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第4話 【鮮度保持魔法】が生む規格外の肉体

 私が命がけの『煮沸魔法』で、レオン様の昼食に仕込まれていた遅効性の毒を、超絶バフ効果付きの黄金コンソメスープへと錬成し直した、あの毒入りスープ事件から三日後。


 私は本館の大厨房の片隅で、支給された本日の食材――カッチカチに乾燥した赤黒い肉の塊を前に、一人深く腕を組んでいた。


「……ダメだ。やっぱり、圧倒的に足りない」


 地を這うような深刻な声で呟くと、隣で根菜の泥を落としていた下働きの少年が、ぎょっとした顔でこちらを見た。


「な、何がですか? 塩ですか?」

「栄養よ。圧倒的な、生命のパワー(物理)が足りないの」

「え?」

「レオン様の身体の土台を作るための、良質なタンパク質と鉄分と必須アミノ酸、そして何より魔力含有量が、この靴底みたいなジャーキー肉じゃ全く足りないのよ!」


 少年は「はあ、アミノ……?」と曖昧に返して、それ以上はやばい奴に関わるまいと、ジリジリと後ずさって距離を取った。

 賢明な判断である。


 だが、私の抱える悩みは、推しの未来を左右する極めて本物かつ深刻なものだった。


 レオン様はここ数日、目に見えて顔色が良くなってきた。

 自室の瘴気と呪いが私の【お掃除魔法(極)】によって完全に消え去り、毎日仕込まれていた毒入りの食事も私が横からすべて【煮沸消毒(錬金)】でバフ飯に変換し、温かく栄養のある状態にして食べてもらうようになったおかげだろう。


 けれど――まだまだ、細い。


 いや、細いなんて生易しい言葉では表現しきれない。

 原作ゲームの序盤におけるレオン様は「儚げで線の細い美少年」として美麗なスチルで描写されていたけれど、あれは二次元の美化表現だ。

 現実の三次元の肉体として目の当たりにすると、単純に「長年の虐待と深刻な栄養失調で、生命維持の限界ギリギリを彷徨っている」という、見ていて胃が痛くなるような痛々しい細さなのである。


 頬の肉はまだ薄く、私の指で簡単に折れてしまいそうなほど手首も頼りない。八歳の男の子としては骨格的に背が高めになる素質があるのに、その筋肉と脂肪がまるで追いついていないのだ。

 ゲームのステータス画面で例えるなら、HP(体力)とVIT(耐久力)が一桁台で赤く点滅している状態。


 このままでは、いずれ本格的に始まる剣術の過酷な訓練にも、彼自身の内に秘められた強大すぎる魔力を制御するための負荷にも、肉体の器そのものが耐えきれずに壊れてしまう。


「まずは何より、圧倒的な土台作り」


 私は固い肉の塊を睨みつけながら、ぐっと両拳を握りしめた。


「健やかなる肉体なくして、健やかなる推しライフなし! 筋肉と魔力は裏切らない!」


 原作ゲームにおいて、レオン様がいずれ「冷酷無慈悲な最強の騎士」として成長する素質を持っていたことは間違いない。

 でもそれは、本来もっと高貴な身分に相応しい食事を摂り、ふかふかのベッドで眠り、最高峰の指導者のもとで鍛練を積めばの話だ。

 今の彼は、継母の嫌がらせによってスタート地点からマイナス一万ポイントくらいの絶望的なハンデを背負わされている。


 だったら、私が力技で補えばいい。


 最高の栄養で。

 最高の環境で。

 誰よりも健やかに、強く、そして顔面国宝の美しさを損なうことなく、完璧に育て上げるのだ。


 私は決意も新たに、北棟への配膳用に回された食材の籠を改めて見渡した。


 石のように硬いパン。

 水分が抜けてしなしなになった葉物野菜。

 筋ばかりで旨味の欠片もない、おそらく廃棄寸前の安肉。


 ……だめだ。

 私の家事魔法でいくら「美味しく」「消化良く」調理し直せるとはいえ、元の素材のポテンシャル(限界値)が低すぎる。ゼロに何を掛けてもゼロなのだ。


 もっと、極上の肉が要る。

 しっとりと柔らかな赤身、とろけるような良質な脂、血の巡りを爆発的に良くする鉄分、そして何より、魔力回路を強制的に拡張させるほどの『栄養価と魔力含有量の高い幻の食材』が。

