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第8話 【洗濯魔法】で暗殺者を丸洗い

 傲慢な義弟アルベルトとの御前試合において、レオン様が木剣の一振りで完全な勝利(と、義弟への『おもらしざまぁ』)を収めてから、三日。


 アルヴェイン公爵邸の空気は、これまでになく異様なざわつきと緊張感に包まれていた。


「……おい、見たかよ。三日前のあの一撃」

「ああ、見た。木剣であの動き、あの踏み込みの速度……。とても八歳の子供が放つ太刀筋じゃなかった。まるで、王国騎士団の師団長クラスの剣技だぞ」

「いや、でも相手はまだ十歳とはいえ、あのアルベルト様だぞ? 最新の軽鎧まで着込んでいたのに、全く反応すらできていなかったじゃないか。しかも、あの後アルベルト様は……その……」

「しっ! 馬鹿、声が大きい! 夫人派の者に聞かれたらクビが飛ぶぞ!」

「……でもよ、本当にあの嫡男様は『無能の呪われた子』なのか? 俺にはどうしても、そうは思えないんだが……」


 すれ違う騎士見習いたちが、周囲を気にしながらそう囁き合い。

 使用人たちが、北棟の方角を恐れと好奇の入り混じった目で見つめながらひそひそと視線を交わし。

 継母であるエルザ夫人の派閥の人間たちが、かつてないほどの危機感を募らせて露骨に機嫌を悪くし、屋敷のあちこちでヒステリックに怒鳴り散らしている。


 私はその様子を、北棟のバルコニーで大量の洗濯物を干しながら、静かに、そして口元をニチャァと歪めながら観察していた。


「……ふふっ。よしよし」


 誰にも聞こえない声で、小さく呟く。


 順調だ。

 恐ろしいほど、プロデュース計画が順調に推移している。


 レオン様が「ただ理不尽に耐えるだけの、無能で可哀想な嫡男」ではなく、「底知れない才能と冷酷さを持つ、アルヴェイン家の真の血継者」として、周囲の大人たちに正しく認識され始めている。

 エルザ夫人やその取り巻きたちにとっては、自分たちの地位を脅かす最悪の焦りの種だろうが、こちらからすれば、バッドエンドのフラグをへし折るための大いなる進歩だ。


 とはいえ。

 あのプライドが高く陰湿な継母が、このまま大人しく引き下がるはずもないことくらい、前世でゲームをしゃぶり尽くした私には火を見るより明らかだった。


 原作ゲームでも、そうだった。

 レオン様が少しでも頭角を現し、公爵や周囲の注目を集めるたびに、エルザ夫人からの嫌がらせはより陰湿に、より悪辣に、そしてより直接的な『暴力』へとエスカレートしていく。


 食事への遅効性毒の混入。

 訓練中の事故に見せかけた罠。

 使用人を買収しての悪質な情報操作と孤立化。

 そして――屋敷の権力だけではどうにもならなくなった時に使われる、裏社会の外部勢力の手を借りた“物理的な排除(暗殺)”。


「次は、いよいよ『直接的な物理』が来るだろうなぁ……」


 私は、洗い立ての真っ白なシーツをパンッ! と威勢よく広げながら、空を見上げて呟いた。


 むしろ、来ない方がおかしい。

 あの異常なまでに自己愛の強いエルザ夫人と、公衆の面前で失禁させられた義弟アルベルトが、あの御前試合での歴史に残る特大の赤っ恥を、水に流して許してくれるわけがないのだ。

