大な炎が上下左右に噴出した。それは単に燃え上がる、といった感じではない。炎の壁が出来上がったようなものだ。男の手が炎に包まれた。男は板を手放したが、噴出した炎は板が地面に落ちても消えない。それどころか、炎は勢いを保ち、男を包んでしまった。

「いやぁ!」

 突如、ウォリディは叫び、地面に頭を抱えて伏せた。相当な怯えようだ。リーゼは彼女を庇うようにしゃがんだ。

 板が落ちた瞬間、その周囲が青白く光り出した。今思えば、光り出した部分は不自然なほど平らになっていた。光は、何やら記号のついた直径何10メートルもの大きさのサークルとなって出現した。

「転移の罠だ!」

 誰かが叫んだ。今までなぜ作動しなかったか不明だが、この手の罠としてはかなり大きい。もう逃げられないと、リーゼは覚悟を決めた。やがて、青白い光は消えた。元々洞窟の中だったので、辺りは真っ暗だった。魔法の板が発した炎はやがて消えた。そして、先ほどまで辺りを照らしていた光球は一緒には転移されず、完全に闇に包まれてしまった。

「助けて。テル……テル……」

 異常なほど怯えるウォリディの声がすぐ近くからする。先ほどまで両手で彼女の背中をさすっていたし、今も触れられているから、彼女の居場所はすぐわかる。しかし、暗闇は不安や恐怖を増長する。

「誰か明かりを」

 リーゼは、周りにいる誰かに呼びかけた。鎧や武器のこすれる音、呼吸音から、誰かいるのは間違いなかった。すぐに誰かが魔法で光球を作り、頭上に掲げた。その明かりでリーゼの周りに、同じように転移されてきた人々が十数名いることが分かった。それとは別に、魔法道具を発動させた張本人とその仲間もいたが、この2人は互いに近くにいたせいで、炎に焼かれてしまったようだ。すでに助けられる状態ではなかった。

「ちょっと、ロイさん。何をしているの? 彼女が尋常じゃない怯え方をしているわ」

 リーゼは、いつもならすぐに駆けつけるはずの男を探した。ところが、さっきまで彼がいたところには、誰もいなかった。いや、そんなはずはない。彼は、自分たちと倒れている2人の間にいたのだから。

「ロイ。どこに行ったの?」

 リーゼは激しく首を回して、ロイを探した。

「トロルだ! もっと明かりを」

 誰かが叫んだ。トロルは、暗がりを好む人型の魔物で、大柄で醜悪な姿をしている上に、力も強い。弱点は明かりで、彼らは太陽の下には決して出てこない。リーゼは光球を生み出し、声のした方に飛ばした。明かりの先に、巨体が2つほど浮かび上がった。一緒に飛ばされたものの内、剣士が何人も動いた。魔道士もいて、リーゼと同じく魔法で光球を作り、頭上に掲げた。

「その娘は放っておきなさい」

 ルーアンが悪態をつきながら、弓をトロルに向けた。彼女も一緒に飛ばされたのだ。

「ウォリディさんのことは、俺が介抱します」

 ウォルターが現れた。彼も罠に巻き込まれたのだ。彼は非戦闘員なので、今できるのはウォリディのそばにいることくらいだ。それにしても、いつも彼女のそばにいる男がいない。トロルの対応に追われているのか。しかし、その事は後にしなければならない。トロル数体が襲ってきたのだ。リーゼは立ち上がり、後方支援のため身体強化などの補助魔法を、戦う前衛たちにかけた。

「ウォルターさん。ロイさんを見かけた?」

 リーゼは余裕を見つけて、ウォルターに聞いた。

「いや。見ていません。消えてしまったようです」

「消えた? どこへ逃げたのかしら」

「逃げたんじゃなくて、本当に消えたんです。そういう風にしか見えなかった」

 どうやら、ウォルターは転移されるときの状況を俯瞰していたようだ。そうだとして、消えたというのはどう状況なのか、リーゼには理解できない。

「消えたのはむしろ、私たちの方だわ。早く元の場所に戻らないと」

「ええ。みんな頑張っているわ」

 リーゼの言うとおり、その場にいた誰もが、襲ってきた魔物を追い払うために戦っていた。トロルは倒せる魔物だ。ただ、暗闇の奥からまだ出てきた。戦いはもうしばらく続きそうだ。


 大広間では、転移魔法陣が消えた後に残っていたのはロイだけだった。魔法陣から遠い場所にいた人間は無事だったようだ。

 ロイは立ち上がった。ウォリディが転移されたのは間違いなかった。

 先ほど見つけた皿の破片は、行きにケントが魔法陣に投げ込んだものだ。この大広間に転移されたのなら、逆にここにも転移魔法陣が仕掛けられている可能性を考えるべきだったのだ。