 前世の知識で言うなら、トップアスリートやボディビルダーが涙を流して喜ぶような、高タンパク・高栄養・完全無欠のスーパーフードだ。


 とはいえ、エルザ公爵夫人が牛耳るこの屋敷の台所から、バレないように高級食材を毎日横流しするのはリスクが高すぎる。見つかれば即刻クビ、最悪の場合は地下牢行きだ。


 だったら、自力で調達するしかない。


 私はふっと、厨房の窓の向こう、公爵邸の広大な敷地のさらに外れにそびえ立つ『裏山』へと鋭い視線を向けた。


 邸宅の使用人たちの間では、「時々狼や熊が出るから、絶対に近づくな」と固く禁じられている、昼なお暗い原生林。


 しかし、ゲームの公式設定資料集(特装版特典)を穴が開くほど読み込んだ限界オタクの私は、あの森の『真実』を知っている。


 あそこはただの森ではない。

 はるか昔、魔王軍の残党が棲み着いていたとされる『魔物モンスターの生息域』であり、今も奥深くへ足を踏み入れれば、低ランクの魔獣がうようよと湧いて出る天然のダンジョンなのだ。

 しかも、あそこの魔獣は公爵領の豊かな地脈の魔力を吸って育っているため、稀に、栄養価と魔力含有量が異常に高い“特上ランクの魔獣肉”がドロップする仕様になっていたはず。


 つまり。

 あそこは危険地帯などではない。

 私の最推しを最強へと育成するための、宝の山(天然の高級食材庫)である。


「……行くか」


 私は、静かに、しかし熱い決意と共に呟いた。


 その日の夕方。

 使用人としての表向きの仕事をそつなく終えた私は、メイド服のエプロンの下に動きやすいズボンを重ね履きし、厨房から切れ味の悪い果物ナイフを一本だけ拝借して、誰にも見つからないようにこっそりと裏山へ向かった。


 もちろん、本来ならか弱いモブメイドがたった一人、しかも果物ナイフ一本で入るような場所ではない。

 常識的に考えれば、自殺行為だ。全力で止めるべきだろう。


 だが、私にはバグレベルに進化した謎の『家事魔法』がある。

 そして何より、推しの健やかな成長と輝かしい未来がかかっているのだ。


 推しのためなら、火の中水の中、魔物の巣窟の中。

 オタクの行動力を舐めてはいけない。


「待っててくださいね、レオン様。今日のディナーは、お腹いっぱいお肉が食べられる栄養満点フルコースですから!」


 誰もいない森の入り口で小さく両頬を叩いて気合いを入れ、私は薄暗い木々の間へズカズカと足を踏み入れた。


 夕暮れの森は、思ったよりも不気味に静まり返っていた。

 足元には膝まである下草が生い茂り、頭上では太い枝葉が太陽の光を遮って、ざわざわと不吉な音を立てている。

 私は周囲を慎重に見渡しながら、ゲームの知識を頭の中で検索した。


「ええと、たしかこの森の序盤エリアに出現する低ランク魔獣は……【角ウサギ】とか、【牙猪キバいのしし】とか、その辺のチュートリアル用の雑魚モブだったはず――」


 ガサガサガサッ!!


「ひっ!?」


 唐突に、数メートル先の巨大な茂みが激しく揺れ、私は反射的に後ろへ飛びのいた。


 木々をなぎ倒しながら飛び出してきたのは――巨大な、猪だった。


 いや、猪という言葉で片付けてはいけない。

 四つん這いであるにもかかわらず、その肩までの高さは私の胸の位置まであり、全身の毛並みはまるで黒鋼のように鋭く逆立っている。そして極めつけは、口元から突き出た二本の牙。それはまるで、熟練の騎士が使う大剣グレートソードそのものだった。

 血走った真っ赤な双眸が、明らかな殺意を持ってちっぽけな私をロックオンしている。


「えっ、ちょ、ちょっと待って。聞いてない。嘘でしょ。これのどこが低ランク!? サイズ感バグってない!?」


 チュートリアル用の雑魚モブって、せいぜい柴犬くらいのサイズじゃないの!?

 ゲーム画面越し(三人称視点)で見ていた大きさと、VRも真っ青な現実の主観視点とでは、感じる恐怖のスケールが全く違った。


 ブルルルルッ……!

 ブモォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!


 大剣牙猪(私が勝手に命名した)は、私のツッコミに返事をする代わりに、大地を揺らすほどの咆哮を上げ、前足で地面を蹴り上げた。


「ヒッ、きゃあああああああっ!?」


 私は情けない悲鳴を上げて、咄嗟に横へ身をひねってダイブした。

 轟音。

 巨大な質量が私のすぐ横を新幹線のような速度で駆け抜け、背後にあった太い樫の木に真正面から激突した。

 メキメキメキッ! バキィィィィンッ!

