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第13話 容赦なき【ざまぁ】と公爵家追放

 歴史的な大逆転劇となった親族会議が終わった直後のアルヴェイン公爵邸は、まるで巨大な台風の目の中に入ったかのような、異様な静けさに包まれていた。


 誰もが、血相を変えて慌ただしく動いている。

 使用人たちは足音を忍ばせて屋敷中を走り回り。

 家令は青ざめた顔で各部署へ緊急の指示を飛ばし。

 会計役たちは、レオン様が提示した『本物の裏帳簿』と証拠書類の厳重な封印作業に追われ。

 そして、完全武装した公爵家直属の精鋭騎士たちが、重い足音を響かせながら、エルザ夫人とアルベルトの居住区である南棟のすべての出入口を、物理的に完全に封鎖(軟禁)している。


 これほどまでに非常事態で、人が動いているというのに。

 屋敷全体は、不気味なほどに静まり返っていた。


 大声で騒ぐ者が一人もいないからだろう。

 いや、本当は「ざまぁみろ!」と歓喜の声を上げて騒ぎたい使用人や、これからの保身のために媚びを売りたい親族たちは大勢いるのかもしれない。

 けれど、今日ばかりは、誰もが本能で理解し、恐れ慄いていた。


 このアルヴェイン公爵家の絶対的な権力と力関係が。

 たった一人の、十七歳の青年の手によって、今日、この瞬間に完全にひっくり返り、支配されたのだと。


「……はあぁぁぁぁっ」


 私は、人気のない本館の長い廊下の窓辺に寄りかかり、メイド服の胸元を押さえながら、これまでの七年間の苦労をすべて吐き出すように、特大の深呼吸をした。


 終わった。

 私の最推しの命と未来を懸けた、長くて泥臭い一つの大きな戦いが、ようやく終わったのだ。


 いや、正確にはまだ『最後の仕事』が残っている。

 先ほどの親族会議で、エルザ夫人と義弟アルベルトの数々の大罪(横領、文書偽造、冤罪工作、隣国との不正取引未遂)は事実として完全に認定されたが、彼らへの『具体的な処罰の内容』までは、別途、正式な当主(実質レオン様)の口から言い渡す必要がある。

 どれもこれも、国家反逆罪に片足を突っ込んでいる、一歩間違えれば一族郎党がギロチン行きの極めて重い罪だ。


 でも、少なくとももう、彼らの破滅の運命は絶対に覆らない。

 あのクソババアとクソガキの栄華は、今日この日をもって完全にゲームオーバー(終わり)だ。


「よしっ! ざまぁの準備、最後まできっちり見届けるわよ……!」


 私が一人でニチャァと悪役のような笑みを浮かべ、気合いを入れ直して小さく拳を握りしめた、その時。


「クロエ」


 背後から、チェロの低音のように響く、美しくも静かな声に呼ばれて、私はパッと振り返った。


「レオン様!」


 長い廊下の向こうから、レオン様が、一人でこちらへ向かって歩いてくる。

 先ほどの会議で敵を物理的・社会的にタコ殴りにした、あの威厳に満ちた正装のまま。背筋を真っ直ぐに伸ばし、表情は恐ろしいほどに淡々としている。

 今日一日で、親族たちからどれだけの敵意と、畏怖と、媚びへつらう視線という重い圧を一身に受けたのかと思うのに、その足取りと姿には、微塵の乱れも疲労も見えなかった。


 やっぱりすごい。

 私の推しが、精神的にも物理的にも強すぎる。


「こんなところにいたんですか。探しましたよ」

「申し訳ありません、少しだけ外の空気を吸って、乱れた息と感情を整えておりました」

「……疲れましたか?」

「それはもう! 主に、オタクとしての情動と感情の処理が追いつかなくて!」


 私がバカ正直に答えると、レオン様はほんの少しだけ、氷のような目を細めた。

 笑っているのかもしれない。さっきまでの会議室で見せていた、あの絶対零度の死神のような顔とは全く違う、ごくわずかな、私にだけ向けられる春の陽だまりのようなやわらかさ。