 ロイは、その皿の破片をその場に捨てた。

「おい。何があった? ルーアンはどうした?」

 異変に気付いて戻ってきたポールにもまた、焦りの表情が見えた。双子の片割れ、しかも妹が突然消えたとなれば、心配にもなるだろう。

「転移の罠が作動した。このあたりにいた全員がどこかに飛ばされた。ウォリディも、リーゼさんもだ」

 ロイは荷物やランタンのところに戻りながら答えた。彼もまた焦っていた。荷物をまとめ、背負い、彼女達を探しに行こうとしているが、肝心なことを忘れている。

「どこに転移されたんだ?」

 ポールはさらに聞いた。ロイに分かるわけがない。

「分からないが、この奥じゃないだろうか」

「そうかも知れないが、洞窟の外かも知れないし、別の洞窟かも知れないぞ」

「洞窟の外?」

 ロイは聞き返す。そこで彼は冷静になって考えた。罠が侵入者排除のためにあるのなら、外への転移もありうる話だ。

「しかし、どうして突然、転移の罠が作動したんだ? ここにはずっと人がいて、何も起きなかったのに」

 ロイは疑問を口にする。それに対しては、近くにいた男の魔道士が答える。

「きっと、魔法具を使ったからだ。魔力に反応する種類の罠なのだろう。だが、魔法の残滓を辿れるかも」

 彼は魔法陣の出た辺りに右手をかざし、目を閉ざした。魔法の残滓がどういうものかは、ロイには分からない。昔聞いた話では、手が暖かくなるとか、ボワッとした感じがするなどの感覚で判断しているとのことだ。感じ方も個人差があるようで、結局のところ説明を聞いても、感じている本人にしか分からない。

「奥の方だ。転移先は、洞窟の奥に違いない」

 魔道士の男は、魔力を感じた方角を指さした。他の魔道士も、同意の仕草をした。

「分かった。奥へ探しに行こう」

 ロイは身支度を終えていた。周りには、同じように仲間を探しに行こうとする人々がいる。

「ちょっと待て。ケントたちはどうする? 戻ってきたときに誰もいなかったら、不審に思われるだろう。せめて、俺かお前のどちらかが残って説明をしないと」

 ポールは言う。彼もルーアンの事が気がかりなのだ。

「それもそうだ。では、どちらが残る? 俺は早くウォリディを見つけたい」

「俺も、妹を探しに行きたい」

「では、何かで決めなければならぬな」

 ポールはそう言った。その間に、周りのパーティーは、ある者は消えた仲間を捜しに。またある者は、この機に迷宮探索の続きを始めようとする。ポールも早く妹を探しに行きたいのだろう。双子の妹を失うかも知れない恐怖が、唇の震えに出ている。

「悪いが、俺たちは先に行くぜ」

 彼らの1人が、律儀にも声を掛けてきて、洞窟の奥に向かった。ポールはため息をつき、ズボンのポケットから銅貨を取り出した。

「時間が無いな。コイントスで決めよう。表か裏か、お前はどちらを選ぶ?」

「裏だ」

 ロイは即答する。彼の選択は本当に適当だ。ポールはコインを投げ上げ、左手の甲で受け、右手を覆い被せてコインを捕らえた。右手をそっとどけると、コインの裏側が見えた。

「お前の勝ちだ」

 ポールは舌打ちした。ロイは黙って、洞窟の奥に向かって歩き出した。


 転移された一団と、トロルの戦いは終了した。結果としては、トロル5体ほどを倒し、他は撤退させた。人的被害は最低限で済んだようだ。死者はなく、怪我人は回復魔法の治療を受けている。ただ、精神にダメージを負った人の回復は、簡単ではない。それは、ウォリディのことだ。今は上半身を起こし、ウォルターに背中をさすって貰っているが、先ほどまでは亀のように地面にうずくまっていた。炎が消えた今、ようやく落ち着きつつあるが、過呼吸の状態である。トロルの襲撃とは直接関係はなく、転移直前の火炎魔法のせいだと、リーゼは見ていた。炎を見た時の彼女のおびえ方は尋常ではない。その辺りの事情を知っていそうな男は、今はいない。彼は転移魔法から逃れたようだ。

 リーゼは、この場にいる人間たちを観察した。この場にいるのは、リーゼ自身を含めて19人。剣士の割合が多く半数以上を占めているが、槍や盾を持つ者、魔道士もそれぞれ複数いる。ちなみに、射手はルーアンただ1人だ。パーティー丸ごと転移したのは1つだけで、他はメンバーと離ればなれになってしまったようだ。それはリーゼ自身も同じだ。そして、これからどうするかを考えなければならない。人数が揃っているパーティーは、そのまま先へ進めるだろう。残った人たちは、まずは仲間と合流することを優先する。問題は、前後に続く洞窟のどちらに進むべきか、だ。どちらも先は真っ暗で、出口がどちらか全く分からない。