 信じられないことに、大人三人がかりでも抱えきれないほどの太い幹が、大剣のような牙によって一撃でへし折られ、轟音と共に倒木した。


「強っ!! 物理攻撃力高すぎでしょ!!」


 無理無理無理無理!

 果物ナイフを持ったか弱いメイドが正面から相手にしていいステータスじゃない! 即死イベントだ!


 だが、大剣牙猪は木をへし折った衝撃に怯む様子もなく、すぐに向き直り、再び私に向けて狙いを定め、地面を蹴り始めた。

 第二波の突進の構え。

 今度躱しきれなければ、私はあの牙で串刺しにされて、文字通りミンチ肉になる。


「や、やだ、私まだレオン様の成人した姿見てないのに! 死ねない! 死ぬわけにはいかないのよ!」


 私は半泣きになりながら、猪に向けて両手を突き出した。

 攻撃魔法なんて知らない。炎も雷も出せない。

 私にあるのは、屋敷の庭の手入れで使っていた、あの魔法だけだ。


「と、とにかく危ないから、そこのデカい雑草ごと綺麗に片づけてぇぇぇ!! 【生活魔法:草むしり(根こそぎ)】!!」


 私が絶叫した、その瞬間。


 パァァァァァァァァ……ッ!


 私の突き出した両手のひらから、眼球が焼き切れるほど眩い、エメラルドグリーンの猛烈な光がドーム状に広がった。


 森全体の下草が一斉に、まるで歓喜の声を上げるようにざわめき始める。


 次の瞬間。


 ドゴォォォォォォォォォォォンッ!!!


「……え?」


 突進してこようとしていた大剣牙猪の足元の地面が、大地震でも起きたかのように爆発的に隆起した。

 そして、割れた大地の下から、大蛇のように太く、鋼鉄のように強靭な『巨大な緑のつる』が数十本、一気に天に向けて飛び出したのだ。


 それはただの蔓ではない。まるで神話に登場する世界樹の根が、意思を持って襲いかかっているような圧倒的な質量。


 蔓の群れは、突進の勢いが止まらない大剣牙猪の四肢に恐ろしい速度で巻きつき、その数トンはあるだろう巨体を、いともたやすく空の彼方へヒョイッと吊り上げた。


 ブモォ!? ブベェェェェェェッ!?


 空中でパニックに陥り、足をバタバタさせる牙猪。

 しかし蔓は容赦しなかった。獲物を捕らえた大蛇のようにギリギリと牙猪の全身を締め上げると、そのままの勢いで地面に向かって――。


 ドッシャァァァァァァァァァァンッ!!!


 ものすごい轟音と地響きを立てて、大剣牙猪は頭から地面に叩きつけられた。


「…………」


 私は、突き出した両手をそのままに、口をぽかんと開けて固まった。


 叩きつけられた牙猪はピクピクと痙攣してもがこうとしたが、蔓はさらに増殖してぎちぎちと拘束を強め、完全に地面に縫い止めてしまった。

 さらに、周囲に生えていた名もなき雑草たちまでが、まるで私の命令に従う兵士のようにわらわらと集まり、急速に伸びて猪の口や大剣のような牙にまでぐるぐると絡みつき、完全な『簀巻き状態』にしてしまった。


 ……まるで、恐ろしい森の主が、ただの“庭の雑草”に秒殺されて捕獲されたような、シュールすぎる光景だった。


「……これ、ただの『草むしり』の派生魔法だよね?」


 いや、今は現実逃避している場合ではない。

 これは草むしりではない。ただの「庭の危険物(デカい猪)の完全除去および捕獲」だ。

 たぶん。おそらく。私の解釈が間違っていなければ。


 恐る恐る近づいてみると、大剣牙猪はすでに白目を剥いて完全に気絶していた。ぴくりとも動かない。

 しかも、外傷はほとんどなく、血抜きをするには最高の状態。なんか……すごく、新鮮で美味しそうな極上のお肉に見えてきた。


「いや、命の危機だったのに、すぐに食材として品定めする目になってるの怖いな私。オタクの執念恐るべし」


 とはいえ、成果は成果だ。

 これでレオン様に最高のタンパク質を提供できる。

 私はしゃがみ込み、気を失った巨大な肉の塊(牙猪)を前に、真剣に腕を組んで考えた。


 これ、どうやって屋敷まで持ち帰る?