「……あなたが、さっきから泣きそうな顔で何度も一人で頷いているから、少し困りました」

「だって!」

 私は、周囲に誰もいないことを確認してから、思わずオタク特有の早口で熱弁を振るってしまった。

「だって、あまりにも完璧だったんです! あの証拠書類を机に叩きつけるタイミングも! 逃げ道を一つずつ潰していく冷酷な言葉の選び方も! 最後の、あの見下すような絶対王者の視線の締め方も! 何から何まで、最高オブ最高でした!!」

「……そうですか」

「そうですとも! 私、あやうく会議室の真ん中でスタディングオベーションをして、感動のあまり拝み倒すところでした!」


 私が鼻息荒く、身振り手振りを交えて熱弁すると。

 レオン様は、少しだけ照れたように視線を逸らし、耳の先をほんのりと赤く染めた。


「……あなたにそう言って手放しで褒められると、悪い気はしませんね」

「悪い気しかしないはずがないです! 世界で一番カッコよかったですから!」

「……断言しますね、あなたはいつも」

「断言します。私の推しを見る目に狂いはありません」


 私が自信満々にきっぱりと答えると、彼はフッと、心の底からの安堵の息を吐き出した。

 その瞬間、彼の広く逞しい肩から、ごくわずかに見えない重い鎧(力)が抜け落ちたように見えた。


 ああ、やっぱり。

 平気そうに、冷酷な覇王のように振る舞って見せていても、あれだけの修羅場だ。

 彼自身の七年間のトラウマと恨みが詰まった相手との、血みどろの直接対決。心身が限界まで張り詰めていないはずがなかったのだ。


「少し、私室に戻って休まれますか? 温かい甘いお茶を淹れますよ」

「……いいえ」

 レオン様は、名残惜しそうに私の顔を見つめた後、静かに首を横に振った。

「まだ、すべてが終わったわけではありません。奴らへの『最終的な処分』の言い渡しと、執行の確認が残っています」

「……ですよね」


 そう。

 次は、敗者への“裁き”の時間だ。


 エルザ夫人と義弟アルベルト、それから彼らに加担していた側近たちの身柄は、すでに騎士団によって拘束され、南棟の広い応接間へ軟禁状態で移されている。

 形式上はまだ、父親である公爵の“当主としての最終判断待ち”という扱いになっているが、実態は全く違う。

 すでに実権を完全に掌握したレオン様による、決定事項の『死刑宣告の読み上げ』に近い儀式だ。


 問題は、その処分が、一体どこまで厳しく、容赦のないものになるかだ。


 貴族の不祥事における一般的な処分なら、領地内の辺境の別邸への幽閉。

 よくて、厳しい戒律の修道院への一生涯の幽閉。

 最悪でも、身分を剥奪しての領地外への永久追放(国外追放)といったところだろう。


 だが、今回の彼女たちの罪は、国家反逆未遂も含まれており、あまりにも重すぎる。

 しかも、裁きを下すのは、七年間も彼女たちから地獄の虐待を受け続けてきたレオン様だ。

 今の彼が、あのクソ親子に対して、一ミリでも中途半端な温情や情けを残すとは、到底思えなかった。


「クロエ」

「はい」

「一緒に、来ますか」

「……え?」


 私は思わず、目を瞬いた。


「処分の言い渡しの場に」

 レオン様は、まるで「一緒に夕食を食べよう」とでも誘うような、当たり前のトーンで言った。

「あなたにも、この因縁の最後の結末を、私の隣で見届けてほしい」


 その一言の重さに、私は少しだけ息を呑んだ。


 見届けてほしい。


 それはたぶん、ただのメイドとしての立ち会いじゃない。

 この七年間、絶望のどん底から這い上がり、二人三脚で(私が勝手に)育成し、数々の理不尽な死亡フラグを一緒にへし折ってきた戦友として。

 そのすべての元凶である相手に、彼がどうやって完璧な決着ざまぁをつけるのか。

 それを、一番近くで共有したい、という意味だ。


「……行きます」


 私は、一切の迷いなく、ゆっくりと力強く頷いた。

「最初から最後まで、あなたの戦いの結末を、ちゃんとこの目で見届けます」


 レオン様は、何も言わなかった。

 ただ、その氷のように蒼い瞳が、一瞬だけ、泣き出しそうなくらいにやわらかく、愛おしげに細められた。


 ◇ ◇ ◇


 それから間もなくして、私たちは南棟の、重苦しい空気が漂う応接間へと向かった。


 分厚い扉の前には、抜刀態勢の完全武装の騎士が二人、厳しい顔で立って警備している。

 中には、すっかり老け込んだように見える父親(公爵)、数名の有力な親族、顔面蒼白の家令、そして――魔法封じの手錠をかけられ、椅子に縛り付けられるように拘束された、エルザ夫人と義弟アルベルトがいた。