 考えても無駄と、リーゼはウォリディの横にしゃがみ込んだ。

「ウォリディさん。大丈夫?」

 リーゼは声を掛けた。ウォリディは荒い息ではあるが頷いた。充血した涙目が痛々しい。

「全く。あなたがこんな目に遭っているというのに、あの男と来たら、転移魔法陣から逃げてどこへ行ったのかしら?」

 リーゼは悪態をつく。それは、その場の空気を和ますためのもので、本気ではない。戦いから戻ってきたルーアンも、

「イタチを名乗っているのだから、地面に穴を掘ったんでしょう」

という。ウォリディは首を横に振り、

「いえ。彼は逃げたんじゃなくて、こちらに来られなかったのだと思います」

と答えた。

「来られなかった?」

 リーゼは聞き返す。ウォリディは黙って頷いたが、それ以上は語らない。

「まあ、良いわ。それより、これからどうする? 私は早く、兄様と合流したいのだけど」

 ルーアンは言う。彼女は弓を使っていたはずだが、今はなぜかナイフを何本も持っていて、付いたトロルの血を布で拭いながら、革製の腰の鞄に収納していった。

「おや? ルーアンさんはナイフもお得意で?」

 リーゼは聞いた。ルーアンはため息をつき、

「何? これは接近戦用よ。矢を使い果たしたら、丸腰になるから。投げにも使えるし」

と不機嫌そうな顔で答える。ポールと離ればなれになって、余計に苛立っているようだ。それは、この場にいる誰にも共通している感情だ。事件で足止めされた上に、罠で強制的に転移されたのだから。それでも、命を取られるよりはマシだ。

「その……ロイのいる方角なら、なんとか分かります」

 ウォリディは答えた。右手には、蓋の付いた方位磁針が握られていた。蓋を開くと、当然だが片方が赤く塗られた針が、円の中心を軸にゆらゆらとしながら、ある一方向を指していた。ウォリディの左前方で、洞窟の壁があるが、近くには通路がある。

「これは、北を指しているのではなくて?」

 リーゼは聞き返す。ウォルターは自分の方位磁針を取り出して横に並べた。彼のは、90度以上右にずれた方角を指していた。

「これは普通の方位磁石ですが、指している方向が違います。どうやら本当のようですね」

 ウォルターはそれぞれの方位磁針を指しながら言った。

「じゃあ、ウォリディさんの持っているコレの方角に向かえば、少なくともロイさんとは合流できるということですね?」

「はい」

 ウォリディは答えた。

「兄様のところへは戻れるの?」

 ルーアンは苛立っている。

「ルーアンさん。落ち着いてください。ロイさんがあの場所に残ったのなら、ポールさんもいるでしょう。それより、どうやって戻るか、ですよ。今の私たちには、前衛で戦ってくれる人がいないのですから。早く合流しないと大変なことになりますよ」

 リーゼは語気を強めて言った。今は個人の都合を聞いている場合ではないのだ。遠距離の敵は魔法や弓矢で対処するとしても、敵の接近を許せば命に係わる。

「そうね。確かにあなたの言うとおりだわ」

 リーゼの言葉にルーアンは納得し、立ち上がり、周りの人々に向かって声を掛けた。

「誰か、あちらの方角に行く人はいる?」

「俺たちは、そっちに向かうつもりだ」

 ルーアンの声に反応して、パーティーとはぐれた何人かが手を挙げた。皆、接近戦が得意な業種だった。

「では、一緒に行ってもらえますか?」

「ああ。いいとも」

 男たちが承諾したので、ルーアンたちの当面の安全は確保された。

 一方、手を挙げなかった者たちは、態度を保留したか、反対方向へ向かうことにしたようだ。出口がどちらか分からない以上、そういう判断が間違っているとは言えない。迷宮内である以上、ウォリディの方位磁針の指す方角が、ロイのいる場所への最短ルートという保証もないからだ。ただ、今はこれ以外に頼りとする情報はない。

「ウォリディさん。立てますか?」

「はい。大丈夫です」

 ウォリディは弱い声ではあったが、自力で立ち上がった。支えは必要なさそうだ。それを見たリーゼは大きく頷いた。

「それはよかった。さあ、行きましょう」

 ところで、ウォリディの持つ方位磁針は、正確にはロイ自身を指しているのではない。実際は、彼が持っているペンダントに反応している。そのペンダントは、彼の仲間と遠隔で会話できる魔法具でもあるのだが、残念ながら彼女はペンダントを持っていないし、方位磁針に通信のための魔法は仕込まれていない。この2つの魔法具は、ウォリディの師匠でもある高名な魔道士ジル・クリスティの作だ。今度彼女に会うことがあれば、方位磁針に新しく通信魔法を付与してもらおうと、ウォリディは考えた。


 洞窟の奥へ向かう一団は、ロイの他に男女5、6人いた。寄せ集めの一団であり、協調する様子はなかった。その方が、ロイにとっても都合がよかった。彼は、人と一緒に動くことが苦手な男である。

しかし、彼は同じ方向に向かう人々を無視するわけでもない。彼は、前方に見えたゴブリンを見つけると、歩きながら黙って剣を抜いた。そして、襲ってきたゴブリンをすれ違い様に切って捨てた。ロイは歩みを止めない。それ故、全てのゴブリンを退治したわけではない。ただ、後から付いてくる者たちが残りを退治してくれる。