 重すぎる。数トンはある。

 果物ナイフしか持っていないメイド一人の腕力では、毛皮一枚剥ぐこともできないし、引きずって帰ることなど物理法則的に絶対に無理だ。

 かといって台車を取りに戻っている暇はないし、こんな巨大な魔獣を屋敷に持ち帰れば、騎士団が出動する大騒ぎになってしまう。


「うーん……現地解体も無理だし……」


 私が顎に手を当てて唸っていた時。

 ふと、脳裏をよぎったのは、普段の厨房での仕事で無意識に使っている『家事魔法』の一つだった。


 ――【鮮度保持】。


 厨房で、余った食材を長持ちさせるために、私は時々タッパーウェアや木箱に向けて、それっぽい魔法をかけていた。

 野菜が数日経ってもしおれなくなったり、肉が全く腐らなくなったりする、「ちょっと冷気が強めの便利な冷蔵庫的な小技」だと思っていたけれど。

 ……もしかして、あれの出力を最大まで引き上げれば、この巨大な肉塊にも応用できるのでは?


「ええと……食材は、とにかく新鮮なまま、安全な場所にまるごと保管……」


 私は、簀巻きになった巨大牙猪に向けて、そっと手のひらをかざした。


「鮮度第一! 冷蔵庫に入っておいてくださいね。【生活魔法:鮮度保持タッパーウェア】!」


 次の瞬間。


 ブワァァァァァァッ!!


 私の足元から牙猪の真下にかけて、淡く、しかし深淵のように冷たい青白い光の魔法陣が広がった。


「え?」


 空間が、歪んだ。


 牙猪の真下の空間に、まるで宇宙空間にブラックホールが開いたかのように、ぽっかりと巨大な四角い『穴』が開いたのだ。

 いや、ただの穴ではない。青白い光の向こう側に、どこまでも続く真っ白な石造りの冷暗所のような、時間も空間も停止した『異次元の空間』がちらりと見えた。


「な、なになにあれ!?」


 私が驚愕の声を上げる間もなく、数トンの巨体を持つ大剣牙猪は、まるでゼリーが筒に吸い込まれるように、するするすると音もなくその光の穴の中へ吸い込まれていった。

 ゴトンッ、と。

 はるか向こう側の異次元で、何かが静かに置かれる音が響く。


 そして、空間の穴は、まるで最初から何もなかったかのようにパタリと閉じた。


「…………」


 私は、その場で数分間、石像のように完全に停止した。


 今の、何。


 鮮度保持って、冷気で食材を包む魔法とかじゃないの?

 なんで、空間を切り裂いて異次元へのゲートを開いてるの?

 これ、どう見ても伝説の大賢者とかが使う『時空魔法』の最高峰、『無制限・時間停止型アイテムボックス』ってやつじゃないの!?


 私は震える手で、もう一度何もない空間に手をかざした。


「え、ええと……先ほどの猪肉、出してください?」


 ポォンッ。


 軽快な電子音のような音が鳴り、さっきと同じ光の空間が開き、中から巨大な牙猪が「こんにちは」と言わんばかりに半分だけ顔を出した。

 慌てて「やっぱり戻して!」と叫ぶと、またスルッと虚無の空間へ引きずり込まれて消えた。


「……【時空魔法庫(四次元冷蔵庫)】じゃん」


 思わず、乾いた声で呟いてしまった。


 これ、どう考えてもただの「お肉長持ち魔法」じゃない。

 古代文明の失われた秘宝とか、神の権能レベルの“時間と空間が一切経過しない絶対収納空間”である。

 私の家事魔法のスケールが、日を追うごとに天文学的なレベルでおかしくなってきている。


 だが。

 使える。

 これは、推し活においてものすごく、死ぬほど使える最高の神機能だ。


「すごい……! これなら、重さも周囲の目も気にせず、新鮮な最高級の魔獣肉をいくらでも屋敷に持ち帰れるじゃない!」


 私は恐怖を完全に忘れ、一気にオタク特有の元気と欲深さを取り戻した。


 そこから先の私は、まるでバーゲンセールに突撃する主婦、あるいはイベントを周回する廃人ゲーマーのように早かった。


 森の奥へとズンズン進み、遭遇する魔獣を次々と狩りまくった。

 私の背丈ほどもある角の生えた大ウサギ【キラーホーンラビット】。

 鋼鉄の嘴で岩を砕く巨大な山鳥【ロックバード】。

 妙に神々しい魔力を帯びた、森の主のような巨大鹿【エルダーディアー】。


 そのたびに私は「わああっ、危ないので片づけてください!」「暴れないで! お肉が傷むでしょ!」「食材は新鮮に保管!」と、もはや家事と生活の延長みたいなノリで魔法を乱発。