 ……絵に描いたような、ひどい顔だった。


 さっきの会議室まで、高慢に勝ち誇って私を見下していたエルザ夫人は。

 高価なドレスや結い上げた髪こそまだ乱れていないものの、プライドを粉々に砕かれたショックで頬の筋肉が痙攣して引きつり、血走った目だけが、獣のように異様にぎらぎらと光っている。

 義弟のアルベルトの方は、もっと露骨で無様だった。顔面は土気色に蒼白で、歯の根が合わないほどガチガチと震え、失禁したズボンはそのままに、今にも大声で泣き出しそうな情けない顔で縮こまっている。


 完全なる、因果応報の末路である。


 私とレオン様が足音を響かせて入室すると、部屋中の視線が、一斉に恐怖と緊張をもってこちらへ向けられた。

 中でも、エルザ夫人の憎悪に満ちた目は、真っ先にレオン様を、そして彼の斜め後ろに影のように控える私を捉えた。


「……あなたっ……この、恩知らずのバケモノがっ……!!」


 血を吐くように絞り出す、呪詛のような声。


 けれど、レオン様は足を止めない。

 部屋の中央まで悠然と進み、まるで日常のつまらない政務の書類でも一つ片づけるかのような、極めて落ち着いた冷酷な所作で立ち止まる。


「親族会議での決定に基づき、あなた方への最終的な『処分内容』が確定しましたので、お伝えしに来ました」


 その声は低く、部屋の隅々にまでよく通った。


 現公爵である父親が、胃の痛みを堪えるような苦々しい顔で、玉座から口を開く。

「……レオン。それはまだ、当主である私の正式な決済が……」

「父上」

 レオン様は、父親に視線すら向けず、穏やかですらある絶対零度の口調で、その言葉を完全に遮った。

「親族会議での全会一致の総意(決定)は、すでに出ています。あとは、当主“代行”である私の権限による、執行方法の事務的な確認だけです。……それとも、父上も彼らと共に、国家反逆の連帯責任を問われたいと?」


 父親は、ヒッ、と喉を鳴らして言葉を失い、完全に口を閉ざした。


 そう。

 もうこの公爵家における主導権と絶対的なカーストがどこにあるのかは、誰の目にも明らかだった。


 絶望したエルザ夫人が、手錠の鎖をガチャガチャと鳴らして、椅子から身を乗り出して叫んだ。

「待ちなさい! 待ちなさいよ! 私は、この由緒正しきアルヴェイン家の公爵夫人なのよ! こんな泥棒猫のような拘束扱い、王家が許すはずが――」

「公爵夫人“でした”ね」

 レオン様が、虫を見るような目で淡々と事実を告げる。

「先ほどの会議の決定により、本日、たった今この瞬間付で、あなたの公爵夫人としての身分と資格は、王家の法に則り完全に永久に失われました」


 ひゅっ、と。

 エルザ夫人が、心臓を素手で掴まれたように息を呑む。


 義弟アルベルトが、母親の絶望を見て、椅子から半ば腰を浮かせて喚いた。

「あ、兄上! いくらなんでも、母上にそんな口の利き方を――」

「座れ」


 たった三文字だった。


 なのに、部屋の空気が、そして重力そのものが、一瞬にして何倍にも重く凍りついた。


 アルベルトは、雷に打たれたようにビクリと全身を震わせ、「ヒィッ」と情けない悲鳴を上げて、そのまま反射的に椅子にドスンと座り込んだ。

 前の御前試合の時も思ったけれど、この怒れる推しの低い声には、絶対に逆らえない『物理的な覇王の威圧(覇気)』が混ざっている気がする。たぶん気のせいじゃない。


「今回のあなた方の罪状は、巨額の領地資金の横領、公文書の証拠偽造、嫡男である私への悪質な冤罪工作。そして何より――隣国との密約による、国家への不正取引(反逆)未遂」