 自分が恥をかいた分だけ、相手を血祭りに上げなければ気が済まない。それが三流悪役という生き物である。


 だから私は、ここ数日間、常に神経を尖らせて警戒を最大レベルにまで強めていた。


 食事は当然、厨房から出た瞬間に私がすべて【煮沸消毒(錬金)】で完全無毒化&バフ飯化。

 レオン様の部屋の周囲に張った神殿レベルの【お掃除結界】も、毎日こっそりと魔力を注ぎ直してメンテナンス。

 北棟の周囲も、不審な気配がないか、ゴミ出しのついでにさりげなく見回っている。


 そして何より――『夜間の警戒』。


 表向きの嫌がらせや毒が一切通じなくなった時、人間は必ず、人目につかない暗闇の中で、最も直接的な手段(凶器)を用いて問題を解決しようとする。

 それが、ファンタジー世界における暗殺のセオリーだ。


「……クロエ」


 不意に、背後から音もなく静かな声がして、私はビクッと肩を震わせて振り返った。


「レオン様!」


 そこに立っていたのは、今日も今日とて国宝級にたいへん麗しい私の最推しだった。

 しかも最近は、単なる『儚げな美少年』という枠を完全に逸脱し、その圧倒的な美しさの中に、名刀の刃のような“研ぎ澄まされた静けさと覇気”が混ざってきている。

 まだたった八歳だというのに、ふとした瞬間に、大人の屈強な騎士すらも思わず平伏してしまいそうになるほど、年齢不相応な『冷たく凄みのある顔』を見せることがあるのだ。


 うんうん。

 順調に、原作ゲームの“冷酷無慈悲な最強公爵”への片鱗が育ってきている。素晴らしい。

 でも、私と二人きりの時は、ちゃんと年相応の柔らかく甘えた顔をしてくれるので、オタクの心臓の健康上は全く問題ない。たぶん。


「こんなところにいらしたんですね。風が冷えませんか?」

「クロエが部屋にいなかったから、探しに来たんだ」

「えっ」


 また、息をするように自然に、そういう心臓に悪いことを言う。


 私は内心でぐっと左胸を押さえた。

 なんだろう、最近のレオン様、私に対するパーソナルスペースが物理的にも精神的にもバグり始めている気がする。いや、推しに必要とされるのはファンとして最高に可愛いし、最高に嬉しいんだけど! たまにストレートすぎて動悸が激しくなる!


「お洗濯ですか」

「はい。今日はとても良いお天気なので、お布団のシーツを干してふかふかにしようかと」

「……その、魔法」

「はい?」

「前からずっと思ってたんだけど。クロエのそれ、すごく便利そうだね」


 レオン様の蒼い瞳が、私の手元――正確には、私が干しているシーツの方へ向けられる。

 そこには、私が無意識に【生活魔法:風乾燥(温風・ふんわり仕上げ)】を発動させ、シーツの周囲にだけ局地的な温かい竜巻を纏わせて、数秒でパリッと乾かしている光景があった。


 私は、さも当然のメイドのたしなみであるかのように何気なく答える。


「ええ、お洗濯魔法は多忙なメイドの日常の友ですからね!」

「……それ、便利すぎて、剣の修業よりそっちの魔法で全部の物事を片付けちゃおうとしたりしない?」

「家事と推し活は、何より効率とスピードが命ですから! 使えるものは親でも魔法でも使います!」


 私が力強く言い切ると、レオン様はほんの少しだけ呆れたように目を細めた。

 笑っている。尊い。そのわずかな微笑みだけで、世界が浄化される気がする。


 しかし、次の瞬間。

 彼の顔から、その柔らかな微笑みがスッ、と完全に消え失せた。


「……クロエ」

「はい?」

「最近、北棟の周辺に……屋敷の人間とは違う、見知らぬ『暗い気配』が増えた」


 その言葉に、私はピタリと手を止めた。


「……やっぱり、レオン様も気づいていらっしゃいましたか」


 レオン様は、小さく、しかし確信を持って頷いた。


「ただの使用人や、屋敷の騎士じゃない。完全に息を潜めて、気配を殺している。足音もない。でも……魔力の流れが鋭くなった僕には、視える。影の中に、明確な『殺意』が隠れてる」