 地面から生えた世界樹の蔓で魔獣を瞬殺(無傷で捕獲)し、巨大な時空魔法庫へ次々と放り込んでいった。


「……これ、もしかしなくても私、伝説のハンターとしての才能ある?」


 違う。

 たぶん才能がバグっているのは、狩猟技術ではなく私の「家事魔法(という名の概念操作)」の方だ。


 ともあれ、日が完全に落ちて森が真の闇に包まれる前に、私は数年分の食費に匹敵する大漁の成果(高級食材)とともに、足取り軽く屋敷へ戻ったのだった。


 もちろん、屋敷の正面入り口で見張りの騎士に見つかったら「なぜメイドが森から帰ってくる?」と怪しまれて困るので、人目のない裏口からこっそりと潜入する。

 厨房のさらに奥にある、普段は誰も使わない小さな下ごしらえ専用の密室に滑り込み、私は扉の鍵を閉めてから、魔法庫から本日の獲物を取り出した。


 ドンッ、ドンッ、ドンッ。


 狭い部屋の中に並べられた、明らかに尋常ではない魔力を放つ、高級魔獣たちの肉の山。


「……壮観ね」


 思わず感動の吐息が漏れる。


 新鮮だ。

 本当に狩った瞬間そのままみたいに新鮮で、血の匂いも生々しく、肉の断面からはキラキラと魔力の粒子が輝いている。

 鮮度保持どころか、完璧な時間停止だ。


 私は気合いを入れるように、エプロンの袖をまくり上げた。


「よし。推し育成フルコース・スーパーバフスペシャル、始めますか」


 その夜。

 私は厨房の片隅の密室を独占し、ありったけの前世の知識と、チート家事魔法の技術をフル投入した。


 【大剣牙猪】の極厚ローストポーク。

 【ロックバード】のガラから抽出した、黄金に輝く澄ましスープ。

 【エルダーディアー】の柔らかい香草焼き。

 庭の畑にこっそり【土いじり魔法(豊穣)】をかけて育てた、規格外の栄養素を持つ野菜のポタージュ。

 それに、ふんわりと焼き上げた特製パンと、果実のコンポート。


 もちろん、ただ火を通しただけではない。

 下処理、血抜き、火加減、煮込み。そのすべての工程に、私の魔法が組み込まれている。


「【生活魔法:アク取り(概念)】! これでお肉の臭みと、食べると疲労に繋がる疲労物質を完全に消滅!」

「【生活魔法:お肉やわらか(超絶マッサージ)】! 硬い筋の組織を原子レベルでほぐして、歯がいらないほどトロトロに!」


 魔法を使って肉の旨味を極限まで引き出し、栄養と魔力を一滴も逃さないよう丁寧に調理していく。

 すると案の定というか、何というか。

 完成した料理はどれも、虹色のような謎の光沢を帯びて発光しており、香りを嗅いだだけで寿命が三年は延びそうな、凄まじい神聖オーラを放っていた。


「……ちょっと、またやりすぎた気もするけど。まあいっか、栄養第一、味第一!」


 私は「これも推しへの愛の結晶」と自己完結して満足げに頷き、大きめの銀の盆に料理を綺麗に並べた。


 そして、レオン様が待つ北棟の部屋へと向かった。


 コンコン、とノックをすると、すぐに「……どうぞ」と、以前よりも張りを感じる声が返ってきた。

 最近、私がノックしてから返事をしてくれるまでの間隔が、目に見えて早くなってきた気がする。

 それだけで、私のメイドとしての苦労はすべて報われた気になれる。


「失礼いたします、レオン様! 本日の夕食をお持ちしました!」


 神聖な結界で守られた部屋へ入った瞬間、レオン様が読んでいた本からパッと顔を上げた。

 そして、私がテーブルに並べ始めた料理の数々を見て、ぴたりと動きを止めた。


「……なに、これ」

「夕食です!」

「……夕食? これが?」

「はい!」


 私が満面の笑みで元気よく答えると、レオン様はテーブルの上でピカピカと光り輝く料理の山と、私の顔を交互に見た。


「北棟に回されてくる食事じゃ……ないよね。このお肉、見たこともないし、それに……なんだかすごく、力が溢れてるのがわかる」

「もちろんです! 私がレオン様のためだけに特別に用意した、秘密の特別裏メニューですから!」


 私はふんすっと得意げに胸を張った。


「成長期には、良質なタンパク質とカロリー、そして完璧な栄養バランスが必要不可欠なのです!」