 周りに敵対する者がいないことを確認したロイは、剣を腰の鞘に戻した。

 歩きながら、ロイはふと、胸元からペンダントを取り出した。鎖で首から提げられた、金属製の四角いロケットペンダントで、中に絵が入っている。6人の子供の絵で、誰1人笑っておらず、思い出を封じた物には似つかわしくない。そもそも、孤独な傭兵には似つかわしくないアクセサリーだが、実は魔法を付与されていて、同じペンダントを持つ仲間と遠隔で通話できる機能がある。ウォリディの師匠であるジル・クリスティの作成した物だが、ジルは余計なことに、このペンダントの存在する方角を示す方位磁針をウォリディに渡していた。今回は、それが役に立つことだろう。ただ、ペンダントと方位磁針の間では通話はできない。したがって、ロイからは、ウォリディの位置や無事かを確認できない。

 ロイは、ペンダントを握り、ジルを思い浮かべた。しばらくして、ペンダントが女の声を発した。

「ロイなの? あなたから声を掛けてくるなんて、珍しい」

 ペンダントを作った張本人、ジル・クリスティだ。

「ああ。俺も、声を掛けるつもりは無かったのだが」

 ロイは小声で答えた。

「それはどういう意味? ウォリディとは上手くいっているのかしら?」

「それが、問題が発生した。彼女が転移の罠に掛かって、消えてしまった」

「何ですって? あなた、今、どこにいるの?」

 ジルが大声を出した。ロイは慌ててペンダントを両手で挟んだ。。

「大声を出さないでくれ。今、洞窟の中だ。アクアリウス領の」

「洞窟内……それなら、洞窟内のどこかに飛ばされた可能性が高いわね。彼女1人が飛ばされたの?」

「いや。別の傭兵たちと一緒に飛ばされ、俺だけが残った。居場所を知りたいが、彼女と連絡を執る手段がない」

「そうね。彼女にはペンダントを渡してないから。でも、確か、方位磁針は渡したわ。あなたの居場所を示すやつね」

「じゃあ、それを使って……」

「だけど、通信機能は付けてないわ。逆に言えば、彼女からは、あなたのいる方角が分かるのよ。いっその事、あなたが動かずに待っていたら?」

 ロイは歩きながら、ペンダントを通じてジルと話す。その間にも魔物が単体で現れ、剣を抜いて倒した。その音はジルにも伝わったのだろう。

「その音は……まさか、戦ってる最中?」

「ああ。ウォリディを捜しながら、邪魔な魔物を倒している」

「ああ、そう。忙しいのなら、通信を切るわ」

 ジルは呆れているようだ。

「悪かった。彼女と再会する可能性が見えてきた。助かったよ」

「また、今度聞かせて。今、王都にいるから。マリオンもね」

 音声は消えた。

「歩きながら倒していくとは。さすがワイルドと付くだけのことはありますね」

 歩き続けるロイの後ろに、駆け足で寄ってきたのは、魔法陣の残滓を探っていた男で、今も、おおよその方角を教えてくれている。通信を聞かれたかも知れないが、今は大した問題ではない。

「急いでいるので」

 ロイは振り返りもせず答えた。

「しかし、あのポールさんと一緒に仕事をして、大丈夫なんですか?」

「何か問題でも?」

 ロイは歩きながら聞き返した。

「あの人。傭兵が殺された事件に、いつも関係しているんですよ。一緒に仕事をしていたときもあるし、その後で起きたこともある」

 男の言葉に、ロイは目を動かす。

「全てに関係していると、どうして知っているんだ?」

「そりゃあ、みんながそう言っているからですよ。受付の人も、あの人が怪しいって」

 男の言葉を聞いたロイは、視線を前に戻した。男の話は、噂と同じくらい当てにならないものだった。その後も男の話は続いた。ロイはほとんど答えず、時々戦いながら歩いた。

 黙々と歩くと、前方から明かりが見えた。魔法による光球だ。そして、複数の足音が聞こえる。距離は分からない。向こうも、ロイのカンテラや、その後ろに続く人々の持つ灯火に気付いただろう。ロイは立ち止まり、カンテラを高く掲げた。

「そこに、ウォリディはいるか?」

 ロイは言った。声が洞窟内で反響し、木霊する。

「ロイ。来てくれたのね!」

 ウォリディの声が返ってきた。安堵のざわめきも聞こえてきた。それは背後からもだ。ロイは再び歩き出した。何人かは走り出し、ロイを追い越していった。反対側からも、駆けてくる音がした。仲間の無事を確認し、中には喜びのあまり抱き合う人々もいた。狭い洞窟の中でたくさんの人間が動いたため、ロイはウォリディを見つけられなかった。