「なるほど……」


 やはり、来たか。

 予想通りすぎて、逆に頭の中がすっと冷え、冷静になるのを感じた。


 原作ゲームのこの時期、エルザ夫人は裏社会で暗躍する“黒の牙”という悪名高い暗殺者ギルドと極秘に接触していたはずだ。

 本編では直接的な描写はなかったが、レオン様の過去を掘り下げる外伝エピソードで明確に匂わされていた。

『失敗作の毒や、子供の嫌がらせでは埒が明かないと判断した夫人は、ついに大金を叩いて外部のプロへ排除を依頼した』――と。


 つまり、次に来る手は、事故に見せかけた嫌がらせなどではない。

 問答無用の『暗殺』だ。


「レオン様。今日の夜は、何があっても絶対にご自室から外へは出ないでください。お部屋の結界の中なら、絶対に安全ですから」

「クロエは、どうするの?」

「私は……まあ、ちょっと夜風に当たりながら、周囲の見回り(不審者のお掃除)をしてこようかと」

「だめだ。危ない」


 ピシャリ、と。

 氷のように冷たく、強い声で止められた。


 私は一瞬、驚いてまばたきをする。


 レオン様の瞳は、逃げることなど一切許さないという強烈な圧を放って、まっすぐ私の目を見据えていた。

 その瞳の奥にあるのは、自分が殺されるかもしれないという怯えではない。

 『クロエが危険な目に遭うこと』への、極限の警戒と、強い拒絶だ。


「危ないこと、絶対にしないで。外には出ないで」

「ですが、彼らが罠を仕掛けたり、周辺をうろついているなら、早めに確認して排除しておかないと……」

「僕が行く。僕が斬る」

「それはもっとだめです!!」


 反射的に大きな声で言い返すと、レオン様が少しだけ不満そうに眉を寄せた。


「どうして。今の僕なら、裏山の魔獣だって一撃で倒せる。人間相手なら後れは取らない」

「そういう問題じゃありません! 私の命に代えても尊い最推しを、素性も知れない泥棒の相手なんかで、危険地帯に行かせるわけにはいきません!」

「……また、その言葉」

「本気です」


 私は、彼の肩に両手を置き、きっぱりと断言する。


「大丈夫です。私は、真正面から剣を交えて戦うつもりなんて毛頭ありません。何かヤバいと思ったら、音速で逃げて騎士団を呼びますから」

「嘘だ。クロエは、僕を守るためなら、絶対に逃げない」

「逃げますよ? 命あっての物種ですから!」

「嘘だ」


 秒で即答された。


 おかしいな。

 私の逃げ足の速さと生存本能に対する信用が、異常なまでに低い。

 いや、確かに彼がピンチなら命を投げ出す覚悟はあるが、相手が私一人を狙ってきたなら普通に全力で逃げるつもりなのだが。


 でも、彼のその頑なな“不信”の中には、ただ純粋に、私の身を案じてくれている切実な熱がある。

 私は少しだけ困ったように笑って、彼の前にしゃがみ込み、目線を合わせた。


「レオン様」

「……」

「私は、自分が暗殺者相手に無双できるほど、腕っぷしが強いとは思っていません。私はただのメイドです。だから、本当に危ない時は、ちゃんと退いて助けを呼びます」


 これは本音だ。

 私のバグった家事魔法はどうも規格外っぽい威力があるが、私本人のメンタルは、平和な日本で育った平凡な元社畜オタクである。

 刃物を持ったプロの殺し屋なんか、普通にちびるほど怖い。


「だから、信じてお部屋で待っていてください」

「……」


 レオン様は、私の手をぎゅっと握りしめたまま、少しだけ目を伏せた。

 その小さな手が、微かに震えているのがわかる。


 それから、やがて絞り出すように、静かに言う。


「……早く、戻ってきて」

「はい。すぐに戻ります」


 その震える一言が、妙に私の胸の奥に刺さって残った。


 私は彼を安心させるように、にっこりと笑って立ち上がる。

「では、今日の夜は少し早めにお休みくださいね。温かいミルクを用意しておきますから」

「クロエ」

「はい?」

「……絶対に」


 言葉を切ったまま、彼は私をじっと見上げた。


 その蒼い瞳に宿る暗い色は、保護者を心配する幼い少年の不安というより、何かもっと深く、重く、どす黒い執着のようなものに見えて――私は一瞬だけ、背筋がゾクッとして息を止めた。