「たんぱく……?」

「要するに、いっぱい食べて、強く、美しく、元気になりましょうということです!」


 オタク特有の早口をざっくりまとめると、そういうことだ。


 レオン様はまだ呆然とした様子だったが、やがて私が椅子を引くと、促されるままに食事の席に着いた。


 私は期待に胸を膨らませながら、まずは黄金の澄ましスープの入った皿を差し出す。


「まずはこちらからどうぞ! 温かいうちに!」


 レオン様は慎重に銀のスプーンを取り、ふうふうと息を吹きかけてから、ひと口飲んだ。


「……ッ!」


 その蒼い瞳が、限界まで大きく見開かれた。


 続いて、ナイフを入れるまでもなくフォークでホロリと崩れる『大剣牙猪のロースト』を小さく切って、口に運ぶ。

 咀嚼した瞬間、彼の手がぴたりと止まった。


「ど、どうですか……? お口に合いましたか?」


 私がそわそわと、まるで審査員を前にしたシェフのように尋ねると。

 レオン様は数秒間、目を閉じて深く味わうように黙ったまま――やがて、震えるような小さな声で呟いた。


「……おいしい。すごく、すごくおいしい」


「よしっ!!」


 私は思わず、心の底から歓喜の声を上げて拳を握った。


 すると、レオン様は少しだけ目を丸くし、それから前より明らかに速いペースで、夢中になって料理を食べ始めた。


 スープ。

 分厚い肉。

 パン。

 また肉。

 濃厚な野菜のポタージュ。


 食べてる。

 めちゃくちゃ食べてる。あんなに食が細かった推しが、私の作った料理をモリモリと食べてくれている!


「よかった……! 気に入っていただけて……!」


 感極まってハンカチで目頭を押さえそうになる私の前で、レオン様は一心不乱に食べ続けた。

 その様子は決して行儀が悪いわけではない。むしろ、公爵家の血筋を感じさせる気品ある食べ方なのだが、それでも「今の体が、この魔力と栄養を渇望している」という切実さが、痛いほど伝わってくる。


 やっぱり、ずっと足りていなかったんだ。

 成長に必要な当たり前の栄養も、あたたかい愛情のこもった食事も。


 私は胸がきゅうっとなるような切なさを覚えたが、今は泣いている場合ではない。

 彼が食べてくれるなら、私は森の魔獣を絶滅させてでも、いくらでも作る。

 毎日でも、毎食でも、最高の飯を食わせてやる。


「ゆっくりで大丈夫ですよ! まだまだおかわりもありますからね!」

「……あるの?」

「山ほどあります!」

「……これ、全部、クロエが一人で作ってくれたの?」

「はい! レオン様のためだけに!」


 レオン様はスプーンを置き、咀嚼を終えてから、じっと私の目を見つめた。


 その視線が、八歳の子供とは思えないほど妙に真剣で、深くて、私は少しだけドキッとしてしまう。


「……どうして、僕にそこまでしてくれるの」

「それはもちろん、推しの健やかな成長と輝かしい未来のためです!」

「……おし」

「世界で一番、大切な方、という意味です!」


 私は、一片の迷いもなくにこっと笑って答えた。


「レオン様には、これからちゃんと大きく、強く、誰にも負けないくらい立派に育ってほしいんです。そのための土台作りは、私の使命ですから」

「……立派に」

「はい。あなたは必ず、誰よりも素敵で、最強の方になりますから。私が保証します」


 それは、原作ゲームの知識から来る未来への確信でもあり、オタクとしての私自身の切実な願いでもあった。


 レオン様は少しだけ俯き、長い白銀の睫毛を伏せた。

 彼が胸の内で何を考えているのかわからないまま、やがて彼は、祈るような、あるいは呪いをかけるような重い声で、ぽつりと零した。


「……クロエがそう言うなら、僕はそうなる」


 私は目を瞬いた。


「え?」

「強くなる。あなたが、僕に最強であれと望むなら、僕は世界で一番強くなる」


 静かな声だった。


 でも、そのたった一言は、妙に熱を帯びて重くて、まっすぐ私の魂を貫くようで。

 私はなぜだか一瞬、息を呑んでしまった。


 ――いやいやいや、待って。

 これはたぶん、私への絶対的な「信頼関係」が芽生えてきたってことだよね?