「姫。どこですか?」

 ロイは焦った。つい、前世での癖が出た。先ほどは確かに彼女の声が聞こえた。しかし、洞窟内は誰かの作った光球で照らされても、なお薄暗い。その上、人が多い。

「姫!」

 ロイはもう一度呼びかける。同時に、息が出来ないほどの衝撃を胸で受け止めた。いつもの彼なら剣を取るところだが、今は手のやり場に困っている。

「ロイ。無事で良かった」

 彼の胸に飛び込んできた少女、ウォリディになぜか心配され、ロイは戸惑った。

「姫。その……1人にしてしまい、申し訳ありません」

「姫じゃないわ。それに、リーゼさんたちもいたから大丈夫。あなたが悪いんじゃない」

 ウォリディはロイと視線を合わせた。ロイは思わず顔を背けた。

「ウォリディ。無事なのは分かった。だから、離れてくれないか? ここには大勢の目があるし、俺も身動きがとれない」

 ロイが言うと、ウォリディは素早く彼から離れて、恥ずかしそうに俯く。

「そ、そうね。無事が確認できたから、良かったわ」

 ウォリディは辺りの様子を伺う。誰もこの2人のことを気に留めることはなく、仲間と合流できた者たちから洞窟の奥に進むなどして、この場から立ち去っていった。合流できなかった者たちは、洞窟の広場へ戻る道を選んでいった。いや、1人だけ2人を見守っていた人物がいる。リーゼだ。

「ロイさんと合流できて良かったですよ。やはり、前衛がいないと危険ですからね」

 リーゼの言葉に、ウォルターも頷く。彼は非戦闘職だから、尚更だ。そして、ルーアンは辺りを見回し、

「ポールは? 兄様はどこ?」

「ケントさんが戻ってきた時のことを考えて、広場に残った」

 ルーアンの問いに、ロイは答えた。普通に答えたつもりだ。だが、ルーアンの顔が険しくなった。

「どうして兄様が来なかったの? 私が転移の罠に巻き込まれてしまったというのに」

「いや。ポールはあなたを捜すつもりでいたが、どちらかが残ってケントさんに説明をしなければならなかった。それで、賭けをして、俺が行くことになった」

 ロイは説明をした。だが、彼女の怒りは収まらなかった。

「なぜ、あなたが残らなかったの?」

「俺は俺で、ウォリディを捜さなければならなかった」

 ロイは戸惑った。いや、その場にいた全員が、彼女の言動に唖然としている。

「この娘のせいなのね?」

 ルーアンの怒りの矛先がウォリディに向く。ロイは不穏な空気を感じ取った。これは普通ではない。ポールと離ればなれになったことが彼女に過度なストレスとなり、おかしくさせたのだろうか。ウォリディはルーアンのすぐ近くにいる。

「ルーアンさん。ウォリディは関係ない。何か問題があったとするなら、俺だ」

 ロイは、彼女をルーアンから遠ざけようと、ルーアンに近づいた。すると、ルーアンは突如、ウォリディの両肩に手を当て、反時計回りに反転させると、背後から左腕を彼女の上半身に回した。そして、右手にはいつの間にか抜かれたナイフがあり、それをウォリディの首に当てていた。

「きゃっ」

 ウォリディは短い悲鳴を上げた後、言葉を失った。

「ちょっと、何をしてるんですか!」

 リーゼが声を上げた。ルーアンは、ロイやルーアン、ウォルターから距離を取りながら、

「みんな、私からポールを取り上げようとしているのね。そうはさせない。早く、ポールのところへ連れて行きなさい!」

と、絶叫のごとき声で要求した。

「ウォリディを放せ」

 ロイはウォリディを助けようと動き掛け、思い直して止めた。今の状況では、ウォリディの身に危険が及ぶ。

「ルーアンさん、落ち着いてください。今から広場に戻るところじゃないですか」

 リーゼは怒気を含んだ声で言う。実際、ルーアンの突拍子もない行動は、何の意味も無いことだ。

「リーゼさんの言うとおり、広場に戻ればポールさんに会える。だから、彼女を放せ」

「そんなことを言っても、私はだまされない。あなた達は、私とポールを引き離そうとしているのよ。エリオットも、ゴーシュも。そしてロイ、あなたも! みんな私の邪魔をする」

「エリオット?」

 ロイは驚きの顔で聞き返す。一番聞きたいのは、ルーアンの告白だ。彼女はとんでもないことを明かそうとしている。

「殺された傭兵の1人ですよ。でも、まさか、傭兵を殺してきたのは、ルーアンさんなの? でも、犯人は男の筈」

 ロイの質問に答えたリーゼもまた、困惑していた。

「殺されたのが屈強な男ばかりだから、そう思い込んでいたんだ。寝込みを襲えば、武器の扱いに慣れた人間なら、誰でも可能性があった」

 ロイは言った。

「そうよ。どいつもこいつも、私から兄を奪おうとした。兄は私のものよ。誰にも渡さない!」

 ルーアンの力強い言葉は、そのまま彼女の強い想いを表している。

「兄をって、あなたとポールは実の兄妹でしょう?」

「そうよ。だから、何? 私たちは双子として生まれただけで家を追い出され、世間から酷い仕打ちを受けた。そんなときに、いつも手を差し伸べてくれたのはポールだけ。それ以外にはいなかった。近づいてくるのは、いつも下心のある奴らだけ。だから、兄に恋をして何が悪いの?」