 レオン様は、処刑人の判決文を読み上げるように、一つずつ確認するように冷酷に告げた。

「本来であれば、王都の異端審問所へ身柄を送り、厳しい拷問の末に正式な極刑の裁定を仰ぐべき、一族滅亡レベルの極めて重い案件です」


 エルザ夫人の顔色が、真っ赤な怒りから、さぁぁっ……と真っ青な絶望へと変わる。

 それはつまり、下手をすれば、公衆の面前での斬首刑や、一生陽の光を見られない地下牢への終身監禁もあり得るという意味だからだ。


「……ですが」

 レオン様は、絶望の淵に立たされた彼らを見下ろし、言葉を続ける。

「私の代で、これ以上、アルヴェイン家の誇り高い歴史と名を、あなた方のような汚物で汚さぬため。温情をもって、当家内での裁量で特別に処分を定めます」


 私は、レオン様の斜め後ろで、心の中で背筋をピンと伸ばした。


 来る。

 いったい、どんな地獄の処分が来る。


「エルザ・元夫人と、その息子アルベルトは。本日この瞬間をもって、アルヴェイン家の籍から完全に、永久に除外(絶縁)する」

 冷徹な、死刑宣告。

「あなた方が蓄えていた私有財産、宝石、ドレスの一着に至るまで、すべてを公爵家の負債返済として没収する。今後、王都および、我が国のすべての主要都市への立ち入りを、一切禁じます」