 でもすぐに、いつものメイドの笑顔を作って頷く。


「大丈夫です。お任せください」


 ◇ ◇ ◇


 その日の、深夜。


 月の光すら厚い雲に遮られ、北棟の周囲はひどく不気味に静まり返っていた。


 風も弱く、虫の音すらしない。廊下の魔石の灯りは最小限に落とされている。

 こういう、全てが息を潜めているような夜は、絶対に嫌なことが起こる。ホラー映画でも乙女ゲームでも、だいたいフラグが立つのはこういう夜だ。


 私は厨房の片づけを終えたふりをして、屋敷の使用人たちの気配が完全に途絶えた深夜二時頃を見計らって、こっそりと裏手へ出た。

 目的地は、北棟に隣接する、今は使われていない小さな古い厨房棟。


 この時間なら、誰も使う者はいない。

 だが、人目につきにくく、出入り口も複数あり、死角が多い。外部からの侵入者が身を潜め、ターゲット(レオン様)の様子を窺うための拠点(足場)にするには、これ以上なくおあつらえ向きの場所だ。


「……いるかな」


 私は古い厨房棟の裏口の壁に背中を預け、小さく呟いて、全神経を集中させて気配を探った。


 普通なら、素人の私にプロの暗殺者の気配などわかるはずもない。

 でも最近、神聖結界の中で寝起きし、バフ飯の残りをつまみ食いしているせいか、私自身も少しだけ“嫌な感じ”の魔力や気配に敏感になってきたのだ。

 ゲームの『敵感知スキル』のような、直感的なアラート。


 そして今――ハッキリと、わかる。


 いる。


 複数。三人はいる。

 しかも、そこら辺のチンピラや強盗じゃない。息遣いすら感じさせない、完全に気配を同化させた、プロの殺し屋の気配だ。


 私は、ごくりと唾を飲み込み、ゆっくりと息を吐いた。


 その瞬間。


 ――ヒュッ!!


 闇夜の中で、空気を切り裂く鋭い音がした。


「うわっ!?」


 私が反射的に首をすくめて身を屈めた、まさにそのコンマ数秒後。

 さっきまで私の首があった高さを、黒く塗られた凶悪な短剣ダガーが猛スピードで掠めていき、背後の石壁に「カキィィンッ!」と火花を散らして深々と突き刺さった。


 次の瞬間、闇の物陰から、三つの黒い影が、まるで重力に逆らうように音もなく滑り出た。


 全身を夜に溶け込む黒装束で包み。

 顔を黒い布で覆い、瞳だけを冷酷に光らせている。

 足音一つ立てない、幽霊のような足取り。

 月のない暗闇の庭でもハッキリと肌で感じ取れる、毛穴が総毛立つような尋常じゃない『純度100%の殺気』。


「えっ、ちょっと待って!? いきなり警告なしの本番!?」

「……」

「……」

「……」


 返事はない。

 ですよねー! プロの暗殺者が「お命頂戴!」とかベラベラ喋るの、三流の時代劇だけですよねー!


 三つの黒い影は、一切のためらいも音もなく、蜘蛛のように地面を這うような低い姿勢で一気に間合いを詰めてきた。


 速い。

 無駄がない。

 命を奪うことだけに特化した、完全に“仕事”で人を殺す動きだ。


 うわあああ、本物だ! 本物の暗殺者ギルドだ! 怖い! 怖すぎる!!