「神は、兄弟愛は大切と説いていますが、あなたの言うのは、どうやらプラトニックな恋愛ではないようですね。ですが、それは神が禁じています」

「神が何よ! 私たちが苦しむのを空から見て喜んでいるだけで、救いの手を一切差し出さない神など、こちらから願い下げだわ」

「神は、あなた方の信仰心を見守っているし、必要な時には手を差し伸べていた筈。ただ祈れば助けて貰えると考えるのは、大きな間違いです」

 ルーアンとリーゼは口論を始めた。

「ルーアン。お前……」

 その声で、そこにいた者たちはやっと、ポールの存在に気付いた。その後ろにはケントもいた。思いのほか早い到着だ。

「皆さん、落ち着いてください。一体、何があったのですか?」

 ケントは、困惑しながら訪ねた。誰も、この異常な状況を説明できなかった。

「兄様!」

 ルーアンはようやく明るい声を出した。しかし、手遅れだ。彼女がこれまで働いた凶行は、この場にいた全員が聞いている。ポールの様子を見ても、彼が核心部分を聞いていたのは間違いない。そして今、彼女の注意がウォリディから逸れている。

「ウォリディ。変身だ」

 ロイは言った。ウォリディは頷くと、一瞬のうちに姿を消した。その代わり、先ほどまで彼女がいたその頭上辺りに、彼女に似た顔をした、しかし背の高さは20センチ弱のピクシーが、背中の4枚の羽根で宙に浮いていた。ピクシーはルーアンに向けて両手を伸ばし、

「風よ、集い舞え」

と言葉を述べた。その突き出した両手から、風が小さな竜巻のように渦を巻き、ルーアンに迫った。風は砂埃を巻き上げ、ルーアンは数歩下がった。ウォリディとルーアンの間に距離ができた。

 ロイはウォリディに近寄ろうとしたが、それより前に、ポールが彼の前に出て、ルーアンに近寄った。彼はなぜか震えていた。

「お前が……今まで、俺の邪魔していたのか?」

 ポールは震える声で言った。

「だってそれは、兄様のために……」

「俺のため?」

「そうよ。だって、兄様のことを一番理解しているのは、この私です。兄様の苦しみを理解していない男どもから守るには、排除するしかなかった。兄様には、私が必要なんです」

「そうか。残念だ」

 ポールの言葉に、ロイは不穏な空気を感じて、

「危ない!」

と叫んだ。その時には、ポールは背中の大剣を抜き、振り下ろしていた。剣の風圧がウォリディを吹き飛ばした。

「あっ」

 悲鳴を上げる前に、ウォリディは洞窟の壁に叩きつけられ、地面に落ちた。そして、振り下ろされた大剣は、ルーアンに届いていた。

「な……ぜ……」

 ルーアンは後ろに倒れた。意外そうな顔をしていた。ロイは、ウォリディの元に駆け寄った。彼女は気を失っていた。小さくなった彼女をすくい上げようとしたが、ポールの声がそれを邪魔した。

「俺は、お前のことが嫌いではなかった。しかし、俺には俺の恋愛がある。それを邪魔するのなら、こうするしかなかった。そうだろう? ロイ」

 ポールの声は震えていた。呼びかけられたロイは、ウォリディから離れた。

「リーゼさん。彼女のことを頼む」

 ロイは、ウォリディの面倒をリーゼに頼んだ。そして、ポールと距離を取りつつ、

「ルーアンの事は、何と言ったら良いのか分からない。だが、殺す必要は無かったはずだ」

「そうだな。だが、怒りが俺にそうさせた。お前はどうだ? お前は、俺の相手をしてくれるのか?」

「何の相手だ?」

 ロイはポールの問いに、問いで返した。剣での相手なら、どうにかなる。しかし、愛に関しては、ロイに期待するのは間違っている。

「俺は、お前が気に入った」

「生憎だが、俺は恋愛とかに興味は無い。ゴーシュの代わりになるつもりもない。少なくとも、お前とは嗜好は違うようだ」

「そうか。お前が俺の愛を受け入れないのなら、死んで貰うしかない」

「どういう話でそうなるのか、全く分からんが、お前の愛は重すぎる。ここで命のやりとりをするなんて、馬鹿馬鹿しい」

 ロイは言ったが、内心では、この戦いは避けられないことを感じていた。理屈は通らない。貴族にありがちな、手に入らないのなら消してしまう、という考えなのか。

「ポールさん。どうか剣をお収めください。今なら、ゴーシュさんを殺した犯人を倒したと言うことで、解決できます。しかし、ロイさんと斬り合えば、あなたは罪に問われる」

 ケントはオロオロしながらも、気丈に振る舞った。大剣を構えた男を前にしているのだから、無理もない。ただ、彼の説得も通じないだろう。ポールはルーアンと同じく、興奮状態にある。冷静な判断は期待できない。それは、ロイにも言えた。普通に考えれば、ここは逃げるしかない。大剣の、しかも衝撃波を生み出すような男に、カットラスで立ち向かうのは無理がある。

「構わん。俺はもう、疲れた。今、たった1人の妹も失った。そして、たった一つの恋も成就せぬ人生に嫌気が差した。お前もそうだろう? ロイ」

 ポールは言いながらウォリディを指さし、続けた。

「俺は、お前の大事な娘に怪我を負わせたのに、反撃しようとしない。身近にそんな娘を置いておきながら、恋愛感情を抱かないのは、お前も俺と同じ類いの人間だから、だろう。だが、お前は俺を拒絶した。だから、お前を倒して、俺も死ぬ」