「そ、そんな……! 身一つで野垂れ死ねと言うの!? 嘘よ……!」


 エルザ夫人が、信じられないというように首を振り、悲鳴を上げる。


「さらに」

 レオン様の裁きの刃は、一切の容赦なく止まらない。

「あなた方二人には、我がアルヴェイン公爵領の最も北の果て。北方鉱区・『グランディア凍鉱山』における、強制労働施設への永久追放を命じます」


 部屋の空気が、一瞬、完全に停止した。


 グランディア凍鉱山。


 その恐ろしい名を聞いて、前世のゲーム知識を持つ私も思わず「エグッ……!」と目を見開いた。


 公爵領の最北端の最果てにある、死と隣り合わせの極寒の危険鉱山地帯。

 一年の大半を猛吹雪と分厚い氷に閉ざされ、凶悪な魔物が日常的に出没するうえ、労働環境も食事も最悪。

 王都で重罪を犯した凶悪犯や、行き場のない最底辺の奴隷たちが死ぬまで使い潰されるために送り込まれることで有名な、生きて帰ることのできない実質的な『死の流刑地』だ。


 そこへ。

 何不自由なく贅沢に暮らしてきた貴族の母子を。

 身一つで、永久追放。


 重い。

 想像の百倍エグくて、重い。最高のざまぁだ。


「ま、待って……待ってください、兄上!!」

 ついに事の重大さを理解したアルベルトが、椅子からずり落ちて、本気でボロボロと鼻水と涙を流して泣き出した。

「そ、そんな恐ろしいところ、絶対無理だ! 寒くて死んじゃう! 俺は、俺は公爵家の偉い息子なんだぞ! 優しくされるべきなんだ!」

「だったら、自分の立場に胡座をかく前に、最初からその名に恥じない自覚と努力を持つべきでしたね」

 泣き叫ぶ義弟へのレオン様の返答は、吹雪よりも冷たく、容赦がなかった。


 エルザ夫人は、顔を老婆のように醜く歪めたまま、プライドを投げ捨てて、今度は床に額を擦りつけるようにして懇願するような猫撫で声を出す。

「レ、レオン……お願い……! 私が悪かったわ、少しやりすぎただけなの! 私は、私はただ、このアルヴェイン家を私なりに守ろうと……」

「嘘ですね」


 一刀両断だった。


「あなたが守ろうとしたのは、自分の虚栄心に満ちた地位と、出来の悪い豚のような息子の将来。そして、ご実家の利益だけだ」

「っ……! 違うわ、私は……」

「そのくだらない我欲のために。あなたは私を地下室に監禁し、食事に毒を盛り、領地を食い潰し、誇りを捨てて隣国にまで媚びを売った」


 レオン様の蒼い瞳には、もう怒りすらなく、路傍の石を見るような何の揺らぎもなかった。


「今さら、そんな浅ましい嘘で情に訴えるのは、あまりにも見苦しい。軽蔑すら覚えます」


 エルザ夫人の真っ赤な口元が、わなわなと痙攣して震える。


 七年前。

 暗い地下室に閉じ込められ、毒を飲まされ、寒さに震えて泣いていた、あのか弱かった子ども。

 その子に向かって、今、この傲慢だった大人の女が、這いつくばって惨めに許しを乞うている。


 それがどれほど滑稽で、どれほど完璧な因果応報ざまぁか。

 部屋にいる誰もが、痛いほどに理解していた。


 それでも、エルザ夫人は諦めなかった。

 最後の蜘蛛の糸にすがるように、玉座に座る夫を振り返る。

「あ、あなた! あなたの息子でしょう!? この人が何とか言ってちょうだい! 私をあんな凍える場所に送るなんて――」


「……もう、十分だ」


 重く、ひどく老け込んだ声で口を開いたのは、父親(公爵)だった。


 全員の視線が向く。


 現公爵は、妻の惨めな姿から目を逸らし、苦しげに目を深く閉じて、それからゆっくりと重い息を吐き出した。

「……すべては、私の当主としての、監督不行き届きが招いた結果でもある」

 その声には、すべてを諦めたような深い疲労が滲んでいた。

「だが、だからこそ。一族の未来を救ったレオンの、この正当な裁定を……私が覆すわけには、いかんのだ」


「あ、あなたまで……私を見捨てるのねッ! この甲斐性なしの卑怯者!!」

 エルザ夫人の、呪詛のような絶叫が応接間に響き渡る。


 けれど、父親は完全に視線を逸らし、耳を塞いだ。

 ただの逃げだ。遅すぎる、最低の責任放棄。私は内心で「お前も同罪で極寒流刑地に行けよクソ親父」と冷ややかに唾を吐いたが、メイドの立場なので口には出さない。


 レオン様も、そんな父親の無様な姿に何も言わなかった。

 もう、とっくの昔に、この男には親としての何の期待もしていないのだろう。


 その親子の絶対的な断絶の沈黙が、かえって痛々しかった。


 そして次の瞬間。

 絶望したアルベルトが、拘束された椅子から無理やり転がり落ちるように立ち上がり、床を這って、レオン様の足元へ泣きながら縋りつこうとした。


「あ、兄上! 兄上、頼む、許してくれ! 俺は本当に何も知らなかったんだ! 俺は悪くない! 全部、母上が勝手にやったことなんだよぉぉっ!!」


 実の母親を平然と売る、最低すぎるクズの発言。


 だが、警備の騎士が慌てて間に入るよりも早く。

 レオン様は、汚物に触れるのを嫌悪するように、無表情のまま一歩だけ、スッと後ろへ下がった。


 それだけで、アルベルトの震える手は、虚しく空を切る。


「……気安く、私に触るな」


 絶対零度の、低い声。

 ゾクリとするほど冷たく、鋭い殺気が込められていた。


「お前がこれから、極寒の地でどれだけ泣こうが喚こうが、凍え死のうが。私には、一ミリの関係も興味もない」


 アルベルトは、その圧倒的な死神の宣告に、ヒッ、と息を呑んでその場で完全に固まった。


「近寄るな」

 レオン様は、足元の元義弟を心底どうでもよさそうに見下ろし、本当に嫌そうに眉をひそめて言った。


「お前に近寄られて服が汚れれば、後でクロエが洗濯で苦労する。それに……そろそろ、クロエが私のために淹れてくれた、極上の食後の紅茶が冷める」


「……」


「これ以上、私の貴重なティータイムの時間を無駄にするな。話は終わりだ。このゴミ共を、さっさと馬車に乗せて極北へ連れて行け」


 一瞬。

 私の脳の思考回路が、完全にショートして止まった。


 えっ。

 今、なんて?


 この、公爵家の歴史に残る一族追放の緊迫した最高の断罪ざまぁのフィナーレの場で。

 彼が第一に気にして、切り上げる理由にしたのが。


 『私の洗濯の手間』と、『私の淹れた紅茶が冷めるから』!?