 私は半泣きになりながら、必死に後ずさる。

 厨房棟の古い戸口はすぐ後ろにある。あの中に逃げ込んで鍵をかければ、一瞬だけでも時間を稼げるかもしれない。


 だが、私が振り返ろうとした次の瞬間、左手にいた影が常人離れした跳躍で私の頭上を飛び越え、背後に着地して退路を完全に塞いだ。


「ヒッ」


 囲まれた。


 前、左右。逃げ場なし。

 まずい。これは非常にまずい。ゲームオーバーのBGMが脳内で流れ始めた。


 どうする。

 果物ナイフで正面から戦う? 絶対無理。秒でスライスされる。

 逃げる? 退路なし。

 大声で助けを呼ぶ? 騎士が来る前に首を刎ねられる。


 私がパニックに陥っているその時、先頭の影が、氷のような無機質な目で低く踏み込んだ。

 手に握られた毒の塗られた刃が、月明かりもない闇の中で、死神の鎌のように鈍く光る。


「っ、この、泥棒ぉぉぉぉっ!!」


 私は、恐怖のあまり裏返った声で、思わずそう絶叫してしまった。

 いや、暗殺者なんだけど。私の小市民的な認識としては、“深夜に他人の家に上がり込んでくる不法侵入者”なので、まあ泥棒みたいなものだろう。


 そして、極度のパニック状態の中で、元社畜メイドである私の脳が導き出した、生存のための最終解答は実にシンプルだった。


 服に泥(泥棒)がついたら、どうするか。


 ――洗うしかない。


「ちょ、ちょっと待ってください! 今すぐ綺麗に丸洗いしますからぁぁぁ!!」


 自分でも何を言っているのか全く意味がわからないことを叫びながら、私は両手を、迫り来る三人の暗殺者に向けて思い切り突き出した。


「【生活魔法:全自動洗濯(水流回転・強・除菌漂白プラス)】!!!」


 私がヤケクソで叫んだ、次の瞬間。


 ゴオォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!


 まるで海底火山の噴火のような凄まじい轟音を立てて、私の足元の地面(土)から、信じられないほど大量の水が天に向かって爆発的に噴き上がった。


「えっ」


 私が一番驚いた。


 それは、ただの水流ではなかった。

 『渦』だった。

 直径十メートルはあろうかという、巨大な、透明な、台風そのもののような超圧縮された『水の球体』が一瞬にして庭の中央に生み出され、三人の暗殺者をまとめて一飲みに飲み込んだのだ。


「――ッ!?」

「ガボォッ!?」

「グリュッ!!」


 さすがに冷酷無比なプロの暗殺者たちも、足元から突如発生した大津波には無言でいられなかったらしい。

 何か叫んでいるようだが、凄まじい水圧と渦の音で、ただの濁音にしか聞こえない。


 私の意思に反して、水の渦はさらに暴走気味に加速した。


 グルンッ! グルルルルルルルルルルッ!!!


「うわあああ!? なにこれ洗濯機!?」


 三人の暗殺者たちが、巨大な水球の中で、完全に洗濯槽の中の靴下みたいに凄まじい遠心力で高速回転し始めた。


 もはや受け身など取れるはずもなく、腕も脚もめちゃくちゃに振り回され。

 誇り高き暗殺者の黒装束はバッサバッサと水中で翻り。

 彼らが隠し持っていた短剣、暗殺用の鋼線ワイヤー、怪しい毒の小瓶などが、遠心力で次々とポロポロと剥がれ落ちて、水球の底へと沈んでいく。


 しかも、ただ回っているだけではない。

 水が妙にキラキラと輝いている。

 ものすごい勢いで、純白のきめ細かい泡(洗剤?)が大量に発生している。

 なんなら、暗殺の現場には絶対に似合わない、春のお花畑のようなフローラルでリッチな良い香り(柔軟剤の匂い)まで漂い始めた。


「なにこれ!? 柔軟剤モードまで自動で入ったの!? 気が利きすぎじゃない!?」

 自分で発動しておいて何だが、ファンタジー世界に持ち込んではいけない概念が具現化していて意味がわからない。


 だが、その物理的(?)な効果は絶大だった。


 暗殺者たちは為す術もなく、縦に横にと水球の中を高速でかき回され、数秒後にはすっかり目が回って白目を剥き、ぐったりとしていた。

 さらに仕上げとばかりに、水球全体にパァァァァッ! と神聖な白い光が走る。(※除菌・漂白モード)


 その瞬間。

 彼らの黒装束や身体の芯にまでまとわりついていた不穏な気配――人殺しの業、殺気、悪意、黒い感情――そういった“汚れ”までが、一緒に白く洗い流されたように、スッと消え去った。


 ――ピィーッ、ピィーッ、ピィーッ。(※脳内に鳴り響く洗濯終了の幻聴)


 バッシャァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!