「心中なら、他の奴とやれ」

 ロイは、カットラスを抜いた。だが、構えなかった。

 彼は、剣を直接交わすのは躊躇した。ポールの大剣はすごく重い。ウォリディを吹き飛ばすほどの風を生み、地面に当たれば地響きがし、地面が揺れるような錯覚を覚える。両手で持つように作られているが、それでも並の男では扱うのは無理だ。ポールは身体強化の魔法で剣を片手でも軽々と扱っている。この剣とまともにぶつかれば、カットラスは折れてしまうか、曲がってしまうだろう。だが、大剣を防ぐ盾はどこにもない。金属の棒を仕込んだだけ革製手甲では話にもならない。

 先に動いたのはポールだ。彼の大剣は、重力を利用した斬撃、あるいは打撃が中心だ。初めに剣を振り上げる動作がある筈。その間に、彼の懐に入れば、ロイにもチャンスがある。が、大剣は水平にも振るわれた。垂直に振られたのなら、横に逃げれば対応できる。水平に振られると、逃げ道は下しかない。それではポールの懐に飛び込めない。彼は、自分の弱点を熟知して、対応している。ロイにとって不利なのは、ここが狭い洞窟で逃げ場がないこと。ケントたちがいるので、さらに逃げ場が少ない。

 ロイは自分のマントを外し、左手に持った。

「さあ、かかってこい」

 ポールはロイを挑発した。大剣は左から右上に振り上げられた。ポールの手の動きに合わせ、ロイは左手を振った。その手に握られていたマントが、ポールの大剣に巻き付いた。これでは、大剣は斬りつけられない。

「小癪な!」

 マントを振り払おうとして、ポールは剣を左に振った。ロイは、大剣に巻き付いたマントに引っ張られ、地面に引きずり倒された。急に引っ張られた左腕に激痛が走った。だが、倒れたロイの目と鼻の先には、ポールが立っている。

 ロイは剣をポールに突き出した。いくらポールが身体強化を自分に掛けていても、突きを跳ね返すほどの防御力はない。それでもポールは倒れなかったので、ロイは片膝立ちになり、ダメ押しで、今度は剣を振り上げた。ポールは倒れた。

 ロイはマントを手放し、立ち上がった。確かな手応えを感じたからだ。

「無鉄砲な奴だ。そうか。だから、ワイルドと呼ばれているのか」

 ポールは息も絶え絶えに言い、静かになった。ロイは複雑な顔をしながら、剣を鞘に収めた。

 ロイは、ポールの大剣に巻き付いたマントを外し、身に纏った。そして、ウォリディを介抱するリーゼに近づいた。リーゼは、身体の小さいピクシーを両手に乗せていたが、取り扱いに戸惑っていた。

「私は、ピクシーの脈なんて取ったことありませんよ。一応、呼吸はしているようなので、生きているのは間違いないのですが、目を覚ましません。壁で頭を打ち付けたのかも。ヒールを掛けたのですがね」

 リーゼは、ウォリディの容態を説明する。

「それでもありがたい」

 ロイは簡単に礼を述べる。

「しかし、ウォリディさんが実はピクシーだったなんて、全然気付きませんでしたよ。どうして教えてくれなかったんです?」

「聞かれなかったからだ」

 ロイは振り返ってケントを捜した。ケントは、ウォルターと共にポールやルーアンの死亡を確認し、その身体を洞窟の端へ移動させた。両手を胸の高さで組ませ、最低限の敬意を払う。

「まさか、お2人が傭兵殺しに関わっていたとは」

 ケントは呟くように言う。

「ケントさん。衛兵はどうなりました?」

 ロイは聞いた。ケントは首を横に振り、

「それが、領内で人攫いが横行しているから、兵士は出せない、と言われました。そうはいっても、事件ですからね。無理を言って、3人ほど派遣して貰いました。今、大広間にいる筈です」

「俺たちはこれから、どうしますか?」

「そうですね。とても地図作りどころではありません。洞窟を出ましょう。リーゼさん。お2人に祈りを捧げてもらえませんか?」

 ケントの言葉を受け、リーゼはウォリディをロイに預け、ポールとルーアンの元に向かった。ロイは帽子を脱いで逆さにし、ウォリディをその中に入れた。


 帰りは先頭にロイが立ち、ウォリディの入った帽子を預かるリーゼ、ケント、ウォルターと続いた。大広間で衛兵と会い、ケントが事件の顛末を説明した。そして、そのことを外の衛兵にも伝えるため、彼らはすぐに洞窟の外に向かって歩き出した。ケントは領主から一定の信頼を得ている立場のようで、衛兵たちは彼の説明を信用して難なく通行を許可した。

 洞窟の外に出たのは、夕方だった。ケントは外の衛兵に対しても同じように説明し、遺体の回収を依頼した。その間に、ロイたちは休憩所に移動し、机を用意し、帽子の中からウォリディを出して、机に寝かせた。リーゼがその上に、自分のハンカチを布団代わりに被せた。