 でも、その氷の覇王の一言は、あまりにも自然で、あまりにも大真面目で、本気だった。

 だからこそ、応接間の空気まで、一瞬「えっ、そっち?」というシュールな変な空気になった。


 親族たちは予想外の理由に呆気にとられ。

 騎士たちすら、一拍遅れて「は、ハッ!」と我に返って動き出した。


 容赦ない命令は、即座に執行される。

 屈強な騎士たちが、泣き喚くエルザ夫人とアルベルトの腕を両側から乱暴に押さえつけ、引きずりながら扉の外へと引き立てていく。


「嫌よ! 嫌ぁぁぁっ! 離しなさい! 私は公爵夫人よ! こんなこと、絶対に認めないわぁぁぁっ!!」

「嫌だ! 寒いところなんて絶対に嫌だ! 兄上、兄上ぇぇっ! 助けてよぉぉっ!!」


 無様な二人の泣き叫ぶ声が、応接間から遠ざかり、やがて廊下の奥へと消えていく。


 それでも、レオン様は。

 彼らに一瞥の同情すら、最後までくれることはなかった。


 ただ静かに、彫刻のように美しく立ち尽くし、扉が完全に閉まるのを待つ。

 その完成された横顔は、あまりにも整っていて、あまりにも冷たくて。

 過去の傷を一人で乗り越えた彼の強さが、少しだけ痛々しくて、私は泣きそうになった。


 バタンッ、と。

 重厚な扉が閉まる。


 完全な、静寂。


 ようやく、本当にすべてが終わったのだと、私は腹の底から実感した。


 部屋に残された親族たちは、それぞれ恐怖と疲労の混じった複雑な顔をしていた。

 「ざまぁみろ」とまでは思っていなくても、あの傲慢だったエルザ夫人が一瞬で身一つで追放された事実に対する、同情よりも遥かに大きな『恐れ』の方が完全に勝っている。

 これで、もう屋敷の誰も、彼に逆らうことはできない。

 レオン様が本気で敵を切り捨てると決めた時、彼がどれほど無慈悲で容赦がないかを、全員が骨の髄まで見せつけられたのだから。


 やがて、重苦しい空気に耐えきれなくなった親族たちの人払いが進み。

 広い応接間に残るのは、私とレオン様、そして最低限の事後処理を待つ家令だけになった。

 その家令も、レオン様の目配せ一つで、すぐに深く一礼して逃げるように退出していく。


 扉が閉まって。

 ようやく、広い部屋に、私と彼だけが二人きりになった。


「……終わりましたね」


 私が、張り詰めていた肩の力を抜いてそっと言うと。

 レオン様は、壁の肖像画を見つめたまま、しばらく黙っていた。

 窓から差し込む冬の冷たい光が、その長い白銀の睫毛の影を、彼の色白の頬に美しく落としている。


「ええ」


 返ってきた声は、先ほどの覇王の圧が嘘のように抜け落ちた、いつもより少しだけ低く、かすれた声だった。


「これで、もう」

 彼はわずかに、安堵の息を長く吐く。

「あなたの美しい視界に、あの見苦しい汚物たち(元家族)が入り込んで、不快な思いをさせることは、二度とありません」


 私は、思わず目を瞬いた。


 まず、安心する理由が、そこなんだ。自分の復讐の達成感じゃなくて。


 でも、たしかに。

 あの人たちはずっと、レオン様を虐げてきただけでなく、彼を庇う私に対しても、陰湿な害意と嫌がらせを向けてきた。毒入りスープも、暗殺者も、濡れ衣の冤罪工作も。全部、大元を辿ればあの親子へ行き着く。


 だから、この圧倒的な決着ざまぁは。

 彼一人のためだけでなく、私たち二人にとっての勝利でもあるのだ。


「……本当にお疲れさまでした、レオン様」


 私は心からの敬意と愛情を込めてそっと言い、彼に一歩近づいて、ほんの少しだけためらってから、彼の礼服の袖に優しく触れた。

「本当に、本当に……よく一人で耐えて、今日まで頑張られましたね」


 すると、レオン様は、張り詰めていた糸が切れたように、ふっと小さく、ひどく甘く笑った。

 外の世界の人間には決して見せない、私にだけ見せる、無防備でやわらかい、あの子供の頃のままの表情。


「……クロエ」

「はい?」

「私を、いっぱい褒めてくれますか?」

「えっ」

「今日は、自分でも、あなたの期待に応えるために、かなり頑張ったと思うので。……ご褒美が欲しいです」


 私は数秒、頭の処理が追いつかずに完全に停止した。


 誰ですか、この外では冷酷無比で、私の前ではあざとすぎる最強のバケモノを育てたのは。

 ……私です。はい。私の責任です。


 ああもう、本当にそういうところだ!