 空中の巨大な水球が弾け飛び、大量の水飛沫と共に、三人の暗殺者がまとめて庭の芝生の上にドサドサッと転がり落ちた。


「…………」


「…………」


 私は、頭からシャワーを被ったようにびしょ濡れになりながら、しばらくその場で呆然と立ち尽くしていた。


 暗殺者たちは、完全にカニのように口から泡を吹いている。

 ピクピクと痙攣し、完全にぐったりしている。

 武器は全て彼らの体から遠く離れた場所に散乱している。

 しかも、なんか妙に……全員、憑き物が落ちたような、すっきりとした爽やかで清らかな顔(お肌ツルツル)をして眠っている気がする。


「……勝った?」


 いや、勝ったというか、洗った?

 物理的にも、精神的にも。


 恐る恐る近づいてみる。

 完全に気絶している。しかも、彼らの着ていた漆黒の黒装束が、どこか白さが増して、まるで新品のシーツのようにピカピカに輝いて見える。物理的に漂白でもされたのかもしれない。


「ええぇ……」


 私は、自分の両手を見下ろして戦慄した。


 生活魔法、全自動洗濯モード。

 まさか対人用の非致死性・完全制圧兵器として使えるとは思わなかった。

 というか、悪意や殺気といった概念上の『汚れ』まで漂白してリセットしてるっぽいのは何なんだろう。こわい。私の魔法が一番ホラーだ。


 私が一人で戦慄していた、その時だった。


 バンッッ!!! と。

 本館側へ繋がる厨房棟の裏口の扉が、蝶番が吹き飛ぶほどの勢いで蹴り開けられた。


「クロエッ!!」


 暗闇を切り裂くような悲痛な叫びと共に、息を切らして飛び込んできたのは、聖剣を片手に握りしめたレオン様だった。


「えっ、レオン様!? どうしてここに、お部屋から出ない約束じゃ……」

「気配が……お前の周囲から、殺気が消えなかったから!!」


 彼は血相を変えて言いかけて、目の前の惨状――いや、清掃完了の光景に、ピタリと動きを止めた。


 庭に転がる、柔軟剤の香りを漂わせて泡を吹いた黒装束三名。

 周囲に散乱する大量の凶器。

 びしょ濡れの地面。

 そして、頭から水飛沫をかぶって、呆然と立っている私。


「……何が、あったの」

「ええと、その、泥棒というか、暗殺者っぽい人が三人も来まして。囲まれてヤバかったので、とりあえず全力で回して洗いました」

「……洗った」

「はい。除菌と漂白も済んでます」

「……」


 レオン様が、完全に理解を放棄した顔で無言になる。


 ですよね。

 私も自分で説明しながら、意味がわからないと思っています。


 だが、次の瞬間。

 彼の蒼い瞳が、私の足元に転がっている『毒の塗られた短剣』を捉えた瞬間、顔色がサッと青ざめ、一変した。


「怪我は!!」

「え?」

「怪我してないか!? どこか切られてないか、毒を受けてないか!?」


 まっすぐこちらへ血相を変えて歩み寄ってきて、レオン様は聖剣を放り投げ、私の両腕を力強く掴み、全身を穴が開くほど確認するように見上げた。

 その目には、尋常ではない焦りと、黒い炎のようなドス黒い怒りが渦巻いている。


 私は慌てて、無事をアピールするように首を横に振る。


「だ、大丈夫です! かすり傷一つありません! 何もされる前に、強制的に水で回しましたので!」

「……っ!」


 その一言を聞いた瞬間、レオン様の喉がヒュッと小さく鳴った。


 彼は一瞬だけ、全身の力が抜けたように目を強く伏せ、それからもう一度、ゆっくりと私を見上げた。

 その視線は、ひどく鋭くて、氷のように冷たくて、なのにどこか、火傷しそうなほどに狂気的な熱を孕んでいた。


「……あなたに、刃を向けたのか。こいつらは」


 地を這うような、極寒の低い声だった。


 ゾクリ、と。

 夏の夜の生暖かい空気が、一瞬にして凍りつくのを感じた。


 私は思わずまばたきをする。