 うん、そうだ。そういうことにしておこう。よかった。順調順調。


「素晴らしい心意気です! ではなおさら、お肉を残さず食べてくださいね!」

 私は照れ隠しのように元気よく、次のお肉の皿を差し出した。

「最強の騎士への第一歩は、筋肉の土台作りからです!」

「……うん。あなたがくれるものなら、なんだって全部食べる」


 そうしてその日の夜は、私が数日分だと思って用意したはずの大量の料理の数々が、レオン様の小さな胃袋の中へ、綺麗にすべて消えていったのだった。

 魔力回路が開通したことによる、異常なまでの消化吸収能力の成せる技だろう。


 その翌日から、私は本格的にレオン様の『食事と肉体改革』を開始した。


 朝は温かい魔獣のスープと、栄養満点の卵料理。

 昼は時空魔法庫から取り出した新鮮な赤身肉と、魔力野菜を中心に。

 夜は消化の良いものを丁寧に、しかしカロリーは高めに。

 合間には果物や焼き菓子も挟み、彼が無理なく食べられる量を細かく調整しながら与え続けた。


 もちろん食材は、私が時空魔法庫にこっそり蓄えた(そして定期的に裏山へ狩りに行って補充している)高級魔獣肉が主力だ。

 鮮度は常に最高。

 味も栄養価も、国宝級のバフアイテム同然。


 さらに、私の無自覚なチート家事魔法の補助で、栄養素の吸収効率まで限界突破しているのか、レオン様の身体の『変化』は、目に見えて劇的で、異常なほど早かった。


 食事改革を始めてから、一週間後。


「……あれ?」


 朝、レオン様のシャツに上着を羽織らせ、襟元を整えていた私は、思わず手を止めた。


「レオン様、なんだか少し……肩や胸板のまわりが、しっかりしてきました?」


 私が言うと、レオン様は不思議そうに自分の腕や胸元を見下ろし、服の上から触れた。


「……そう、かな?」

「はい! あと、頬の血色もすごく良いです!」


 実際、明らかな変化があった。

 幽霊のように青白かった肌には健康的な桜色の血色が戻り、折れそうだった手首や首筋にも、ほんのりとだが確かな筋肉がつき始めている。

 まだ全体的には華奢な少年のフォルムではあるけれど、今にも死にそうな不健康な細さではなく、将来有望な騎士の卵らしい、引き締まった美しい線になってきたのだ。


 何より、目が違う。

 以前のような虚無感はなく、蒼い瞳の奥に、強い意志と圧倒的な魔力の光が宿っている。


「よしよし、素晴らしい成長速度です! このままのペースでいきましょう!」


 私は、我が子の成長を喜ぶ母親(または推しを育成するプロデューサー)のように、満足げに深く頷いた。


 さらに、二週間後。


 私の掃除魔法で作られた神聖結界の中(裏庭の目立たない一角)で、簡単な体力づくりを始めていたレオン様が、試しにその辺の木の枝を拾って、木剣の代わりに軽く振った時のことだ。


 ――ブンッッッ!!!