 さっきまで、継母と義弟を極寒の流刑地へ情け容赦なく永久追放して、親族を恐怖で震え上がらせていた『冷酷公爵令息』だったのに。

 私と二人きりになった瞬間、警戒心をゼロにしてこれ(甘えん坊モード)である。


 大型犬なの?

 血に飢えた猛獣なの?

 それとも、私にだけ懐いている最強のヤンデレなの? どっちなの!?


「……もちろんです。ご褒美の特大ケーキでも何でも焼きますよ」

 私は、呆れながらも愛おしくてたまらなくなり、笑って、今度はちゃんと彼のがっちりとした腕に両手を添えた。

「今日のお姿、宇宙一最高にかっこよかったです。証拠の出し方も、論破も、完璧でした。私が保証します」

「そうですか」

「はい。誰よりも、世界中のどんな王侯貴族よりも、立派でした」


 その私の真っ直ぐな言葉を聞いたレオン様は、ほんのわずかに、祈るように深く目を閉じた。

 まるで、長年の呪いが解けた安堵を噛み締めるように。

 あるいは、私の言葉という名の甘い猛毒を、心の奥底まで大切に飲み込むように。


 そして、静かに、ひどく熱っぽい声で言う。


「なら、よかった」


 その声が、少しだけ泣きそうに掠れていた気がして。

 私は、胸の奥がきゅっと、痛いほどに締め付けられた。


 どれだけ背が伸びて強くなっても。

 どれだけ圧倒的な力で冷酷に振る舞えるようになっても。

 この人の心の根っこには、七年前のあの暗い地下室で、たった一言の「あなたを幸せにする」という救いの言葉を、震えながら待っていたあの小さな少年が、まだ確実にいるのだ。


 だから私は、これからも絶対に変わらず、この人の一番傍にいようと誓った。


 推しが、誰にも脅かされることなく、世界で一番幸せになるその結末ハッピーエンドを見届けるために。

 そして、もう二度と、あの子が一人で寒さに震える夜が来ないように。


 こうして、継母エルザと義弟アルベルトは、アルヴェイン公爵家から永遠に完全に排除された。


 不正に蓄えた財産はすべて没収され。

 貴族としての地位も名誉も、尊厳も失い。

 最後には、魔物が跋扈する極寒の死の鉱山へと、身一つで送られる。


 文句なしの、同情の余地が1ミリもない、完膚なきまでの特大『ざまぁ』の完了である。


 そして同時に。

 この運命の日をもって、アルヴェイン公爵家の強大な権力と実権は、名実ともに、完全にレオン様のその手の中に渡った。


 もう、誰も彼の血統を否定できない。

 この腐りかけた巨大な公爵家を支え、立て直し、圧倒的な力で守り抜けるのは誰か。

 その答えは、今日の血も涙もない完璧な断罪劇で、世界中の誰の目にも明確になったのだから。


 ……もっとも。

 その頃の私は、そんな公爵家の歴史的瞬間と覇王誕生の余韻を噛みしめつつも。相変わらず、オタクとしてのピントのズレた別方向で、一人で限界化して感慨に浸っていたのだけれど。


 私の推しが、ついに奪われた自分の居場所を全部、圧倒的な実力で取り返した……!

 しかも、断罪のやり方は容赦なくてマジで最高にかっこよくて、最後に私にだけ「褒めて」って縋ってくるギャップは、控えめに言って反則でしょ!? 尊すぎて死ぬ!!

 これはもう、推しの覇王化育成シミュレーション、大成功どころか、私のプロデュース手腕が伝説(殿堂入り)になるレベルでは!? やったーーー!!


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