 今のレオン様は、いつもの少し控えめで大人びた少年ではなかった。あの御前試合で義弟を圧倒した時の冷酷さとも違う。

 もっと深く、もっと純粋な『殺意』と『暴力』を纏っている。


「え、ええと、結果的には私が洗って無事でしたし、彼らも綺麗になったので……」

「無事なら、何でもいいと思ってるの?」


「思ってませんけど!?」


 なんだか、めちゃくちゃ理不尽に叱られているみたいになった。


 するとレオン様は、私の水に濡れたエプロンの袖口を、ちぎれんばかりの力できゅっと掴む。


「だめだ」

「はい?」

「もう二度と、ひとりでこんな危ないところに行かないで。僕の目の届かないところに行かないで」

「でも、私が先に状況確認と排除をしておかないと、レオン様に危険が及ぶ可能性が……」

「だめだ!!」


 ピシャリ、と。

 悲鳴に近い、強い声で言い切られた。


 私は少しだけ言葉に詰まる。


 それは、子どものわがままや、強がりという感じではなかった。

 もっと切実で、自分の魂の半分を失うことを恐れるような、絶対に譲れない『生命線』に触れた時の悲痛な声だった。


「……クロエが傷つくのは、絶対にだめだ。僕の命より、価値があるんだから」


 胸が、大きくどくんと鳴る。


 暗い庭。

 倒れた三人の暗殺者。

 その中で、レオン様だけが、世界の全てを切り捨てるような瞳で、私だけを見ていた。


 蒼い瞳が、妙に真剣で、暗い熱を孕んでいて――たった八歳の子どもに向けられる執着としては、あまりにも重く、歪んでいるような気がした。


 私は、彼のその重すぎる空気を中和するように、慌てて明るく笑った。


「だ、大丈夫ですって! ほら、私の洗濯魔法、プロの暗殺者を秒殺できるくらい、意外と強かったですし!」

「……意外と、で済ませないでよ。心臓が止まるかと思った」


 レオン様はまだ怒っていた。

 いや、怒っているというより、私を失うかもしれないという恐怖に、震えて、怯えているのかもしれない。


 私は、そっと手を伸ばして、彼のかすかに震える銀灰色の頭を、優しく撫でた。


「心配してくださって、走って駆けつけてくださって、ありがとうございます」

「……」

「でも、本当に大丈夫です。次からは、もっと気をつけて、レオン様にも報告しますから」


 すると彼はしばらく黙り込み、やがて私の手に自分の頬を擦り寄せながら、ぽつりと、呪いのように呟いた。


「……次なんて、いらない」

「えっ」

「僕からあなたを奪おうとする奴らは、二度と、生かして帰さない」


 その声音のあまりの冷たさと殺意に、私は一瞬だけ息を止めた。


 あ。

 これ、たぶん本気で怒ってる。しかも修羅の顔だ。


 でも、その強烈な殺意と怒りの向きは、私ではなく、“私に刃を向けた者たち”にだけ向いている。

 それがわかって、私は恐怖よりも先に、胸の奥が不覚にもキュンと熱くなってしまった。推しに守られようとしている事実が、オタクとして嬉しすぎたのだ。


 私は空気を変えるように、わざと大きな声を出した。


「と、とにかく! この人たちはロープでぐるぐる巻きに縛って、あとで本館の騎士の詰め所に突き出しましょう!」

「……うん。僕が縛る」

「それにしてもびっくりしましたね。私の家事魔法で、ここまで対人戦闘ができるとは」

「クロエの“家事”は、もうとっくに家事の定義を超えてる。災害だよ」


 真顔でツッコミを入れられ、私は少し遠い目になった。


 それは、私も最近ひしひしと自覚しております。


 その後、私たちは意識を失いお肌ツルツルになった暗殺者たちをロープで厳重に縛り上げ、彼らが落とした凶器や毒物もまとめて証拠として確保した。

 私が大声で呼んで、本館から慌てて騎士たちが駆けつけてきた時には、すでに現場は完全にお掃除(片づけ)されていたので、騎士たちは逆にそのシュールな光景に若干引いていた気もする。