「目を覚ましませんね。身体は大丈夫だと思いますが、これ以上は手の施しようがありません」

 リーゼは言う。ロイは、指先でウォリディの左手をさする。

「あなたはよくやってくれた。後は、目が覚めるまでそってしておく」

「ウォリディさんがピクシーだったとは、ね。でも、人の姿になれるピクシーなんて聞いたことがありませんよ」

「出来れば、秘密にしておいて欲しい。よからぬ輩に目を付けられたくない」

「あの……彼女、炎の壁を見て酷く怯えていたのですが、何かあったんですか?」

 リーゼに聞かれると、ロイは暗い顔をした。

「それは、火で恐ろしい体験をしたからだ。その時も、今回も、俺は彼女を守れなかった」

「何を言っているのですか? 彼女は生きている。ちゃんと守ったじゃないですか」

「どこがだ? 転移の罠で離ればなれになり、今度は意識を失っている。やはり俺は……」

 ロイは帽子を被った。情けない顔を隠すためだ。

「……傭兵をやっていれば、危険は付きものです。私だって、何度も死にそうな目に遭いました」

 リーゼは慰めのつもりで言う。ウォルターも恐る恐る、

「俺も、非戦闘員だけど、死にそうになったことは何度もあります」

と言う。彼も、ロイに気を遣っていた。

 ケントが話を終えて、休憩所にやってきた。

「皆さん。残念ですが、今回の仕事はここまでとします。報酬ですが、心苦しいですが、実際の仕事量を鑑み、1日分とさせていただきます」

 ケントは申し訳なさそうに言う。言い分は分かる。しかし、リーゼは、

「そんな! 事件で仕方がないのは理解していますが、この洞窟で2日過ごしたんですよ。せめて、2日分は貰わないと」

と異議を申し立てる。

「済みませんが、本日の分は地図の仕事に伴うものではないので、規則上支払えません」

「仰ることは分かりますがねぇ、心情的には納得出来ませんわ」

 リーゼはなおも抗弁する。ケントはリーゼの興奮を抑えるように両手を上げながら、

「分かります。その代わりと言っては何ですが、今回、皆さんは傭兵殺しの犯人を突き止めてくださいました。侯爵様は、事件の解決に寄与した者に報奨金を出すと言っています。私やウォルターが証人となりますので、その報奨金でご理解いただけませんか?」

と言う。それを聞いた途端、リーゼの態度は軟化した。

「ああ。そういうことでしたら、早く言って下さったら良いのに。そのお金はどちらで受け取れるのですか?」

 彼女は急に明るくなった。

「斡旋所で支払われるでしょう。私と一緒に行けば、大丈夫です」

「依頼はここで終了、と言うことで良いか?」

 ロイは確認のために聞いた。

「はい」

 ケントは答えた。

「では、俺の取り分は、ウォリディに渡してくれ」

 ロイは突然、そう言った。自分は金を受け取らない、と言っているに等しい。同時に、ここから別行動を取ると聞こえた。

「ロイさんは、どうするのですか?」

 ケントは耳を疑い、聞いた。

「俺は、このまま旅に出る」

「ちょっと! それじゃぁ、ウォリディさんはどうなるのですか?」

 リーゼは声を上げた。ロイは街道に向かって歩き出そうとしていた。立ち止まり、顔だけリーゼに向け、

「リーゼさん。あなたに彼女を預けたい」

と言った。リーゼは顔をしかめた。当然だろう。彼は、ウォリディと別れると言っているのだ。彼女が気を失っているというのに。

「あなた、何を言っているんですか? 彼女が怪我を負っているというのに、置いていくというのですか?」

「これ以上、危険な目に遭わせたくない。彼女には、傭兵の仕事は無理だ」

「だからって、私に預けられても困ります。彼女の思いは? ウォリディさんはきっと、あなたと一緒にいたいと願っているはずですよ。それを無視するのですか?」

「俺と一緒にいるから、危険な目に遭うんだ。ポールやルーアンの一件で、それを痛感した」

 ロイの意思は頑なだった。無駄と分かっても、リーゼは黙っていられなかった。それは、元聖職者としての意地だ。

「では、あなたには生き方を変える、と言う選択肢はないのですか?」

「俺は、戦うために生み出された、孤独な生き物だ。他の生き方は出来ない」

 リーゼは、ロイがホムンクルスであることを聞いていたので、彼の言葉に反論できなかった。代わりに、

「例え、あなたがそのような宿命を負っていたとしても、神に真摯に祈れば、きっと道は開けます。どうか、希望を捨てないでください」

 ロイは、ゆっくり歩き出した。遠ざかる彼に、リーゼは苦し紛れに、

「せめて、どこに行くのかだけでも教えてください。でないと、あなたの取り分、私がいただいちゃいますよ!」

と大声で言う。それで彼の足が止まるとは思っていなかったが、何か言ってやらずにはいられなかった。

「ウォリディのこと、頼みます」

 ロイは、リーゼたちに聞こえないほど小さな声で呟いた。


  第1話 終わり

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