 空気が、爆発したように鳴った。


「……え?」


 私は目を瞬いた。


 ただ、軽く振っただけだ。

 まだ正式な剣術の訓練ですらない。自己流の、ただの素振り。

 なのに、ただの木の枝が風を裂いた音が、まるで熟練の剣士が真剣で真空刃を放った時のような、恐ろしく鋭い破裂音だったのだ。


 レオン様自身も、少し驚いた顔で、自分の手の中にある木の枝を見下ろしている。


「前より……すごく、軽い」

「そ、それは、木の枝が軽いということですか? それとも、身体が軽いということですか?」

「……両方。それに、身体の内側から、力が無限に湧いてくる感じがする」


 私は、ぶるっと震えた。


 来た。

 ついに、来た。

 原作ゲームで無双する『最強の冷酷騎士』の、恐ろしい才能の片鱗である。


 やっぱりこの人、本来持っているポテンシャルがとんでもない化け物レベルなのだ。

 今までは、継母の虐待と栄養不足、そして魔力を封じる毒によって、その才能が無理やり抑え込まれて蓋をされていただけで。

 ちゃんと食べて、毒を抜き、体の土台を作ってやれば、ここまであっさりと爆発的に能力が伸びるのだ。


「すごい……さすが私の推し……才能の塊すぎる……!」


 感動に打ち震え、拝むように両手を組み合わせる私の横で。

 レオン様は木の枝を強く握ったまま、じっとこちらを見た。


「……違うよ。これは、クロエが毎日、僕に食べさせてくれたからだ」

「え?」

「クロエの作ってくれるごはんを食べると、身体がすごく熱くなる。魔法みたいな力が湧いてきて、何でも斬れるような気がするんだ」


 私は、ちょっと遠い目になった。


 たぶんそれ、気のせいとか普通の栄養効果だけじゃないんだよね。

 私の料理、だいたい何かしらの『全ステータス強化バフ』とか『魔力増幅魔法』が乗っちゃってるからね。


 でも、細かいことはいい。

 推しが元気になって、強くなっているなら、結果的にすべてオールオッケーなのだ。


「それは何よりです! 私の料理の甲斐があったというものです!」

「……うん」


 レオン様は小さく頷き、再び木の枝を構え、振った。

 今度は一度、二度、三度。

 そのたびに、八歳児とは思えないほど軌道が洗練されていき、空気を裂く音が刃物のように鋭さを増していく。

 バシッ! という音と共に、数メートル離れた場所にあった庭石に、見えない真空の刃が当たって浅い亀裂が入ったのを見て、私は目を輝かせた。


 これはもう、本格的に剣術の師匠を探す段階かもしれない。

 食事で完璧な体の土台と魔力回路ができてきた今なら、誰に教わってもスポンジのようにぐんぐん吸収して伸びるはずだ。


「次は、最強の教育環境の整備ね……! 私の裏金(給料)で雇える凄腕の剣士はいないかしら……」


 私がぶつぶつと今後のプロデュース計画を呟いていると、レオン様がふと素振りを止めて、私のもとへ歩み寄ってきた。


「クロエ」

「はい?」

「明日も、明後日も、ずっと……その、僕にごはん、作ってくれる?」


 不安そうに見上げてくる上目遣いの破壊力に、私は完全に微笑みのスライムになりそうだった。


「もちろんです! 私が生きている限り、レオン様のお食事は私が一生作ります!」


 即答すると、レオン様はほんの少しだけ、嬉しそうに目を細めた。

 それは無邪気な笑顔というには少し大人びて淡すぎたけれど、地下室で出会った頃の彼では考えられないほど、柔らかく、温かな表情だった。


 私は胸の中で、そっとガッツポーズの拳を握る。


 よし。

 順調。

 推し、すくすくと最強へ向けて育成中。


 ――しかし、この頃から。

 公爵邸の北棟を遠巻きに見ている一部の使用人たちの間では、妙な噂が立ち始めていた。


『北棟に追いやられて、死にかけだったはずの前妻の子(レオン様)が、なぜか最近やけに顔色がいい』

『ガリガリに痩せ細っていたはずなのに、日に日に目つきが鋭く、恐ろしいほどの威圧感を放つようになっている』

『それどころか、庭で木の枝を振る姿が、騎士団の下級騎士見習いよりもよほど様になっていて、空気が震えるのを見た』――と。


 もちろん、その急激な変化の「本当の理由」を知る者は、この屋敷のどこにもいない。


 誰も知らないところで、

 一人のモブメイドが裏山の魔獣を乱獲し、

 【時空魔法庫】という神の権能レベルのチートスキルに高級食材を溜め込み、

 推しのために、栄養管理と超絶魔力強化バフ付きフルコースを毎日量産して与え続けていたなどとは、エルザ夫人すら夢にも思っていなかったのだ。


 そして、当のレオン様の胸の内にも、私のあずかり知らぬところで、また一つ、ある確かな感情が黒く、重く積み重なっていた。


 温かな、呪いのない部屋。

 自分を蝕む毒のない、力が湧き上がる美味しい食事。

 満たされていく身体と、圧倒的な魔力。

 そして、自分は生きていていいのだと教えるような、ただ一人のやさしい手。


 それらすべてを与えてくれる絶対的な存在が、クロエだった。


 だから彼は、少しずつ、しかし確実に学び始める。


 自分がこの世界で、本当に欲しいものは何か。

 絶対に失いたくないものは何か。

 自分の命に代えても、世界を敵に回してでも――『手放してはいけないもの』が、誰なのかを。


 ……もっとも、その頃のポンコツな私は、彼の瞳の奥に宿る「執着」と「独占欲」の炎が日に日に強くなっていることなどまるで気づかず。

 ただひたすら、推しの成長に浮かれていたのだが。


 やった……!

 推しがちゃんと食べて、めっちゃ立派に育ってきてる!

 これはもう実質、推し育成シミュレーションの大成功ルート突入では!?

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