「こ、これは……裏社会で悪名高い、あの“黒の牙”の装備では!?」

「なんだと!? なぜあのプロの殺し屋集団が、北棟なんかに……」

「しかも、なぜ彼らはこんなに石鹸の良い匂いをさせて、スヤスヤと眠っているんだ……?」


 騎士たちが困惑してざわつく中、私は内心で深く頷いた。


 やっぱり、黒の牙。

 エルザ夫人、とうとう自分の手を汚さずに、そこまでやったか。


 ただ、これで向こうの手札もかなり危うくなる。

 正体不明のゴロツキならまだしも、超有名ギルドの装備付きで捕まれば、ただの不審者や泥棒では済まない。

 裏の依頼主(エルザ夫人)まで証拠を辿るのは難しくても、“公爵家の正統な嫡男を、プロの暗殺者が狙った”という事実そのものが、公爵家の警備と権威を揺るがす極めて重い問題になる。公爵も、これ以上北棟を完全に無視することはできなくなるはずだ。


 良い。

 非常に良い流れだ。夫人の首が真綿で絞まり始めている。


 ――と、私が一人で今後の政治的戦果を整理していた、その横で。


 レオン様は、現場検証が終わる最後まで、ずっと私のそばをミリ単位で離れなかった。


 騎士が彼に事情を聞いても。

 私が水浸しの床をモップで拭く間も。

 私が「もう大丈夫ですよ、お部屋に戻りましょう」と言っても。


 黙ったまま、ピタリと私のメイド服の裾を、白くなるほど強く握っている。


 その力は、物理的には決して強くはない。

 けれど、一度離したら、この世界から永遠に消えてしまう唯一の光を掴んで離さないみたいで、妙に切実で、執念深かった。


 私はその震える手を見下ろして、少しだけ困ったように、でも愛おしさを込めて笑う。


「レオン様」

「……なに」

「そんなに、私が心配でしたか?」

「……した」


 即答だった。


 私は思わず目を丸くする。


「だって、あなたがいなくなったら。僕の世界は……」


 そこで彼は、言葉を切った。

 長い睫毛が伏せられ、その先の言葉は暗い瞳の奥に飲み込まれる。


 でも、続きは聞かなくても痛いほどわかった気がした。


 私はそっと手を伸ばし、今度は私が、その小さな手を両手でやさしく、温かく包み込む。


「大丈夫です」

「……」

「私はまだまだ、レオン様の推しプロデュースを、あなたが最高に幸せになるその日まで、永遠に続ける予定ですから」


 その意味不明なオタク用語の宣言にもかかわらず。

 レオン様はもう聞き返すことはしなかった。

 ただ、私の手の中で、少しだけ指先を強く握り返してくる。


 その指先の熱い温度に、私は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。


 こうして、原作中盤の大きな壁である『暗殺者襲撃イベント』は、ただの洗濯物のようにギャグテイストで丸洗いされて、平和に幕を閉じた。


 しかも、ただ撃退しただけではない。

 “黒の牙”が動いたという確たる事実は、これから先、エルザ夫人側を政治的にさらに追い詰める強力な爆弾(材料)になるだろう。


 そして何より――この襲撃の一件で、レオン様の心の中に、また一つ、ある明確で取り返しのつかない感情が、確固たる形を持ち始めていた。


 自分を地獄から救ってくれる、唯一の少女。

 自分のために命の危険へ踏み込み、それでも笑って自分の元へ戻ってくる少女。

 そんな彼女に刃を向ける者、彼女の笑顔を脅かす者は、この世界の神だろうと絶対に許さない。すべて自分が排除する。


 そんな、狂気にも似た、静かで深くて冷たい『過保護な殺意(執着)』が。


 ……もちろん、その頃の平和ボケした私は、彼のそんな激重なヤンデレ方向への進化には全く気づかず、全く別のところで感動していたのだけれど。


 やった……! やりましたよ!

 推しを狙う絶対絶命の暗殺者イベント、かすり傷一つなく完全無傷で回避!

 しかも証拠付きで、夫人の手札まで大きく削れた!

 私の全自動洗濯魔法、思った以上に戦闘力高くて万能すぎる……! これでもう夜道も怖くない!!


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